14
嘘つきは泥棒のはじまり、なんて言うが泥棒にまでは発展しないだろう、と思う。
自分を正当化してるわけじゃない。やっぱり嘘をつくというのは良心が咎める。気持ちが悪い。
でも、俺は外でおっさんを引っ掛けたわけじゃない。学校内でセックスの相手を探すのは面倒だと思って外のおっさんにしようと思った。そしてそのおっさんに樫木が名乗りを上げて、俺も一応了承して。
俺はおっさん以外とは寝ない、ということになるのか? それはつまり樫木としか寝ないってことになるのか?
あいつ強引なんだよ。全然俺の言うことを聞かない。だから疲れる。俺はそういうセックスがしたいんじゃない。
まあ、あの言いっぷりだともう俺と樫木は何でもない関係になったんだよな? だから嘘をついてまで反抗的な態度を取ろうとも謝罪する必要はないわけで。樫木に操を立てる義理はない。所詮セフレだろ、浮気も何もあったもんじゃない。
パン買って帰るか。なんか腹減った。ぐだぐだと考えるのは面倒だ。パン食って幸せに浸ろう。……そういや、あのマグカップまだ使ってなかったな。買ったの忘れてた。せっかく一目惚れして買ったのにショップバックからすら出してない。今日使おう。
学校の門を出て、寮へは戻らずそのまままっすぐ歩き始める。
「ちょっと!」
呑気に歩いていたら腕をぐいっと掴まれた。背後からやや引っ張り気味だったようで、無防備だった俺は少々後ろによろめいて。
「多田君、どこへ行くの!?」
振り返ると怖い顔をした岡本さんがいて。さっき会ったばっかでまた会うのか。
「や……散歩堂に」
「え、パン屋さん?」
散歩堂とは学校の近くの生徒御用達の、北見と新作総菜パンを買いに行った、あのパン屋の名前だ。岡本さんは目を見開いた。
だからこんな時間から出ていっておっさん引っ掛けたって帰って来れないだろ。
「なので手放してもらっていいですか?」
俺はホントにこの人に監視されてんだろうな。受験生なのに樫木の言うこと聞いて大変だよ。
「あ、ごめ……じゃなくて。話をしよう、多田君」
「したくないです」
どうせこの人の話すことと言ったら樫木の話しかない。まさかさっきの面談の話、もう行ってるのだろうか。レスポンス良すぎだろ。
「そう言わずに。多分誤解してるから」
何をどう誤解なんだ。誤解しようがない程に事実は明快だ。
「散歩堂のプレミアム食パン奢るから」
おっさん枠を解消してもこの人は俺を見張るんだな。そりゃあそうか。やらかしそうな奴とおっさん枠は別だもんな。
買ってもらったプレミアム食パンの袋と鞄を床に置いて岡本さんのベッドに腰掛ける。人がいるようなところでは話せないというので岡本さんの部屋に呼ばれたのだ。岸さんあたりに見られればまたヤッてるのかと思われるんだろうな。なんとなく石井さんにも見つかりたくない。この時間だと当然、二番館の中は三年生が適当に歩いていたが幸いどちらにも会わずで。
コーヒーでも飲むかと訊かれたが、そんなに長居する気もないので断った。
「僕は君を監視してるわけじゃない。樫木さんは僕に気を付けて見ててくれって言ったんだよ」
モノは言いようだ。言葉が違うだけで中身は同じことだろ。
「自分じゃどうしても難しいからって」
そりゃそうだろう。さすがに俺にずっと張り付いてられない。教師という立派な仕事があるのだから。
「何かやらかしそうな生徒を見つけ出す力が先生はあるんでしょうね」
悩める子供が大好きだと言ってただろ。教師にはそういう感知能力も必須だろうよ。事前に揉め事は潰しておきたいはずだ。俺みたいな未成年の性犯罪的な何かなんかは特に。
「あのね、何かやらかすとかそういうことじゃなくて、樫木さんは君の事を心配してるんだよ。一人で何かを抱えてるのなら助けになろうと思ってるんだよ、多田君はそんなこともわからないの?」
心配、ねえ……。岡本さんに一生懸命言ってもらえることにそう悪い気はしないけど。
「岡本さんみたいに頭良くないですからね、わかりませんよ。外で面倒を起こされると困るのは先生で学校でしょうからそうなるくらいならセックスでも何でもして引き留めようってことでしょ? 先生も大変ですよ」
ま、ついでに性欲とか支配欲とかも満たされていい感じなんじゃないのか。
俺の答えは岡本さんにとって期待外れだったらしく、大きな溜め息を吐いた。
「セフレの先輩として岡本さんは俺を少しは心配してくださってるのかなとは思ってます」
「え?」
途端に岡本さんは固まった。
「え?」
俺も鸚鵡返しのように零した。
あれ……その反応は?
