「え、これ俺一人で?」

 昨日とは打って変わって、教卓の端には教科書やワークが積み上げられていた。その上どうやらどこかのクラスのノートを回収したみたいで。

「おう、悪いな。でも多田は男の子だから軽く持てるよな?」

「……いやまあ持てないことはないですけどね」

 紙類を舐めてかかると痛い目を見る。嵩張ると重いのだ。

「職員室寄ってから戻るから、先に行って置いといてくれ。鍵これな」

 樫木は俺の上着のポケットに鍵を落とした。

「待つの嫌なんで早く戻ってきてくださいよ?」

 鞄をリュックサックのように背負い両手で諸々を持ち上げたならば、思いのほか高さがあって顎のあたりまであった。重てえ。持ち切れないというほどではないし、社会科準備室までの距離もそうないからなんとかなるが、重い。

「多田」

 教室を出てひょこひょと歩いていると、背後から声がかかった。この重さでは首だけ回すことができずに足を止めて身体ごと振り返ると、廊下に面した教室の窓から北見が顔を出していた。

「おう」

 クラスが違うとはいえ、教室は隣。姿はいつでも見える。

「どうしたんだ、それ」

 まあ、まずは目が行くわな。

「担任の奴隷」

 自分で言うといい感じに香ばしいな。

「は?」

「やらかして、その罰的な」

「何やったんだ」

 北見は眉根を寄せた。真面目なんだよな。冗談が通じない堅物ではないけど。

「いやいやいや、そんな深刻じゃない」

 多分。 

「どこまで持っていくんだ」

「社会科準備室、すぐそこよ」

「半分持つからちょっと待ってろ」

 多分北見も帰るところだったのだろう。こいつの部活はゆるいし今日は練習ないのかもな。

「助かるわ」

 持つという申し出を断る理由はない、北見だからというわけではなく。その中に北見だから、という成分も混じってはいるが。

 机の上を片付けて帰り支度をした北見は言葉通り半分持ってくれて、二人で社会科準備室を目指した。ま、同じフロアにあるから十分ほどか。

「鍵、左のポケットに入ってるから悪ぃけど取ってドア開けてくんね? 荷物こっちでもらうから」

 当然樫木は戻ってきてないから、ドアは開かない。北見に全部荷物を預けて自分が鍵を開けるのも何だか悪い気がする、ので。

「わかった」

 ずん、とまた両腕に結構な重みを感じて。一人でここまで来てたら、ドア開けるのに床に全部叩きつけてたかもな。

 ……ぅ。

 こいつに悪気は一切ない。悪いのは俺だ。俺が勝手に反応して。

「多田? 大丈夫か? 具合悪いのか?」

 俯いてやり過ごそうとした俺を北見が異変と感じたようだ。上着の生地越しなのに、北見の手が近くにあると思うと。意識しすぎて吐きそうになる。頼んどいてなんだけど早めに離れてくれ北見。

「大丈夫。重いのなんのって」

 ガチャリとドアが開く音がして、腕が軽くなった。

「サンキュ。ホント助かったわ」

 長机に持ってきた諸々を置いて、隣に立つ北見に礼を言う。

「それより、罰って何したんだ」

「ん? 別に大したことじゃねえのよ」

 お前に言えるか。セフレとやった帰りを見つかったなんて。きっと軽蔑するだろ。言葉にしなくても一瞬そんな顔をするはずだ。

「クラスも違って部屋も違うと意外と会わないもんだな」

 だからその話は終わりだ。

「教室が隣とはいえ移動もあるしな……多田、お前痩せてないか? ちゃんと食ってんのか?」

「はあ? 母親みたいなこと言うなよ。食堂行って食わない事ないし、ちゃんと一日一回シコってるよ俺。新しいオカズ動画送ろうか?」

 部屋替えしてまだひと月経ってない。痩せるかよ。

「そこまでは訊いてないだろ」

 メッセージアプリでこの間送った動画のURL、開いてないだろう……。彼女いるし、やろうと思えば電話でだってできんだもんな。や、俺最低。

「お前は? 新しい部屋の奴、どう?」

「松川なんだが、あいつほとんど部屋にいなくて」

 松川か……そうかもなあ。見た目華やかで桜野に似てはいるが、桜野と違ってあんまり知的に見えなくて男をとっかえひっかえしてる奴だ。モテる、と言ってしまえばそれまでだが本人自覚アリアリで自分から声を掛けていくタイプ。相手の指向なんかお構いなしで食っていく。いや、食わせていく、か。

「ま、静かに勉強できていいんじゃね?」

「そういうことにもなるが、なるべく落ち着かせてやってくれって先生に頼まれてもいるしな」

「は? 松川をか? 無理だろ」

 三年にだってぐいぐい行く奴だぞ、鉢合わせしそうになってすげえドキドキしたことあったもんな。

「悪い奴じゃないし留年だけはさせたくないとは思ってる」

 あいつのこともちゃんと面倒見てやろうとするんだな。

「いやあいつ、あんな尻軽だけど成績はちゃんと真ん中あたりよ、お前が心配するほどもない」

 どちらかというと俺の方が心配だわ。真ん中の下あたりうろうろしてるし。志望校変えろって言われるだろう、担任に。

 樫木を思い浮かべたタイミングで準備室のドアが開いた。

「おう、お疲れさん……北見も手伝ってくれたのか」

 入ってきた樫木は俺の横に立つ北見に、おっ、と驚いた顔をした。

「結構重そうだったので」

 もっと言ってくれ、北見。

「やっぱり重たかったか、悪かったな、多田」

 本当にそう思ってんのかね、この人。

「これで奉仕が一日短くなればありがたいですが?」

 残りはたったの三日だろうと言えばそうだが、何も予定がないとしても自分の時間がなくなるのはよろしくない。

「明日、出張で一日いないから自動的に休みだぞ」

 樫木は意外なことを口にした。

「あ、そうなんですか」

 聞いてないぞ、そんな話。まさかそれで荷物積み上げたとかじゃないだろうな? まあいいや、北見のおかけで楽にはなったし。帰ろ。

「北見、お前この後暇?」

 別に樫木に見せつけようだとかそんなことを思ったわけじゃない。でも樫木に遠慮することでもない。廊下に出てからでもよかったのだが俺は俺のタイミングで言うだけで。

「ああ。別に何もない」

「じゃ、パン買いに行こうぜ。新作パンが入ったのよね。荷物持ちのお礼も兼ねて奢るわ」

「礼は別にいいが、久しぶりに行くか」

 新しい総菜パンが並ぶからね、と先日オーナーの奥さんが教えてくれたのだ。ウチの生徒の御用達というか多分昔から世話になってるパン屋さん。行ったことがない生徒は多分いないだろう。

「じゃ、先生。さよなら」

 話がまとまれば即行動。ここにいる理由はもうない。

「失礼します」

 北見は小さいながらも頭を下げ。

「おう、北見もありがとな」

 俺と北見は社会科準備室を出た。

 北見がいたおかげで、マッチングアプリがどうとか言われることはなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る