余命あと九ヶ月 2
「ハァ、夢だぁ? 知らん。そんな話を僕に聞かせて、どうしろって言うんだお前は」
人の子からの真摯な相談を、神は一刀両断で切り捨てた。
本当に清々しいほどのバッサリだった。
介錯のような容赦のなさだった。
「強いて理由を探すならそうだな……夢っていうのは本来、覚醒中に見聞きした情報の整理を行う過程で発生するものとされている。脳の中にはライブラリーがあって、その中でジャンル分けをするんだな。職場の記憶、日常の記憶、友人の記憶、みたいに。その整頓を行う際、内容確認のために再生をすることがあって、それが夢と呼ばれるものだ。要するに、自分メイドのドキュメンタリーみたいなもの。だから当然、過去の記憶——経験も出てくる」
トトトトトトトン。歴戦のプロ主婦もかくやという腕前で玉ねぎを刻みながら、ククリはそんなことを言った。腰骨のあたりかにょっきり生えたふさふさの尻尾、そして形の良い頭頂部からピンと伸びた耳が、リズムに合わせてゆらゆらと揺れる。
「特にお前は最近、終活の編纂で昔の記録を参照する機会が多いだろう? だから、それが夢に影響を与えること自体はおかしくはない。夢なんて大抵は起きれば忘れちまうものなんだが、そこはまあ、お前だしな……翔、そこの味醂取って」
「はいよ。ところで、このトマトはどうする予定?」
「賽の目に切って、大葉とツナであえる」
「わかった。じゃあそれは俺がやるよ」
「了解。なら僕はつけ汁作るわ」
などなど。
さほど広くはない我が家のキッチンで、エプロン姿の人と神がテキパキと忙しなく働いている。互いに声を掛け合い、息を揃えて働き続ける様はさながら長年連れそった熟年夫婦、あるいは達人同士の舞踏のようだった。
料理を作っている以上、当然ながら今のククリはマスコットではなく人型だ。ただし以前のような、完全な人化ではない。なぜなら、その頭と尻から人間には絶対にないものが生えていたからだ。
そう。馬の耳と尻尾である。
GWの一件以来、料理の美味しさ楽しさに目覚めた私だが、悲しいかな。たとえ魂が真実に覚醒しても、腕前はついてこなかった。
美味しいものを食べたい。でも買うと高い。ならば作るしかない。当たり前の結論だったが、今まで自炊をしたことのないど素人に、そう簡単に美味しい料理が作れるわけもない。
そこで一肌脱いだ——いや、人肌まとったのがククリである。
家の中では比較的、自由に動けるククリが人に化けて料理を教えてくれることになったのだ。とはいえ、神の余命はそもそも神気の枯渇によるものだし、人になるにも神気を使う。
なので教えるといっても週一程度。ついでにいえば旅行のときのような完全人型バージョンではない。が、この姿のまま外を出歩くわけでもないので、そこは別に問題ない。
そして今日はその料理教室の日。会社の帰りにたまたま遭遇した翔と、一緒にご飯でもという流れになり、そのまま我が家にやってきたという次第である。
玄関先で馬耳尻尾つき和装姿のククリを目にした翔は「本当に耳が生えてる……」と慄いたりしたが、カルチャーショックはその程度で済んだ。
考えてみれば、昔からの付き合いとはいえ、神社にいるときのククリは完全な人形なので、彼がこのバージョンを見るのは初めてだったかもしれない。
「だいたい、なんだってわざわざ花金に人の家にやってくるんだよお前も。普通。こういう日はもっと他に過ごす相手とかいるだろ。恋人とか職場の友人とか」
「だから『仲のいい職場の後輩』と飯でも食おうかなって誘ったんじゃないか」
「空気読めって言ってんだ。こっちは人化するのだってタダじゃないんだぞ」
「だったら馬のままでいればいいだろ。耳とか生やしてあざといんだよ」
まあ、たとえ長い付き合いであっても、別に仲良しこよしとは限らないのだが。
