勇者は余と戦ってくれ! ~人狼魔王と美少女勇者~

漂月

第1話

 そいつは20代ぐらいの長身の青年だった。鍛え抜かれた肉体美がマントの上からでも見てとれる。短く整えた銀髪が清潔感あふれる印象だ。

「おお。勇者殿の御母堂、これはかたじけない。魔族の跳梁で薪集めにも難儀しているだろうに、魔王たる余にこのような温かい白湯を……うむ、旅の疲れが癒される」



(なんだこいつ)

 まだ15才のユーシアは眉をしかめたが、銀髪の青年は気にもしていない様子で白湯を飲んでいる。茶は高級品なので、こんな田舎の民家にはない。



 しかしユーシアの見ている前で、会話が勝手に進んでいく。

「いえいえ、この辺りは平和なものでして。ほらね、うちの娘がちょっとばかり勇者ですから」

「それは道理であるな。勇者の武勇をもってすれば、屈強な魔族たちも太刀打ちはできぬであろう」



 農家を営むユーシアの家に上がり込んだ自称魔王は、落ち着いた様子でうなずいていた。

 それから彼はユーシアに向き直る。

「勇者ユーシア殿。余は魔王ウォルフェンタイン。本日は貴殿のその武勇に用があって参上した。突然の訪問を許されよ」

「ウォル……なに? ヘンタイ?」



「ウォルフェンタインだ。生来の名はウォルフェだが、『魔王ウォルフェ』ではいささか凄みに欠けると四天王から言われてな。彼らにつけてもらった」

「つけてもらった……?」

「うむ」

 会話が途切れ、気まずい沈黙が流れる。



(なんだこいつ!?)

 ユーシアは若干混乱してきたが、聞くべきことは山ほどあった。

「村長さんから聞いたんですけど、私と戦いたいってどういうこと?」

「いささか恥ずべき事情なのだが、礼儀として答えねばなるまいな」

 やたらと姿勢の良い魔王は、さらに背筋をピンと伸ばした。



「余の率いる魔王軍は全魔族を統率している訳ではない。むしろ傍観や対立の立場の者が大多数だ。だが余は全魔族を統べ、人間たちに対抗したいと考えている」

「はあ」



 魔王は深みのある良い声で、静かに語りかけてくる。

「余の実力を疑う者は多い。いかに魔族の勢力圏を拡大しようとも、やはり武勇において比類無き絶対強者でなければ、魔族は服従せぬ」



「それで私を倒したいんですか……」

「さよう。ユーシア殿にとっては迷惑な話であろうが、余にも退けぬ事情があるのだ。ぜひ一騎討ちを受けてもらいたい」



 ユーシアはテーブルに立て掛けている剣をチラリと確かめてから、魔王に言う。

「勇者を倒したいのなら、私の同意なんか取らずにちゃっちゃとぶっ殺せばいいんじゃないの?」

 だが魔王は首を横に振った。



「そのような卑怯な勝利に何の価値があろう。余自身はもちろん、魔族の強者たちは認めはすまい。それに余は女人を騙し討ちにするなど到底できぬ」

 完全に本気の口ぶりだった。



「一応確認しときたいんだけど、魔族と人間って殺し合いしてますよね?」

「殺し合い……まあ、事実ではあるな。余としては人間も一種族として魔王に服従してくれれば助かるのだが、こうも国家が乱立していては意思統一もままなるまい」



 魔王はそっと溜息をつく。顔立ちの整った青年なので、何をしても似合う。

「だが勇者を一騎討ちで倒したとなれば、人間たちも少しは考えを改めるであろう。千の村を焼き、万の軍勢を討つよりも少ない犠牲で済む」



「犠牲になる側からするとずいぶんな言い草なんだけど」

「すまぬ。なにぶん魔王なので人の道にはいささか反しておる」

「謝られても困るな……」

 ユーシアは頭を掻いた。



「でも私は戦いたくない。悪いけど、殺すのも殺されるのも絶対イヤ」

「いや、それが当然の返答であろう。貴殿には一騎討ちを受ける理由がない。それゆえこうして頼み込んでおる」

「頼まれてもイヤだってば。私が勝ってもいいことないし」



「そこを何とかならぬか。なに、貴殿が余を倒せば済む話だ。貴殿が敗れたときも、なるべく苦痛のないように討つと約束しよう。亡骸は丁重に弔い、余と激闘を繰り広げた強者として末永く讃える。勇者の故郷であるこの村には未来永劫、危害は加えぬと誓う」

