第16話
* *
「遅いですね」
魔王軍参謀レグラスは、おやつの置かれたテーブルの周りをぐるぐる回っていた。
レグラスが焼いたナッツタルトを垂涎の表情で見つめたまま、魔術顧問のキュビが言う。
「ユーシアが魔王様の寝首を掻かないか心配? でも絶対大丈夫なんでしょ?」
「もちろんです。魔王様は武の達人。眠っていても他者の気配には敏感です」
誇らしげに答えたレグラスだったが、すぐに頭を抱える。
「そのせいで魔王様は些細な異変でも目を覚ましてしまわれるため、慢性的に不眠気味なのですよ。特に今回は長時間の会議と移動でお疲れなので、速攻で寝落ちなさいます」
「そんな断言できるもんなの? 他人がいつ寝るかなんてわかんないでしょ?」
「僕は魔王様とは兄弟同然に育ちましたので、陛下の睡眠サイクルぐらい手に取るようにわかりますよ」
当たり前のような顔をしているレグラスに、キュビは少し嫌そうな顔をする。
「ちょっと引くんだけど……」
「いや、なんで引くんですか? 兄弟同然なんですよ? それに魔王軍の主戦力は他ならぬ魔王様なんです。魔王様が戦えない時間を把握しておくのは参謀の務めでしょう」
早口でまくしたてながら詰め寄るレグラスに対して、ずりずり後退するキュビ。
「それはそうかもしれないけど、あんまりこっち寄らないでくれる?」
「失敬ですね貴女は!?」
レグラスは眼鏡を持ち上げ、小さく咳払いをした。
「と、とにかく。寝ている魔王様を見てユーシアが謀反を起こそうと企てないか。たぶん大丈夫だとは思っていますが、僕は彼女の忠誠心を確かめたいのですよ」
しかしキュビは肩をすくめる。
「あーやだやだ、自分が賢いと思ってるヤツに限って、そうやって人を試そうとするんだよね。人を試すこと自体が愚かだっつーの」
「それはそうかもしれませんが、この部分に確信を持てないと策を立てることもできませんよ!?」
四天王たちが揉めているところに、顔を真っ赤にしたユーシアが戻ってくる。
「どうでしたか、魔王様は?」
「ああ、うん。寝てたけど起きたよ。おやつ食べるって」
「そうですか」
レグラスは眼鏡を押さえ、まじまじとユーシアを見る。
「顔が赤いようですが、どうかしましたか?」
「んっ……なんでもない」
ふるふると肩を震わせながら、ユーシアが首を横に振る。
そしてこう言った。
「あんなに清楚可憐なのに、まさかああ来るとは…」
「はい?」
「ちょっ、顔洗ってくるから! 先に食べてて!」
そのままユーシアは足早に歩き去る。
残されたレグラスはキュビと顔を見合わせる。
「清楚可憐? 魔王様のことでしょうか?」
「魔王様が可憐ってことはなくない?」
「訳がわかりませんが、もしかしてユーシアは魔王様に忠誠を誓っていないのでは……」
顔を見合わせたまま、首を傾げる二人。
そこに魔王ウォルフェンタインがのそりと現れる。
「そのように戦友を疑うのはよせ。疑われていると感じただけで心は離れていくのだ。キュビの申す通り、他者を試すようなことはすべきではないぞ、友よ」
「魔王様!?」
レグラスは慌てて向き直り、恭しく頭を垂れる。
「しかし僕は不安なのです。確かにユーシアは魔王軍の頼もしい戦力となりました。しかし彼女が心変わりでもしようものなら、僕やキュビでは抑えることができません。勇者に対抗できるのは魔王だけなのですから」
魔王は椅子に腰掛けながら、ふと苦笑した。
「あの日以来、おぬしはますます心配性になったな。だがそれも余の軽率さが招いたことゆえ、責めるのは筋違いであろう。心配をかけてすまぬ」
「いえ……」
レグラスは急に落ち着いた様子を見せ、小さく溜息をついた。
「すみません。僕が間違っていました。同じ四天王の彼女を疑うのは、魔王様を疑うのと同じことです」
「余の人物眼を信じてくれるか?」
にこりと笑う魔王に、レグラスはうなずく。
「はい。あの日、身を挺して僕を守ってくれたあなたを、僕は生涯信じます」
「うむ」
うなずき返した魔王だったが、ふと首を傾げる。
「だが、あれはレグラスが余を守ってくれたのだぞ?」
「いえ、魔王様が僕を守ってくれたのですよ?」
「いやいや」
「いえいえ」
押し問答が始まる気配を察したのか、キュビが慌てて口を挟む。
「それよりさ、この木の実の焼き菓子食べようよ! 古くなった兵糧だけでこんなに美味しそうなものが作れるなんて、レグラス見直したわ!」
急に話題を振られて、レグラスは困惑気味に振り返る。
「え? あ、ああ。僕たちの師匠がよく作ってくれたんですよ。他にもいろいろ作れますよ。というか、ちょくちょく作ってますよね?」
「まあそうなんだけど……役立たずのクソ眼鏡とか思ってごめんね」
