余命あと七ヶ月 2
ククリは向かいの席——と見せかけて、ローテーブルの上にある人形用のソファに腰掛ける。ククリの小さすぎる頭身では、向かいに座ると椅子の陰に隠れてしまうからだ。短すぎて物理的に脚は組めないものの、どっかりと椅子にふんぞり返った姿は、ぬいぐるみとは思えない迫力と圧力だ。
「さて、ヒメ。僕らはこの終活にあたって、一つの約束をしたよな? 菊理神社の今日までの歩み。それを編纂した本を作ろうと」
「はい」
「神と人、双方の視点でまとめられた神社文書。菊理神社がなくなる今、それは僕らにしか書けないものだ」
「はい……」
ククリの言葉に自然、気が重くなる。
それは終活にあたり、最初にかわした人と神の約束事だ。
八島の神社には大抵『神社文書』と呼ばれる歴史書が編纂されている。中でも菊理神社の神社文書はものすごく分厚い。分厚いだけでなく、内容も極めて細かく正確だ。なにせ、文字通り歴史の生き字引である本神が書いているのだから。
しかし祭神が余命間近となった以上、文書も完結しなければならない。始まりがあれば、終わりもある、それがどんなことであれ。
完結自体に異論はないが、問題はその終わりに神様の終活と人の視点まで含まれる、ということだ。
一応、建前としては『菊理神社の記録書である以上、祭神の終わりまでを記すのは当然だし、終活を人と成す以上、双方の視点が必須である』とのことなのだが。
理屈は分かるが、ぶっちゃけると面倒くさい。
ただ情報を羅列するだけならともかく、ククリの指導はやたら細かいのだ。やれここの情景描写がたりない、やれここは説明不足だ。やれ、この展開に至る感情動機が開示されていない、などなど。
別に作家になるわけでもあるまいしと言えば、引き受けた仕事に手を抜く気かと言われるし。
ならばと改稿を頑張ってみれば、そのたびに容赦なくダメ出しを喰らう。
そんなこんなをかれこれ半年ほど繰り返せば、流石にうんざりもしてくる。
なので、原稿の進捗はあまり順調とは言い難い。ククリはお説教モードのまま続けた。
「別に僕は一から十まで全部を事細かに書き記せとは言ってないんだ。前にも言ったが、それはただの歴史書だ。僕らが書き上げるのはその裏にある物語。この終活で人と神がそれぞれ、互いに何を感じ、何を思い、何を成したのか、だ」
余命一年となった神様が、最後の時間をどこでどう過ごし、どう人間たちと触れ合ったのか。
何を喜び、何を怒り、何を悲しみ、何に楽しみを見出したのか。
それを持ってして、菊理神社文書は完成する。
最初にそう、人は神に告げたのだ。
だから私もまた書き記さなければならない。ならないのだが——
「ぜんっぜん、進まなくってぇ……何をどう書いていいのか、さっぱり分からなくってぇ……」
「こ、この野郎……」
私の正直な告白に、ククリは顔を引き攣らせた。
「簡単だろうが。最初から書き始めて、いまこの場面に辿り着けばいい。もちろん、そこに至るまでの経緯はきちんと説明して、記載する情報は主観と客観を区別して、想像で補えない部分も補足した上で、お前の感じたままに書けばいいんだ」
「前提条件が難しすぎる……」
ガックリ項垂れる私に、神はそうかぁ? と首を傾げた。皮肉で言っているならまだ許せるが(嘘だが。許せないが)彼の場合、これが心底本気なので本当に困る。
「……偉そうなこと言ってくれるけど。ククリの方こそどうなの。ちゃんと書けてるわけ?」
売り言葉に買い言葉——というわけではないが。つい尖った声で言い返すと、ククリは困った馬面を浮かべた。
「僕か? 別に気になるなら見せてもいいけど……たぶん見たらお前、傷つくぞ」
「ぐう」
本気で心から同情されて、何も言い返せなかった。
……この神め!
