第20話

 勇者ユーシアはシャシャの血でべっとりと濡れた大剣を手にして、戦場を見つめていた。

 トーリ騎兵たちは逃げる一方で、ユーシアに挑むつもりは毛頭ないらしい。勇者の強さは目の当たりにしていたはずなので、数を頼みに襲いかかっても勝ち目がないことはよくわかっているのだろう。



 チアラ王が血に染まった『真珠の王剣』を振りかざしつつ、よく通る声で命令している。

「左翼騎兵展開! 右翼騎兵は『閉じる』っすよ! 包囲して足を止めれば、軽騎兵相手には有利っす! 左翼長槍隊、アゲアゲで前進よろ!」



 それを眺めながら、ユーシアはシャシャの亡骸を見下ろす。

 帝国の女勇者は大剣で貫かれたせいで、腹から下が真っ二つに裂けていた。おまけにとどめで首を落とされ、これ以上ないぐらいに惨たらしい死に様を晒している。



 ユーシアは返り血で汚れた自分の手を見る。微かに震えていた。

「殺したんだ……」

 そうつぶやき、彼女は深呼吸する。血と砂の匂いがした。



 それから膝をついて、シャシャの手を胸の上に組ませる。これが亡骸に敬意を示すシュナンセン騎士の作法だと習っていたからだ。帝国騎士の作法かどうかはわからない。

「ごめんね。あんたのこと嫌いだけど、殺したいほどじゃなかった」



 そこに魔王ウォルフェンタインが歩み寄ってきた。

「すまぬな。余が不甲斐ないせいで、おぬしの手を汚させてしまった」

「ううん。一人ぐらいは討ち取らないと、何のために戦場に来たんだかわからないから」



 乾いた血がこびりついた手をヒラヒラ振って、ユーシアは笑ってみせる。

 その手をそっと取り、人狼の姿をした魔王は悲しそうに言う。

「無理に気丈に振る舞う必要はない。微かに声が震えておる」

「あはは……」



 ユーシアは人狼の白銀に輝く毛に顔を埋める。

「自分でもよくわからないの。まだ人を殺した実感がなくて、なんだか意外と平気で……それが逆に怖くて」



 魔王は腕の中に勇者を受け止めつつ、優しい声で語りかけてきた。

「よいのだ。それが普通の反応であろう。余は人を殺めたことは何度もあるが、同族を殺めたことは一度もない。それゆえ、おぬしの感じている不安や葛藤にはあまりにも疎い」



「そっか……そうだよね」

「うむ。社会生活を営む種族にとって、同族殺しは最大の禁忌であることが多い。だが一方で、我らは日々の営みで家畜や害獣など他の命を奪う。『自分と同じか、同じではないか』という曖昧な仕切り一枚が、禁忌と日々の営みを隔てているのだ」



 魔王は静かに言葉を続ける。

「それゆえ、職業戦士たちは敵と味方を厳密に区別する。職分としての殺傷を正当化する法や慣習があり、神の教えによって許されることもある。それらに支えられ、気持ちに区切りをつけているのだ。だがおぬしは初陣ゆえ、頭で理解していても割りきれるものではあるまい」



「そうだね……。なんか、よくわかんない感じ」

「おぬしが倒した勇者は自らの意思で戦いを挑み、おぬしを殺そうとした者だ。それを討つことは正義ではないかもしれぬが、悪ともいえまい。少なくとも味方は皆、おぬしを称えている」



