32 夏の話 3

 俺はいなくなった岡本さんの席に移動した。四人がけと言ってもそう大きいテーブルではないし前が空いてるのに隣にいる必要もない。

「お前、生徒会に興味あったのか」

「ないです」

 さっきの俺の言葉聞いてなかったのか。

「俺とのことで何か取り引きがあったのか?」

「そんな黒いイメージじゃないですよ。お礼がしたいって言ったら選挙を出されただけです」

「いいのか? 嫌ならちゃんと断れよ? 何なら俺から」

「人がいないって言ってましたし部活やってるわけじゃないし、他に出る奴がいればそいつが当選するでしょうから形だけってことで」

 執行部顧問が樫木だっていうのも一ミリぐらいはある。少しぐらいは助けになっても。

「そうか」

 やれともやるなとも言わないんだな。面白がってくれるのかと思ったらテンション低く返されて。……一緒にいる時間が多くなる、なんて思うのはガキの発想か。まあ多分、部活と違ってそこでずっと監督してるわけじゃないしな。

「智(とも)?」

 そこへ、俺たちのテーブル横に一人のスーツ姿の男性客が立ち止まった。智って、樫木のこと、だよな。

「……夏乃(なつの)」

 持っていたレンゲがチャーハン皿に小さな音を立ててゆっくり当たって。樫木は驚いた顔でその人を見上げた。

「たまたま店の前通ってさ。懐かしくて入ったら智がいた」

 友達……同級生だろうか。親しげな口調と名前呼び。

「母校の制服も懐かしいね。こんにちは」

 柔和な顔つきで、とびぬけて美男てことはないがにこっと笑う顔は人懐っこい感じだ。いい人なイメージ。

「こんにちは……」

 挨拶されたので返すしかなく。

「生徒連れてお昼なんてちゃんと先生してるんだな」

 この人ウチの出身で樫木が教員なのも知ってるってことは近しい友達ってことだよな。そして樫木もここの出ってことか? 聞いてないぞ……いちいち言うことでもないか。そんな展開になるような話もしたことないしな。

「そろそろ辞めてる頃かと思ってたよ。他にやりたいことあったろ、って生徒の前で言うことじゃないな、ごめん」

「いや、ここに骨を埋めるつもりだよ俺は」

 突然始まった二人だけの話を立ち聞きしてるようで居心地が悪い。トイレ行ってきますって言うか?

「そっか。今度飲みに誘うから連絡先教えて」

 とタイミングを計るべきかと思ってたら樫木がナツノと呼んだその人は名刺をテーブルに出した。

「あー俺、名刺学校だわ、書くもんある?」

 そう言ってナツノさんからペンを受け取ると名刺を裏返して何かを書いた。

「メアドね、了解。ここに連絡するから。お邪魔様、生徒君もごめんね。君にも名刺あげとくよ」

 ナツノさんは名刺を引き取り、新たに二枚出した。

「ありがとうございます」

 俺がもらったってどうしようもないが。まあ社会人のたしなみみたいなもんか。

 そしてナツノさんは引き上げた。空いたテーブルを見つけたのだろう。

「食事中悪かったな」

 樫木はナツノさんを目で追うことなく名刺に手を伸ばすこともなく、レンゲを手に取って俺を見た。

「俺はほぼ終わってましたよ。高校時代の友達ですか」

 だから俺も置かれた名刺を見ることなく単純な疑問を口にした。

「同級生だ」

「疎遠になってたんです?」

「卒業してからは連絡取ってなかった、気になるか?」

 世間話程度には。十年近くってことだろ。結構長いし互いの容姿だって……変わってないのか。

「先生にも友達いたんだなって」

「おい、友達ぐらいいるぞ。俺をなんだと思ってるんだ」

「当たり前ですけど見たことないし、先生のプライベート知りませんし想像つきませんよ」

 俺が知ってるのは俺の目の前にいる樫木だけだ。他は何も知らない。

「あいつは高校時代付き合ってた奴だよ」

 あっさりと、そう言った。

 ……胸を拳で突かれた感じだ。案外、ずんと重い。隠されるよりはいいのか、知らない方がいいのか。

「同じ部屋だったんですか?」

 つい訊いてしまった。自分で足元を掘ってどうする。

「まあな」

 ちっともわからない話じゃない。どこかの誰かと一緒じゃないか。俺は上手く行かなかったが。これで樫木も卒業生で決まりか。

「俺は振られた方だからな、とっくに終わってる話だ」

 あっさりと口にした理由はこれか。そうなら無神経な人だよな、あの人。

「やっぱりここのチャーハンは美味いな。さて、学校に戻るか。お前はどうするんだ? 寮へ帰るなら車に乗せてくぞ」

 最後の一口を美味そうに口に入れた樫木は伝票を手に取った。

「あ、いや、買い物して戻ります」

 なんとなく一緒に帰りたくない気がした。車の閉鎖的な空間の中でどんな空気感でいればいいのか。

「そうか、気を付けて帰れよ」

「はい」

「そういやお前、夏休みはどんな予定なんだ。実家はどうなんだ?」

「家族で何か予定があるわけでもないですし、家でダラダラしてるだけです」

 家族とはせいぜい外食するとかその程度だろう。他は友達と遊びに行くぐらいか。

「どこかの週末……いや、やめとくか」

 え、なんで。正味三週間あるかないかだが、一切なしか。なしか、ってのはやるかやらないかのピンポイントな話じゃなくて顔も見ることもないのかっていう。

「泊まりの研修が入ってるし、俺の都合ばっか言ってもな」

 それは俺が休みで何も予定が入ってないから俺が合わせるのが普通っていうか、合わせられるから、樫木のわがままとかじゃなくて、え、いや、いい、のか? それで。いいって誰が? 俺が? 樫木が?

「まあ後期補習まですぐだもんな、お前も実家で羽を伸ばす時間は必要だろ。普段できない無茶をご両親にしてもらってこい」

 すぐって、三日四日の話じゃないだろ。社会人の「すぐ」は三週間なのかよ。ホントに何にもなしなのかよ。

「……はい」

 まあ、これも樫木の都合に合わせるってことだよな、俺は何もない生徒で、方や社会人で自分で生活している身。社会に身を置く人間として自分の都合だけでは生きていけないだろう。高校生なんてのは気楽なご身分だが何も持ってない。強く主張できる権利と交換できる何かを持ってない。

「俺は先に出るが金は払っとくからな」

 腕時計に視線を落とした後ナツノさんの名刺を一枚取ると樫木は店を出て行った。俺もとっくに食べ終わっていてここにいつまでもいる理由はない。樫木の背中を見送ってから席を立った。


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