余命あと十一ヶ月 4
結局、ククリの誘いを断ることはできなかった。
地元駅の改札を出て、そのまま最寄りのスーパーへ。料理がからっきしの私は普段、お惣菜やインスタントコーナーにいくことはあっても、生鮮エリアに入ることはほとんどない。だけど今日は買い物カゴを持った神様と一緒に、初めてそこに足を踏み入れることになった。
いまさらではあるが、ククリは非常に目立つ。
外見年齢に似合わぬ白髪というだけでも人目を引くのに加えて、その美貌だ。私にとっては既に見慣れた顔だけど、控えめに言って彼の顔がとびきり綺麗なのは間違いない。ただ歩いているだけで、すれ違う人々がいちいち振り返っていくほどに。
「お、見ろよヒメこのトマト! 一パック四個入りで百五十円だと! やっす!」
「ねえ、やめてククリ。その無駄に目立つ顔で大声を出さないで」
「だってすごいぞ、それに見てみろよ、この宝石のような色艶! 糖度が十四もあるぞ⁉︎ もうこれは野菜というより果物だろ」
「落ち着いてククリ。トマトは果物じゃなくて、紛れもなくナス科の果菜だよ。農林水産省でもそう認定されているから間違いないよ」
「やっぱ初夏はすごいな。冬に比べて命の季節というか、野菜や果物の鮮度と勢いが違う。お前もブロッコリーを丸齧りするくらいなら、せめてトマトにしておけよ」
そりゃあ、まあ。
こんな千年に一度みたいなとんでもないイケメンが、野菜や果物を手にキャッキャしていたら、思わず注目したくもなるだろう。私だって見るかもしれない。隣に自分がいなければ。
結局、ククリは一通り店内を見回した結果、葉物やら根菜やら数種類の野菜と果物、ベーコンやらハムやらの日持ちしそうな加工食品、他にも米やら肉やら魚やらをかなり大量に買い込んだ。一人で……いや、一人と一柱で消費するには、いささか多すぎる。
「ク、ククリ……これはいくらなんでも買いすぎじゃない?」
「別に一回で使い切らなくてもいいだろ。ていうかお前は普段から野菜を摂らなさすぎるので、ちょうどいいからこの機会にきちんと料理を覚えて、食物繊維とタンパク質をもう少し意識的に摂取しろ」
まあ、買い込んだと言ってもお惣菜やらなにやらを買うより、ずっと安上がりではあったのだが。大量の食材は、当然のようにククリが持ってくれた。軟弱そうなみかけによらず、意外と力持ちである。
右手にスーツケース、左肩に買い物袋をひっさげながら、空いている手でなぜか頑なに私の手を繋ぐククリは妙に上機嫌だった。旅行が中止になったというのに、落ち込むそぶりもない。ひょっとして、私を気遣ってくれているのだろうか。
「ん? いや、別にそんなことないけど。あー……そうだな。これを言ったらひょっとして、逆にお前は怒るかもしれないけどさ。正直、僕は旅行が中止になったことをそこまで気にしてないんだ」
「えっ」
「もちろん、残念ではあるぜ? 楽しみにしていたのは本当だし……でも、さっきも言った通り、また次回行けばいいだけだしさ。それより今は、むしろこうしてお前と一緒にいられる方が嬉しんだ」
ときおり吹く五月の風が、新雪の如き彼の髪をさらっていく。少し前を歩いているため、ククリの顔は見えない。だけどその声が紛れもなく弾んでいること、揺れ動くたび髪の隙間からわずかに覗く頬が普段よりも紅潮していること、何より人としてはそれなりに短くない付き合いだったため、彼が掛け値なしに『本音』で言っていることがわかった。
「今まではずっと神社に籠りきりだった。だけど今はこうして、お前と手を繋いで、好きな場所にいくことができる。街を歩いたり、電車に乗ったり、ずっと願うだけだったことを、叶えることができた」
僕は幸せものだ。
そう言ってククリは笑った。そんな、人間にとってはごく普通の、特別でもなんでもないことで。
たったそれだけのことが、まるでひどく尊い夢であったかのように。
「……だったら尚更、その時間を私なんかの料理に使うなんてもったいないよ。世の中には、もっと美味しいものなんていくらでもあるのに」
「単純に飯が食いたいだけじゃなくて、僕はお前との時間を楽しみたいんだよ」
お前は嫌か? と聞かれれば、まあ嫌ではありませんねと答えるしかない。本当に、嫌ではないのだ。ただ、それを素直に認めるもの悔しかったので、代わりに違うことを尋ねた。
「……ところでいまさらだけど、ククリって料理できるの?」
私の質問に。
この世で最後の一柱。人の理を外れた存在。人間の上位種である神は、その肩書きに恥じぬ不遜さで、を歪めてニヤリと嗤った。
「僕を誰だと思ってる? 菊理神社は人の歴史と文化の集積所。人類の調理技術の歴史くらい、完璧に網羅してるさ」
◆
前にも言った通り、私の家はもともと知人のものだ。本人が長期不在になる間、一時的に間借りしているだけなので、一人暮らしを始める前から家具家電は一通り揃っていた。もちろん調理器具も含めて。
というわけで。
「料理初心者のお前もいることだし、今日のところはひとまず、炊き込みご飯のおにぎりと豚汁に厚焼き卵という簡単なメニューでいこう」
「カ……ンタン……?」
買って知ったると言わんばかりに、テキパキと食材を冷蔵庫に入れ、ついでに家にあったエプロンまで引っ張り出して装着した神の言葉に、同じくエプロンを着せられた私は、呆然と呟いた。
