余命あと七ヶ月 4

「……まあ、お前の言うことも一理あると思うよ」


 人の子の進言に、しかし神は怒ることなく頷いた。


「神にとって人間っていうのは、数千年かけてもついぞ理解し得なかったものだからな。だからこそ、そのため終活でそのための一年だ」


 神代の始まりから今に至るまで、神様はずっとひとりぼっちだった。それこそが、神のだ。


 菊理の生涯の大半は、人とともにあった。人の世を見守ること。それだけが、の神に課された唯一の使命。にも関わらず、菊理は人間が理解できなかった。


 寿命が尽きるのはいい。世の終わりまで観察するという使命が果たせないことも。だけど、このまま人を理解できずにいたら、菊理の生涯は全て無意味になってしまう。


 だから神は最後に望んだ。人に混じって生きること。人間のように食事をし、人間と共に暮らし、人間のように過ごす。知らない場所を旅して、見たことのない空気に触れる。


 人間にとってごく当たり前の、だけど全知なる神には不要だったこと。


 人間から終活の提案を受けたとき、神は考えた。


 


 つまるところ神さまの終活とは。『人』を知るための最後の旅路なのだ。


「……言いたいことはわからなくもないんだが。そもそもの前提として、数千年間変わらなかったものが、たかが一年、人間と一緒に生活する程度でなんでどうにかなると思ってんだよ」


「一の経験が積み上げた書斎の知識に勝るなんて、よくある話だろうが。菊理の観察はあくまで、この狭い社から依代の中継で情報を処理していただけ。そんなもん、所詮は引きこもって大量の本を読みまくってるのと大差ないだろ。なら、実体験で上書きする余地は十分にある」


 なぜか自信満々な幼馴染に、翔は懐疑的な眼差しを浮かべた。


「……そんなうまくいくもんかな」

「そこを上手くいかせるために、色々頑張ってんだろうが。ていうか、今さらグダグダ言うなよ。お前だってこの件については納得したはずだろ」


「納得はしてない。念の為に言っておくが」

「でも協力するとは言っただろ。報酬だってちゃんと渡したし」

「だからこうして、折角の休日にこんな廃れた神社にまで足を運んでやってんだろうが」

「廃れてるとか言うな」


 主観的にも客観的にも、それはどう見ても揺るぎない事実なのだが。祭神はムッとした。


「そんなことより翔。この見本誌、ページ数の割にやけに分厚くないか? この枚数ならもっと薄くなるだろ」


 神のわがままな指摘に、今度は『編集者』として顔で翔はため息をついた。


「いや、それが普通だから。言っとくけどそんなもんだから。二段組み構成にしてるから、それでもまだ薄い方だぜそれ」


 ククリがあからさまに顔をしかめる。彼は先ほど投げ捨てた本と見比べた。


「えー。だってあっちはもっと薄いじゃん。紙は同じ厚さなんだろ?」

「あっちは! 印刷所が違うんだよ! 商業流通している製本を専門にしてる印刷所と、個人誌を専門にしているところでは、機械の仕様やら需要自体が全然違うんだよ一緒にすんな!」


「そなのか? でも言うて同じ本だろ?」

「お前、今のその一言で世の中の印刷関係者を全部敵に回したからな……考えてみろよ。普段、成人向けジャンル描いてる作家が、同じ本だからって急に児童書の案件ふられても困るだろ」

「あー、そういうやつね」


 ふむふむと神が頷く。しかし仕上がり自体には納得がいかないのか、露骨に不満そうだった。


「でもなぁ……ていうかお前が勧めるからA5版にしたけど、いまいちしっくりこないな。やっぱりこれ、文庫サイズにならない?」

「しね。今すぐ死ね」


「突然神を呪うな。不敬がすぎるだろ」

「お前こそふざけるにも程があるだろ。お前が! ヒメとの原稿をどおおおおおおおおおしてもちゃんとした本の形にしたいっていうから、こっちは休日返上でそのわがままに付き合ってやってるっていうのに」


 翔が険悪に呻くのも無理はない。


 現在、神と人の手によって鋭意執筆中の神社文書。菊理神社の終活の要となるもの。しかし当然ながら、ただ原稿を書いただけでは本にはならない。


 そこで、彼らのために製本作業を担っていたのが翔だった。


 具体的には原稿の体裁修正から表紙選び。タイトル作成や印刷会社とのやりとり、果てはルビや校正、入稿まで。原稿以外の作業はほぼ全て彼がこなしていると言ってもいい。だというのに。


