第17話

   *   *


 インシオ侍従長が真っ青な顔をして、国王の執務室に駆け込んでくる。

「陛下、一大事です。トーリ公国の軍勢が領内に侵入しました」

「来たっすね」

 魔王ウォルフェンタインからの手紙を読んでいたチアラは、顔を上げてうなずいた。



「敵の数と位置はわかる感じっすか?」

「いえ、騎兵の集団が各地を荒らし回っているため、正確な数や位置が把握できません。ただ、今までの散発的な襲撃とは規模が違います」



 インシオ侍従長は報告書の束を机上に置く。

「我が国の東部辺境は既にかなりの損害を受けている様子です。ライントス公をはじめとする東部諸侯連合が迎撃中ですが、敵騎兵に勇者がいる模様で完全に圧されています」



 チアラは書類を取りながら立ち上がった。

「ユーシアちゃんがいなくなったのがバレたんすね。ここできっちり撃退しておかないと、隣国全てから食い荒らされて終わるっすよ。ただちに出陣し、決勝会戦に持ち込むっす」



 その様子に、インシオ侍従長は不安そうな表情をする。

「もしかして、陛下自ら出陣なさるのですか?」

「もち、陣頭に立つっすよ。勇者相手じゃ兵が怯えて軍が瓦解する危険性があるっしょ。王様も剣取って戦うぐらいの覚悟は見せないとね」



「危険すぎます!? それに王都を留守にしていては、西からセイガラン軍が攻め込んでくる可能性が……」

 インシオ侍従長がそう言うが、チアラは手をヒラヒラ振って明るく笑う。

「いや、ほぼ確実に攻め込んでくるっすよ? あっちも勇者いるし、たぶんトーリとセイガランは密約結んでるんじゃないっすかね」



「それじゃ絶対にダメじゃないですか!?」

 インシオ侍従長の声は、ほとんど悲鳴だった。

 しかしチアラは落ち着いている。



「だからこそっすよ。来るか来ないかわからない状態よりも、確実に来るように仕向けた方が対応策が絞れるっす」

「どうなさるおつもりですか?」



 詰問に近い雰囲気で詰め寄ってくるインシオ侍従長に、チアラは少し怯えながら答える。

「魔王軍からは『トーリ軍の勇者を倒すために魔王とユーシアを派遣する』という申し出があったっす。んで、『セイガラン軍の侵攻は呪いの森で時間を稼ぐ』って」



「時間を稼ぐって、どうするんです?」

「そりゃ残りの戦力でやりくりするしかないっしょ。四天王の残り二人と、後は魔族の一般兵ぐらい?」



 しかしインシオ侍従長は首を横に振る。

「無理ですよ!? 私が視察した限りでは、魔王軍の兵は二百か三百です。セイガラン軍の主力なら間違いなく一万を超えます。しかも相手は勇者つきですよ!?」



 だがチアラは動じなかった。

「魔王ウォルフェンタインは『できる』と言ってきたんす。できないことを安請け合いする男と同盟を組んだつもりはないっすよ。オレは魔王を信じるっす」

「陛下……」



 驚いたような顔をしているインシオに、チアラは笑いかける。

「てかもう、信じるしかなくない? ここで慎重策に走ってトーリ軍の撃退に手こずったら、東部の領主や領民が深刻な被害を受けるっすよ。その間にセイガラン軍が呪いの森を抜けたら終わりっす」



「それは……確かに」

 インシオ侍従長は壁に掲げられている地図を振り返り、じっと考え込む。

「トーリ軍を撃破してすぐに主戦力を反転させれば、呪いの森でセイガラン軍を迎え撃てるかも……」



「言うほど簡単じゃないのは、オレもよくわかってるっす。けど、トーリとセイガランの勇者を倒せたら、しばらくはどっちの国もおとなしくなると思うんすよね。これは好機っすよ?」

 それを聞き、インシオ侍従長は軽く溜息をつく。



「わかりました。他に方法はなさそうですし、それでいきましょう。すぐに各所に手を回しますので、陛下は必要な書類にサインをお願いします」

「りょっす」

「それと、もうひとつ」



「何すか?」

 首を傾げたチアラに、インシオはぐぐっと詰め寄った。

「負けても構いませんから、絶対に生きて帰ってきてください。これは侍従長ではなく、幼なじみとしてのお願いです」

 インシオは泣きそうな顔をしている。



 チアラは少し照れくさそうに微笑みつつ、大事な幼なじみにウィンクしてみせた。

「我が剣に誓うっすよ」


   *   *


「トーリ公国」は正式な国名ではない。

「トーリ」はシュナンセン語で「馬を駆る者たち」を意味しており、トーリ人は自分たちを「シャルシャガン」と呼ぶ。もっとも、これもトーリ語で「馬を駆る者たち」という意味なので同じことだ。



