哀/愛

余命あと七ヶ月 1

 夢を見た。


 人の世が発展するにつれて、世界はゆるやかに、しかし確実に変容していった。同時に、菊理も自身の衰えを感じた。理由は神気の枯渇によるものだ。


 新しい支配者は神と違って神気を必要とせず、ゆえに彼らの数はますます増えていった。太古の時代、生物にとって猛毒であった酸素が地上を満たしたあと、酸素に適応した生物が生まれたように。


 神気のない世界では、神は存分に奇跡を起こせない。それだけでなく、体が思うように動かず息苦しい。菊理は次第に、神社の神域から出られなくなった。同時にここに至ってようやく、神々が地上を去った理由を理解した。


 。彼らは。


 遠からず地上が人のものになると悟った彼らは、しかしそれを認められなかった。だから体裁をとるため、菊理だけを地上に残した。『見届ける』なんて大層なお題目をつけて。


 だけど、いまさら気づいたところでもう遅い。


 神社から出られなくなった菊理は、仕方ないので自身の代わりに神使を放って世の観測を続けた。


 神々の真意を知った今、もはやこの役目にも意味はない。誰にも読まれない記録など、字面に描いた落書きとおなじだ。だけど他にやることもない。


 だって菊理はこのためだけに、世界でひとりぼっちになったのだ。

 だって菊理はこのためだけに、たったひとりで生き残り続けてきたのだ。

 

 この世に残った最後の神。その一柱は、ゆっくり寿命を迎えようとしていた。

 

 ◆

 

 神様と終活を初めて、早くも半年近くが経過していた。


 その間に私たちがやったことといえば『買い物をする』『手料理を作る(食べる)』『自分でお金を使ってみる』『公共機関に乗る』などなど。

 我ながら正直、たった半年で成し遂げたとは思えない素晴らしい成果だと自負している。


「うーん……だけどやっぱりこれだよなぁ……」

 床上をごろんごろんとローリングしながら、私は手に持ったノートをマジマジ見つめた。表紙のタイトルは『終活リスト』。これだけ多くの実績解除を誇る中、一ページ目にはいまだに未達成の項目がある。


『旅をする』

 

 神気の枯渇により、神が神域外の活動を封じられて久しい。その神様にとって『旅行』とは未練の最たるものだ。つまり終活におけるメインイベント。


 前回はうっかりたまたま、不幸な偶然によって残念ながら中止となってしまったが、残暑もそろそろ収まり、世はシルバーウィークとか呼ばれる時期に差し掛かっている。かくなる上は、リベンジのチャンスではなかろうか。


 夏が終わったとはいえ、紅葉にはちと早い。ここはやはり、当初の予定通り出雲に……いやいや、まだ時間はあることだし、折角なのでもう一度プランの練り直しを——


「ぬぁに百面相してるんだ?」


 と、そこへ。


 突然、ふさふさとした毛玉が目の前に現れた。少し離れて視界のピントを合わせると、眼前にいたのはお馴染みの神様だ。


 顔面とノートの間に潜り込んだ馬は、不思議そうに首を傾げた。


「終活リスト? 今さらなんでこんなもん見てるんだ?」

「んー、ここ。なかなか埋まらないなぁと思って。ホラ前回、予想もつかない不慮のアクシデントで急遽、延期になったじゃない」

「ああ。お前のブッキングミス」

「予想もつかない不慮のアクシデントにより、延期となったわけですが」


 大事な部分なので、二度繰り返した。

 ククリは何も言わなかった。納得したのだろう。


「そろそろリベンジしてみていいかなって。時期的にもちょうどいい季節だし」

「ああ。いいんじゃないか? それで何をそんなに悩んでたんだ?」


「行き先どうしようかなぁって」

「? 出雲じゃダメなのか? 他にどこか行きたいところでも?」

「うーん、具体的にどこってわけじゃないんだけど……」


 以前、旅行先を出雲に決めたのは、神の終活という目的に一番相応しいと思ったからだ。創世の母神でああるイザナミの身罷られた地。この地上で一番最初に神を失った場所。


 最後の一柱が終活で訪れるのには、まさにうってつけ。最初はそう思っていた。だが——


「この前、不動さんと旅行の話をしたんだよ。そしたら、京都がおすすめよーって言われて」


 彼女自身は根っからの東京育ちだが、なんでも母方の実家が西のほうにあるらしく。あれこれと紹介してくれたのだ。


「そこでまあ……折角だし、どうせ行くなら出雲に拘らず別の候補を検討し直してもいいのかなー、なんて」


 チラリとククリを窺ってみるが、生憎とぬいぐるみなので顔色なんてものはない。だけどなんとなく、いつもより不機嫌そうにも見えた。


「……やっぱ、嫌ですか?」


 前回の旅先は、ククリと相談して決めたものだ。もちろん、私の独断で変更していいわけがない。ただ、ククリの様子は単純な反対とは、少し違うようだった


「嫌ってわけじゃないだけど……お前が、会社の先輩とプライベートな雑談するまで仲良くなれたんだなぁって、ちょっと感動してた」

「親みたいな目線だ……」


「あと単純に最近、お前があの不動ってやつにやたら懐いている気がして面白くない」

「心の狭い意見だ……」


「こんなに早く独り立ちするなんて、正直思ってなかったからな」

「ククリが一体なにモノの立場で話をしているのかが分からない」


 親なのか神なのか、それとも別のなにかなのか。

 私の呟きに、彼は平然と答えた。


「はぁ? 今さらなに言ってんだ? 僕はお前のものだろ。残念ながら、お前は僕のものじゃないけど」


 早くそっちも同じになればいいのに。ククリは小声でそんなことを言った。いや、馬になるのは御免被りたい。


「——で、話を戻すけど。僕としては行き先なんてお前の行きたい場所でいいぜ。京都に限らず、北海道でも沖縄でも。なんならフィンランドでもオーストラリアでもいい」


「海外はちょっと……ていうか、ククリはその辺こだわりとかないの?」


「いんや別に? しいていえば、行けるのならどこでもいい。僕にとって大事なのは、行き先ではなく『お前と旅をする』という目的のほうだからな」


 行き先は別に、とあっさり言われてしまえば、そんなものですか、と納得するしかない。


「まあ、行き先を変えるとなると、またあれこれ一から下調べしなきゃならないけどさ」

「あ、その辺はまっかせて! 不動さんにいろいろ教えてもらったし」


 主に穴場スポットとか、地元の人しか知らない美味しいお店だとか、他にもあれこれ。私がグッと太鼓判を押すと、ククリもそうかと頷いた。正確にはぬいぐるみなので首はないのだが、モフッとそのような動作をした。


「じゃ、旅行に関してはお前に任せるとして——任せていいんだよな? 今度こそ」

「お任せください、必ずや成し遂げてみせましょう」


「やる前から失敗するフラグを立てるな。まあ、そっちはいいや。いいにしよう。だけどヒメ。終活の未達成リストっていうなら、もう一つ忘れてるものがあるだろう?」

「ぎくり」

「オイ」


 ククリの指摘に、私は思わず身をすくませた。馬の円な瞳が、途端に半眼になる(ならない)。


「ヒメ」

「……はい」

「そこに座りなさい」

「ハイ」


 馬の命に従って、私は粛々とソファに腰掛けた。やばい。この声のトーンはガチめのお説教モードだ。

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