「多田君、今なんて言った? 僕がなんだって?」
「え? いや、だから、心配して」
「違う、その前」
「え、セフレの、センパイ……」
「それどういう意味?」
珍しく剣呑な表情になって。
「どういうって、セフレは、こう、愛のないセックスというか性欲を満たすだけのセックスというか」
「そこじゃない。僕がセンパイってどういう意味?」
ますます険しくなって。
「え? 違うんですか?」
「だから何が?」
口調が尖りまくりで。
「岡本さんは昔先生に世話になったって」
「言った。それは確かに」
「つまり、樫木、先生が落ち込んでる岡本さんを励ますために手とり足取り……その……セックスで自信をつけていってあげたっていうか。それで岡本さんは元気になって、樫木のもとを巣立っていった、と……」
「多田君の言ってることがわからないな。僕だってたまには怒るんだよ……?」
最後は能面のようになって。
岡本さんは怒らせちゃダメな人だ。我慢して怒りを溜めるだけ溜めて最後に溢れた勢いで平然と刺すタイプだ、多分。
「……違う、んです、か?」
俺、相当見当違いやってたのか……。
「違うよ。なんで僕が樫木さんと寝なきゃいけないんだよ」
それも一瞬だけで、いつもの岡本さんの顔に戻ったけど。気をつけよう、俺。
「いや、だから、岡本さんを励ますために」
「そんなセックス、多田君はしたいと思うわけ? レクリエーションじゃないんだよ?」
俺がゆるすぎか。
「え、でも……よくはわかりませんが、俺、石井さんとはいわゆるセフレだったし……」
「石井とのことは僕は何も言わないけど、樫木さんがそんないい加減に君を抱くと思う? 仮にもあの人教師だよ?」
ええ、まあ……でもあいついい加減だろ、十分。
「君が好きだった子の想いを断ち切るために石井と寝てたっていうことは感心はしないけどわからないこともない。そういうやり方をしなければならないほどに君はその子のことが好きだったっていうんなら仕方ないと思う。でも自分を空っぽにできた? 逆効果だよ、多田君。君は好きでもなんでもない誰かと寝るたびにきっとその子のことを意識する。それじゃ駄目なんじゃないかな。僕だって君と一つしか歳が違わない経験値のない奴だけど、もっと周りを見て進む道を間違えないで、ぐらいは言える。そうなれたのは樫木さんのおかげなんだよ」
樫木の憶測を岡本さんが共有しているのは仕方ないんだろうけど、まあ間違っていないだけに俺の情報のダダ漏れ感が恥ずかしいというかなんというか。
「……僕はね、酷かったんだよ前は」
岡本さんの昔話か。樫木に繋がる話なんだろうな。俺がそれを聞く義務はないと思うが。
「褒められたものじゃないから誰にも話したことがなくて、樫木さんと岸しか知らない」
意外な名前を聞いた。岸さん? 弱味的に知られたとかそういうことだろうか。
「僕は中学校に上がる時にこっちに引っ越してきて友達がいなかったから、遊ぶ相手はおじさんたちだったんだ。意味、わかるよね?」
え? それって。この人、どんな子供だったんだ。公立だと中学校は小学校の持ち上がりがほとんどで、友達を作るのが難しかったのかもしれない。でもだからって。今よりずっとおとなしくて、華奢で、捨てられた猫みたいだったのだろうか。家の人はどうしてたんだ。
「幸い良い人たちで。とはいえ、3Pとか平気でしてたよ。中学生なんておもちゃだよ、想像つくかな」