 そして「トーリ公」も存在しない。西方の王国たちが自分たちの優越性を示すために、この世界では一段落ちるとされる「公国」の名称を用いているに過ぎなかった。

 実際は氏族の長老たちが合議で統治しており、最有力氏族の長老衆が実質的な統治者となっている。現在の最有力氏族はカダル族だ。



 その氏族連合軍の先頭で、豪奢な鎧をまとった男が叫んでいた。

『我こそは勇者カイ・カダル! シャルシャガンの誇り高きカダルの戦士!』

 背後で銅鑼がジャーンジャーンと打ち鳴らされる。周辺にはカダル族の赤い旗が翻っているが、その旗手たちは隷属する他氏族の戦士たちだ。



『この地に勇者は在りや? 亡しや?』

 馬上の男が大音声で叫ぶと、兜の羽飾りが揺れる。

 対峙する軍勢からは反応がない。



『ふん、やはり勇者はおらんのか……よし』

 小さくつぶやいた男は、剣を抜いて振り上げた。

『我と一騎打ちする者がおらぬのなら、この地はカダルが征服する! 命が惜しくば武器を捨て、平伏せよ! さもなくばお前たちの血でこの地を潤してやろう!』



 ちらりと背後を振り返ってから、勇者カイは駿馬を奔らせる。本当は自分で走った方が圧倒的に速いのだが、徒歩での突撃などしたら氏族の笑いものになってしまう。

『覚悟はできているようだな!』



 長槍を構えた歩兵の戦列も、勇者の前には藁束同然だ。蹴散らすなど造作もない。

 だがそのとき、シュナンセン人の若い娘がぴょこりと飛び出してきた。

「あー! 何言ってるかわかんないけど、『あなた勇者? ですか?』」



 拙いトーリ語だが、かろうじて聞き取れる。勇者カイは手綱を捌いて馬を停めた。

『何者だ!』

「えーと、何て言ってんのかな……。あっ、『勇者ユーシア、私! こんにちは!』」

『むむぅ!?』



 聞き取れた部分だけでも、勇者カイを警戒させるのに十分だった。

 勇者を自称する娘は巨大な剣を背負っており、どう見ても普通の人間ではなかったからだ。

『貴様、勇者か!?』

「そうそう、勇者! 勇者だよ! 違った、『はい、私は勇者です! はじめまして!』」



 沈黙。

『なんだこいつは!?』

「えっ、何!? わかんないよ、シュナンセン語でお願い! 『トーリ語、むずかしい! わからない私!』」



 再び沈黙。

『どうすればよいのだ、こいつは……』

 背後を振り返った勇者カイだが、その瞬間にハッと視線を前に戻す。



「おっしゃ隙ありいいぃっ!」

 巨大な剣を振り上げた勇者ユーシアが矢よりも速く突っ込んできた。

『嘘だろ!?』



 相手の得物は鉄柱のような大剣だ。とてもじゃないが片手剣では受けきれない。剣が折れてしまう。

 かといって騎馬では回避が間に合わず、勇者カイは仕方なく馬を捨てて飛び退く。

『なんだこの狂犬は!? 合戦の作法も知らんのか!?』

 空中で腰の短刀も抜き、得意な二刀流の構えで着地する。



 一方、勇者ユーシアはというと、勇者カイが捨てた馬を撫でてニコニコしているところだった。

「大丈夫だからね? よしよし、行っていいよ」

 彼女が馬の尻をポンと叩くと、勇者カイの愛馬は主を捨てて軽快に走り去っていく。



『おい待て!? 俺の馬に何をしている!?』

「わかんないってば。あ、馬? 斬ったらかわいそうだから逃がしといたよ? もし私に勝てたら後で回収してね」



 そう言って勇者ユーシアは大剣を片手でブンと振る。強烈な風圧で砂塵が舞い上がり、勇者カイは顔をかばいながらさらに退く。

『ええい、クソッ! 勇者はいないはずではなかったのか!?』



 勇者ユーシアは大剣を軽やかにブン回しながら、すたすた近づいてくる。

「もったいつけても仕方ないから、早いとこ終わらせよっか! 私、人を斬るの初めてだからメチャクチャ怖くてさ!」

『何を言ってるのかわからんが、お前絶対に危ないヤツだろ!?』



 相手があらゆる意味で普通の人間ではないことは明らかだ。

 特に得物の巨大さを考えると、自軍に突っ込ませる訳にはいかない。一振りで数十人を屠りかねない威力がある。



『ま、参るぞ! うおおおぉ!』

 勇者カイはヤケクソ気味に叫ぶと、旋風のような二刀流で突っ込んでいった。

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