22 Four years later 3

 さすがに無理だとは言えない雰囲気で。樫木が必死だったし。とにかく友達が岡本には必要だろうということはわかるし。学校が違おうと構わない話で馴染めてないと言うならその方がいいのかもしれないし。俺にできることなんて爪の先ぐらいの僅かなことだろうけど。

 お前の気持ちは不問だからどんな感情で岡本と接したっていいぞとも言われ。いや、俺違うって。多分。

 こうして月曜から金曜の一時間半だけの、宿題部と名付けられた部活動めいた二人だけの集まりがこの公民館の小会議室で始まった。

 樫木は週二日ほどはお菓子を持って覗きにきてくれて、その時は教師らしく勉強を見てくれた。

「なるほど、じゃあここにこれを当てはめれば解けるんですね」

「そういうことだ。岸はどうだ?」

「うす」

「岸くんは僕より頭良いんで大丈夫です」

 ね、とにこりと笑う。リスのようなくりっとした目で俺を見て。こいつに他意はない。純粋に俺と宿題をしてるだけで。なのに、誘われてるような、何をと言われると困るが、手を伸ばして触れたくなる気持ちは。樫木のせいだ。無駄に煽るから。見たこともないが岡本で遊んだおっさんと同じじゃないのかこれは。……こんな気持ちを持ってはダメだ。

 宿題部は本当に勉強をするだけで話はほとんど勉強のこと。時間がそうないというのもあるが。この漢字忘れたとか公式が違う気がするとか、ちょこっと世間話みたいなことはしてもお互い自分のプライベートなことは話さない。ここにいる以上のことは詮索しないという空気は悪くなかった。岡本は人見知りというわけではないようで日が経ってくるとよくコロコロと笑い、俺が黙っていても話しかけてくる。どうして転校先の中学校で馴染めなかったのかはわからないが、もしかしたら次の、三年のクラス替えの時は上手く馴染めるのかもしれない。環境の変化は状況を変えるだろうから。

 そう。俺も変わった。放課後はここへ来て岡本と勉強をして、終われば家に帰り。次の日はちゃんと学校へ行った。授業後の宿題をもらうために、ここへ来るために。動機が不純だがちゃんと授業も受けてるから悪くはないだろう。今更自分からクラスの奴に話しかけることはないが向こうからは何かと話しかけられるようになった。

 樫木によれば、岡本も公園で時間を潰すことなくここを出てからはまっすぐ家に帰り、いたって普通の学校生活を送れているらしい。宿題部が楽しいと言ってくれてるとか。

 そして二ヶ月ほどたったある日、なんと仲間が三人一気に増えて計五人となった。樫木はもとからそのつもりだったらしい。友達が俺一人というのも普通じゃないし本来増えていくものだろう。岡本が学校で友達を作れたのかは知らない。学校での話を故意にしないのかすることがないのか判断がつかないがやはり一切話をしないのだ。まあ、新しく校内でできていればここはきっと解散だ。この疑似的なというか与えられる友達(俺)は必要ないのだから。よって岡本がクラスで浮いてる状態は改善されてないということなのだろう。

 樫木が連れてきた奴らは見事にみんな違う私立中学で、私立ならではのオシャレな制服に公立中の俺と岡本は羨ましいなと囁きあった。なぜここへ来たのかというのはやっぱり少しクラスから外れてしまった存在のようで、俺たちの仲間ってことだ。だけど話せば気のいい奴らで。ただ、学力の方は俺たちの遥か下を彷徨ってて。それでもやる気はあるらしく五人でわいわい言いながら勉強し、定期テストで二十点上がった時は樫木がジュースを奢ってくれて乾杯した。

