第9話

 シュナンセン王国東部に広大な領地を持つライントス公は、王家の強力なパートナーとして代々深く結びついてきた。

 現当主ライントス公ギルケンもまた、国王チアラの実姉ハイネを妻としており、王の義兄として強い影響力を持っている。



 そのライントス公が今、宮廷の一室で苦悩の表情を浮かべていた。

「城門が破壊されたという噂は聞いていましたが、まさかそれが魔王と結託した勇者によるものだったとは……」



 国王チアラは軽く手を振る。

「それは別にいいんすよ、義兄上(あにうえ)」

「良くはないでしょう。国家の一大事ですぞ」

「そういう見方もできなくはないっすね」

「そういう見方しかできませんぞ」



 ライントス公が語気を強めると、王は軽く頭を下げた。

「いや、確かに国家の一大事なのは間違いないっすね。けど、それはオレが何とかしたんで大丈夫っすよ」

「何が大丈夫なのですか……」

 渋い顔をするライントス公。



「それで、魔王をどうやって撃退したのです? 勇者が寝返った以上、魔王と戦える者などおらぬはずですが」

 するとチアラは当たり前のように答える。



「ああ、魔王と同盟結んだだけっすよ」

「まっ!?」

 ライントス公の声が裏返る。



 間髪いれず、インシオ侍従長が咳払いをした。

「陛下、陛下」

「ん?」

「話の切り出し方をもう少し工夫してください。あらぬ誤解をされます」

「誤解も何も……いや、わかったっす。そんな怖い目で見ないで」



 チアラは背後の侍従長を何度も振り返りつつ、説明を補う。

「魔王は西部の『呪いの森』での自治権を認めてほしかったんすよ」

「……つまり魔王は、王国の滅亡や支配を企んではいないということですか?」

 猜疑心の塊のような顔をしているライントス公。



「魔王というものは本来、人類の宿敵のはずです。連中の言い分など到底信じられませんが、こうして陛下が御健在な以上、信じるしかありますまい。怪しげな術で支配されているようにも見えませんし」

「あざっす」



 ぺこりと頭を下げてから、チアラは説明を続ける。

「魔王はオレをシュナンセンの支配者だと認めた上で、領地の一部を求めてきた訳っすよ。オレ視点では、魔王ウォルフェンタインを呪いの森の領主に封じたことになるっしょ?」



「確かに形式上は陛下が優位になりますな。城門を突破されている側が優位というのも妙な話ですが……」

 ライントス公は複雑な表情だ。

「しかし魔王が何か企んでいるかもしれませんし、心変わりするかもしれません。極めて危険です。何よりも『魔王と同盟している』という事実が非常にまずい」



「そうなんすよ。状況的に手を組むしかなかったけど、極秘にしとかないとヤバげっしょ? だから相談できる相手が義兄上ぐらいしかいないんす」

「陛下にそこまで信頼していただき、光栄の至りです」



 渋い顔で溜息をつき、ライントス公は言う。

「同盟というものは多くの場合、いずれ破棄される日が来るものです。そのときの備えは怠りませぬよう」

「といっても、新しい勇者を用意する以外になくない? それも最低二人はいるっしょ? あっちは魔王と勇者のコンビだし」



 ライントス公は勇者がどうやって生み出されているか、ある程度は知っている。

「それが悩みの種ですな。なにせ先代勇者は失踪しているので勇者の血筋がありません。彼の血縁者から見込みのありそうな者を選び、急いで『交配』させねば……」



 しかしチアラは首を横に振った。

「現実的じゃないっすね。最低でも十数年はかかるっしょ。それに先代勇者のディランも今の勇者のユーシアちゃんも、このザマっす。次の勇者が従順な保証はないっすよ」



「それはまあ……そうですな。他国でも勇者の扱いには苦労しているようですし」

「そうなんすよ。人間を家畜扱いしてバカみたいに金と時間を使って、それでこのザマっす。なんかもう、これ割に合わないなって」



 苦笑している義弟を見て、ライントス公は静かにうなずいた。

「確かに。特に我が国では勇者に公職を与えない方針でしたから。勇者としては待遇に不満もあるでしょう。ユーシアとやらも農民の身分でしたな」



 するとチアラは複雑な表情をする。

「んー……待遇に不満があるから裏切った訳じゃなさそうなんすけど、それでも勇者の育成や待遇については見直した方がいいっすね。待遇悪いのに国の為に命を懸けるのは無理だし」



