第6話

誤解による混乱が収まった後、魔王ウォルフェンタインは豪快に笑った。

「非常時に機敏に呼応するその姿、まさに魔王軍の精鋭と呼ぶにふさわしい。また混乱の中でも一人の怪我人も出すことなく、平静を取り戻した。良い心がけだ」



 実際には泣いたり転んだりしてとてもではないが褒められたものではなかったのだが、ユーシアは余計なことは言わずに黙っておく。混乱を招いたのは勇者である自分自身だ。

 とはいえ、実際にやらかしたのは自分ではない。



 獣人の兵士や農民が大勢見守る中で、魔王はキュビをたしなめる。

「キュビよ。自分の言葉が他者にどのように受け止められるか、よく考えて発言せねばならぬぞ。四天王たる者、常に思慮深くあるようにな」

「はい……」

 悪いと思ってはいるのか、しょんぼりしているキュビ。



「まさか、あんなにびっくりされるなんて思ってなくて……」

「うむ。おぬしにとって『勇者ユーシア』は親しみやすい好人物であろうが、初めて会う者にとって勇者の出現は死の宣告も同然なのだ」



 首を傾げるユーシアと、顔を真っ赤にするキュビ。

「親しみやすい……?」

「親しみやすくなんかないもん! こんなヤツ、あたしは絶対認めないわよ!」



 しかし魔王は楽しげに笑う。

「ならばなぜ、四天王入りするときに反対しなかったのだ? おぬしも心のどこかでは、この者を仲間に入れても良いと思っていたのであろう」

「それは……そうしないとこいつが死にそうだったから……」



 ごにょごにょ言いながらうつむいてしまうキュビ。

 魔王はそんなキュビの頭を優しく撫でる。

「おぬしは敵の死にも心を痛めるほど優しい子だ。だからこそ余も四天王にした。その優しさを大事にしなさい」

「はい!」



 褒められた瞬間、キュビは急に元気になって尻尾を振る。

(犬みたいだ)

 ユーシアはそんなことを思いながら眺めていたが、そこにレグラス参謀が声をかけてくる。



「ユーシア殿、せっかくですから皆に自己紹介をしてはどうですか?」

「え、いいの?」

 するとレグラスは視線をそらし、眼鏡を押さえながら早口で返す。

「不本意ですが、あなたは四天王ですので。皆に顔を覚えてもらわないと困るでしょう」



(どいつもこいつも素直じゃないな……)

 四天王たちの変な優しさが少し面白くて、ユーシアは微笑みながら魔族たちに向き直る。



「えと、私はヘンソン村のユーシア。勇者だけど、魔王様が好きだから四天王に入れてもらったよ。魔王軍の一員として頑張るから、これからよろしくね」

「よろしくね!」

 犬人たちは割とあっさり適応したらしく、尻尾を振りながら元気に挨拶を返してくれた。



 一方、兎人たちは警戒心が強いらしく、まだ恐る恐るといった感じだ。

「よ、よろしく……」

「食べない?」

「よせ、食われるぞ!」

 ぴゃっと首を引っ込める兎人たち。打ち解けるには時間がかかりそうだった。



 そして猫人たちは危険さえなければどうでもいいのか、あくびをしながら軽い挙手で応じてくれた。特に発言はない。

 ここにいる魔族はたった三種族だが、どの種族も気質がかなり異なるようだ。



(これをまとめていくのは大変そうだなあ)

