余命あと九ヶ月 7
結論から言えば。
今回の件は、最終的にまるく収まった。
オリジナルは紛失したものの『バックアップ』があったと伝えると、先方はあっさり承諾。別に原本でなくても、内容さえ確認できればそれでいいと。
無論、元凶である私が平身低頭したことは言うまでもない。電話の向こうの先生に向かって、人生初の土下座までした。受話器越しに。
幸い、先生はとても気のいい方で、間抜けな新人のミスを許してくださった。本当に心が広い。神のような方だ。
いや、神はもうこの世に一柱しかいないのだけど。
そんなわけですったもんだとあったわけだが、なんとか無事、一件落着——といいたいところなのだけど。
第一の事件が解決した直後だというのに、私はまたしても第二の危機に直面していた。
「……御礼を言いに、来たのだけど」
「………………!」
目の前には、不動さん。
翔との『バックアップ』作成に予想外の時間がかかたため、やや遅めの昼休憩に入ることになった私の前に現れた彼女は、ピーク時を過ぎてがらんとした食堂の隅っこで、慎ましやかにサンドイッチを頬張る私の前に颯爽と現れるなり、向かいの席に腰を下ろし、開口一番にそう言った。
「……え、えと」
「原因はともかく、最終的にあなたのおかげで先生の元に無事、原稿が届いたのだけは間違いないからね。その御礼よ」
どうもありがとう。助かったわ。
凛とした眼差しで、淡々とした声音で御礼を言ってくる。紛れもなく感謝を述べられているはずなのに、言われるこちらの心境としては、さながら圧迫面接だ。
「い、いえ……御礼だなんてそんな。というか、そもそも今回の件は私がしでかしたことですし。御礼もお詫びも、むしろこちらのほうことですし……!」
「だから原因はともかくって言ったじゃない。新人がミスを犯すのは当然なの。その責任を取るのが上の役目。でもあなたはそこで終わらず、自分なりにきちんと次善策を出した。それを褒めないのは卑怯というものでしょう。信賞必罰は世の習いよ」
ちょっと戦国武将っぽいスタンスだった。
信賞必罰、なかなか口語で使う機会はない。
「まあ、ミスをしないっていうのがもちろん一番なのだけど。人間である以上、間違えないっていうのは不可能だし。そう考えると、今回のあなたは頑張ったほうじゃないかしら。まさか原稿内容を丸ごと覚えていてそれを書き起こすなんて力技でくるとは、思わなかったけど」
それは翔のアイデアだった。
いつぞやも言った通り、私にとって記憶と認識はニアイコールだ。数日前に一度読んだ文章を、そっくりそのまま書き起こす程度、わけない。。
さすがに原稿全文となると、時間も難易度も高すぎるけど。幸い、原稿データそのものは残っていたし。書き起こすのは校正と先生の修正部分だけだ。
けれど。
「それより私は……不動さんが許可をくださったことの方が驚きでした」
菊理神社の事情を知っている翔ならともかく『内容覚えているので書き写します』なんて言っても、普通なら絶対に受け入れて貰えないだろう。ましてや作家さんの原稿だ。
けど、それに太鼓判を押してくれたのが、他ならぬ不動さんだった。
正直、彼女には嫌われていると思っていたので、かなり驚いたのだが。
結局、不動さんの一言が決め手となり、私が書き起こした『バックアップ』が大石先生の元に送られることになった。
「……信じないわけにはいかないでしょ。内容だけならともかく、先生の文字の癖までそっくりそのまま再現された原稿を見せられちゃね。それに、私も一度は原稿を拝読しているし」
読んだものを覚えるということは、文字通り全てを記録するということだ。内容だけでなく、資格情報を全て。当然、そこには文字の形も含まれる。
脳内に完璧な見本があるなら、それを再現することは容易い。
「池原なんかと一緒にしないでちょうだい。あなたと組んでもう三ヶ月経つのよ。後輩の力量も見定められないようじゃ、仕事なんて任せられないでしょう」
「……あのー。ひょっとしてなんですけど。以前、池原さんとなにかあったんでしょうか?」
いやまあ、同期の割に口利いているのを見たことがないし、なんか変だなーと薄々思ってはいたけども。
私の質問に、不動さんは露骨に嫌そうな顔をした。
「別になにもないけど。あいつ昔からウザいのよね。なんかことあるごとに人に因縁つけてくるし、嫌がらせしてくるし。どうせ今回の件も、あいつが絡んでるんでしょ。あなたにもずっとちょっかい出してたし。こっちが睨んで牽制効かせてるっていうのに、まるで気にしないんだから」
