第14話


   *   *


 会議が終わり、控え室に戻ったライントス公を訪ねてきた者がいる。

「お疲れのところ申し訳ないが、貴公の時間を頂戴したい」

 魔王ウォルフェンタインが重たげなマントを揺らして入ってきた。



 ライントス公は驚いたが、ついさっき「国王の同盟者として敬意を払う」と約束したばかりだ。仕方なく笑顔を作り、魔族の王を招き入れる。

「ええ、喜んで」

「すまぬな」



 魔王は勧められた椅子にゆったりと腰掛け、くつろいだ雰囲気で口を開く。

「まずは会議の件、貴公の尽力に礼を述べたい。あの場で交渉が決裂していれば、余もチアラ殿も困ったことになっていただろう。かたじけない」

「義弟たる陛下と、この国の行く末を思えばこその決断です。どうかお気になさらずに」



 穏やかに返したものの、内心では落ち着かない気分だった。

 魔族というだけでも本能的に警戒してしまうというのに、相手は魔族の勇者である魔王だ。人間の視点では竜巻や稲妻と変わらない。

 とはいえライントス公も王国屈指の大貴族であり、そのような脅威を前にしても平静を装うことはできた。



 魔王は世間話でもするかのように身の上を語り始める。

「我ら人狼は普段、森の獣を狩って暮らしているが、はるか昔は人間たちの集団に紛れ込んで獲物としていたらしい。それゆえ今でも、人間の匂いや声には敏感だ」

 渋い顔をするライントス公。



「あまり愉快ならざる話ですな」

「さよう。余も嬉しくはない。だがそのおかげで、この会議室周辺に妙な人間たちが多数いることに気づいた」

 ぎくりとするライントス公。



「ほほう。妙……とは?」

「戦士特有の足運びをする庭師や、制服の内側から鎖帷子の金属音を立てる給仕係。カーテンの陰や植え込みに剣を隠す侍女。そういった者たちだ」



 ライントス公は自分の企みが露見していることを察した。

 それでもまだ平静を装い、魔王と正面から向き合う。

「よくお気づきですな。しかしそれが本当なら、陛下のお耳に入れるべきではありませんか?」



 魔王は静かに首を横に振る。

「必要あるまい。王の居城に他家の兵を送り込めるのは、国王の義兄である貴公ぐらいのものだ。他の貴族たちには無理であろう。貴公に直接問うのが早い」



 この言葉を聞いて、ライントス公は覚悟を決めた。

「なるほど、そこまでお考えか。であれば下手な申し開きは無用。交渉が決裂した場合、どのような事態になるかわからぬので私の手勢を潜ませておりました」

「なるほど」



 魔王はうなずき、さらに問う。

「チアラ殿を軟禁するか、それとも領主たちを拘束するのか、どちらのおつもりか?」

「両方です。それゆえ会議の参加者は誰もこのことを知りません。他の領主たちは潔白です。責めを負うのは私一人だ」



 下手をすれば魔王に殺される可能性もあったが、ライントス公は見苦しい真似はしなかった。

「陛下のお考えがもし王国を滅亡に導くようなものであれば、命に代えてもお諫めせねばならぬ。逆に陛下のお考えが正しく、しかし領主たちに受け入れられぬのであれば、彼らをことごとく討つ覚悟もあった」