「そういうの興味ないんで……」



 しばしの沈黙。

「やはり無理か?」

「無理に決まってるでしょ。帰ってください」

「いたしかたあるまい」



 魔王は深くうなずき、スッと立ち上がった。

「本日は突然の訪問であった。まずは挨拶のみとして、また日を改めよう」

「いや、何度来ても同じだから!? 二度と来るな!」

 三日後、また来た。


   *   *


「今日は余の四天王を紹介しようと思ってな」

「なんで? いや、来るなって言ったよね?」

「余がまだウォルフェだった頃、余の支えとなってくれた輩(ともがら)たちだ。魔王ウォルフェンタインの名付け親たちでもある」

「別にそこんとこにも興味ないから! かーえーれー!」



 勇者ユーシアは鍬(くわ)を投げ出して吼えたが、魔王ウォルフェンタインは鍬を拾い上げてふむふむとうなずいている。

「農作業中であったか。これは失礼した」

「そう、帰って」

「ではまずこれから片付けよう」

「はい?」



 魔王は慣れた手つきで鍬を振り上げると、畑の土をざくざくと耕し始めた。

「ちょっ、魔王が何やってんの!?」

「魔族も畑は耕すのだ。して、ここは何の畑にする予定かな?」

「え……いや、赤芋を……」



「赤芋とな?」

「ほら、赤紫っぽくて甘くて細長いやつ。秋に収穫する……」

「おお、甘芋か。余も好物でな。子供の頃から蒸してよく食したものだ」

「そうなの?」



 魔王は畑の土を掌に載せ、愛おしむように見つめる。

「よく練れた良い土であるな。甘芋が蔓ボケせぬよう、肥料を与えすぎぬようにしているのもわかる。甘芋への深い愛情を感じさせる、実に見事な仕上がりだ」

「あ、私が作りました」



 すると魔王はニコッと笑った。何の邪心も感じさせない、善良な笑みだ。

「ほう、勇者殿は農業にも長けておられるのだな。余が思うに、真の英雄とは土の香りがするものだ。ますます敬意を抱いたぞ。これは丁寧に耕さねばな」



 雑談しながらあっという間に畑を耕し終える魔王。汗ひとつかいていない。

「実に心地良い時間であった。このような時間ばかりであれば良いのだが」

「だったら私との一騎討ちなんかやめて、自分の領地で畑耕せばいいじゃん」



 しかし魔王は残念そうに首を横に振った。

「そうもいかぬ。魔族同士の争いもあれば、貴殿たち人間との争いもある。晴耕雨読の日々のためにも、貴殿を討って魔王として名を挙げねばならぬ」

 そこのところは揺るがないようだ。ユーシアは溜息をつく。



「ほんと無理なんだけど」

「なに、今日は押し問答をしに参った訳ではない。あくまでも四天王を紹介したいだけだ。もし余が敗れたら、この者たちが暴走しかねぬ。だが顔合わせをしておけばそれも防げよう」