「ちょっと待ちなさい。聞き捨てならないんですが」
別方面で言い争いが始まりかけたところに、ユーシアが戻ってくる。
「あー、恥ずかった……。あっ、これから食べる感じ?」
魔王が苦笑してうなずく。
「そうだな、話をするなら食べながらでよかろう。きりがない」
* *
ナッツタルトを切り分けてみんなで食べながら、魔王は話を切り出す。
「参謀レグラスよ。『シュナンセンに勇者がいない』という噂が近隣諸国に広まった場合、何が起きると考えるか?」
「そうですね」
エプロン姿でタルトを切り分けていたレグラスは一瞬沈黙する。
「まず、東のトーリ公国が攻め込んでくるのは確実でしょう。インシオ殿の話では、過去にも何度か小競り合いがあったそうです」
レグラスは手を止めずにさらに続ける。
「シュナンセンとは異なるルーツを持つ異民族で、文化的にも対立しています。人間たちは異なる文化を持つ同族を最も強く敵視すると、師匠から教わりました」
「そうだったな」
魔王がうなずき、レグラスはみんなの小皿に手際よくタルトを移しながら言う。
「トーリには勇者がいるらしいので、侵攻を躊躇する理由がありません。しかし人間は狡猾です。おそらくもう一手仕掛けてくるかと」
「西のセイガラン王国を利用するのだな? あの国にも勇者はいる」
「はい。敵の敵は味方ではありませんが、利用価値ならあります。『遠交近攻』は兵法の常道。氏族同士の抗争に明け暮れていたトーリ人が思いつかないはずがありません」
魔王は深く溜息をつき、そして言う。
「余の考えと一致したな。であれば余の採るべき策もわかろう?」
「はい。東のトーリと西のセイガランは同時に兵を起こし、シュナンセンに侵攻します。しかし二正面作戦は避けねばなりません」
レグラスは森の茶葉で煎れた紅茶をコポコポとカップに注ぎながら、湯気の中で表情を引き締めた。
「シュナンセンには魔王様とユーシア殿がいますが、これを二手に分けるのは愚策。一方に兵力を集中して迅速に撃破し、ただちに引き返して全兵力でもう一方を討つ。それしかないでしょう」
カップを手にした魔王は微笑む。
「さよう。この点でも意見は一致したか。おそらくチアラ殿も同じ考えに至るであろう。さて、どちらから討つべきかな?」
「この『呪いの森』に近い西のセイガラン……と言いたいところですが、『呪いの森』は敵の進軍速度を大幅に鈍らせます。時間を稼ぐだけならかなり持ちこたえられますので、先に東のトーリを撃退するべきでしょう。トーリ軍は騎兵が多いので、対応が遅れると領内深くまで侵攻されてしまいます」
そう言ってレグラスは曇った眼鏡を布で拭いた。
「個人的には人間同士で殺し合いをさせて、魔王軍は『呪いの森』を堅守したいのですが、それが愚策中の愚策だということもわかっています」
「そうだな。チアラ殿は魔王軍と同盟を結んでくれた最初の王だ。これを失う訳にはいかぬ。この森の外に活路を拓かねば、魔族の未来はない」
魔王はタルトを口に運び、それからニコリと笑った。
「では余がおぬしに命じることもわかっておろうな、友よ」
するとレグラスは眼鏡を掛け直して答える。
「はい。魔王様とユーシア殿の留守中、僕が魔王軍を指揮し、キュビが通信と輸送を担当するんですよね? 遅滞戦術でセイガラン軍の前進を阻止するんです」
「いかにも。有能すぎる参謀を持つと手間が省けるな」
レグラスは髪をくしゃくしゃにしながらエプロンを脱ぎ、椅子に腰掛けた。
「やらねばならないのはわかりましたが、絶対に死なないでくださいね?」
「この程度で死ぬようなら、元よりその程度の器だったということだ。だが余はその程度の器ではないゆえ、生きて戻る。論理的であろう」
そう言って笑った後、ふと何かに気づいたように魔王はユーシアとキュビを見た。
「どうした? 食べぬのか?」
「いや……なんか凄いなって。いただきます」
ユーシアがタルトをぱくりと食べながら言ったので、魔王は笑う。
「余とレグラスは初歩の兵法を修めておる。人間たちの戦術を知るためにな。だがこんなものは机上の空論でしかない。万全を期さねば危ういであろう」
そして魔王はユーシアをじっと見つめる。
「おぬしが人を殺したくないことは承知した上で、おぬしに頼みたい。この森の皆を守るため、余と戦ってくれぬか?」
その言葉にユーシアはうつむき、しばらく無言になる。
だが最後に、彼女は顔を上げた。
「正直、人を斬るのはまだちょっと怖いよ。斬られるかもしれないしね。でも」
ユーシアは笑う。
「私は魔王様と一緒に戦うって決めたんだから、もちろん戦うよ」
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