余命一年の神様〜幼馴染の神様がどうやら先に余命を迎えそうなんだが〜
真楠ヨウ
プロローグ
——ついに完成した!
私は胸中で歓声をあげた。もしスキルがあれば、口笛の一つも吹いていたに違いない。いや、実際に試したところ、唇から漏れたのはふひょー、という間抜けな音だけだったけど。
ここに至るまで、思えば長い道のりだった。
完成させるたび、どこぞの性悪な神からダメ出しをくらい、直してはまた喰らい、挙句の果てに修正案を提出すれば『うーん。まあ……これはおまけして四十点くらいの出来栄えだな』などと酷評される始末(ちなみに千点満点評価だそうだ。ふざけるな)。
だがそんな過酷な日々も、ついに今日で終わりを迎える。今回は私にとっても間違いなく、生涯最高の出来栄えと言っても過言ではない。生涯一で——唯一の。
となれば、こうしてはいられない。
今しがた完成したばかりの『それ』を抱え、そそくさと身支度を整える。おろしたてのコートはつい先日、寒さに負けて衝動買いしたものだ。袖を通しながら、ふと呟く。
「始めた頃は、まだ三月だったのになぁ……」
いつの間にか、季節が三つも巡ってしまった。だけどまだ、間に合うはずだ。
彼と約束をしたのは今年の春のこと。
神の余命が尽きるまであと数ヶ月の猶予がある。
だから私は一心に駆ける。息を切らして鳥居をくぐり、神様に会いにいく。
人の世に残った最後の一柱。この世界でひとりぼっちの神様の終活を、成し遂げるために。
◆
「シュウカツ……就活?」
「違う違う。そっちの就活じゃなくて、終わりに活動の活と書いて『終活』。余命間近になった人間が、自分の身辺の整理をしたり、生きている間にやり残しを叶えたりすること」
まさに余命間近の神にこそ相応しいものだ、と人間は言った。
「なにせ御身はこの
となれば当然、この世で過ごした時間も膨大なもの。一つ一つは細かであれど、積み重なった雑事の多さたるや、人間の比ではない。遺される者たちのためにも、それらを整理すべきだ、と。
人間の言葉に神はなるほど、と頷いた。確かにそれは一理ある。では具体的にどのようなことをすればいいのかと尋ねると、人間はあっさり言った。
「未練を晴らす」
「未練?」
「そう。今までにできなかったこと。やってみたかったこと。果たせなかったことを一つずつ消化していくんだよ。リストとか作って」
人間の言葉に、神はほんのり困り顔を浮かべた。なにせ神は、この神社に祀られてから本当に長い年月を過ごしてきたのだ。今更、やり残しなどと言われても思いつくことはほとんどない。
「いや、一つくらいはあるでしょ。例えば——人間になってみたい、とか」
神は苦笑してあっさり言った。そんなことできるわけない、と。
「別にできなくてもいいんだよ。実際のできるできないは関係なしに、とにかくまずはやってみたいことを並べる。できるかどうかはその後で考える」
そんなのでいいのか?と尋ねると、そんなんでいいんだよ。と人の子は答えた。どうせ死なんて誰にとっても一度きり。正解なんて確かめようがないんだから、好きにやればいい、と。
「それに現実問題として、神様が下手に未練とか残して
予想以上に割と切実だった人間サイドの事情に、神は頷いた。そういうことなら是非もなし。
こうして、余命一年となった神様と人間は、終活に励むこととなった。
◆
そんな約束を一人と一柱が交わしたのが、今から約一ヶ月前。桜舞散る春の終わりこと。その後、私たちがどうなったかといえば——
「……もう、ダメです」
「いや、挫折するのはっや。終活初めてまだ一ヶ月しか経ってねーじゃん」
ようやく残業を片付けて、自宅のマンションに帰宅するなり、力尽きてばったり倒れた私ことヒメの後頭部に、心底呆れ果てた声が降り注いだ。蜂蜜にたっぷりの砂糖をまぶしたような、低く甘い声音。
「そんなこと言ったってー。疲れたー。疲れたよー。社会人生活がこんな大変だなんて聞いてないよー」
「日々の糧を稼ぐための労働活動が、楽なわけないだろうが。ほら、泣き言喚く前に、まず帰宅したら手洗いとうがい。そして上着がシワになる前にハンガーにかける」
「お母さん……」
「母じゃない。神だ」
そんな傲岸で不遜な言葉とは裏腹に、倒れる私の視界に映ったのは、丸くてぶっとい馬の脚だった。ノロノロと視線をあげると、そこにいるのは先ほどのイケボとは不似合いな、妙にまるっこく愛らしい馬のぬいぐるみ。うま。馬である。UMAではない。
何を隠そう、この直立歩行して喋る馬こそ本人(本神)の言う通り、人の世に残った最後の一柱にして菊理神社の祭神ことククリその御方なのだ。
なんで狐でも鴉でも狛犬でもなく馬の姿なのかというと、菊理神社の
本神曰く愛らしいマスコット姿だそうだが、神としての威厳はゼロ。しかし、そんなナリでも声だけはいいので、ギャップがすごいし属性の多重性もすごい。なにせ馬でぬいぐるみで三頭身でイケボでその上、神様だ。ちょっと盛りすぎな気もする。
どうしてその神(馬)が私の自宅にいるのかというと、ひとえにそれは私と彼が今年の春に交わした、とある『約束』のためだ。
「ときにヒメ、今日はこの後どうする? 風呂か飯かそれとも——」
「うーん……先にお風呂かな。いまご飯食べたら寝落ちしそう」
時刻はすでに夜の十時。昼休み以降、何も食べてないので肉体は空腹を訴えているが、疲労した精神がそれを面倒くさいと感じている。馬(神)はそうか、と頷いた。
「なら風呂入る前に今日の原稿を出しておけ。僕がチェックしておくから。あとスキンケア忘れるなよ。お前、ときどきサボってるだろ」
見抜かれている。さすがに八百万の神ともなると、浅はかな人の行動などお見通しらしい。
「いや、別に神でなくても肌見れば一発で分かるから——っておい馬鹿! ここで脱ぎ始めるな! 着替えは脱衣所行ってからやれっていつも言ってるだろう!」
神の叱責から逃れるように、私はそそくさと風呂場に向かった。
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