第24話

 セイガランの勇者は呼吸を整えつつ、前方を睨んだ。

「初投を弾いただと……?」

 彼の前方にはセイガランの長槍隊とクロスボウ隊が整列している。ただし大半は森の中に展開しており、全容がよく見えない。

 彼らが前進できるように敵を平らげるのが、セイガラン軍における勇者の役割だ。



 投げ槍を捧げ持つ屈強な兵士が、不安そうに問う。

「隊長、もう一投しますか?」

「初投を察知した上に叩き落とすような相手では、悠長な真似はできん。『軽矢』はもういい。『本矢』をくれ」

「わ、わかりました」



 勇者は手にした棍棒……投げ槍器でヒョイと投げ槍を受け取ると、先端のフックに載せてトントンとバランスを確かめる。

「これは遠投には向かん。芯がわずかにズレている」

「ではこちらを」



 新たに受け取った投げ槍を同様に確かめ、勇者はうなずく。

「よし」

 そして投擲態勢に入ると、辺りが震えるほどの大声を発した。



「我こそはセイガラン王国にその人ありと謳われた勇者、スロヴァンスキ! 魔王が何ほどのことかあらん! くらえ!」

 全身の筋肉が鋼のように引き締まり、投げ槍は空を裂く轟音と共に放たれた。



 会心の手応えを感じて、スロヴァンスキは微笑む。

(さっきのは観測射撃用の『軽矢』だ。だが今度のは鉄芯入りの『本矢』。払い落とせるものなら落としてみるがいい)



 だが次の瞬間、彼はぎょっとする。

「なんだあの軌道は!?」

 投げた槍には目立つ矢羽根がついており、それを見れば軌道は一目瞭然だ。



 投げ槍は放物線を描いて降下を開始し、敵の城壁を越えて突き刺さるコースを取っていた。

 しかし着弾する直前、ふわっと横にそれたのだ。森の木がバキバキと薙ぎ倒され、地響きが伝わってくる。



「あれを弾いたのか!? 常人では持つだけで精一杯の、あの重い槍を!?」

 武器職人たちが体力と技術の限界まで重く作った特注の投げ槍は、空飛ぶ破城鎚として標的を襲う。

「魔王以外考えられん。あそこに魔王がいるのか」



 口元に不敵な笑みが浮かぶ。

「面白い! 魔王と戦ってこそ勇者だ! 遠眼鏡をくれ!」

「ははっ!」

 部下が望遠鏡を持ってくる。レンズで丸く切り取られた視界の中に、威風堂々の怪物が立っていた。狼頭の獣人だ。



「あれは……もしや人狼か? 人狼の魔王など聞いたことがないが……」

 魔王というのは本来、強大な魔族から輩出されるものだ。人狼は確かに強力だが、竜や吸血鬼ほどではない。

 スロヴァンスキは首を傾げる。



「しかし他にそれらしい者は見当たらない以上、さっきの投げ槍を弾いたのは、あの人狼で間違いないのだろうな」

 スロヴァンスキは唸り、そして口元に笑みを浮かべた。

「ならば魔王よ! どれほどのものか試してやる!」



 スロヴァンスキは第三投となる投げ槍を構えると、力いっぱい放った。

 放物線を描いて「落とす」ように投げた槍と違い、今回のはほとんど一直線に「貫く」ように投げる。人間の目では追うことすら不可能だ。



 だが遙か彼方の人狼は、投げ槍を片手で払い落とした。

「むうぅ!?」

 思わず唸るスロヴァンスキ。人狼の魔王はマントを翻し、ゆっくりこちらに歩いてくる。



 これには部下たちも動揺している。

「隊長の投げ槍がまた弾かれた!?」

「勇者の『天雷』だぞ!? 防げるはずがない!」

「でも現に防がれてるじゃないか!」

「これ以上手間取ると、将軍からお叱りを受けてしまう……」

 しかしスロヴァンスキは全く動じず、次の槍を手に取った。



「お前たちも戦士なら、この程度のことでいちいちうろたえるな。相手は魔王だ、一筋縄ではいかんのが当たり前だろう」

 スロヴァンスキは投擲態勢に入りながら告げる。



「将軍にお伝えしろ。『これよりは勇者と魔王の対決、兵法の道理が通じぬ戦いになりますぞ』とな」

 投げ槍器をグッと握り、手の内を締めてから指先で握りの位置調整をする。ほんの一瞬、だがとても繊細な作業だ。



「愚直に投げたのでは軌道を読まれて弾かれる……俺はどうするべきだ?」

 遠くに見える魔王は、豆粒よりも小さい。おまけに林道の周囲は鬱蒼と生い茂った木々だ。森に入られたら捕捉できない。



「ならば!」

 くわっと目を見開き、スロヴァンスキは走る。

「読まれても弾けぬほど強く投げるだけだ!」

 助走をつけ、大きく振りかぶる。全身の筋肉をバネにして、勇者は投げ槍を放った。

「受けてみろ!」



 魔王は林道をまっすぐ歩いている。まるで投げ槍など眼中にないと言わんばかりだ。

 そして投げ槍がその人影を射貫く直前、魔王はほんのわずかに横に避けた。

 背後に着弾した投げ槍が地面を穿ち、土砂を巻き上げる。だが魔王はその土砂を被りもせず、悠々と歩いていた。



「紙一重で避けたか……なんという見切りと胆力」

 スロヴァンスキは背筋に冷たいものを感じるが、同時に胸が熱くなるのも感じていた。

「凄い……凄いぞ! これが魔王というものか!」



 護衛や補助を任されている兵士たちは不安で仕方がないようで、おろおろしている。

「だ、大丈夫でしょうか!?」

「ここまで来られたら我々では魔王を防ぎきれません」

 それをスロヴァンスキは片手で制する。



「落ち着け。先ほども言っただろう。これは兵法の道理が通じぬ戦いだと。とにかく相手は手強い。俺は魔王を射貫くことだけを考える」

「ですが隊長、我が軍は……」

 副官が口を開くと、スロヴァンスキはうなずいた。



「わかっている。俺が突破口を開かんと、戦いが始まらん。だがあの魔王を倒さん限り、突破口が開けんからな。ありったけの『本矢』を並べろ!」

「ははっ!」

 スロヴァンスキの周囲に鉄芯入りの投げ槍がずらりと立てられる。まるで槍の壁だ。



「行くぞ!」

 スロヴァンスキは投げ槍器を握りしめた。


   *   *


「来たか」

 自身を狙ってくる投げ槍を、魔王ウォルフェンタインは紙一重で避ける。

「素直な良い弾道だ。迷いも傲(おご)りもない」

 そうつぶやきながら、じっと前を見つめる魔王。



「それゆえ、避けるのもたやすい」

 さらなる投げ槍をウォルフェンタインは歩いて避けた。

 次々に飛来する投げ槍。森の湿った土が飛沫のように舞う。



 かするだけでも傷を負いかねない凄まじい威力だが、ウォルフェンタインは投げ槍をギリギリまで引きつけてから避ける。

 人狼の動体視力には、遠方から飛来する投げ槍など当たる方が難しい。弾道は完全に読めているし、着弾までの猶予も十分にある。



 もっと言えば、森に身を隠せば投げ槍など最初から当たらないのだが、ウォルフェンタインは射線の通った林道を歩き続けた。

「さて、かの者はどのような表情をしていることであろうな?」

 ヒョイと避けながら、魔王はどこか楽しげだった。

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