31 夏の話 2
町中華ではあるものの割と広い店内のここは七割方席が埋まっていた。お好み焼き屋とこことあと数件、ウチの生徒と先生の御用達がある。どこもいつ来ても大体いたりするのだが、今日は帰省もあってか同じ制服姿は今のところ見当たらなかった。
「冷やし中華四つ」
カウンターではなくテーブル席についてすぐ注文をしてくれた岡本さんは淀みなくそう言った。
四つ……二人前食べるのって、岡本さん? いや岸さんか?
そんなに量が少ないメニューではない。ここは具だくさんで一口サイズながらデザートもついてくる。俺は二人前なんて食ったことないが、好きならそれもありか?
「俺は二人分食わないよ、多田ちゃん」
顔に出ていたのか岸さんが手をひらひらさせて否定した。ってことは岡本さんが食べるのか。まあ痩せの大食いなんてどこにでもいる。
と。
「おい、来たぞ。人を財布代わりに使うなよ!」
背後からどすどすという靴音と若干の息切れと共に聞こえた声は。
「すみません、急がせて」
可愛らしくにっこり笑う岡本さんの視線の先には樫木が立っていた。
どういうことだ? 財布?
「お前ら……」
樫木は何かを悟ったらしく空いていた俺の隣にそれ以上何も言わずに腰を下ろした。テーブルは四人掛けで、俺の向かいに岡本さん、その隣に岸さんという並び。
「やっぱり多田君に奢らせるのは申し訳ないし、僕と岸は持ち合わせがなかったもので」
要するに四人前はこういうことなのか。
「俺は餃子会不参加であんたのニヤけ顔見れなかったし」
外食もままならないだろうと気を利かせて樫木を呼んでくれたんだな。この面子なら怪しまれない。でもこれで完全アウェーだよな、俺。三人で仲良く話し込んでくれたらそれでいいか。俺は気を遣うことなく冷やし中華を堪能できるわけだし。
遅れてきた体の樫木に店員さんが水を持ってきてくれた。
「この後も仕事あるんですか?」
ニコニコ顔の岡本さんが訊く。
「四時から会議だ」
「時間はありますね、よかった。もう頼んでるのですぐ来ると思います、お昼まだですよね」
「まあな」
樫木がちらりと俺を見るが、俺がこの状況を望んだわけじゃない。こういう形で飯を食うのもありかとは思うが次はなくていい。
……岸さんと一度寝たことは樫木も知っていて、そのことについて責められることはないが俺だって多少は居心地が悪い。で、その樫木を好きな(はずの)岡本さんと俺が樫木の前で飯を食うって、もう静かなカオスだろ。すでに餃子を一緒に食ったし。
さっさと食って支払いをして帰ろう。支払った時点でミッション完了だ。
この時期の看板メニューもあってか、本当にすぐ冷やし中華は運ばれてきた。
「前期補習終了のお疲れさまと、多田君のご厚意に」
そう言って岡本さんは両手を合わせた。
「気持ちばかりであれですが、お二人には世話になったので。その節はどうも」
これだけはちゃんと言っておかないと何のためにここにいるのかわからなくなる。
「いただきます」
ニコニコとニヤニヤを前にして箸をとる。餃子も美味いがここは冷やし中華も美味いのだ。
「お前らこれだけか」
それぞれズルズルと食べ始めた中、樫木がぽつりと言う。
「これだけですよ、センセイ」
「どうせ俺が出すんだよな? チャーハン追加していいか?」
「どうぞどうぞ。俺たち座ってばっかで運動してませんからね、腹減ってないんすよ」
樫木は通りかかった店員さんに頼む時に俺たちはどうするか訊いたが三人ともいらないと答えた。岸さんの言う通りで、俺は半チャンも入りそうにない。が。
「いやここは俺が出します、食ってもらって構いませんが」
樫木が出したら意味がないだろ、借りが消えねえんだってば。
「多田ちゃん、ここは樫木センセイに払ってもらって後で金額分身体で返せばいい。同じことでしょ」
!
麺を吹き出しそうになり、慌てて口を手の平で押さえた。何言ってんだ、この人。何が同じことなんだよ。
「いやいや、アリでしょ」
あるかよ!
「僕たちは多田君のその気持ちだけで十分嬉しいから気にしなくていいんだよ。だから樫木さんに奢られようよ。その後は二人で決めてくれれば」
岡本さんは頑なに「後輩に奢らせるわけにはいかない」を貫きたいんだな。まあこれ以上意地を張るのも可愛げがないか。じゃあ、ここは奢られて、後で樫木には何か……何かってなんだよ、サービスしますってか……。
「はい……」
「うん、それがいいよ」
仕方ない。
「お前ら、今日帰省するのか?」
話が終わったところで樫木が二人に話を振った。前に岡本さんから聞いた感じだとこの辺に実家があるような気がしたが。
「別に急いで帰っても特にすることもないし、三日ほどのんびりしてから帰る予定」
「僕はどこかで一日だけ帰ろうかなと思ってます」
……一日だけ? 事情があるのだろう。俺が詮索できるはずないし、聞こうとも思わない。
「そか。ウチは空いてるからな、来るなら前もって連絡しろよ」
深追いしないところをみると樫木はそのあたり知っているのだろう。樫木の住む教職員住宅は顔パスらしいし。
「おや、多田ちゃんは? 連泊すんじゃないの?」
「……しません」
俺を見ないでください。連泊どころか、別に樫木の部屋に行く予定もないし。生徒は長期休暇でも教職員は休みじゃない。平日は普通に世の社会人と同じで勤務だ。樫木のいない部屋で日がな一日何してろっていうんだよ。
「あ、そうそう。執行部の改選、休み明けで受付が始まるんだけど僕の方で手続きしておくから」
「……はい」
俺は忘れかけてたのに。
「お前、役員選挙出るのか」
隣の樫木が初耳だと驚いた顔で俺を見る。ああそうだろうとも、言わなかったからな。岡本さんが忘れてくれててなくなればいいと思ってたし。出たくはないし、あんたのせいと言えばそうなんだけどね。
「そうです。他に立候補する奴がいることを切に願ってますが」
「ふふ、でも信用してない人に仕事は振らないからね」
……それどういう意味だ。
「さて。樫木さんのチャーハンが来たところで僕たちは帰ろうか」
え。僕たちって、俺はそこに入ってる?
「もちろん多田ちゃんは居残りね」
置いてけぼりか。食べるの早いな二人とも。俺まだ三分の一残ってるのに。
「樫木さん、ご馳走様でした。何かあったら連絡させてください」
「おう」
ここで俺と樫木の二人になっても元は四人いたってのがあってセーフだろうから二人でゆっくり食えってことなんだろうな。
頼みもしないのに気を利かせてくれる……また借りができた。俺にじゃないか、樫木にだな。仲がよろしいことで。
終
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