喧嘩するほど仲がいい、というべきか。彼らは互いにぶうぶういいながら、並んで料理を作っている、文句を言い合いながらお互い、自然に役割分担をしているのは、さすがというべきか。
ちなみに私も手伝いを申し出たが、一度に三人もキッチンに入るとなると狭すぎる。よって、戦力外である私は、両者に『邪魔だからすっこんでろ(意訳)』と言われて追い出されてしまったのだ。
まったくもって遺憾の意だがそれはそれとして、こうして働く彼らをリビングで見守る、というのは存外、悪くない。
神と人。まるでタイプの異なる男たちが、協力一致して私のためにごはんを作っている。その事実だけでなんというか、まるで世界の頂点にでも立った気分に……。
「なるな」
「急に地の文を読まないで」
圧倒的支配者の心境にひたっていたら、突然ククリに独白部分を読み取られた。
いや、本当にどうやって読んだんだ今の。
表情どころか、こっちに背中向けていたはずなのに。
「お前の浅はかな考えくらい、顔を見なくてもお見通しだっての。何年越しの付き合いだと思ってんだ。ほら、料理できたから阿呆な思考してないで運んで運んで」
「はーい」
今日のメニューは夏らしく、冷やしうどんだ。それと、大皿に盛り付けられた薬味たち。ねぎや胡麻をはじめ、錦糸卵にほうれん草、トマトの大葉和え、千切りの人参に、鶏ハム……などなど。それだけでおかずになりそうな各種の具材が、花のように綺麗に盛り付けられている。なかなかに圧巻だ。
「夏場っていうのは、ただでさえ食欲が落ちやすい。そこでおすすめなのが冷凍うどんだ」
「素麺じゃなくて?」
濃い目のつけ汁はこれまたククリの手作りで、関東らしいカツオ出汁だ。見た目こそ色が濃いが、食べるとそこまでではない。濃厚な出汁の香りと旨味がたっぷりと滲み出た、すっきりとした味。
「素麺はいかにも夏の風物詩、みたいに言われてるが、実際にあれ作るには、大量のお湯をぐらぐら沸かさないといけないだろ。それだけで暑いし疲れるじゃん。その点、冷凍うどんなら火を使わずに、レンチンすればすぐ食べられる」
暑い、疲れる、時間もかかる、だと食べる気も作る気もなくすだろ。と神は仰せになった。
「人間は汗をかくだけで疲労するからな。かといって、ただでさえ体力を消耗しやすい夏場に、食わずにいたらあっという間にダウンする。そういう意味でも麺類ってのは夏場におすすめなんだよ。汁の味が濃いのもあるけど、うどん自体にもかなり塩っけがあるからな。汗で失った塩分を補いやすい」
「ふぅん……俺もあんまり自炊はしないけど、最近の冷凍食品って結構、美味いんだな」
「ああ。茹でた麺をパック詰めしてある流水麺も便利だが、僕のおすすめは断然、こっちだね。急速冷凍のおかげでしっかりコシも残ってるから、茹でたてと比べても遜色ない。おまけに和洋中、どんなアレンジでもきくし、具材を変えれば栄養もしっかり取れる」
ククリは誇らかに胸を張った。言っていることは正しいのだが、人の世に最後に残った一柱というより、ちょっと賢い主婦が授ける生活のワンポイントアドバイスのような知恵だった。せっかくなので、記憶しておこう。
だけど確かにククリの言う通り、もちもちとコシのあるうどんは喉越しよく、濃いめの汁につけるといくらでも入ってしまう。合間にツナやトマトを入れてみれば、これまたがらりと味が変わる。気づけばいつの間にか、トリオで結構な量を食べてしまっていた。
「それにしても、不動さんが俺のポジションを狙ってたなんて、知らなかったよ」
洋風アレンジが気に入ったらしい翔が、どばどばとめんつゆにトマトを入れる。大葉と聞くと和の素材なのに、オリーブオイルを使うだけで一気にバジルっぽくなるから不思議だ。こういう使い方もできるんだ。これも、記憶に保存しよう。
「そんな呑気なこと言ってていいんですかねぇ。ウカウカしてて、せっかくのドル箱作家様の担当の地位を獲られたらどうするんだ? ヒットメイカーさんよ」