「……折角、不動さんに本まで借りて勉強したのになぁ」
見るまでもなく傷ついた私は、ため息をつきながら、ガサゴソと鞄を漁る。中から取り出したのは一冊の本だ。我が社の神作家こと賀城紀のデビュー作。
先日、執筆ノウハウについて(終活事情は伏せつつ)それとなく質問してみたところ、これを渡されたのだ。
とりあえず読みなさい、と。
年齢不明性別不詳。デビュー以来、ヒット作をバンバン飛ばしている新進気鋭の作家だ。そして言わずもがな、我が社のドル箱作家でもある。
とにかく徹底した人嫌いで、インタビューや取材も片っ端から断っており、担当の翔以外は誰もその素顔を知らない。編集長でさえもだ。その割に、彼(もしくは彼女)の物語は登場人物の心情が鮮やかに描かれ、まるで作者の頭の中に本物の人間が生きているようなだ、とも言われている。
デビュー年数から考えれば、まだ若手と呼ばれる部類なのだが、とにかく熱烈なファンが多い。不動さんもその口で、そもそも我が社に入社したのも賀城紀のファンだから、なのだそうだ。
確かに以前、池原さんがそんな事を言っていたが。あれは陰口ではなくマジだったらしい。
人気作品を読むことは、編集としても執筆する上でも非常に勉強になる。それが我が社の作家ともなれば尚更だ。しかし、私に本を勧める不動さんには、なんというかそれだけでは説明しきれない妙な熱量があった。
頼むから読んでくれ、とか。
金なら払うから、とか。
なんなら目の前で悲鳴を聞かせて欲しい、とか。
なんで読むだけでお金をもらうのか。というか、本を薦められているのになぜ悲鳴をあげることが前提なのか。あれ、私って読書を薦められてるだけだよね、大丈夫だよねこれ? とそこそこ不安になったりもしたが、結局断りきれずに本を押し付けられた。
いや、正確には押し付けられたというよりねじ込まれた。
すごい押しの強さだったし、正直だいぶ怖かった。
そんなわけで、なかば強制的に託された本だが、読み始めてみるとなるほど確かに面白い。
ありきたりな感想だが、文章は平易で読みやすく、そのくせ退屈な場面がない。ともすればささやかな日常シーンですら、多彩な言葉によって鮮明に彩られている。特に魅力的なのが人物描写だ。まるで本当に、虚構の人物が現実にいるかのような錯覚を抱くほど。
しかしまあ、いくらいい本を読んだからとて、それでいきなり文章力があがるわけもない。そもそも、作家の本を読んで誰もがまともな文章を書けるのなら、この世は作家だらけだ。
私としては(きっかけはどうあれ)借りた本自体はとても楽しめたのだが、馬の雰囲気はなぜか一気に険悪になった。
「お前……」
つぶらな瞳のハイライトが消え、声がワントーン低くなる。
「頼ったのか……僕以外の編集を」
「いや、ククリが編集だったことは一度もなくない?」
まあ、終活の原稿に関しては色々助言を受けているわけで、そういう意味で私にとっては似たようなものかもしれないけど。
などと考えている隙に、手の中の本がヒョイっと消える。代わりに落ちてきたのは、私より一回り大きな影。
見上げると。
一体いつ変化したのか。頭に細長い耳を生やした白髪の青年が、いつの間にか仏頂面でこちらを見下ろしていた。
最近ククリはこうやって、なにかにつけてちょこちょこと人化する。別にその程度で寿命が縮むわけではないが、馬の方が省エネで済むのに謎だ。
彼は不機嫌さを隠そうともせず、尊大に私を見下ろしている。本を奪われた私も、負けずにムッと睨み返した。
「ちょっと、返してよそれ。先輩の本なんだから」
「こんなもの、必要ないだろ。お前には僕がいるんだから」
「確かにククリには色々助けられてるけど、それとこれとは別問題じゃん」
うーん、と手を伸ばすが、人バージョンのククリは私よりずっと背が高いので届かなかった。無念。
「だいたい、分かってないんだよあの不動ってやつは。ロクに本も読まないくせに、この程度なら自分でも書けると勘違いするワナビ以前ならともかく、今さらお前に新しいインプットなんて必要ない。それよりも大切なのは、アウトプットの試行錯誤を重ねること。物語は既にお前の中に眠っている。ただそれを掘り出してやればいい」
「そんなこと、言われたって、それが簡単にできないから、こうして、苦戦、してるんで、しょ!」
ぴょんぴょん頑張ってなんとか本を取り返そうとするが、悔しいことに私の指先では涼しい顔したククリの手にすら届かない。挙句、本が手の中からパッと消えてしまった。奇跡のように。
「え、ちょっとククリ、本どこにやったの⁉︎」
「いらないから捨てた」
「嘘でしょ⁉︎」
こんなことで神気の無駄使いをするなとか、人から借りたものを粗末に扱うなとか。果たしてどちらを優先して怒るべき悩んだが、それより先に本の救出だ。慌ててゴミ箱に駆けつける。ククリの呆れた声が響いた。
「……さすがにそんな所に捨てるわけねーだろ」
「じゃあどこにやったの⁉︎ あれ、借り物だって言ったよね⁉︎」
「うるせえな。だから、お前にはあんなもの必要ないって言っただろ」
「必要あるかどうかを決めるのはククリじゃないでしょ!
ククリは珍しくぞんざいに吐き捨てた。
「そもそも、ゴールの決まってない努力なんてゴミと同じだ。自分の弱点を補うためならともかく。無目的のまま手当たり次第『それっぽいこと』をするなんて、ただの現実逃避の自己満に過ぎん。僕の助言が一番的確で近道なんだから、素直にそれを聞いてればいいんだよ。他人に頼る必要なんかない」
第一、僕のときは興味も示さなかったくせに。なにやら小声でボソボソぼやいている気がしたが、私としてはそれどころではない。
不動さんとは入社以来、なにかと色々あったものの、先日の一件でようやく僅かな雪解けを迎えたばかりだったのだ。
それなのに、好意で貸してもらった本をなくしたとなれば、一瞬で元の冷戦状態に逆戻り。その苦労と喜びを、ククリも知っていたはずなのに。
その上でこの言動。普段は温厚を通り越して、鈍感だの鈍いだの無関心を通り越して無神経などなど、周囲から様々な心配をされる私でさえこの所業はさすがに頭にきた。普段から神目線で物申す男だが、今回ばかりは勘弁ならない。
「……でてけ」
「は?」
「もうククリなんて知らない! でていけこの馬! 鹿! バカ!」
「はァ⁉︎ なんでだよ、ていうか鹿は関係ないだろ⁉︎」
「うるさいこの万年ぼっち! 先輩の本、弁償しろ!」
ククリなんて、大っ嫌い!
こんなはずじゃなかったのに。本当は、新しい旅行の計画を立てて、そしてそして。
もっとたくさん、残された時間でククリと楽しく過ごすはずだったのに。
でていけと言ったものの、私にククリを追い出す力なんてない。神気の薄れた外の世界は、神にとっては猛毒そのもので。
だから私は仕方なく、代わりに家を飛び出した。
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