34 夏の話 5

 三日間は食堂が休みだから自分で食事を調達しなければならない。

 テイクアウトの弁当か外食かそんなところだが、足が重くてどこにも寄らずに寮へ戻ってきた。散歩堂でパンを買えばよかったと寮の玄関についてから思ったがもう遅い。買い置きのカップラーメンがあるからそれで済ませばいい。

 相部屋の奴は今日帰省ですでに部屋にはいなかった。一人で足を伸ばして寝れる。一週間ぐらいここにいたいほどだ。

 家に帰れば大きなイベントはないにしても一族の集まりだのなんだのないことはない。じいさんたちの孫、つまり俺たちの中で寮生活をしているのは俺を含め二人、帰ってくるのを楽しみにしてるそうだ。面倒でしかない。一族総出の金持ち自慢や患者自慢(有名人の主治医になったとか)の話を聞くのは苦痛だ。

 三男の俺の父親は医者になれなかった人。普通のサラリーマン家庭で親子三人なら静かで平和な時間を過ごせるのに。父親も母親も普通の人で穏やかだ。無理に医者になれなんて言わない。が、心の奥では思ってる節が言葉の端にあって、期待されてるのは自覚している。俺のイトコ、父親の上二人の兄の子供がみんな女子というのもあって、じいさんたちは跡継ぎは俺にと言う。それなりに肩身の狭い思いをしてきただろう父親の鬱憤を晴らしてやりたいと思わないこともない。

 とはいうものの、じいさんたちに行く学校まで指定されてそこ以外は許さないみたいのは勘弁だ。当然帰ればそんな話になる。面倒だ。

 どん詰まりじゃないか。右にも左にも行けない。ここで夏休みを過ごしたいよ、俺は。引きこもりだと言われようが。

 ふと北見の声が聞きたいと思った。どうでもいいくだらない話をしたい。だけどあいつはもう帰省しただろう。彼女とだって遊びたいだろうし。まあ会えたとしても樫木のことは言えないし、家のごたごたもまあ聞かせたくはないわな。つまらん話だし。

 ……名刺をもらった。

 俺は話をするべきなのか、あの人と。樫木を自分のものだと言った橋口さんと。

 あの人は樫木の何らかの話をして自分が正当な樫木の相手だと、俺に身を引けと言いたかったのだろう。最後はその話をする価値はないと判断されたみたいだが。

 メールをしてみようか。電話より何気にハードルが低い気がする。どうせ名刺のメアドは会社のものだ。俺だって捨て垢で十分だろう。このままでは落ち着かない。樫木抜きで話がしたいと言ったのだから樫木にはやっぱり言えない。

 もし、樫木が橋口さんとヨリを戻したとしたら俺はそのままフェードアウトだよな。人の心は一度変われば戻らない。そうであるものだ。

 そうであっても。

 それこそ何も知らずに身を引くのはあまりにも蚊帳の外で、樫木とのあれこれは何だったんだってことになる。自分の人生そんな大したもんじゃないが、脇役だってちゃんと理由があって退場するもんだろ。まあ、大人に適うわけないってのはわかってる。

 とりあえずさっきののらりくらりを詫びて話を聞きたいとメールを打とうと鞄に手を入れた時、マナーモードを解除したスマホが震えながらメロディを奏でた。

「ちょっとアユ君っ!」

 着信アイコンをスワイプしてスマホを耳に当てるなり女の子の怒鳴り声が耳を直撃した。耳痛え。

「……なんですかね? 久しぶり、翔ちゃん」

 挨拶もナシかよ。登録済みの番号は同い年のイトコのものだから名乗る必要はないにしても。

「今日補習終わったんでしょ? いつこっちに帰ってくるのっ?」

 帰りたくないんですけど。

「明日、かな」

「帰ってきたらじいちゃんがバカな脳みそを叩き直してやるって言ってたでしょ」

「覚えてるよ」

「約束守ってよ? あたし一人なんてヤだからね。絶対だよ!」

 最後は拝むような声で電話は切れた。

 受験生でもないのに俺と翔ちゃんはじいさんの特訓を否応なしに受けることになっている。翔ちゃんもまた俺と同じように全寮制の女子校に通っていて、二人とも来年を心配されているのだ。先に帰省を果たした翔ちゃんは俺がすっぽかすことを恐れている。じいさん怖いからな。一人じゃ嫌なのはよくわかる。

 約束はちゃんと守る。翔ちゃんがすっぽかすというなら俺も便乗したいところだが。

 ……今橋口さんに連絡しても俺が動けないな。翔ちゃんのお陰で冷静になれた気がする。もう少し落ち着かないと。


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