35 夏の話 6

 そして嫌々ながら翌日寮を出て実家に帰省した。

 ならば。

「アユ君、暑い中おっかえりーぃ!」

 家に翔ちゃんが来ていて玄関まで出迎えてくれて。何故に上機嫌なんですか? 俺はそんなに帰省を疑われてたんですかね?

「聞いて驚けアユ君よ! 我々は自由の身になれたのだー!」

「は?」

 ポニーテールを揺らしてバンザイしてるが。

「鈍いなあ。じいちゃんの脳みそ特訓は中止になったの!」

「中止?」

「どうしても病院関係の外せない用事ができて一週間帰ってこないらしいよ、うひひ」

 ……。

 なるほど、それでこのハイテンションか。恐らく今回の分は冬休みにスライドして更に三年の夏にぎっちぎちに詰め込まれるんだと思うけどね、翔ちゃんよ。

「そこでね、時間も空いたしアユ君に話したいことがあるんだ」

 翔ちゃんはニヤニヤを引っ込めて俺の目をじっと見た。

 話したいこと?

「ま。とりあえず上がって冷たいものでも飲んで」

 いやいや、ここ俺んちなんで早く家に上がりたいのはやまやまだったのですよ。

 唐突に一つ予定がなくなったかと思えば唐突に一つ増えて。実家に帰ってくればこれまで聞かずに済んでたことも聞かないといけないよな。ツケが溜まってるみたいに。

 荷物を居間に置き、綺麗に片付いている俺の部屋に母親が用意してくれた2リットルのお茶のペットボトルとグラスを二つ持って翔ちゃんを招き入れる。

 そしてドアを閉めるなり。

「アユ君、彼女いる?」

 お茶ぐらい注がせてほしいんだけど。もちろんあなたの分も。

「……いや」

 いきなりなんだその質問。

「あのさ、アユ君、男色ってことになってるから」

 ……は?

 ローテーブルに座るなり放ったセリフは。

「じいちゃんたちがさ、跡継ぎ問題であたしらの誰かとアユ君を結婚させようとしてるのよね。男の子、アユ君しかいないでしょ」

「はあ!?」

 なんだそれ。耄碌にもほどがあるだろ。誰がそんなこと言い出したんだよ。

「まあほら、法律上セーフでしょ。でも孫女子連合としてはそれはやっぱり嫌だからさ」

「まあそりゃ」

 いとこ同士でっていうのは兄弟に近いようなものだ。だがあからさまに嫌がられるのもちょっと複雑。俺、好かれてないわけ?

「アユ君のことは好きだよ、親戚としてもちろん」

「それはどうも」

「そこで、絶対回避策としてアユ君は男が好きらしいっていう偽情報をね、じいちゃんたちにこの間リークしたわけだ」

「……ほう」

 俺はどういう反応をしたらいいんだ。

「ごめんね。あたしらも必死なのよ。みんな好きな男の子ぐらいいるでしょ?」

 そりゃそうだ。気持ちはわかる。しかしそういうのは一言相談してほしいものだ。そのリークはかなりインパクト大だぞ。ウチの家族に関わる話でもある。

「一応ね、じいちゃん連中までで止めてあるの。ウチの親とか叔父様には内緒でってことにしてある。アユ君が自分で言うだろうからって」

 スケールがデカい嘘だよな。でも俺たちが学校を卒業するまでの五年六年付き通せるか?

 いやまあ嘘というか。

「そういうわけで、それをしばらく通してくれるとありがたい。バレたらバレたでそれだけ嫌なんだってアピールになるし」

 言ってることは理解できる。どう転がっても翔ちゃんたちが困ることはないのだろう。それで俺の方はどうなんだ。嘘がバレて男色ではありませんと否定してその後は。元の木阿弥だろ。

「で、その後にね、あたしの一大計画をぶちまけようと思うの」

 いちだいけいかく?

