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 忘れたフリをして帰るか、とも思ったが、それは俺がなんだか負けた気がしないでもない。俺は後ろめたいことをしたわけじゃない。まあそれは樫木に、というだけで世間的にはどうよ、というところではあるが。約束は約束だ。最後までやり通さないと。

「荷物小僧、来たか」

 SHR後に教壇へ行くと、なーんにも後ろめたいことはありませんよ、とばかりに、一昨日の何もなかった時の調子で樫木は声を掛けてきた。 

「ついでに進路面談もするか」

 まあ日を改めてよりはいいのかもしれない。今実施期間なのだ。空いた奴からやっていくと言った言葉通り、部活のない奴から声がかかって樫木とサシで志望校について話をすることになっている。これは二年生全クラス実施だ。

 実はこの段階で樫木とまだ目を合わせていない。俺もなんだかんだチキンだよな。被害者面をするつもりはないが、こっちが何となく引き気味になってしまってる。俺悪くないのに。悪くはないが、俺の一切を無視してやられた事に見下された感というか、対等でなかったことが樫木に対して劣等感を覚えてる気がする。頭ごなしに押さえつけられると人の心は萎縮してしまうものなのだと実感した。一度それをされてしまうとどんなにその後がそうでなかったとしても心は思い出すのだろう。

「わかりました。これ持って行っときます」

 教卓の上の樫木の荷物を手に取って、先に教室を出る。他の奴らに話しかけられて対応している樫木を待つ必要はない。

 そして社会科準備室まで来て鍵を貰ってこなかったことに気付いた。何やってんだ。荷物を置いて帰る、ということができなくなった。あまりに遅い時は帰ろうと思っていたのだ。鍵は職員室にでも預けておけばいいと。早く来いよ、何やってんだよ。

「多田ちゃん」

「岸……さん」

 何となく壁にもたれて視線を落としていたら、ニヤニヤとした顔で目の前に立っていた。

 ……なんでよりにもよってここで会うんだ。樫木に見つかって痛くもない腹を探られるのは面倒臭い。

「岡本さ、どうだった?」

 あー、そっか、この人の中ではそういうことになってるのか。岸さんに誘われてた時に岡本さんが割って入って先約だからと追い払ったもんな。それっぽく匂わせてたか。あの人、それでよかったのかな。

「どう、とは」

「やらせたんだろ? 樫木先生待ってるんだったらその間に話聞かせてよ」

「そういう話聞いたって面白くもないですよ」

 ホント、そんなの聞いてどうすんだよ。興奮する質なのかよ。

「多田ちゃんを抱く時の参考にしたいじゃん、ね?」

 壁に背を預けていた俺の横に岸さんが並ぶ。距離ゼロ、つまり腕がぴたっと密着して。制服を着てるものの多少は体温を感じる。次は自分だと思ってるんだろうな。まあ……それでも、いいか。一回やらせろ的なやつだろ。

「別に話を聞かなくても、岸さんのやり」

「多田」

 今日はよく呼ばれるな。

 と声の方を見れば、北見だった。いやいやいや、何だこれ。俺の日頃の行いとやら?

「先生の荷物持ちか」

「そうよ」

 俺の持ち物じゃないモノを手に持っていることに気付いたのだろう。

「で、いないのか」

「そう」

「君さ、今多田ちゃんは俺と話してんの。入って来ないでくれる?」

「あーええと、三年の岸さん」

 こいつ誰だと割ときつめに岸さんを見る北見に俺が焦って。お前が知るはずないもんな、俺も最近知った人だし。

「邪魔してすみません、多田、この後空いてるか?」

「この後はここで面談」

「おーい、お前どういうつもり?」

 岸さんの声が少し硬くなって。どうしたんだ、北見。通りすがりだろ、早く帰れ。

「お。なんだなんだ。どういうメンツだ」

 最悪……部屋の主が来た。いや、救世主か。ここは一気に解散だ。

「多田はこれから進路面談だぞ、終わりは何時になるかわからんから二人とも今日は帰れ」

 そこまで言われれば、引き下がるしかないだろう二人はそれぞれ違う方向へ去っていった。助かった。多田ちゃん、またね、と手を振ったのは岸さん。北見は小さく会釈だけだった。