「あの、ククリ……素人意見で恐縮ですが、カンタンというわりにその、随分と難易度の高いメニュー構成に思えるんだけど……」
炊き込みご飯という名称を授かるからには、米以外に炊き込まれる具材があるということだし、豚汁なんてただの汁物のくせに固有名詞までついている。
その中で、さぞ「私はお手頃メニューですよ」的なフリをしている厚焼き卵だって曲者だ。なにが厚焼き卵だ贅沢な名を名乗るんじゃない。お前なんて卵焼きで十分だ。
敵の予想を遥かに上回る戦力に慄く私に、しかし神は無慈悲に告げた。
「はぁ? どこがだ。簡単だろ。米なんて研いで水入れて炊くだけだし。というわけで、炊き込みご飯はお前が担当しろ」
「ですから、いきなりそんな高難易度クエストを出されましても……」
せめてまずは草むしりとか薬草採取とか、そういう無難なものからお願いしたい。しかし神はにべもなかった。
「身構えすぎ。人類が火を得て調理をしだしたのが何百万年前からだと思ってるんだよ。きょうび米なんて、頑張ればちょっと賢い猿でも炊けるぞ。びびってないでいーからやれって。心配しなくても、僕がちゃんと教えてやるから」
「……はい」
神は人の心が分からない。人に、神の心が分からないように。
だけど私の心配に反して、ククリの教え方はとても分かりやすかった。
「よし。じゃあまず、米を二合計って水で研ぐ。念の為に聞くが、どうやって研ぐかは知ってるよな?」
「まあ、それはくらいは流石に……」
米を研ぐ。正確には、米を水洗いすることで、米の表面に付着したヌカなどを洗い流す作業だ。ここで重要なのは『やりすぎない』こと。乾燥状態の米は、水分に触れると一気に水気を吸収してしまう。なので、たっぷりの水を使ってゆっくり時間をかけてやると、ヌカを含んだ水までもが、米に吸収されてしまうのだ。
「ボウルに水張って、中の米を二、三回混ぜたら、濁った水を捨てる。米ごと流さないように気をつけてな」
「流れちゃった……」
「ま、まあそのくらいの量なら許容範囲内だよ。気にすんな。じゃあ次。具材の準備だ」
「本当にまだやるの……?」
「当たり前だろ。なんでそんな逃げ腰なんだよ。お前、って、昔から妙なところで保守的だよな。別に大した失敗じゃないんだから、切り替えろって」
具材はシンプルに鮭。買ってきた鮭の切り身を、皮も剥かずにそのまま研いだ米に乗せるだけだった。そこに塩を少々ふりかけ、ボタンを押して終わり。
「え? た、炊き込みご飯って……これだけ?」
「そう。これだけ。やってみたら意外と簡単だったろ?」
「簡単だったけど……こんなので本当に炊き込みごはんになるの?」
「なるなる。米と一緒に具材を炊くと、炊き上がる過程で食材の水分や旨みが米に移るから。これなら主食と主菜が一気に食べられるし、余ったらおにぎりにしれ冷凍しておけばいいし、食材が余ることもないし。一人暮らしにはぴったりだろ」
まあ、毎回やれとは言わないけど。料理って作るの面倒だから。
神はそう言って笑うと、次に味噌汁に取り掛かった。
「汁物は、まんべんなく栄養素を摂取できるとても優秀な調理法なので、なんかもう何もかもが面倒になった時は、野菜庫にある具材を全部まとめてぶちこめ。なんなら鍋じゃなくて炊飯器に水とコンソメキューブと一緒にぶちこんで炊け。それだけでいい」
「そ、そんなのでいいの? もっとこう、具材の組み合わせとか、出汁加減とか……」
「いらん。そんなもんは職人に任せておけばいい。プロ目指してるならともかく、自宅で自分しか食わない飯で、毎回気合い入れてたら疲れるだろ。継続の基本は『如何に手を抜くか』で、食事っていうのは生きていく限り、嫌でも継続しなければならないものだ」
だからどっちかっつーと、適度に手の抜きどころを覚える方がいいんだよ、と神は言った。
「手抜きって……」
「完璧を目指したら疲れるだろ。別に完璧じゃなくなっていいじゃねーか。その日の自分が納得して、満足できるならそれで」
彼はその後もテキパキと味噌汁を作り、ついでにその出汁を使って卵焼きまで仕上げてしまった。手際が良すぎる。
私が言われるがまま、せっせおにぎりを作っている間に、あっという間に他の料理が完成した。
「よーし、できた。ほら、テーブルに運ぶぞ」
そうしてリビングのテーブルに並んだのは。
ほんのり日本酒を利かせ、鮭と昆布で炊き込んだおにぎりと、ふわふわの黄色いだし巻き卵、そして野菜がたっぷり入った具沢山の味噌汁だ。どれもできたてて、ほかほかと湯気をたてている。
いつもはカップ麺かコンビニ弁当ばかりのテーブルに、こんな料理が並ぶのは初めてだ。特別に豪華なわけでも、気取ったメニューというわけでもない。だけど、どれも。どれも、とても美味しそうで。
「い……ただき、ます」
いつも、一人で食べるときにはいちいちそんなことは言わない。だけどこのご飯の前では、いつもみたいに、ただ漫然と箸をつける気にはならなかった。
きょろきょろと迷った結果、まず味噌汁に手を伸ばす。腕を持った途端、ふうわりと鼻腔をくすぐったのは仄かな出汁と、複雑に混じりあった野菜や肉の匂い。その香りに釣られるように一口すすり、思わず息を飲んだ。
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