「部下の手綱ぐらい、あんたが何とかしなさいよ!?」

「すまぬ」



 丁寧に頭を下げた後、魔王は朗々と声を張り上げる。

「来たれ! 我が四天王よ!」

「ははっ!」

 打てば響くように黒い影たちが舞い降りてくる。



 それを見たユーシアは一言。

「……二人だけ?」

「うむ」

 現れたのは異国風の小柄な少女と、神経質そうな眼鏡の青年だった。

 二人足りない。



 魔王ウォルフェンタインは溜息をつく。

「実は四天王の座はまだ二つ空席なのだ」

「なんで四天王にした」

「この者たちが『魔王ウォルフェンタインの部下になりたい者なら山ほどいるから、幹部枠には余裕を持たせるべきだ』としつこくてな」



 すると少女の方がフフンと笑う。

「あったりまえでしょ? ウォルフェンタイン様こそ、魔族と人間の頂点に立つべき御方なんだから。四天王が百人いたって不思議じゃないわ」

「それはそれで四天王じゃないでしょ」

「あー小賢しい、小賢しいわ、人間って」



 少女は前髪を払いながらプイッとそっぽを向くと、魔王に訴えかける。

「魔王様! こんな無礼な人間、さっさと倒しちゃいましょうよ」

 すると眼鏡青年が一喝する。

「こら、キュビ! 物事には順番があります。これだから妖狐は困るんですよ、秩序というものがまるでなくて野蛮極まりない」



 キュビと呼ばれた少女は眼鏡青年に食ってかかる。

「ちょっとレグラス!? 四天王の第二位に対して不敬じゃなくて?」

「僕は四天王筆頭ですが?」

「ムカつくからそのドヤ顔やめろ!」



 ユーシアがぼそりと言う。

「だから二人しかいないでしょ、あんたたち。人の畑で喧嘩すんな」

 彼らはいがみ合うのをやめて、今度はユーシアに向き直る。



「馴れ馴れしいですよ、人間。僕はレグラス。四天王筆頭にして、ウォルフェンタイン様の参謀です」

「そうよそうよ、馴れ馴れしいのよ人間。あたしはキュビ。四天王第二位にして、ウォルフェンタイン様の……えと、なんだろ? なんだと思う?」

「いや、私に聞かれても」

 困惑するユーシア。



 すると魔王ウォルフェンタインが口を開く。

「余の部下たちが失礼した。レグラスは余の幼なじみでな。細かいところにまで気が回る男ゆえ、余の我儘(わがまま)に付き合ってもらっている。キュビはその昔、森で迷子になっていたところを保護した。こう見えて争いを好まぬ優しい子だ」



「なんか思っていた以上にほっこりしてるんですね、四天王」

「さよう。互いに敬意を払うのが魔王軍精神ゆえ」

 どこか誇らしげな魔王だった。



 それから魔王は部下たちに向き直る。

「よいか、余が敗れたときは故郷に帰って静かに暮らすのだ。余を倒すほどの勇者であれば、そなたたちに勝ち目はあるまい。無駄死には許さぬ」

「でもでも!」



 キュビが拳を握って訴えかけるが、魔王は首を横に振った。

「ならぬ。余はそなたたちが傷つくことが何よりもつらい。そなたたちさえ生き延びてくれれば、余の命など惜しくはないのだ。ユーシア殿は理性的な御仁ゆえ、手向かいせねば命は取られまい」



 レグラスが悲しそうな顔をする。

「ウォルフェンタイン様。あなたは魔族の希望の光です。あなた無しの人生など僕は耐えられません」

「ははは、大仰だな友よ。案ずるな。余は負けぬ」



 レグラスの肩をそっと叩き、魔王は微笑んだ。

「では始めようか、ユーシア殿」

「勝手に戦う流れにしないで! 帰れって言ってるでしょ!」

 この押し問答の後、「せめてもうちょっと畑仕事がしたい」と言い出した魔王は村中の畑を耕して帰った。


   *   *


 そんな日々がしばらく続き、次第に村人たちも「あ、魔王さん」などと挨拶するようになっていた。

 そしてまた、魔王が来たりて白湯を飲む。



「たまには薪のひとつも持ってこねば悪いな」

「そう思うのならもう来ないで」

「そうはいかぬ。なんとかして貴殿に戦ってもらわねばならぬのだ」



 白湯をしみじみと飲みながら、魔王はほのかな湯気を視線で追う。

「我が魔王軍は精強だが、民を守るには数が足りぬ」

「民って?」

「魔族の民に決まっておろう。魔族の全てが人より強い訳ではなく、弱き者たちもいる。それに魔族の集団は人間のそれよりも小規模ゆえ、力では勝っていても数の差で勝てぬこともある」