 魔王のこれまでの苦労が少し理解できた気がして、ユーシアはますます魔王への尊敬を深める。

「……魔王様はすごいね」

「なんでそういう感想になるのかしら?」

 キュビが首を傾げた。


   *   *


 丸太の壁で囲まれた区域の中央には、魔王軍の中枢となる魔王の館がある。

 魔王の館といってもそれほど大きなものではなく、少し大きめの民家ぐらいのサイズだ。石造りなのが目を惹く。



 魔王はユーシアを館に招き入れ、こぢんまりとした一室に案内した。

「ユーシア殿はヘンソン村に住まいがあるゆえ不要だろうが、そうは言ってもこちらに自室がないのも不便であろう。こちらを使うがよい」



「あ、どうも……」

 きょろきょろと室内を見回すユーシア。

「ここ、元々は何の部屋?」

「余とレグラスの教室だった。ここで師から多くの知識と考え方を学んだものだ」



 懐かしむような目をして、魔王は壁を撫でる。

「今はもう使われておらぬ。レグラスとキュビにはおのおのの自室があるゆえ、ここは空き部屋だ。遠慮せずともよい」

「じゃあ使わせてもらおうかな。西の国境にはこっちの方が近いし」



 ユーシアがそう言うと、魔王はうなずく。

「国境警備の任、ユーシア殿も助力してもらえると助かる。森の哨戒任務には主に猫人族を充てているが、いざ戦うとなると勇者の力は頼りになる」

「そっか、西の国にも勇者がいるからね。かなり離れた都にいるらしいけど」



 ここから日帰りで行ける距離にいるのは自分だけだったのを思い出すユーシア。

「勇者が来たら魔王様だけが頼りでしょ? 私、ここで暮らした方が良くない?」

「それをおぬしが望むのであれば拒む理由はないが、住み慣れた土地を離れるのは辛かろう」

「平気平気、帰りたくなったらときどき里帰りするから」



 ユーシアはそう言って笑うと、魔王を見上げた。

「私がいる方が嬉しいでしょ?」

「いささか心苦しい思いだが、安心はするな」

「んじゃ決まりだね」

 ユーシアはニッと笑った。


   *   *   *


「心配ですね……」

 眼鏡の参謀ことレグラスがつぶやくと、魔術顧問の肩書を得た妖狐キュビが溜息をつく。

「さっきからこれで八回目よ? そんなに心配なら四天王に誘わなきゃ良かったじゃん」

「あのときはああでも言わないと、収拾がつかなかったでしょう。僕としてはまだ不安なのですよ」



 真剣なまなざしのレグラスが白湯を飲むと、レンズが白く曇った。

 キュビが頬杖を突きながら卓上の果物をつまむ。

「どう決断するのも自由、でも決断には責任を持て。それが魔王軍の掟でしょ?」



「だからこそ責任を感じてるんですよ……。勇者は魔王を倒せる力を持つ存在です。仲間だと思っていても怖いのは怖いんです。ああ、勇者がこの館にしょっちゅう訪れたらどうしよう」



 早口でまくし立てながらレグラスがレンズを曇らせていると、ユーシアが会議室にやってきた。

「ここが会議室? なんか居間みたいだけど」

「会議室ですよ。ここで重要な決定事項を相談するんです。魔王様は何事も相談して決める御方ですから」



 レグラスが眼鏡を拭きながらそう言うと、ユーシアはふんふんとうなずく。

「なるほど。あ、でも私がここで暮らすのは特に相談しなかったな。重要じゃないってことか……?」

「なんですって?」



 レグラスの語尾が跳ね上がったが、ユーシアは首を傾げる。

「いや、私がここで暮らすのは重要じゃないって……」

「そっちではなく! いや、そっちなのか? あなたがここで暮らすというのはどういうことなんです!?」



 するとユーシアは当然のような顔をして言う。

「四天王のあんたたちがここに住んでるんだから、私も住むのが道理でしょ?」

「確かに……いや、おかしい! おかしいですよ! あなた人間で勇者でしょう!?」

「魔王軍四天王だよ?」

 何がおかしいのか全くわからないといった様子で、首を傾げているユーシア。



 レグラスは額を押さえながら呻く。

「魔王様が許可したのなら、僕があれこれ言うべきではないのですが……いやしかし……」

「国境警備するなら、何かあったときの交渉役は同じ人間がいいでしょ? 人狼や妖狐は人の姿ができるけどあんたたち二人だけだし、獣人たちを出す訳にもいかないし」



 キュビが呆れたような顔をした。

「交渉って……あんたが?」

「そう。戦うよりは話し合う方が好きだから」

「全然そうは見えないけど……」

 キュビがそうつぶやく横で、レグラスが特大の溜息を吐いていた。

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