 この小会議室で何もかもが上手くいっていて。みんなが充実してる気がした。

 のだが。

 二年生の終わり頃。一人が彼女ができたと言った。そんな経験のない四人は驚くもすぐにお祝いムードになって、そいつの恋バナを聞きたいわけで。

 しかし喜ばしいことなれどこれは良くない流れなのかもしれないとこっそり思い直したところへ一人が訊いた。どこまで進んだのかと。そいつは手は繋いだと恥ずかしそうにだけど嬉しそうに話して。それが悪いことではちっともない。もちろん。彼女ができることも手を繋いだことも。そうじゃなくて。

「じゃあいつエッチすんの?」

 当然の成り行きの言葉だろうきっと。健全な男子ならおかしくない。そう思うのも、本人がそう考えることも。

「いやいや、そんなことまだだし、したいとは思うけど、勇気ないしどうやってやるかわかんないし、拒否られたら俺死ぬし。それに中学で早くね?」

 気付くのかもしれない。認識の差に。自分が何をやっていたのかを。

「だよなあ、エッチは勇気いるわ。それしか考えてないのかとか言われたら、落ち込むよな」

「女子はそういうのすっごいデリケートっていうか、本当に好きな人としかしない、とか言いそうだもんな、お試しなんて言ったら終わりだよな」

 もうやめろ。悪いことじゃない。けど、ここで話をするな。岡本の前で。

「エッチの経験があるとか言ったらどうなるんだろう、女子には汚いものを見るような目で見られるんかな。ヤリチンとか陰で言われんのかな、まだないけどさ」

「えーやめろよ、悲しくなる。まあ中二で経験あるって結構進んでるっていうか、やりまくりな奴、男から見たって引くだろ」

「今は男同士だってやるんだろ? 流行ってるっていうかさ。病気とか大丈夫なのって」

「男同士って気持ちいいっていうじゃん、気にはなるよな」

「お前チャレンジャー過ぎんだろ。もしこの先やったら教えろな」

 お前ら。頼むから。

「岡本はそゆの興味ある?」

 ……。

「興味?」

「そ。男とのエッチ」

「男とエッチってどういうこと?」

「そりゃ、男と女がするのと同じことを男同士でもするってことだろ?」

「男同士がやってもエッチって言うんだ」

「なになに、岡本興味あんの?」

「よくわかんないから興味はあるよ」

「まあそーだよな。やりたいとは俺は思わないけど気にはなるよな、やっぱ」

「特別なものなの?」

「特別? そりゃ普通は男と女がやるものだし、エッチするってことは男同士で恋愛感情があるってことだから特殊かもしれない。マイノリティではあるよ」

「じゃあ恋愛感情がないエッチってあるのかな」

「あーそれなら、そういうのを仕事にしてる人とか……最悪無理やり? 片方が性的に気持ち良くなりたいからってだけとか?」

「俺、喉乾いたんだけどさ、お前らの分も買ってこようか?」

 俺はパイプ椅子から立ち上がった。もう限界。座ってられない。

「おっ、ありがと岸。頼むわー」

 話をぶった切ったことは気付かれてない。

「岡本も来いよ、持つの手伝ってくれ」

「いいよ」

 誘った俺の気持ちなんか気付いてないような岡本の軽い返事はイラッとしないこともなかったが、あれ以上話をさせたくないという思いに比べれば大したことではなかった。

 みんなの飲み物の好みはわかってるから迷わず自販機のボタンを押すと取り出し口に落ちてくるペットボトルを岡本が取ってくれる。

「岸は」

 そして五本目を取り出した時、下を向いたままポツリと言った。

「知ってたんだね」

「何が?」

「岸と会う前の僕のこと。田上の彼女の話を聞いてて辛そうな顔をしてた。あれは僕を気遣ってのことだよね。それでも一緒に勉強してくれてありがとう。楽しかった」

「どういう意味だよ」

 まるで別れの挨拶みたいなことを言う。

「僕は頭がおかしくて汚いものだって、岸と樫木さんは隠しておきたかったの?」

 きっと樫木の恐れたことが起きようとしている。しかも俺が知ってたってバレて、どちらかというと最悪のパターンじゃないか? 樫木は岡本が自然に俺に話すことを願ってたはずだ。樫木がここにいない今、フォローするのは俺一人だ。