 魔王は静かに言い、悲しそうに笑う。

「貴殿たちの王が魔族を討伐するのも、我らが人間たちの砦や開拓村を襲うのも同じ理由だ。自らの勢力圏を守り、民の安寧を守るため。そこに違いはない」



 すると傍らに控えていたレグラスが軽く咳払いをする。

「しかし魔王様、我ら魔王軍は人間の民衆を殺傷しません。我らの戦いは正義です」

「砦の兵士も誰かの愛しい子や親なのだ。敵兵を殺め、開拓者たちを追い払って家や畑を奪う我らも冷酷な侵略者に過ぎぬ。正義などない」



 魔王はそう言い、ユーシアに向き直る。

「真の正義など誰も持ち合わせておらぬ。だが流れる血は少ないほど良い。余が勇者を討ち果たせば魔族も人間も余を魔王と認め、無視できなくなる。そのときに初めて余の言葉が重みを持つのだ。互いの領分を定め、不可侵を守れとな」



「だからって殺されてあげる気はないんだけど」

「わかっておる。だが他に方法がない」

「いやでも、勇者なら他にもいるでしょ?」



 ユーシアは指を折って数える。

「帝国の『六勇者』に、『剣聖サコン』や『竜殺しバルザーン』。あと聖都の『守護勇者ユルヌス』。うちの王国には私しかいないみたいだけど、近くの国を探せば結構いると思うよ。そっちの方が有名だし」



「あいにく、余には守らねばならぬ民たちがおるのでな。拠点を留守にはできぬのだ。日帰りで倒せるのは貴殿しかおらぬ」

「日帰りで倒せる勇者ってなんか屈辱だな!?」



 ユーシアは頭を抱えて、深々と溜息をついた。

「はいそうですかって倒されてくれる勇者がどこにいるの? 私は誰も傷つけたくないし、傷つけられるのも嫌だもん。それに……」

 そう言いかけて、ユーシアは黙る。



「なんでもない。忘れて」

 すると魔王は小さくうなずいた。

「貴殿に何か事情があるのは察しておる。キュビよ」

「はぁい」



 四天王の片方、キュビが手を挙げた。ちびっこ妖狐はにんまりと笑う。

「おねーさんのカラダ、ちょっと見せてもらうわね……」

「えっ!? やっ、何!?」

 椅子をガタンと鳴らして立ち上がったユーシアだが、キュビはフフンと笑った。



「もう遅いわよ~。おねーさんのカラダ、隅々まで見ちゃったから」

「どういうこと!?」

 するとレグラスが簡潔に説明する。



「こいつは術に長けていて、特に幻惑や探知が得意なのです。非礼は承知の上で、あなたの霊体に探知の術をかけました。ですが霊体を調べただけですので、危害は加えていません」

「勝手に調べられるのが危害だっての!」



 ユーシアは怒鳴ったが、キュビは知らん顔だ。

「魔王様、こいつやっぱり変よ。霊体そのものが物凄い力を持ってるのは確かなのに、封印されちゃってるわ」

「やはりそうか。どこか妙だと思っておったのだ」



 魔王はうなずき、ユーシアに言う。

「勇者と呼ばれる者たちの多くは、人間たちの社会で重要な地位に就いておる。在野の勇者、しかも辺境で農業を営んでいる者など他におらぬであろう」

「悪かったね」



「機嫌を損ねるな。おそらく人間たちは貴殿が怖いのだ。それゆえ術式で勇者の力を封じ、その武力が必要になるときまで飼い殺しにしている。違うか?」

「……当たり」



 ユーシアは頬杖を突いた。

「要するに今の私、あなたに勝てる要素がないの。一騎討ちなんかしたら瞬殺されちゃうよ」

「なるほど」

「で、どうする? 今なら私を簡単に殺せるよ? 形式にこだわらずに私を殺せば?」



 だが魔王は首を横に振った。

「余がそのような男ではないことぐらい、貴殿もそろそろ気づいておろう。だからこそ一瞬、手の内を曝しかけたのだ。案ずるな、貴殿に危害は加えぬ。だがこれで疑問が解決したな」