ぞっとした。この人の口から3Pなんて言葉が出てくるなんて。そこにいなければならなかったこの人が酷く哀れで。
「優しい人たちだったし楽しいと思ってた」
岡本さんは時に薄く笑って淡々と話してるけど、楽しいわけはない。ただ居場所があるというだけだろう。複数形を使う不自然さ。何本もの手にいいように身体を弄ばれるなんて。中学生が。この人の言う良い人ってどういう人間なんだよ。
「樫木さんにたまたま拾われて、中学生が何やってるんだって。お前は友達を作ることから始めろって。近所の公民館で児童クラブみたいなの作ってさ、連れてきたのが岸。それからの腐れ縁なんだよ、あいつとは」
岸さんとはそういう関係だったのか。
「樫木さんはここの先生だったけど、こまめに覗いてくれて、お菓子やら持ってきてくれた。結局、事情はそれぞれだけど僕みたいな落ちこぼれが五人集まって放課後に一年弱わいわい勉強したり遊んだりしたよ。岸以外とは高校でばらばらになってしまってそれっきりだけど本当に楽しかった。年相応の子供になれたかな、そこで」
……この人本当は樫木のこと。
見捨てるようなことを言いながら今もまだ樫木に手を貸している。
「僕と君とは全然違うけど、樫木さんはそういう人だから。誤解はちゃんと解いておくよ、僕と樫木さんは寝てないし、恋愛感情もないし、樫木さんはちゃんとした人で、悩んでいる子に親身になってくれる人だ。僕は樫木さんに救われた一人で、多分他にもいる」
岡本さんの言うことは、樫木のしたことはとても真っ当で。確かに岡本さんは、ついでに岸さんも救われたのかもしれない。それは素晴らしいことだと思う。
じゃあ、俺はなんなんだよ。
結局樫木は石井さんと同じなんだろうな。言う通り俺と岡本さんは違う。俺だけ扱いが違う。
まあ、それでいい。岡本さんは駄目だと言ったけど、俺はそういうやり方しか知らない。ましてや樫木に救ってもらおうとか思ってもない。向こうから勝手にやらせろと言ってきただけだ。樫木でも石井さんでも岸さんでも誰でもいいのだ。北見の横に綺麗な俺で立つためなら。
ここを出ればどうやったって北見と自然に離れることになる。だからそれまでの間の話で。誰かで浄化しながら北見のそばで馬鹿笑いできたらいい。その後の俺がどうなるかなんて、知ったこっちゃない。
「岡本さん、ありがとうございました。わかった気がしますよ」
「多田君、何がわかったの?」
「俺はこのままでいいんだってことです」
「え?」
「それにもう終わったことでしょ? 岡本さんは先生から聞いてるんですよね? おっさん枠が解消されたこと」
「だからそれなんだけどさ、樫木さんの悪いところで」
「ま、それでも、マッチングアプリがどうの嘘がどうのと俺はちっとも信用されてないんで岡本さんの見張りは続くんですよね? ご苦労様です。でも俺、自分で言ったことは守りますから、外で男は引っ掛けませんよ。岸さんもまた機会があればって言ってましたし」
もう、岡本さんの説教はいらない。岡本さんの言葉を遮って一気に吐き出す。奢ってもらった分の話は聞いただろう。
「多田君、待って。もう少し僕の話を」
岡本さんが焦ったような顔で立ち上がった俺を見上げたが、ごめんなさい、俺は行きます。
「失礼します。パンありがとうございました」
振り返らずにそのまま岡本さんの部屋を出た。
終
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