そのくせ、妙にこざかしくていつも証拠は残さないし、と本気で憤慨しているらしく、ぷりぷりしている不動さんに、そういえばといつぞやのことを思い出す。
池原さんと話をしているとき、やたら怖い顔でこちらを睨んでいた彼女。そうか。あれは、私ではなく池原さんが池原さんがターゲットだったのか。
「私てっきり……自分が不動さんに嫌われているんだと思ってました」
安心した拍子というか、なんというか。
ついうっかり、ぽろりとこぼれ出てしまった本音は、間違っても本人の前で口に出すものではなかった。慌てて口を押さえるも、時既に遅し。私の失礼な発言に、しかし不動さんは怒ることなく——
「あら、気づいてたの? あなたのことは、うん、まあそうね。確かにそこそこ嫌いだけど」
しごくあっさりと肯定してきた。
普通に嫌われていた……。
分かっていたとはいえ、地味にショックだった。
「けど意外ね。あなたはそういうの気にしないタイプだと思ったのに」
「あの、後学までにお尋ねしたいのですが、具体的に私のどのあたりがダメだったのでしょうか……?」
ここで顔とか声とか言われたら、もう素直に諦めるしかないが。私の質問に、彼女は気のないそぶりで「そうねぇ」と言った。
「……どういえばいいのかしらね、あなたの場合。言葉の意味が通じないほどバカなわけでもない。かといって開き直っているわけでも、立ち直りが早いわけでもない。ちゃんと私の叱責を聞いて、なんなら嫌われていることすら気づいている。なのに、こっちに対する態度がまるで変わらないのよ。へこたれもせず、平然としている」
「……ええと。ダメなんですか? それ」
「ダメじゃないわ。単に不気味なだけよ。正直、嫌いになられたり避けられたりする方がまだマシだわ。あなたの場合はそれさえもない。こちらの感情をきちんと理解しながらも、あなたはそれを一切反射しない。そんなの、無視するよりタチが悪いじゃない」
なまじ、自分では真摯に向き合っていると『思い込んでいる分』余計にタチが悪いわ。彼女は心底嫌そうに吐き捨てた。
どんな感情を向けようと、それに応えることがない。喜びにも怒りにも悲しみにも楽しさにも。
糠に釘。のれんに腕押し。まるで、最初からそんなものなど存在しないかのように。
人ではない、別の存在であるかのように。
「あなたといると時々、人語を操る怪物と会話をしている気分になるの。強いていえば、それがあなたを嫌いな一番の理由よ」
それは、とても新鮮な感想だった。
しっかりと、記録に留めておこうと思う程度には。
「しかも人の末期の悲鳴を再現して呼びかけてくるタイプの人外よ」
「絶対にそれ魔のモノじゃないですか」
一応、それに関してはキッパリと否定しておきたい。
どちらかというまでもなく、私は秩序善属性の存在だ。
ふぅん……でもそうだったんだ。
不動さんには、私がそういう風に見えていたんだ。なのに、その上で——
「……お礼は、言ってくれるんですね」
「はい?」
「先輩は、私のことが嫌いなのに。御礼を言いにきてくれるんだなって」
嫌いと言いつつ、不気味がりつつも、こうしてわざわざ、御礼を言うために探しにきてくれた。そのことが、なんだかひどく嬉しくて。
でへへと頬を緩める私に、不動さんは誇り高くフンと鼻を鳴らした。
「当然でしょ。たとえあなたが、人のフリをして獲物を誘き寄せ、肉体を侵食して人になりすますタイプの人外であろうと」
「待ってください先輩。邪悪度が上がってます。それはもう、この世から排除されるべき人類の敵です」
「それと私があなたに御礼を言わないのは、全くの別問題よ。みくびらないで頂戴」
キッパリ言い切る不動さんは、やはりすごくかっこよくて美人で頼りになる大人の女性だった。
「でも、そっか……私、今まで先輩のことをずっと誤解していました」
まさか蓋を開けてみたら、こんな面白いヒトだとは思ってもみなかったけど。それはそれとして。
「先輩が私に怒ってるのって、初日に原稿の間違いを指摘したせいだと思っていたので」
「ハァ⁉︎」
途端。それまでの誇り高い態度が嘘のように、綺麗な柳眉を鬼のように釣り上げた。
素直に怖い。
たった今、人の怒りに鈍感とお墨付きをもらってしまった私だが、その私をもってしても警戒心がMAXにならざるを得ない程度には迫力に満ちていた。
「なにそれ! バッカじゃないの、そんなことで怒るわけないでしょう⁉︎ 人を侮るのも大概にしてくれる⁉︎」
「す、すみません……!」
「確かに、あの時はちょっと悔しい思いをしたけど! それは見落としていた自分にであって、むしろあなたには感謝したくらいよ。おかげで印刷前に訂正が間に合ったんだから」