「修羅場か」

 ドアを開けながら樫木がそんなことを言う。

「まさか、たまたまですよ」

 俺を先に中へ入れて後から入った樫木は鍵をかけた。密室、という言葉はあんまりいい気がしない。ここ狭いし。

「荷物ありがとな、自分でパイプ椅子出して座ってくれ」

 樫木は俺から荷物を受け取ると、インスタントコーヒーを淹れてくれた。

「単刀直入に言う。お前、このままだと第一志望は落ちる。第二もボーダーにぎりぎり乗っかってる感じだぞ」

 樫木の手元には資料など一切ないのに、いきなり進路指導が始まった。ちゃんと真面目に。樫木も教師だったわけだ。教え子のデータは頭に入ってるのか。

「休み明けの実力テストと模試、酷かったよな」

「はい」

 わかってる。

「まだ一年あるが、お前の成績、右肩下がりだろ。挽回しようと思ってるか?」

 そう言いながら机の引き出しから紙ファイルを取り出して、俺の一年からの定期テスト、休み明けごとの実力テスト、模試の結果が書かれているページを開いて見せてくれた。

「一応は」

 じゃないと合格できない、ことはわかってるから。

「なあ、志望校、どうしてここなんだ」

 第一志望欄に書かれた大学名を指さす。

 Cですらついたことがない合格判定。確かにそう思われても仕方ない。背伸びしてるのはわかってる。

「うちの一族みんなそこの出身らしいので」

「お前のところ、みんな医者なのか」

「いえ、俺の父親は違います。だからです、俺に期待が大きい」

 そして俺のイトコはみんな女の子で男が俺一人っていう、なんか妙なガチャであたりを引いてしまった感じで。三人兄弟の末っ子だった父だけが残念ながら医学部に落ちたらしく会社員をやってるが、伯父、祖父、大伯父たちは医者だ。

「お前はそれでいいのか」

「まあ……拒否るほどに他にやってみたいこともないですし、やりがいのある仕事だとは思ってますよ、ちゃんと」

「俺はいいとは思わんが、お前がいいというならできるだけ力になる」

 少しの沈黙があって、樫木は静かに言った。大真面目に。

「……それ、みんなに言ってます?」

「当然だ、担任だからな。クラス全員最終的に希望した進路に進めるよう手を尽くす」

 まあそうだよな。 

「なんだ、一端の教師のフリをするなって言いたいのか」

 その逆。

「いえ、やっぱり先生なんだなと」

 ちゃんとしてるよ。

「そりゃどうも。じゃ、面談終わりな」

 樫木はファイルを閉じると引き出しにしまった。

「さて多田、こっち来い」

「え?」

「いいから俺のとこへ来い」

 机を回って樫木の目の前に立てってことか。

「なぜですか」

「来ないと身ぐるみ剥がすぞ」

 なんだよそれは。身ぐるみなんか剥がされるかよ、ここどこだと思ってんだ。

「俺、そっちに行く理由ありますかね」

「ある。おっさん枠発動だ」

「はあ!?」

 何言ってんだ。こんな場所で。昨日やったばっかのくせに。

「心配するな、ソフトなおっさん枠だ。約束は約束だろ、俺の膝に座れ」

 いや、ちょ、なんだよそれ。膝の上って……。

「無理」

「来ないと北見にバラすぞ」

 ……何言ってんだ、ホントにこのクソ教師。俺、何かと脅されてないか?

 俺はパイプ椅子から立って、事務机の横を回って樫木の座る椅子の前に来た。

「いい子だ」

 樫木に腰を取られ、背を預ける形で膝の上に座らされる。互いの顔が見えないのが救いか。膝の上って……高校生にもなって恥ずかしすぎるだろ。

「ん……っ」

 いや。顔が、樫木が見えないのは問題だった。直前まで何をされるかわからないから避けようもない。首筋を樫木の唇が辿って。

「ちょ、まっ……そこは」

「跡はつけない。大丈夫だ」

 と言い……ちょ、吸ってないか? 見えるところに跡なんかつけんなよ!

「んん……っ、や……めっ、あっ……」

「やめない」

 左手で俺の胸あたりを、上着のボタンを外されたワイシャツの上から弄って。駄目だ、こんなところで人が来たらどうするんだ。

 ヤバい……樫木は上手い。石井さんが下手だというわけではないが年の功というか。だから快感が駆け上がるのが早くて……このままだと止められなくなる。あらぬことを口走りそうで、言葉にならない声が出そうで。声を出さないよう手で塞ぎたいのに、噛んで凌ぎたいのに。悪意のあるバックハグに、樫木に両腕を押さえ込まれていて手を動かすことができない。

「いいか、手の甲を噛むのはやめろ。声を出したくなかったら俺にキスでもしとけ」

 熱い息ごと耳元で囁かれ背中をぞくりと快感が走った。

 樫木は制服のベルトのバックルを外すと下着の中に直接手を入れ、俺のペニスをゆっくりと扱き始める。

「う……んぅ……」

 全部、視界に入っていて。樫木の手の動きが丸見えで、俺は何もできなくて、されるがままの自分がとてつもなく恥ずかしくて、被虐的な気分になって。

 ……目を閉じて首を傾げて樫木の唇を探した。見えなければ少しは羞恥心が薄れて、嬌声も出さずに済む。これしか俺にできることはない。樫木の唇が降りてきて重なると食らいつくように吸って。舌を強引に入れて樫木を追いかけて。

 そして快楽の極みを知っている身体は当然歯止めが効かなくて、俺のペニスは樫木の手の中で達った。

 唇を離し、浅い息を樫木の胸にもたれて整える。

 どこがソフトなんだ。こんな場所で。馬鹿だろ。勉強しろと言ったその口で、その場で、達くまで帰さないとか言いやがって。

 出鱈目すぎるだろ。

 ……疲れるよ、あんた。

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