「疑問って?」

「同居しておる女性、おそらく貴殿の実母ではあるまい。『匂い』が違う。それに村人たちも肝が据わっておる。魔王が何度もやってくるような村で平然と暮らしているのだからな」



 ユーシアは額に手を当てる。

「うわ……。そこまでバレちゃってるのか。だったら言っちゃうけど、一騎討ちしたかったら私を守らないとまずいよ?」

「ふむ?」



 魔王たち三人がゆっくりと立ち上がった瞬間、ユーシアはテーブルをひっくり返す。

「ここの村人たち、みんな王様の手先だから!」

 その瞬間、天井と窓と床下から村人たちが襲いかかってきた。



 だが村人たちは農具に偽装した隠し武器を構えながら、ユーシアではなく魔王たちに殺到する。

「ユーシアを守れ!」

「魔王がなんだ!」

「こいつは殺させんぞ!」



 きょとんとするユーシア。

「あ、あれ? どゆこと?」

 そして魔王ウォルフェンタインは村人たちの猛攻を軽く捌きながら大笑する。



「はっはっは! どうやら貴殿、自分がいかに愛されておるか気づいていなかったようだな! この者たちは貴殿を守るため、さっきから潜んでおったのだ」

「ええー……?」

 ユーシアは首を傾げ、困惑した様子で言う。



「でもこの村そのものが私を隠しておくために作られてて、この人たちも何かあったら私を殺すように命令されてるはずなんだけど」

 その言葉に対して、白髪の村長が仕込み杖を抜きながら怒鳴る。

「バカ野郎! 赤ん坊の頃から面倒見てきたお前を殺せる訳ねえだろうが! 俺たちにも辺境騎士の誇りってもんがあらぁ! クソボケ野郎の王命なんぞ知るか!」

「マジか」



 すると母親役の女性も鎖鎌を繰り出しながら叫んだ。

「そうだよ。あんたがあたしをどう思ってるかは知らないけど、あんたは紛れもなくあたしの娘だよ! 血のつながりなんか関係あるかね!」

「そ、そうなんだ……」

 目頭がじんわりと熱くなってくるユーシア。



 手練れの村人たちの攻撃を軽くいなしつつ、魔王は告げる。

「誇り高き戦士たちよ、しばし待て! ユーシア殿の秘密を知ったところで、余の考えは変わらぬ。ユーシア殿がその気になるまで、決して戦うつもりはない! 武器を納められよ!」



 村人たちは死に物狂いで攻撃を繰り返していたが、魔王たち三人の実力は圧倒的で勝負にならない。参謀レグラスと妖狐キュビの二人も、人間が太刀打ちできる相手ではなかった。