 そう言って、魔王は腕に力を込めた。

「本来ならば余が討たねばならぬ敵であったが、後ろ姿があまりに哀れでな。煮えきらぬ余の代わりに、おぬしがこの者を討ってくれた。余はなんと詫びれば良いのかわからぬ」

「それはいいんだよ。魔王様が優しすぎるのは、私が一番よくわかってるもん」



 ふわふわもふもふとした銀毛に潜り込むようにしながら、ユーシアは言う。

「気持ちの整理がつくまで、もうちょっとだけこうしててもいいかな?」

「構わぬ。チアラ殿が敵軍を掃討しているゆえ、さして危険はなかろう。もしこちらに敵が来れば、余が倒す。それぐらいの責は果たさせてくれ」



 しばらく彼女は魔王に抱きつき、戦場の喧噪を遠くに聞く。

 だがさすがにいつまでもそうしている訳にもいかないので、やがてユーシアは顔を上げた。少し無理して笑ってみせる。



「それにしても魔王様、めっちゃくちゃ強かったねえ。あの勇者たち、カイとバンコフだっけ? 二人とも瞬殺だったね」

「それは余もいささか意外に思っておる。おそらくは人間と人狼の種族差によるものであろう」



 ウォルフェンタインはシャシャの亡骸に軽く一礼して敬意を示し、それからこう言う。

「余が人の姿で戦っているとき、勇者たちとの強さは拮抗していた。しかし人狼に変じた途端、まるで藁人形でも相手にするかのように容易い相手になったのだ」



 その言葉を聞いて、ユーシアは首を傾げて考え込む。

「てことはアレなのかな、『普通の人間と普通の人狼』じゃ勝負にならないのと同じように、『勇者の人間と魔王の人狼』も勝負にならない?」



 魔王は小さくうなずいた。

「かもしれぬな。勇者を擁する国々が魔王討伐に及び腰なのも納得できる話だ。勇者を失う可能性が高いことを考えれば、魔王討伐など割に合わぬ」

「勇者いないと人間同士の争いに負けちゃうもんね」

「さよう。人間にとって一番恐ろしい相手は、やはり人間自身なのだ」



 そんな話をしていると、チアラ王が近衛騎兵たちと共に駆けてきた。

「お、いたいた。ウォルフェンタイン殿、あざっす! ユーシアちゃんもお疲れ!」

「おお、チアラ殿。国王自らが剣を取って敵と切り結ぶとは思わなかった」



 魔王が苦笑してみせると、チアラ王は明るく笑う。

「魔王様があんだけ活躍してるのに、王様が見てるだけじゃサマになんないっしょ! それよりも、ここはもうオレと諸侯軍だけで何とかなるっす!『呪いの森』の防衛に向かった方がよくない!? セイガラン軍が来ちゃうっすよ!」



 しかし魔王は悩む様子を見せた。

「帝国の『六勇者』が動いている以上、残り四人の勇者を警戒すべきではないか?」

 するとチアラ王はニヤリと笑う。

「またまたぁ、わかってるくせに。その心配はしなくていいっすよ」

「まあそうではあるが……」



 二人の会話にユーシアが割って入る。

「どういう意味?」

 魔王が答える。

「勇者が二人倒されたところに、また二人だけ送ってくることはあるまい。となれば最低三人であろうが、それでは本国の守りが勇者一人になってしまう」



 チアラ王がうなずく。

「そういうことっす。帝国は広大な領土と長大な国境線の全てに目を光らせなきゃダメなんすから、本国が手薄になるような運用は無理っしょ」

「あー……なるほど。チャラ王のくせにかしこい」



 ユーシアが少し不満そうに納得すると、チアラ王も不満そうな顔をする。

「チャラ王じゃなくてチアラっす。最近は『鋼魂』のチアラ王って呼ばれてるんすよ」

「合コンのチャラ男?」

「温厚なオレもしまいにゃ泣くっすよ」

「泣くだけなんだ……?」



 ユーシアの言葉にニコリと笑いかけ、チアラ王は魔王に向き直る。

「そゆことで、ウォルフェンタイン殿はなるはやで西に戻ってくれると嬉しいっす。一応、あっちも国境なんで」

「そういうことであれば承知した。セイガラン軍は『呪いの森』で食い止めよう」



 そう言って悠々と立っている魔王。

 チアラが首を傾げる。

「あの……行かなくていいんすか?」

「迎えが来るのだ」



 するとそこに、妖狐のキュビが駆けてきた。騎馬並の速さで草原を滑るように駆けてくる。

「おーい、魔王さまーっ! あと、ついでにユーシアー!」

「来たようだ」

 魔王はマントを翻し、キュビに向き直る。



 どだだだと駆けてきたキュビは魔王の前で何かの術を解除すると、そのままぺたりと尻餅をついた。

「し、神速歩行術きっつ……。あ、戦いは終わった? 終わったの!? 勝った!?」

「勝った。すぐに戻ろう」

 魔王はそう答えると、チアラ王に微笑みかける。



「王よ、御武運を」

「魔王にも常勝の武運あらんことを」

 珍しく国王らしい口調で重々しく答えたチアラ王は、フッと笑う。

「とりま、こっち片付けたらオレも西に向かうんで無理はしなくていいっすよ」

「かたじけない」

 二人の王はどちらからともなく手を差し伸べ、がっちりと握手した。

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