42 夏の話 13 (終)
「ふふ」
致した後シャワーを一緒に浴びて部屋に戻って髪を拭いてもらってる最中、思わず笑ってしまった。(ちなみに俺が一緒にと言ったわけじゃない)
「なんだ?」
「いや、俺すげえなと思って」
「どういうことだよ」
「ちゃんと起きてる」
「ん?」
「いつもシャワーできずにバテてるのに今日は起きてるなって」
「寝ていいんだぞ、俺が無茶やってるからな」
わかってて直す気ないんだな。まあいいけど。
「気持ちよかったなって、思って」
身体も心も。疲れてないと言えば嘘になるしやっぱり身体は重いのだけど。
「えらく素直だな」
「本当は優しい素直なオトコノコなんですよ、俺」
「……知ってる。両親に愛されて育ったってわかる」
樫木は俺の髪を指で梳いてくれたが。家族の話はNGかもしれない。
「素直ついでに訊くが、メッセージ一つ送らなくて悪かったな。寂しかったか?」
話を切るために寝るとでも言おうかと思ったら樫木から話題を変えてきた。しかも気にしてたらしい音信不通の件。というのは大袈裟だが。たった二日のことだし。
これまで樫木がマメに毎日メッセージをくれていたかというとそうではない。俺だって同じ。だからそう考えればこの二日の間になくても不思議ではないが、それは毎日学校で教室で顔を合わせていたからで。夏休みに入れば状況が変わる。そう樫木も思って送る気はあったのだろう。
「……寂しかったですよ。実家だから遠慮してくれたのかとは思いましたが」
隠す必要もカッコつける必要もないので普通に答えた。
「山奥で電波届かなくてな、昼休みに飛ばそうと思ったが無理だった、すまん」
「いえ別に。仕事ですし」
でもそれは今日の話だろ。昨日は橋口さんと。
「昨日は仕事終わりに夏乃と飲みに行ったし、今日の準備もあってな」
俺の答えに何かを感じたのか訊きもしないのに付け加えた。最初に言わなかったのはもう知ってるのだから的なところか、俺の機嫌を損ねると思ったからか。
「雰囲気の良さそうな居酒屋でしたね」
嫌味を言うつもりはないがついそう聞こえてしまう言い方になる。もちろん喧嘩をしたいわけじゃない。
「お前、なんでそんなこと言うんだ」
髪をわしゃわしゃしていた樫木の手が止まった。
「写真を見たから」
「は……? どういうことだ」
やっぱり覚えてないのか。せっかくいい気分でいたのに。でも知ってるのに知らないフリをするのもどうかと思うし。
俺は持ってきたリュックから自分のスマホを取り出すとメッセージアプリを開いて樫木のアカウントから橋口さんが俺に送った問題の写真を見せた。
「……なんだこれ」
「ツーショットですね、居酒屋での」
呆然としている樫木だが、別に俺が捏造したわけではないし。
「こんなのいつ……俺のにはそんなの残ってないぞ」
「橋口さんが消したんでしょうね」
それしかない。
「……すまん。酒が進んでな。お前の話をしたのは覚えてる」
覚えがないのに謝らせるのは申し訳ない気もしないこともない。別に今更謝ってほしいわけでもないし、話の流れ的にそうなってしまったのなら仕方ない。が、一応俺と樫木ってグレーだろ、黒と言ってもいい。まあ橋口さんだったからガードも何もなかったのかもしれないが。
「橋口さんは先生が俺のアカウントを見せてくれたって言ってましたが」
「俺が調子乗ってたんだな……悪い。でもお前、いつ夏乃と会ったんだ」
「今日の昼」
「まあ……そうだよな。昨日の今日で今日しかないよな」
事実を突きつけられてもまだ信じ難いという顔で。まあ覚えがないものを認めろと言われてもはいそうですかとはいかないかもしれない。
「先生のことで話をしたいって前の日に言われてましたし、覚悟もないなら身を引けっていきなり言われてちょっと気分悪かったし」
「いろいろ……すまなかったな」
そうだよ、最初から攻撃的だっただろ。試すとかそういうことじゃない。樫木の気持ちが変わらないなら俺から身を引かそうと思ってたんだろ。
「で、この写真でお前は釣られたのか」
「見事に釣られましたよ。待ってるってコメントがついてるし。俺には荷が重いって前の日に言われた理由を知りたいでしょ。そして見事にトドメを刺されました」