 折角、刷り上がった見本誌を届けにきてみれば、感謝どころか、これなんか思ってたんと違う、などとわがままをほざき始末。これで怒るなという方が無理である。


「人に本作りを全投しておいて、今さら版を変えたいだぁ? ふっざけんなよ。あのな、A5で版組んだ原稿がそんな簡単に文庫版になると思うか? 版が違うから一から組み直さないといけないって、いちいち説明してやらなきゃダメか?」

「えっ、だったら組み直せばいいじゃん」


 神はしれっと言った。


「……なあ、念の為に確認しておきたいんだが、ここにいるお前って本体で間違いないんだよな? 仕留めたあとで、別のお前がリポップしてきたりしないよな?


「なんの脈絡もなく神殺しの決意をするな。メガネのくせに発想が不穏なんだよお前は。いや真面目な話、お前だって僕の本を中途半端な状態で世に出したくはないだろ?」


 さも当然そうに言ってくる相手に、翔は心底嫌そうな顔を浮かべた。


「……俺、お前のそういうところ本当に嫌いだなー」

「あっはっは。嘘つくなよ。お前、僕のこと大好きじゃん」


「いや、嫌いだよ。なんか冗談みたいに流そうとしてるけど、昔から割と本気で嫌いだよ。協力してるからって勘違いするなよ? そこは本心だぞ」

「ツンデレ?」


 神の無邪気な問いかけに、人の子はフー……と、深く深く深く深く、魂までも絞り出すような息を吐いた後で、ボソリと呟いた。


「……死ねばいいのに」

「余命一年もない相手に向かって、なんてひどいことを言うんだお前」

「じゃあ撤回。やっぱり生きろ。永遠に」

「それは無理」


「無理じゃないだろ。お前さえその気になれば——」

「だから無理なんだよ。たとえ殺されようと、僕は。その辺は、最初に散々話あっただろ」

「………………」


 神は晴々しく笑って。

 人は苦々しく舌打ちした。


「まあ、そんなわけだしさ。先の短い友人のわがままだと思って快く引き受けてくれよ」

「……お前のそういうところが、俺は本当に嫌いだよ」

「そうか。けど僕は好きだよ。お前のこと」

「……最悪」


 青年は呪詛のように吐き捨てた。


「……まあ。一度引き受けたことだし組み直しくらいはやってやるけど。お前はともかく、ヒメのほうの原稿はどうなんだ? ていうか、面目な話、間に合うのか?」


「あー………………………………たぶん?」

「なんだその不穏すぎる沈黙は」


 翔の指摘に、神は珍しくややきまり悪そうだった。


「だって僕だって分っかんねーもんよ。自分のことなら、どんなことしてでも間に合わせるって確約できるけど。正直、ヒメがこんなに執筆で苦戦するなんて思っても見なかったし」


「そういうところが爪が甘いんだよな、お前。昔から神目線というか殿上人というか。なんでもかんでも自分を基準に考えすぎなんだよ。言っておくけど。長文を慣れてない奴が十万字を書くって、結構な苦行だからな」


 結構どころか、実は大層な苦行なのだが、神は「そうなんだ」とあっさり聞き流すだけだった。


「……お前なぁ」

「いやまあ、なんとかなるって。ならなくても、なんとかするでしょあいつなら。ていうかさぁ。もしもアイツが」


 神がうっすらと笑う。面白がるような、嘲笑うような、憐れむような。怒っているような。


「面倒だとか苦行だとか大変だとか。そんな当然の理由で、任された仕事を諦めて放り出せるようなやつだったらさ。僕らはそもそもこんなことになってないんだよ」

 

 分かってんだろ? とカタチだけの笑顔で問いかけられてしまえば、人間の選べる道など一つしかない。


「……そう、だな。悪い。失言だった」


「気にすんな。なのでその点も心配ない。泣こうが喚こうが発狂しようが、あいつは絶対に最後までやり遂げる。というか、そのくらいはしてもらわないと困るよ。こっちだって文字通りなんだ。せめて恋文ラブレターに返事くらいは貰いたいと思うのが人情ってもんだろう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

余命一年の神様〜幼馴染の神様がどうやら先に余命を迎えそうなんだが〜 真楠ヨウ @makusu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