 魔王の言葉をきっかけに、彼らは力不足を理解したかのように攻撃を断念する。



「村長、やはりこいつは本物の魔王です! 岩山と戦ってるみたいで、まるで刃が立ちません!」

「わかっとる。あと作戦行動中は隊長と呼べ」

 村長は渋い顔をしつつ、刃こぼれだらけの仕込み杖を鞘に納めた。



「あんた、本当にユーシアがその気になるまで待つつもりか」

「いかにも。一刻も早く名を挙げたい気持ちはあるが、卑怯な行いで得た勝利に価値はない。一騎討ちが叶う日まで、魔族の民たちは実力で守り通す所存だ」



 それを聞いたユーシアは、ぐっと唇を噛んだ。

「だったら……わかった。勇者の封印を解いてもらう。村長、お願い!」

「おい待て、ユーシア!? 何を考えてる!?」

 村長が慌てるが、ユーシアはきっぱりと言い切った。



「魔王ウォルフェンタイン。あなたとの一騎討ちを受ける!」

「うむ、良い勝負にしようぞ」

 魔王は微笑みながらうなずいた。


   *   *


 その日の夕刻。

「お待たせ。封印解いてもらったよ。よくわかんない魔法の儀式いっぱいしてきた」

 村はずれの丘に現れたユーシアは戦装束だった。辺境騎士団の紋章が染め抜かれた正装で、胸甲と盾を身に着けている。背中には巨大な剣。

 背後には同じ戦装束の村人たちが続いていた。彼らは辺境騎士団の騎士やその従士だ。



「うむ、聖なる闘気を感じるぞ。これが本当の貴殿なのだな」

 対する魔王ウォルフェンタインは丸腰だ。

「余は格闘戦を最も得意とするゆえ、それは先に明かしておく。寸鉄すら帯びておらぬからといって、決して貴殿を侮っている訳ではない」



「わかった」

 こくりとうなずいたユーシアは長大な両手剣を抜き放ち、重厚な鉄塊を中段に構えた。並外れた膂力(りょりょく)を持つ者にだけ可能な離れ業だ。

 ウォルフェンタインは微笑む。



「得物は尋常ならざるが、構えは実直にして正道。清らかで実に美しい。良い師の下で鍛錬しておるな」

 そして彼はマントを脱ぎ捨てた。

「貴殿との戦いこそ余の誉れ。全力でお相手いたそう」

 夕暮れの光の中、彼は変貌する。



 全身を覆う銀色の毛。鋭い牙。人の魂を凍り付かせるような漆黒の瞳。

 ユーシアは驚きを隠せずに言う。

「あなた……人狼だったんだ……」

「さよう。魔王と名乗るにしては、いささか格落ちの魔族になるがな」



 銀色の人狼に変身した魔王ウォルフェンタインは、普段と変わらぬ声で告げる。

「余とレグラスは辺境の『呪いの森』に住む人狼族の生き残りだ。同族の多くは先代勇者に討たれ、もはや群れを維持できぬほどに数を減らした。それゆえ他国の人狼たちと交わらねばならぬ」



