第29話

 シュナンセン西部の辺境にあるヘンソン村。

 勇者ユーシアの生まれ故郷でもあるこの村で、魔王ウォルフェンタインは白湯を飲んでいた。

「マーミャ殿をユーシアの養母と見込んで、お聞きしたいことがある」



 目の前にいるのは中年の女性。

 いかにも農家のおばさんといった雰囲気だが、実は辺境騎士団の女騎士である。殊に鉄鎖術を得意とし、かつては「鎖陣のマーミャ」と恐れられた……らしい。

 そして彼女はユーシアの育ての母でもあった。



「あたしに聞きたいこととなると、ユーシアの昔の話なんでしょう?」

「御慧眼、誠に恐れ入る」

 うなずいた魔王に、マーミャは溜息をつく。



「仕方ありませんね。あの子がお世話になっていることだし、話せる限りのことはお話ししますよ」

「かたじけない。では先代勇者ディラン殿の居場所を教えていただきたい」

「ひゃっ!?」



 顔に似合わず可愛らしい声をあげてしまい、マーミャは赤面しながら咳払いをした。

「ご、ごめんなさいね。でもどうして急にディランのことを? あの人はユーシアが生まれる前に行方不明になったままですよ?」



 するとウォルフェンタインは微笑みながら首を横に振った。

「そうではあるまい。ユーシアの誕生後にも足繁くここに通っていたはずだ。父親ではなく、剣の師としてな」



 マーミャはしばらく沈黙していたが、やがて大きな溜息をついた。

「何でもお見通しなんですね、魔王ってのは。なんかそういう力でもあるんです?」

 ウォルフェンタインは苦笑して首を横に振った。



「単純な推理だ。ユーシアの大剣は重厚長大だが、その剣技は理論に裏打ちされておる。華麗といっても過言ではない。だがあれほどの大剣を軽やかに扱える者など、勇者以外にはおらぬ。であれば、ユーシアの師もまた勇者なのであろうとな」



 ウォルフェンタインは白湯を飲み、漂う湯気を見つめながらつぶやく。

「セイガランでは、勇者は先任の勇者から投げ槍術を学ぶという。勇者の技は勇者にしか習得できぬ。一方、帝国やトーリでは人間用の技と武器で戦うため、このような慣習はない」



「なるほど、それで……」

 そう言ってマーミャは少しだけ遠い目をした。

「これは正直にお話しするしかなさそうですねえ。確かにユーシアの剣の師はディランですよ」

「やはりそうか」



「ええ。ディランは魔族討伐の途中に失踪しましたけど、私たち同僚にはこっそり連絡をくれたんですよ。自分はもう魔族とは戦えない。誰も傷つけたくないって」

 魔王は無言でうなずき、マーミャは話を続ける。



「何があったのか詳しくは聞きませんでしたけどね。それから村長が……いえ隊長がディランを剣術師範として村に招くようになったんですよ。素性は明かせなくても、せめて娘に会わせてやりたいって」



 ウォルフェンタインはそれを聞き、ふとつぶやく。

「先王ゲンゼンはもしかすると、その剣術師範の正体に気づいていたのかもしれぬな。王室の記録では剣術師範の名が空白になっていた」

「じゃあ、そうなのかもしれませんね。普通の人があんな剣術を修めてるはずがありませんから、見て見ぬふりをしてくれたのかもねえ」



 そう笑ってから、マーミャは魔王を見つめる。

「でもユーシアに全ての剣術を伝授した後、ディランは来なくなりました。どこにいるかは聞いてますが、あの人はもう戦う気力がないんですよ。それでも復讐なさるんですか?」