「おっしゃるとおりです。在野の勇者が見つかれば勧誘するという手もありますが、待遇面は考慮すべきでしょう。逆に言えば、今はそれぐらいしかできません」

「そっすね。武力面では完全に詰んでるっしょ。ただ魔王がオレを王だと認めてくれているから、話し合いは通じるっすよ。セイガランとの国境地帯は魔王軍が守ってくれることになったっす」



 そこでまた驚くライントス公。

「国境警護の大任を、魔族にやらせるおつもりですか!?」

「魔王側からの申し出だったんで、ありがたく受けたっすよ。これで西部に余裕ができたから、東部のトーリ公国に睨みを効かせられるっす。あの異民族たちには義兄上も苦労してるっしょ?」



「それはそうですが、もし魔族たちが裏切ったら王国は滅亡しますぞ!?」

「魔王軍がこの国を滅ぼすつもりなら、最初に来たときにできてたっすよ。誰も魔王と勇者のコンビに太刀打ちできなかったんすからね」



 チアラは明るい口調でそう言い、親しげな笑みをライントス公に向ける。

「オレってこんな感じでバカだから、義兄上を頼りにしてるんすよ。ハイネ姉様も常々、義兄上を頼れってうるさいんす」



「……光栄ですな。無論、シュナンセン王国の為に一命を賭す所存にて」

 真面目な顔で深々と頭を下げたライントス公は、ふと微笑む。

「なにせ私は命を懸けるだけの待遇を得ております。なんといっても、国一番の才女を妻に迎えられましたからな」



「おっ、いつもの惚気っすね。こんな素敵な伴侶を得て、姉上は果報者っすよ」

 二人して笑った後、ライントス公は何かに気づいたように視線をインシオ侍従長に向ける。



「それでその、陛下はまだ結婚なさらぬので?」

「そう……っすね」

 落ち着かない表情になり、なぜかインシオ侍従長を見るチアラ。

 インシオ侍従長は二人の視線に気づき、軽く咳払いをした。



「なぜ私を御覧になるのです?」

「いや……」

 何か言いたそうな顔をしていたライントス公は、諦めたように溜息をつく。

「先王陛下が御存命であれば、こんなに焦れったい思いをせずに済んだであろうに」



 その言葉にチアラが慌てて食いつく。

「あっ、そう、それっす! いやあ、父上がね……あの、勇者のほら……力を封印したりして厳格に運用手順を定めたのが良くなかったかなって」



 話が結婚から遠ざかってしまったが、ライントス公は律儀にそれに付き合う。

「勇者の力を解放したのは、辺境騎士団のヘンソン特務隊ですな?」

「たぶんそうっすね。あいつらも解放の儀式のやり方は知ってるんで」

「ゆゆしき事態ですぞ。彼らだけでも処罰した方がよろしいかと」



 しかしチアラは首を横に振る。

「そっちも不問にしたんすよ。魔王との交渉材料に使っちゃったっす」

「なんと……。それでは示しがつきません」

「国が滅ぶかどうかの瀬戸際だったし、そんなこと言ってる場合じゃないっしょ」



 チアラが肩をすくめると、インシオ侍従長が軽く咳払いをした。

 その瞬間、チアラが背筋を伸ばす。

「いや、軽率の至りっす。秩序の守護者たる国王としては、我が身の不徳を恥じる所存的なアレで」

「……そうですな」



 ライントス公は目を閉じ、軽くうなずく。

「陛下はシュナンセンの支配者にあらせられますが、諸侯の支持を失うようなことだけは慎まねばなりません。王にも王の掟がございます」

「りょっす」



 こくこくうなずくチアラを見て、ライントス公は穏やかに微笑む。

「状況は理解いたしましたので、私の方で策を考えます。まずは諸侯への根回しですな。お任せいただけますか?」

「もち、お願いするっすよ。オレとは折り合いの悪い領主もいるんで、義兄上のお力添えマジ感謝っす」



「では万事、この私にお任せください」

 ライントス公は静かに一礼した。


   *   *


 自分の領地へと帰る馬車の中で、ライントス公は無言のまま腕組みしていた。

 窓の外を流れる山々を遠くに眺めつつ、ぼそりとつぶやく。

「危険すぎる……」

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