第27話


   *   *


 セイガランの勇者スロヴァンスキは、腹の底から絞り出すように問い返す。

「何を聞くつもりだ。言っておくが、祖国を裏切るような真似はできんぞ。それならいっそ殺せ」

「大仰だな。そのような話ではない」



 魔王はスロヴァンスキの腕関節をガッチリと極めたまま、静かに問う。

「おぬしにその投げ槍の技を伝授したのは誰だ?」

「なに?」

 予想外の質問にスロヴァンスキは戸惑う。



「そんなことを聞いてどうするつもりだ?」

「簡単なことだ。その投げ槍の技は独学ではあるまい。かなり洗練されておる。おぬしの師は、さぞかし名のある武人に違いない。あるいは勇者なのかもしれぬ、とな」



 魔王の言葉は穏やかで、嘘を言っているようには思えない。

 それがますますスロヴァンスキを困惑させる。

 沈黙しているスロヴァンスキに、魔王は静かに声をかけてくる。



「答えたくなければそれでもよい。この程度のことで命まで奪おうとは思わぬ」

 スッと手が離れ、スロヴァンスキは自由になった。

(今なら反撃できる!)

 とっさにそう思ったが、勝てる相手ではないことも理解している。



 スロヴァンスキの得意とする投げ槍は、この距離では投げられない。

 嗜みとして接近戦用の槍術も修めてはいるが、この魔王と渡りあうには修練がまるで足りない。そもそも槍を拾おうとした時点でまた組み伏せられるだろう。



(勝てんな……)

 そう思ったとき、魔王が手を差し出してきた。

「おぬしは敬意に値する武人だ。立てるか?」

「慈悲をかけるな。敗北は認めるが降伏はしとらん」



 地面に座り込み、大きく溜息をつくスロヴァンスキ。もうすっかり戦意は失せている。

「味方は大混乱か……」

 遠くから聞こえるのは、どれも悲鳴のような叫び声だ。後方の動揺が前線にまで伝わり、各部隊の隊長たちが部下を統制しようと必死に怒鳴っているのも聞こえる。



(俺がここでこの魔王を倒そうが倒すまいが、この戦は負けだな。輜重をやられたら進軍できん。まさか森の中で山菜や湧き水を探しながら進軍する訳にもいかんしな)



 この人数の腹を満たすにはかなり広範囲を探索せねばならず、「兵は束ねて動かすべし」という兵法の大原則と真っ向から対立する。

 敵地でそんなことをすれば負けるだけだ。



「……兵を引かせねばならんな。お前がそれを赦してくれるのなら、だが」

 敵を生かして帰せばまた攻めてくる。それよりは徹底的に殲滅し、再起不能に追い込んだ方がいい。敵の戦意を喪失させられる。



 だが人狼の魔王は楽しげに笑った。

「赦そう。余は慈悲深い」

「本気か?」

「何度攻めてきても同じことだ。そして同じ攻め方をしてくれるのなら手間が省ける」



 魔王はそう言い、スロヴァンスキに背を向けた。

「遠征軍が全滅すれば、セイガラン王は自軍の戦略方針を大きく変更するであろう。そうなるとまた、こちらとしても対抗策を練らねばならぬ。だがおぬしが無事で軍も無傷であれば、懲りもせずにまた同じ手で来るであろうな」



 そう言いながら、ゆっくり歩み去っていく魔王。

 スロヴァンスキの視界が屈辱感と無力感で歪む。

(何度戦っても俺が負けるから、簡単な相手だから生かして帰すというのか!? なんたる屈辱だ!)



 しかし今、自分が命を救われたことも事実だ。

 だからスロヴァンスキは去りゆく魔王の背中に大声で叫ぶ。

「次は! 次こそは絶対にお前を倒す! 先代勇者ザルカフ様より授かった俺の技でな!」



 すると魔王は背を向けたまま、軽く手を挙げてみせた。

「気遣い感謝する。また会おう、勇者スロヴァンスキ殿」

(やはり酌み取ったか……)