「やはり気づいておられたか。余は父たちをディランに殺された。余自身の人生を前に進めるためにも、あの者と対峙せねばならぬのだ」

 静かに瞑目したまま、ウォルフェンタインはそう答えた。


   *   *


 木こり小屋に、魔王の声が響く。

「久しいな、勇者よ。このような場所に隠れ住んでいたとはな」

 中年の木こりは椅子に腰掛けたまま、ウォルフェンタインをじっと見つめていた。



「まさか、あのときの人狼のガキか?」

「いかにも。魔王ウォルフェンタインである」

 威風堂々の名乗りに対しても、中年男は動じる様子がなかった。



「街の噂で聞いてたよ。若君が魔王と同盟したと。まさかそいつがお前だとは思わなかったが、そのおかげでセイガランやトーリの侵攻を退けてくれたそうだな」

「同盟者の義務を果たしたまでのこと。代わりに我らは『呪いの森』の自治権を得た」



 ウォルフェンタインは椅子に腰掛け、テーブルを挟んで男と向かい合う。

「勇者ディランよ。おぬしの過去が今、牙を剥いて目の前に現れたのだ。覚悟は良いか」

「殺されるつもりはないが、まあ殺されるんだろうな。今の俺は剣なんか持っちゃいない。手斧やノコギリで勝てるとは思ってねえよ」



 彼の言葉通り、簡素な木こり小屋にはかつての栄光をうかがわせるものは何もなかった。剣も鎧もない。

 しかしウォルフェンタインは首を横に振る。



「ここで余がおぬしを殺せば、皆は『敵の子供に情けをかけるからそんなことになるのだ』と言うであろう。そうなれば余の復讐が無垢な子供の命を奪う理由になるかもしれぬ。それはできぬ相談だ」



 男は驚いたように目を見開き、それから苦笑を浮かべる。

「お前さん、ずいぶん立派になったな……。なるほど。こりゃ正真正銘、魔族の王だ」

「余とて憎しみは消えぬ。だがあのとき、おぬしが王命に背いて余たちを助命した事実は認めねばなるまい。それゆえ、命は奪わぬ」



 しかしそこでウォルフェンタインはフッと微笑む。

「それにおぬしは、余の四天王の父親でもあるからな」

「なに……?」

「勇者ユーシアは余の配下になった。当人の希望だ」

「なにっ!?」



 ガタッと椅子から立ち上がるディラン。さっきまでとは打って変わって、目に力が宿っていた。

「どういうことだ!? あの子に何をした!?」

「何もしておらぬ。余はおぬしの子だと知らずに、彼女に一騎打ちを申し込んだまで。魔王としての武名欲しさにな。思えば愚かなことをした」



 腕組みして溜息をつく魔王。

「だが余はユーシアに敬意を抱き、争いたくないと思った。彼女も同様だ。それゆえ今は余の居館で暮らしておる」

「どっ……同棲だと!?」



 ディランは絶句し、それからまた椅子に座り込む。

「ふざけるなよ魔王野郎……。あの子をどうするつもりだ?」

「おぬしがユーシアの意思を尊重するように、余も彼女の意思を尊重するだけだ。おぬしと余の因縁に彼女は関係あるまい」



 ウォルフェンタインの言葉は、どこまでも穏やかだった。

「おぬしは余の父を殺した。だが余は、おぬしもおぬしの子も殺さぬ。その非対称こそが余の復讐である」



「どういう意味だ?」

「おぬしは罪悪感に苛まれておる。そうでなければ勇者としての名声を捨て、このような山奥で一人暮らしなどせぬはずだ。我が子を避けているのも、罪の意識ゆえであろう」



 ディランは白髪の混じる髪を掻き上げ、溜息をつく。

「否定はせんよ」

「それゆえ、余はおぬしから罪を償う機会を奪う。今さら謝罪など聞き入れぬし、かといって殺しもせぬ。おぬしの死に意味など与えぬ。ただ生き、老いて死ぬがよい」



 ウォルフェンタインは真顔だった。ディランは苦々しい表情を浮かべる。

「そうきやがったか……。お前、残酷だな」

「いかにも。余は魔王であるがゆえに」



 ニヤリと笑い、ウォルフェンタインは立ち上がる。

「それにユーシアにとって、おぬしは父親ではなくとも恩師ではあるからな。彼女が大切にしている者を余が殺す訳にはいかぬ」

 ウォルフェンタインはマントを翻し、戸口へと向かう。



「ユーシアに会いたければ、いつでも余の居館に来るがよい。歓迎するぞ」

「でっ、できる訳ねえだろ!? 今さら俺が会ったところで、ユーシアを苦しめるだけだろうが」

「ではここで余生を送ることだ。それも全て、おぬし自身が招いた結末であろう」



 魔王はドアに手をかけ、背後を振り返らずに言う。

「余はユーシアと共に歩み、彼女の幸せのために我が生涯を捧げる覚悟である。あるいはそれこそが余を襲った不幸に対する最高の復讐なのかもしれぬな。さらばだ」

 もはや勇者の言葉を待つこともなく、ウォルフェンタインは光溢れる戸外へと踏み出した。

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