 この言葉に対して魔王がどう反応するか全くわからなかったが、意外にも魔王は穏やかな口調で応じる。

「なるほど、義弟と国を思うがゆえか。疑った余が悪かった。気を悪くしないでくれ」



 椅子から立ち上がった魔王は、軽く会釈して背を向ける。

 ライントス公は思わずその背中に問うた。

「私を殺す……いや、罪に問うつもりではないのか?」

「余にその権限はないし、もとよりそのつもりもない。チアラ殿に伝えるべきか迷っていたが、それもやめておこう。余と貴公の秘密にしておく」



 そう言った後、魔王は口元に笑みを浮かべながら振り返った。

「立場上、貴公は気苦労が多かろうが、あまり思い詰めぬことだ。思い詰めると視野が狭まる。余も武名を求めて思い詰めたあまり、愚かな過ちを犯しかけたことがある」



 苦笑した魔王はドアノブに手を掛ける。

「勇者不在と思われているこの国は、近いうちに敵国の勇者によって攻撃されよう。そのとき、余は自らの行動で信頼を勝ち取る。それまで貴公の判断は保留しておくがよい」



 ドアが閉じられ、魔王が退室する。

「ふーっ……」

 ライントス公は大きく息を吐いて椅子に倒れ込むと、額に浮かんだ汗を拭う。背中まで汗びっしょりになっていた。



 立ち上がる気力すら使い果たした彼は、閉じられたままのドアをじっと見つめる。

「あれが魔王の……いや、王者の器というものなのか」


   *   *


 魔王の館に帰還した魔王は、愛用のマントを脱ぎながら苦笑する。

「人間と付き合っていくというのは、なかなかに難儀なことだな」

 マントを受け取りながら参謀のレグラスがうなずいた。



「ええ、人間たちは意思統一に時間がかかりすぎます。予想以上に王の権限が弱いようですね」

「率いる集団が大きくなると、いかに優れた王であっても独力では統治できぬからな。統治に協力する者たちが必要になるが、今度は彼らをまとめるために奔走せねばならぬ」



 ライントス公のことを思い出したのか、ふと苦笑する魔王。

「だが魔王たる余も、いずれは同じ道をたどることになろう」

 そう言いながら、魔王は書架から一冊の本を手に取った。

「今一度、政治や兵法について学び直しておかねばなるまい。いざその時になってからでは、書物を紐解く暇もなかろう」



 そう言いながらページをパラパラめくり始めたところに、キュビがやってくる。

「あ、魔王様だ! おかえりなさい!」

「おお、キュビか。巡回任務、御苦労であったな」

「それがさー! 聞いてよ魔王様! ユーシアが言うこと全然聞かなくて!」



 魔王の周囲をぴょんぴょん飛び跳ねるキュビを、レグラスがたしなめる。

「そういう報告は僕が聞きます。魔王様はお疲れなんですよ」

「またそうやって魔王様を独り占めするー! レグラスは魔王様の何なの?」

「幼なじみで参謀ですが?」

「ムカつくからそのドヤ顔やめろって言ってんでしょ!」



 争い始めた四天王を、魔王は苦笑しながら制する。

「まあ良いではないか、レグラスよ。報告や相談は組織にとって血のようなもの。骨と肉だけでは命を保てぬ。そうではないか?」



「それは……まあそうですが」

「ほらみなさいよ! 報告は大事なの!」

 うなずくレグラスと、とたんに威張るキュビ。

 キュビは胸を張って報告を始める。



「あのね、魔王様の留守中も毎日毎日、国境付近を巡回してたんだけどね! 最近は盗賊団が出なくなった分、行商人みたいな連中が増えててね! 怪しいけど武器は持ってないみたいし、どうしようかなって相談してたら、ユーシアが片っ端から挨拶してさあ!」



 レグラスが渋い顔をする。

「キュビ、報告は簡潔に。要点を押さえて」

「押さえてるもん! でね、魔王様! あいつったら魔王軍の悪口言ってるのよ! 恐ろしい連中だって!」



 そこにユーシアが甲冑をガチャガチャ鳴らしながら現れる。

「ああ言っておけば、森の奥には入ってこないでしょ……。同じ人間だからできる方法だよ?」

「でも魔王様のことを、あんなに酷く言わなくてもいいでしょ!?」



 首を傾げるユーシア。

「『銀色の毛皮を持つ、恐ろしいほどに美しくて強い人狼だ』って言っちゃダメなの?」

「恐ろしくないもん! 優しいもん!」

「そりゃ魔王様は優しいけどさ、本当のこと言ったらみんな遊びに来ちゃうでしょ?」



 わーわー言い争うユーシアとキュビ。

 そこにレグラスが割って入り、三人しかいない四天王が揉め始める。



「そういう広報戦略は、現場の判断でするものじゃないですよ! まず魔王様に提案して、四天王の合議で決めるもので」

「その魔王様が出張中だったから、現場判断でやるしかないじゃん。セイガランの行商人は毎日、森の端っこを通ってるんだし」

「反対、はんたーい! 魔王様の悪口言いふらすのはんたーい!」



 魔王ウォルフェンタインはしばらく四天王(三人しかいない)を見つめていたが、微笑みながら書物に視線を落とした。

 その口元にふと笑みが浮かぶ。

「……良いものだな」

「何が!?」

 三人の声が綺麗に揃った。

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