まさか逆恨みするほど底の浅い人間と思われていたなんて……と、不動さんはとても不満げにぼやいた。
「まったく、頭は悪くないくせにバカなんだから。そんな浅はかさだから、池原ごときにいいように利用されるのよ」
「そこは初耳なんですが⁉︎」
もはやストレートな悪口を隠さなくなってきた不動さんは、盛大なため息をついた。
「……やっぱり気づいていなかったのね。あのねえ。冷静に考えてみなさいよ。なんで入社して三ヶ月程度の新人がこうも連日、残業なんかしてるのよ」
「それは……仕事が片付かないから」
「バカにしないで。私は、新人が定時で帰れなくなるような仕事量を振った覚えはないわ」
「もちろん、不動さんに任された分はきちんと時間内に終わらせてますよ。残業は池原さんに頼まれた方で」
「だーかーらーぁ! な、ん、で、新人のアンタがわざわざ残業までして、目上の仕事を手伝わされてんのよ!」
よほど溜まりかねたのか、語気をいささか荒くして、不動さんはツンツンツンと高速で私の額を連打した。
綺麗にネイルの施された爪は、結構尖っていたので地味に痛い。
どうでもいいけど最近、つねられたり手刀喰らったりつつかれたりと、周囲から攻撃を受ける回数が増えている気がする。
「困っているから手伝ってと言われて……」
「本当に連日、誰かに手伝ってもらわないと仕事が片付かないほど困っているなら、その場合、助けを求めるべきは上司や先輩であって、間違っても入社三ヶ月の新人じゃないでしょ」
言われてみれば、確かに不動さんの言う通りだ。それでもあえて私に頼む理由……つまり。
「私の編集者としての才能があまりに優れているから……?」
「違うわよ……って、言い切れないあたりが絶妙に腹が立つけど違うわよ。それもあるだろうけど、アンタがちょろいからに決まってんでしょ」
「ちょろい……⁉︎」
「だってアンタ、真面目じゃない。手抜きもしないし、任された仕事を投げ出さず、最後まできちんとやり遂げる。勤勉で努力家のくせに、妙に自己評価は低い。そんなの、池原みたいなタイプにとっては絶好のカモよ」
「お言葉ですが、それは普通のことなのでは……?」
「その『普通』ができないやつが、世界にどれだけいると思ってるの。現に池原を見なさい。後輩に仕事押し付けて、当然のように自分は先に帰ってるわ」
「だって妹さんがまだ小さくて、保育園の送り迎えがあるからって」
「あいつは一人っ子よ」
「WOW」
本日何度目になるかも分からない真実の開示に、またしても驚愕ストップ高が更新された。
一人っ子だったんだ……。
よかった……お友達がみんな帰った後の保育園で、お兄ちゃんのお迎えをひとりぼっちで待っている妹ちゃんはいなかったんだな……。
「アンタにとっては普通のことかもしれないけど。当たり前のことを当たり前にできるって、それだけで十分にすごいことだし、褒められるべきことなのよ。誇りなさい。自覚がないかもしれないけど、アンタは結構、大したやつなんだから」
不動さんの声は。
優しくもなれば。厳しくもなかった。つまりそれは、お世辞でも慰めでもなく、純粋に掛け値なく彼女の本心ということだ
「だからこそ、そんな相手が池原如きに便利に使われてるのを見ると、より一層腹が立つのよね……! アンタを嫌いな二番目の理由がそれよ」
「二番目まであったんですか⁉︎」
嫌われていたのは事実だったが、予想とは全く違う違う理由だったし、なんなら予想よりもはるかに嫌われていた。
その点には少なからず思うことはあるものの——やっぱり、ククリや不動さんの言うように傷ついたりはしない。ただそれは、彼らの言う通り私が鈍感だからというだけでなく——
「……けど私は、不動さんのこと割と好きですよ。友達に、少し似ているので」
きっと、それが一番の理由だ。
容赦がなくて厳しくて。だけどそれ以上に、面倒見が良くて、根っこの部分はお人好しな彼女は、私のよく知る神様とちょっとだけ似ていたから。
彼女はいつも厳しかったが、同時にいつも正しかった。私は叱られてばかりだったが、理不尽なことを言われたことは一度もなかった。
「私に似てる? ふぅん……誰だか知らないけど、きっとさぞかし優秀な人なんでしょうね」
「そうですね。強いていうなら、性格以外の大体がいい相手です」
「似てないわよ。ふざけんじゃないわよ」
とまあ、こんな感じで。
入社三ヶ月、神様の余命まであと残り九ヶ月。
職場の先輩と、少しだけ仲良くなった。
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