「それはさすがにないでしょ。確かに不動さんは優秀だけど、俺のポジションを引き継ぐにはまだ力不足感は否めないし。俺もまだ当分は現場で働きたいし。なにより——俺以外の誰かに、彼の担当なんてできるわけがない」
その一瞬だけ、確かな自信をにじませて。
翔は珍しく断言した。
「……そんなことより、俺はヒメの方が心配だよ。聞いた感じ、不動さんとうまくいってないみたいじゃない?」
「あー……まあ……ウン。それは……」
ずるずるとうどんをすすりながら、はてどう誤魔化したものか、と悩むが。ここまで話しておいて、いまさらどう誤魔化しようもなかった。
そんな浅はかな私の思惑を見抜いたのか、フン、と神が尊大に鼻を鳴らす。
「こいつの対人能力が低いことなんて、昔から分かりきってたことだろ。僕としてはむしろ、予想通りの範囲ではあるがね」
「ヌ」
箱入りだからなぁ、お前。ククリの声には呆れと心配が三対七ぐらいで含まれていたが、それでも反論できないのが悔しいところだ。
神様、神職、氏子総代の幼馴染トリオとして、昔からひとくくりにされがちな私たちだが、実はこう見えて過ごした時間に若干の差がある。
トリオの中でも幼い頃から社交的で活発な翔は、引く手数多でいつも誰かと外で遊びまわっていた。対して、昔から外遊びの苦手な神代さん家の子供は、仕えている神社の神様くらいしか遊び相手がおらず、結果として、彼らは幼少期の大半の時間を一人と一柱で過ごしていた。
なのでトリオというより、正確には一人と一柱、プラスもう一人、という感じなのだ。
氏子総代とはいえ、翔自身は神様にも終活にもあまり関心はない。
しかしそんな事情なので、私が職場で人間関係に苦労しそうと言われても釈明の余地はない。人間経験が浅いのは事実だし。だけど。
「そうは言っても、不動さんの件はある意味、仕方ないっていうか……もう半分くらい、諦めかけているというか」
あれだけハッキリ盛大に嫌われている以上、関係修復も難しいと思う。そう言うと「簡単に諦めるなよ」と神から叱責を受けた。
「そもそもの問題として、一体なにが原因なの? 俺の知ってる限り、不動さんは理不尽に人を嫌うタイプではない気がするんだけど」
「……ええと。校了原稿ってあるじゃない。印刷所に入稿する前のやつ」
「ああ、あるね」
原稿とは、ライターさんが書いてハイ終わり、ではない。初稿を『書き上げる』までが初めの一歩だ。
その後、編集のチェックや校正やら、様々な関門を潜り抜け、最終的に内容に問題がないよとなった段階で、ようやく『校了』となり印刷会社に入稿する。そこでやっとひと段落、となるのだが——
「入社初日に、仕事を案内してもらったときに、サンプルとして校了原稿も見せてもらってね。そしたらそこに、歴史的背景の間違いを十三個ほど見つけてしまいまして。その場で全部指摘した結果、入稿スケジュールを大幅にずらしてしまいまして……」
私の告白に、翔はいなごの佃煮だと思って食べたら、ゴキブリの死骸だったと気づいたような顔になった、
気持ちは分かる。
校正や編集まではともかく、校了段階となった原稿は普通、ずらせない。本を刷るためには印刷機が必要だし、刷らなければいけない本は一冊ではない。機体のスケジュールを抑えている以上、基本的にデッドラインは絶対なのだ。
あのときの不動さんの死相といったらなかった。ジャンルが歴史書だったことも運が悪かった。菊理は人の世の歴史を見守るべく、この世に残った最後の一柱。だけどその真価がまさか、あんな形で発揮されるとは思ってもみなかったのだ。
なるほどなぁ、と翔は神妙な顔で頷いた。
「確かにそれは、俺でもキレるかも。でもねヒメ。不動さんが怒ってるの、多分それが原因じゃないよ」
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