余命あと九ヶ月 3
翔の意外な言葉に、私は素直に驚いた。
「エッ」
「だって話を聞く限り、別に君は悪くないだろ。むしろ君のおかげで、間違ったままの本が世に出るのを防げたんだから。それでヒメに怒るのって、ただの逆ギレだよ」
「で、でも今、翔も自分でも怒るって……」
「そりゃキレるさ。でもその場合、不出来な仕事をした自分の無能さについてであって、君に対してじゃない。俺はどちらかというと、不動さんもそういう人だと思うよ」
「………………」
「確かに、君の推測する原因はすごく分かりやすい。分かりやすいし、納得もしやすい。だけど人間っていうのは、そこまで単純じゃないんだよ」
だから、もし本当に怒られてるなら、別の理由があると思うけどなぁ。
完全に想定外だった翔の言葉に、私は言葉に詰まった。
そんな私が、よほど途方に暮れているように見えたのか。翔は少しだけ表情を和らげ、フォローの手を差し伸べてくれた。
「そう難しい顔して、考え込まないで。大丈夫。昔から、困ったときの神頼みっていうだろ。ちょうどここに神様がいるわけだし」
「……その格言で、本当に神に直談判する例ってあるか?」
話を振られた神様が、心底嫌そうにうどんをすすった。うどん美味しいのに。
「だってお前、ストラップのふりまでしてストーカーよろしく毎日ヒメに同行してただろ。あの馬状態でも、目や耳は機能してるんだろ?」
「……してますけど」
「だったらお前なら気づいてるんじゃないか? 不動さんがヒメを邪険にする本当の理由に。お前、そういうの当てるの得意だろ」
なにせ趣味が人間観察なんだから。翔の言葉に、私は思わずクルッと勢いよくククリを見た。その視線から逃げるように、同じくクルッとククリが視線を逸らす。目が合わない。
逸らした視線を追いかけるように、もう一度ぐるっと回り込んで顔を覗き込む。ようやく根負けしたのか、如何にも不服そうにククリが口を開いた。
「いや、まあ……予想くらいはつくけど」
「ついてたんですか⁉︎」
神からの突然の裏切りに、私はつい声を張り上げてしまった。
いや、相手からすれば裏切ったつもりもないのだろうが、さすがにこれは青天の霹靂というかなんというか。分かってるならもっと早く言ってくれよ、と言う感じである。
しかし神は、人の嘆願にしばし悩みの表情を浮かべるも、やがて静かに首を振った。横に。
「んー……でも、やっぱり駄目だ。教えてやらん」
「え、なんで? 性格が悪いから?」
「……神に不敬なことを言うのはこの口か」
私のストレートな感想に、ククリの腕が伸びてきて、私の頬を手加減なく引っ張った。みょーん。痛い。
「そうじゃなくて。ちょっとは自分で考えろってこと。いま僕に聞いたら、それは答え合わせじゃなくてただのカンニングだろ」
神の沈黙は嫌がらせではなく存外、ちゃんとした理由があったらしい。ククリの麗しい顔が、逃げるのをやめてひた、と私を見据える。
「あのな。怒りっていうのはそいつの個性だ。怒りに限らず、喜怒哀楽っていうのは人間が生きていく上で、一番重要な指針となるものだ。何を喜び、何に怒り、何に悲しみ、何を楽しむのか。そこにもっとも、ヒトしての在り方が現れると僕は思う。だけどお前は、その理由を知ろうとしない。自分には理解できないものだと、最初から諦めているからだ」
「別に、諦めてるわけじゃないけど……」
「あるんだよ。だってお前、あそこまでバチボコに邪険にされておきながら、微塵も傷ついてないじゃん。普通の人間ってのはな、人に嫌われれば多少なりとて傷つくんだ。他人の悪意を受ける、というのはそれだけで心身を削るデバフになる。その怒りが正当であれ、不当なものであれな。賭けてもいいけどお前、仮に不動ってのから逆ベクトルの感情を向けられても、同じ反応するだろ」
それは質問ですらなかった。確信を持った断定だった。そして私も、反論はできなかった。
「他者の感情に、いちいち向き合うのは大変だけどさ。誰かに怒られても気にしない、傷つかないってのは心の広さというより無関心の現れだよ。無関心が悪いとは言わないし、それも生き方の一つではあるけどさ。お前の場合はもう少しばかり、相手に踏み込んで見た方がいい。少なくとも、社会人としてやっていくつもりがあるならな」
周囲との軋轢をなくすのも、社会人の仕事の一つだろう。社会人経験など、およそ経験したこともないであろう神の至言に、私は黙り込むしかなかった。
「……そう言うからには、やっぱりもう、お前の中には答えがあるんだな。不動さんの怒ってる理由について」
「さっきも言ったが予想くらいはな。一つだけヒントをやる。僕の推測が正しければ、不動の態度の原因はお前だぞヒメ」
「私?」
まっすぐに指差されて、思わず聞き返す。神は然り、と頷いた。
「ああ。お前には悪いが、これに関しては僕も彼女の味方だ。お前の言動の、一体何が彼女の逆鱗に触れたのか。もう一度しっかり自分の記憶を遡ってみろ」
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