「俺が夏乃と寝たっていう話か」
「それもありますけど俺には無理だって思いました」
それは今でもそうだ。
「何が無理なんだ」
「俺は先生の人生を背負えない。そんな器はない」
「さっきもそんなことを言ってたよな、あと覚悟ってのも。一体なんなんだ?」
タオルドライで髪の毛はすっかり乾いていて。
ベッドの側板を背に床に座っていた俺は立ち上がって縁に座っていた樫木の横に座り直した。これはちゃんと顔を見て話すべきだ。
「聞いちゃいけないことを聞いた」
「聞いちゃいけないこと?」
樫木はきょとんとした。
「橋口さんからじゃなくてあんたの口から聞くべきことだ。いつか話してくれるのかもしれなかったし」
「一体何の話をしてるんだ」
未だピンとこないらしい。
「小さい頃の話」
「……ひょっとして俺が施設で育ったってことか」
「そう」
何でもなさそうに樫木は答えたが、やっぱり俺から切り出すのは間違ってるか。良いことばかりじゃなかっただろうし、むしろそうじゃなかったことの方が多かったかもしれない。
「そんなの、よくとは言わんがまあまあある話だろ。高校進学と同時に出たから十年以上前になる。身寄りがないと知って不安になったか?」
「いや、そうじゃなくて、家族がいないことを不安に思ったわけじゃなくて、その、上手く言えないけど、ガキの俺がおこがましいけど、家族がいないことの寂しさみたいなのを埋めてあげることができるのかとか、少しでも支えたりできるのかとか。橋口さんみたいに大人じゃないし。世間のこととか何も知らないし」
謙遜ではなく本当のことだ。
「そういうことが今の自分なら、社会に出て大人になった自分ならできるって橋口さんは言って、あんたを受け止める覚悟はあるって。それはそうだなって……」
「馬鹿だな、お前はそんなこと気にしなくていい。受け止める覚悟なんていらねえよ」
そう言って笑うと、大きな手の平で俺の頭を撫でた。
「あいつが社会に出て大人になったって言うんなら、俺だって大人になったんだよ。いつまでも人に縋って生きてた高校生の俺じゃない。自分の足で立ってる」
……そうか。そういうこともあるか。橋口さんだけが変わったんじゃない、樫木だって前に進んでいたということだ。当たり前だよな。変わらない人間はいない。それを良しと思わなかったのならなおさら。
「だから俺はお前に辿り着いた」
樫木は小さなキスを一つくれて。
「歩、お前の力になりたい。自分のことは二の次でいい、そう思ってる。憂いた姿も飄々とした姿も楽しそうな姿も俺は好きなんだよ。多田歩という人間が愛おしい」
「……ええと、とても熱烈なセリフ、じゃないですか、ね」
顔が熱い。至近距離でじっと見つめられて、青春ドラマかって。
「あーちょっとカッコつけ過ぎか」
樫木は苦笑したが俺はもちろん嬉しくないわけはなく。
でも力になってもらうだけじゃなくて俺も樫木の力になりたいと思う。大した力にはならないかもしれないが。
「腹減ったな」
気恥ずかしかったのか樫木はベッドから立ち上がって台所へ歩いて行った。
「レンチンのお好み焼き、お前も食うか?」
電子レンジの扉を開ける音がする。
出自について樫木自体はそう重々しく思っていなかったから話さなかったのだろう。何かのついでに聞くことはあったのかもしれない。樫木も道に迷うような子供じゃない。そう思ってるのなら俺も何も気にしない。
「腹は別に。何か飲み物が欲しいです」
晩飯は食ったからそう腹は減ってない。
「りんごジュースがあるぞ、瓶が冷蔵庫に入ってるから自分で出して飲め」
そう言われたので冷蔵庫を開けると。ビール缶とビール瓶とチョコレートと乾きもの、さきいかみたいな袋が入っていた。
あれ……この瓶。見覚えがある。ドアポケットに二つ入っているラベルのない瓶。初めてここへ来た時。テーブルにあった琥珀色の液体の入った瓶だ。りんごジュースだったのか。
気にも留めてなかった謎が突然解けるとなんだかすっきりして。
樫木がお好み焼きを食ったら第2ラウンド、やるか。朝までずっと。
そんな気分だ。
終
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