「お前はそんなんじゃない」

「今の話で僕は中学生のくせに恋愛感情がないセックスをやりまくっててマイノリティで、みんなに陰口を叩かれる」

「やめろ」

「いいんだ、それが本当のことだとわかったから。おじさんたちとの遊びは楽しくて身体が気持ち良くて、僕は好きだったんだよ。痛いことも辛いこともなかったし。でもあれは遊びじゃなくて、セックスなんだね。好きな人とすること。気持ちがいいというだけでするものじゃない。言われるまで気付かなかった僕はやっぱり頭がおかしいんだと思う」

「そうじゃないからもう黙れ。もうそいつらと会ってないならそれでいいんだ」

「岸は優しいね。こんな僕でもいいと言ってくれる」

「友達になるのにそんなの関係ないだろ」

 友達。そうだ、俺と岡本は友達だ。きりきりと胸が軋むのは気のせいだ。

 こいつには友達が必要だ。損得ない、搾取する側される側なんてことじゃない、ただ一緒に笑い合える友達が。都合良く弄ばれるセックスの相手なんかじゃない。

「今、ここにいて僕はすごく楽しい。勉強したり、他愛無いことをおしゃべりしたり楽しい。僕は友達の作り方がわからなかったけど、岸や田上たちを見てて次は僕もこんなふうにやれば友達ができるんだってわかった。樫木さんがそう仕向けてくれたんだよね。感謝してる。樫木さんにも岸にも」

 何を言おうとしてるんだ、こいつ。

「岸になら何でも話せるかもと思ってて、僕のこともその内話してみたいって思ってたんだ。だけど田上たちにはちょっと無理かなって。でも友達に隠し事なんてよくないよね? それに岸たちは別に僕と友達になりたくてここに来たわけじゃない。友達になってくれたことには感謝してる。でもそれは本当の友達じゃないよね」

「本当の友達、ってなんだよ。どんな出会い方だったら本当の友達なんだ」

「見ず知らずの人が偶然に会って、その人のことを知ってみたいと思って、それで友達になりたいって思うんじゃないのかな」

「俺とお前のどこがそれに外れてるんだよ」

「岸は樫木さんが連れてきた。だから偶然じゃない」

「偶然だよ。俺を偶然樫木が見つけて、お前と出会った。友達になりたいと思うかどうかは俺とお前の自由で、最初に会った時、お前から声をかけてくれた。それはお前が俺に少しでも近づこうとしてくれたってことじゃないのか? それって友達の最初の一歩じゃないのか?」

「……そうなのかな」

「今、お前はお前自身を否定してるのかもしれない。でも、俺とお前は友達だ。俺だってお前と一緒にいて楽しいよ。勉強の話も合うし、お前は穏やかで優しくて、田上たちが来て賑やかになってもっとよく笑うようになった。俺は嫌々お前といるわけじゃない。他の奴らだって同じだ。嫌いな奴といつまでも一緒にいる義理なんてないんだよ。だから、一人で抱えて輪から抜けようとするな」

「岸は僕を気持ち悪いと思わない? 男同士でセックスを、一度に何人ともして」

「思わない」

「……ありがとう。今日はこれで帰るね」

「おい」

「明日もちゃんと来るよ。みんなに会いたいから」

 そして俺は今の今までちっとも気付いていなかったのだ。携帯の電話番号はおろか、メールアドレスすら交換してなかったことに。

 ほぼ毎日会ってたから気にならなかった。明日も会うのだと勝手に思い込んでいたから。

「岡本、俺のメールアドレス」

 書くものを持ってなくてポケットに入れてた携帯の電話帳を直に見せると、ちゃんと覚えて帰るよと笑って。

 晩に岡本からメールが届いた。


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