余命あと九ヶ月 4

 結局、その日はそのまま解散となり、片付けが終わるや否や、ククリも人化を解いて元の馬姿に戻った。別にこっちが本性というわけでもないのだけど。最近は馬バージョンの方が見慣れているせいで、やはり馬姿だと落ち着く。


 主にククリの顔が良すぎるのがいけない。無駄に美しい神の顔を見ると、見慣れているとはいえやはり緊張するのだ。


 さて。


 記憶を遡れ、と神は言った。不動さんの怒りを知れ、と。


 思い出す、という行為は私にとってそう難しくない。境界の神である菊理に与えられた記憶の権能は後付けのものだが、後付けだろうと使えるものは使えるし。


 以前、ククリも言っていた通り、私にとって記憶と認識はイコールだ。いやまあ、たまにGWのようなミスがないこともないけど。あれは正確に記憶違いというかただの操作ミスだし。大体ニアイコールだ。


 記憶を掘り返すのは、底のない水中を泳ぐにも似ていた。泳いでも泳いでも、けしてたどり着くことのない水底。沈み続けるうちに、たまに呼吸を忘れる。


 幼い子供のおもちゃ箱のように無造作に積み上げられた記憶の中を、私は順番に調べていく。深く深く記憶の海に潜り続けるうちに、ある夢を見た。

 

 それは今よりずっと昔。神々に置いていかれ、世界でたったひとりぼっちになってしまった神様の記憶だった。


 ◆

 

 神々が地上を去った後も、人の信仰は消え失せはしなかった。菊理がいたからだ。


 ただ一柱、地上に残った神様はその後、多くの人間に囲まれ、かしずかれ、敬われながら神代の終わりを過ごした。


 人はますます増え、その中には時折、神に近しい力を持つ個体もいた。それらは巫女や神官などと呼ばれ、神に次ぐ存在として同種の人間たちに崇められた。それを見て菊理は、いよいよこの世が神から人のものになったのだと確信した。


 しかし特殊個体といえども、所詮は人間。彼らは人より少しだけ神に近い存在だったが、それでも種としての寿命には逆らえなかった。つまり菊理の同胞にはなり得ない。神は常に孤独だった。反対に、人はますます栄えていった。


 人間は、神のように不死の命を持たない代わりに、文字によって意思を、記録を、知識を次世代に伝えていった。個に依らぬ智の継承。刹那にすぎぬ命だからこそ、自分以外の明日を夢見ることができる。それこそが、人という種の強さであり特性だった。


 ある程度、文化が成長すると、人々の中でもその上に立つ者が現れた。長や王と呼ばれる存在は当然のように、地上でもっとも尊き神である菊理との婚姻を求めた。


 権力を持つものが、それを確立するためにより上位者との結びつきを求める気持ちは分かる。だけどそれは不可能なのだ。菊理は大変困惑した。


 いくら姿形が似通っていようと、人と神は異なる存在。不死なる菊理は、けして老いず衰えず変化しない。増えることもなければ、変わることもない。


 ともに並ぶことも、歩むこともできない。

 どこまでいっても違うモノ。 


 仮に菊理と夫婦になったとしても、神と人では子を成せない。神と結ばれることの不毛さを説くと、大概の権力者たちは諦めたものだったが、中にはしつこい者もいた。それらは特に、異能を持つ人間の中に多かった。


 彼らはその異能ゆえ、同種である人間に仲間意識を持てず、人外たる菊理に親近感を抱くようになっていた。それが錯覚とも気づかずに。


 手に入らないものを追うよりも、同じ種族同士で結ばれた方がいい。菊理は心の底から親切心で求婚者にそう告げた。この頃にはもう、菊理はめっぽう人間たちが好きになっていた。


 菊理にとって、ヒトは瞬きの間に生まれて消える儚い命ではあったが。その目まぐるしさは、時に嵐のように鮮烈で。いつでも飽きることのない新鮮な驚きを与えてくれた。


 そんな彼らを眺めることだけが、菊理に残されたこの世で唯一の楽しみだったのだ。


「理解しておられぬのはあなた様の方だ。私はただ、あなた様自身をお慕いしているだけなのです。たとえあなた様が、この愛を理解してくださらぬとも」


 数十年ほど経ったあと、風の噂で件の求婚者が死んだと聞いた。生涯、伴侶を取らず独身のまま寿命を迎えたと。菊理はとても悲しんだ。



 

 毎年、咲いては散る花を惜しむような。そんな悲しみだった。

 

 ◆


 結局、あれからどれだけ記憶の海を掘り進んでも、原因となるものは見つからなかった。ついでに変な夢も継続中だった。おかげで今日も寝不足だ。


 正確にいえば、不動さんとの過去を思い出せないわけじゃない。その気になれば、出会ってから今までに交わした会話の全てを誦じることもできる。だけど。


 その中に、どうしても彼女が怒る理由とやらが見つけられないのだ。


 いっそ本人に聞くかと思ったけど、それが悪手なことはいくら私にでも分かる。


 かといって、ソワソワと『そろそろ分かったか? 教えてやろうか? やれやれ、やっぱりお前は僕がついていなきゃなにもできないなぁ』と言わんばかりの表情で(どうでもいいけど、表情の情報量が多すぎてうざい。ぬいぐるみのくせに)こちらを伺ってくる神が大変に腹立つので、ククリに尋ねるのも却下だ。


 そんなわけで、職場の人間関係は相変わらずだ。今日も「早く大石先生の原稿、提出しなさいよね」と念押しをされたりしたが、締切までまだ若干の猶予があるので、ギリギリ恩赦を受けられた。


 その後、ダッシュで池原さんのもとに行ったところ「できてるよー!」と、相変わらず人懐っこい笑顔で原稿の束を渡してくれた。受け取ったとき、なにか違和感があった気がしたけど気のせいだろう。


 その足で不動さんにしずしずと原稿を献上したところ「今回は早かったじゃない」とお褒めの言葉までいただいけた。


 夏の日差しは相変わらず凶悪で、生きているだけでこちらのライフゲージをジリジリと容赦なく削ってくるが、それはまあ毎年のこと。


 GWには、慣れない社会人生活や新しい環境でドッタンバッタンしていたが、入社して三ヶ月も経てば、仕事のペースにも慣れてくる。人間関係がうまくいかなくても、仕事をしなければお給金も貰えない。


 働かざるもの、食うべからず。

 世は全てこともなし、とは言い難いけど。


 なにもかも、全部がうまくいくなんて幻想だ。そういう意味では、そこそこ順調に私の人間生活は続いている。そう思っていた矢先のことだった。

 



 ——事件が起こったのは。

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