 魔王からの質問には、これで答えたことになるだろう。

 セイガラン勇者が修める投げ槍術は、勇者の超人的な身体能力を前提として構築されている。それゆえ同じ勇者でなければ伝授できない。そのことを教えたのだ。

 再戦のための、命の代価として。



 魔王は追撃がないことがわかっているのか、それとも追撃されても軽く返り討ちにできる自信があるのか、悠々と森の中に消えた。

 彼はもう来ないだろう。確信がある。



「兵の統率を取り戻さねばならんな」

 そうつぶやいたとき、木々をかき分けるようにして甲冑姿の老将軍と護衛たちが駆け込んできた。彼こそがセイガラン遠征軍の司令官だ。



「スロヴァンスキ! 無事だったか!」

「はい、閣下。ですが魔王には敗れました」

 するとスロヴァンスキの部下がわらわらと進み出て彼をかばう。



「いえ、隊長が魔王を退けてくださったのです!」

「そうです! 私たちでは相手にもならず、殺されるところでした!」

「お前たち……」



 部下の言葉は事実ではない。

 だが圧倒的優勢の魔王が勇者を殺さずに帰ったとなれば、あらぬ疑いをかけられても不思議ではないだろう。自分が敵側と内通していたなどと思われれば、少なくとも魔王と再戦する機会はなくなる。



 将軍は白ヒゲを撫でつつ、周囲に散らばった投げ槍の残骸を見回す。

「うむ、壮絶な死闘を繰り広げたようだな。後方の勇者を撃退したのもお前か?」

「いえ、見ておりません」

「そうか、ではあちらはあくまでも陽動か。魔王はお前の強さを恐れ、手駒を温存したという訳だ」



 実際には殺す必要もない弱敵と認定されただけなのだが、スロヴァンスキは頭を垂れる。

「わかりません。ただ、最善は尽くしました」

 その言葉に将軍は満足そうにうなずく。

「よい。お前が最善を尽くし、我が軍はどうにか守られた」



 それから将軍は溜息をつく。

「輜重の馬車を破壊し尽くされ、森も何やら様相が変わっておる。敵の砦も健在だ。この状態ではとても進軍できん。となればここからは、国王陛下よりお預かりした兵たちを無事に帰還させるのが私の務めであろうな」

「仰せの通りかと」



 そこは本当にその通りだと思ったので、スロヴァンスキは同意する。いったん退却して戦う準備を整えなければ、魔王討伐など不可能だ。

 将軍は既に部下たちに手配していたのか、全軍の混乱は収束しつつあるようだった。遠くから聞こえる声が次第に落ち着いてくる。



 将軍はしゃがみ込むと、いまだ座り込んだままのスロヴァンスキの肩を叩いた。

「お前はよく戦ってくれた。セイガラン武人の誇りだ。さあ帰ろう」

「……はい」

 スロヴァンスキはうなずき、岩のような拳で目元を拭った。


   *   *


 セイガラン軍の撤退を見届けた後、魔王軍も静かに撤収する。

「干し肉いっぱい盗めたなー!」

「また攻めてきてくれないかなー!」

 略奪品を満載した馬(略奪品)の背にまたがりながら、猫人たちが御機嫌でにゃーにゃー言っている。



 それに苦笑しつつ、ユーシアは傍らの魔王に問いかけた。

「魔王様、このまま帰しちゃっても大丈夫なんだよね?」

「殲滅するのが兵の常道であろうが、このままでも再度の侵攻はあるまい。『呪いの森』の樹人たちが道を変えてしまったゆえ、彼らの帰路は困難を極めるであろう」



 魔王はどことなく楽しげに笑う。

「この豊かな森で少々迷っても餓死することはあるまい。たっぷり時間をかけて、彼らの心にこの森の恐怖を刻んでもらうとしよう」



 すやすやと眠っているキュビをおんぶしながら、レグラスが真顔で口を開く。

「そしてセイガラン王は勇者スロヴァンスキを温存でき、彼を軸とするドクトリンを堅持する。そういうことですね?」



「さよう。スロヴァンキの投げ槍が最大の威力を発揮するのは、建造物や密集した陣形に対してだ。攻城戦や会戦では比類無き脅威となる」

 魔王は強敵を懐かしむように後方を一度振り返り、それからこう続けた。




「だが一方、森の中でゲリラ戦術を採る魔王軍が相手では有効に機能せぬ。ならば、あのままでいてもらった方が好都合。わざわざ敵を強くすることもあるまい」

「でも魔王様、もしセイガランの王様が今回の失敗で軍を改良したらどうするの?」



 ユーシアの問いかけに魔王はうなずく。

「良い懸念だ。その場合に備え、戦場の盤外にて決着をつける」

「どゆこと?」

「外交の場を設け、チアラ殿に一働きしていただくのだ」

 魔王は微笑んだ。

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