「あたしが多田の家を継ぐ。婿養子をとって」

「……なるほど」

 こっちが本命で二段構えか。なかなかやる。バレなければ説得力もあるしな。翔ちゃんは跡継ぎになりたかったのか。少し意外。三女だからもっと自由な道があるだろうに。

「アユ君は跡継ぎ問題、どう捉えてるわけ?」

 こういう話、二人でしていいものか? 全孫会議じゃなくていいのかよ。

「別に俺は興味ないし、翔ちゃんたちの誰かが継いでもいいと思ってるよ」

 そこは俺がヘテロだったとしても同じことを思ったはずだ。

「そっか。あたしね、長男の娘だし医者の婿養子とって後継いでもいいと思ってるんだよね。アユ君は男色だから跡継ぎを作れないでしょ?」

 ってかそういうことになってしまってんだろ、お前さんたちのせいで。虚構と現実を混ぜるな……とは言えないが。

「面倒だけどさ、父親の長男の体裁、守ってやりたいなってちょっとは思ってて」

 ああそうか、俺と同じか。伯父さんは男の子が欲しかったんだろうな。だけど生まれたのは三姉妹で。だから末っ子は翔なんて男の子でも通るような名前にしたんじゃないだろうか。翔ちゃんも生まれながらにして迷惑な話だが。

「お姉ちゃんたちは全然婿養子考えてないみたいなのよ。アユ君の気持ち聞いておきたくて。叔父様はアユ君を医者にしたいんでしょ?」

「そうみたいだよ。跡継ぎに関しては特に聞いたことないけど」

 あわよくば、ぐらいは思ってるかもしれないがせいぜい墓守ぐらいの話で、相続に関して思うところもないだろう。

「じゃあまあアユ君は医者になるとして、あたしも一応頑張る予定なの。そこでさ、イケメン医者をひっかけて多田(ウチ)に入れちゃう。それでもいい?」

「いいよ俺は」

 異存はない。諸手を挙げて翔ちゃんを支持する。

「その代わりちょっとの間不名誉なことになるかもしれないけど」

 男色が不名誉ってことはない。翔ちゃんたちがでっちあげたことは間違ってないんだよ。

「俺は男色でもなんでもいいよ、家に関心ないし」

「よし、じゃあ協定成立ね」

 翔ちゃんは嬉しそうにぱんと小さく音を立てて両手を合わせた。

「お姉ちゃんや真帆ちゃんたちに言ってもいい?」

 真帆ちゃんたちとは父親の兄、つまりじーさんの次男坊の子供の名だ。

「もちろん、共有してた方がやりやすいだろ」

「ありがと。じいちゃんたちから全力でアユ君を守るから心配しないでね!」

 そこで秘密会議は終わり、翔ちゃんは満面の笑みで帰っていった。

 全力で守るとか女子に男前なことを言われる俺は。

 でもまあ、思わぬ方向からこっちは解決した、のかもしれない。そうなると大学は行きたいところでいいわけだよな。翔ちゃんが大学でイケメン婿養子を捕まえてくるんだから。俺のやるべきことはじーさんの脳特訓を同志として最後まで付き合ってやることかな。翔ちゃんの入試攻略はマストだ。

 と、翔ちゃんの話が終わり再びすることがなくなった。

 寮に戻るか? 家に帰ろうが帰らなかろうがこっちの友達とは遊べるしな。とはいえ、このまま回れ右で帰るのはさすがにあれか。明日戻るかな。せめて父親に顔を見せてから帰ろう。

 そう決めてベッドに寝転がった。することがないわけじゃないが(課題とか)、今はしたくない。じーさんの鬼の形相を覚悟して帰ってきたのに拍子抜けで。せっかくの自分の部屋だ。何をしても誰にも文句を言われない。自堕落にやろうじゃないか。

 俺はグラスに残った麦茶を飲み干すとベッドに大の字になって昼寝を決め込んだ。


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