「それには人間の作った国境が邪魔って訳か」

「いかにも。古き人狼たちと異なり、今の我らは人喰いの怪物ではない。ただ静かに暮らしたいだけなのだ。だがこのような話、人の身の貴殿には退屈であろう」



 ウォルフェンタインは拳闘の構えを取った。

「この戦いによって、いずれかがこの世を去る。それゆえ先に申しておく。余は貴殿を尊敬している」



 ユーシアも大剣を構えたまま応じる。

「それは私も同じ。私の人生で、あなたほど高潔な人は見たことがない。だから」

 彼女は大剣を投げ捨てた。地面を震わせて鉄塊がめり込む。

 そして彼女は全くの無防備な歩き方で、白銀の人狼に歩み寄る。



「降参する。あなたを殺したくない」

「なんと!?」

 ウォルフェンタインは驚いた様子で構えを解く。そして目の前に立っている乙女をじっと見下ろした。

「余と戦うという言葉は嘘だったのか?」



「一騎討ちに応じるとは言ったけど、戦うとは言ってないでしょ? 私の命をあげるから、これで名を挙げて一族を救って」

「できる訳がなかろう……」

 ウォルフェンタインは立ち尽くす。



「余は今まで、戦う意志を持たぬ者を傷つけたことは一度もない。それが武人としての誇りでもある。降伏した者は殺せぬのだ」

「じゃあ戦うふりだけするから、軽く殺っちゃおう?」

「それを聞いてできると思うのか?」

「無理だよね、あなたって底抜けにお人好しだから」



 ユーシアは苦笑する。

「んじゃちょっと自害してこようか? 首だけ持って帰ってよ」

 慌てるウォルフェンタイン。

「ならぬ! よせ! 人間たちよ、彼女を止めろ! 一騎討ちは余の負けで良い!」



 しかし辺境騎士たちは首を横に振った。

「俺たちはユーシアの親として、この子の意思を尊重したい。やりたいようにやらせてやってくれ」

「ええい、愚か者どもが!」

 かなり狼狽えているウォルフェンタイン。



「この者の親だというのなら、我が子を正しい道に導くのが務めであろう! ここで死んで何に……」

 そう言いかけ、彼は口を閉ざす。

「いや、何を申しておるのだろうな、余は……。ユーシア殿を討とうとしているのは他ならぬ余ではないか」



 ウォルフェンタインは人狼化を解き、元の人間の姿に戻る。その表情からは、深い後悔の念が感じられた。

 そしてレグラスから受け取ったマントを羽織ると、四天王たちに告げた。

「帰ろう。キュビ、レグラス」

「えっ!? 魔王様!? 勇者と一騎討ちしたいんでしょ!?」

「もう良いのだ。余は間違っていた」



 そう言い切ったウォルフェンタインの表情には、どこか清々しささえあった。

「争う気のない者に争いを挑み、ここまで追い詰めてしまったのは余の愚行。我が身を恥じる以外にない。すまぬことをしたな、ユーシア殿」

「いや、そこで帰っちゃう訳!?」



 ユーシアはキュビたちを押しのけてウォルフェンタインに追いすがる。

「人狼族の未来を守るんでしょ!? 私の命なんか好きに使って……」

「ならぬ。通い詰めるうち、余は貴殿を死なせたくないと思うようになっていた。だがそれを認めるだけの強さも、武名に頼らず実力で未来を切り拓く強さも持っていなかった。余は弱い。弱者に勝利の栄光は似合わぬ」



 そう言って去ろうとするウォルフェンタインのマントを、ユーシアは勇者の豪腕で引っ張った。

「逃がすか! 私の意思を尊重しろ!」

 だがウォルフェンタインも魔王の怪力で振りほどこうとする。



「断る。貴殿には幸せになってもらいたいのだ」

「だったら私を討って名を挙げてよ! あなたの役に立ちたいの!」

「そんなものは幸せとは呼べぬ。もっと違う形があるはずだ」

 物凄いパワーで押したり引っ張ったりしながら、押し問答を続ける二人。



 周囲は呆然としてそれを眺めていたが、やがてレグラスが眼鏡を押さえながら言った。

「あの……魔王様。お取り込み中のところ恐縮ですが、ひとつ提案が」

「なんだ?」

「いっそのこと、その者を四天王にしてはいかがでしょうか? 勇者を服従させたとなれば、討ち果たすよりも武名は轟きましょう。その者も死なずに済みます」



 カッと目を見開いて振り向くユーシア。

「えっ、いいの!?」

「勇者を魔王軍に入れるのはどう考えてもおかしい気がするのですが、これならお二人とも異存はないでしょう。合理的に考えた末の結論です」

 視線を逸らしながらレグラスは気まずそうに応える。



 ユーシアはマントの裾を引っ張りながら、にんまりと笑う。

「だってさ。どうする、魔王様?」

「確かに四天王の座はあと二つ空いてはおるが、魔王の宿敵たる勇者を四天王に任じるなど奇計にも程が……」



「じゃあ自害して首だけ置いてくけど」

「それはもっと困るな……」

 ウォルフェンタインは溜息をつき、それからその場にいる全員を見回して言った。



「皆の者、余の参謀の提案に異論があれば申すがよい。……ないのか? 本当に?」

 騎士たちもキュビも反対しなかったので、ウォルフェンタインは根負けしたようにユーシアに向き直る。



「ではユーシア殿、余と戦ってはくれぬか? 一騎討ちの相手ではなく、余の戦友としてだ。我らの力で平和をもたらそうぞ」

「いいよ。そういうとこ大好き」

 ニコッと笑ったユーシアは、ウォルフェンタインの手をぎゅっと握りしめた。



「これからよろしくね、私の魔王様」

 伝説の幕開けだった。

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