余命あと十一ヶ月 2
翌日、会社の昼休み。私はカロリーメイトを齧りながら、職場の食堂で黙々と、昨日ボロクソに言われた原稿の手直しをしていた。
私の職場は、東京は飯田橋にある小さな出版社だ。とはいえ別に、編集者や作家になることが目標だったわけではない。
昔に比べて少しはマシになったとはいえ、まだ不景気の続く世の中で、コネとコネとコネを駆使してなんとか就職を勝ち取れたのが、この一社しかなかったというだけ。それも正社員ではなく一年限りの契約。だけど働けるだけありがたい。ありがとう、コネ。
閑話休題。
小さな出版社とはいえそれなりに業績はよく、こうして都心にオフィスを構えている。なんでもうちの会社、とんでもない化け物クラスのヒットメイカーを専属に抱えているらしく、かなり業績がいいのだとか。まあ、レンタルオフィスなので自社ビルではないが。複数社の企業が入っている統合ビルで、弊社のフロアは六階から九階まで。ちなみに食堂は各社共有スペースとなっており、四階にある。都内で食堂があるビルというのは、結構珍しいそうなのでありがたい。
小さいとはいえ、そんな右肩上がりの出版社だからこそ、こうして私も雇ってもらえたわけで。そう考えると感謝しかない。ありがとう化け物。いや、それではあんまりなのでここは一つ神作家とでもいうべきか。
現在の主な仕事は、原稿の下読みやスケジュール管理など。幸い、文字を読むのはさほど苦手ではないので、なんとかやっていけている。
そう。読むのは辛くはない。読むのは。問題は『書く』方なのだが——
「神代さん。お昼休みにまで仕事かい? 大変そうだけど大丈夫?」
「コネ——じゃなかった、翔」
「コネ?」
「なんでもない。ただの言い間違い」
そんな言い間違いある? と、呑気に苦笑を浮かべながら、ごく自然に私の隣の席に腰掛けた彼の名は、佐々木翔。三年ほど先に入社した先輩だ。といっても部署は別だが。
突然、断りもなく隣の席に座るなど、職場の先輩としてはやや距離感が近すぎる気がするが、相手が翔なら気にならない。なにせ、この会社を紹介してくれたコネこそが彼なのだから。
翔もまた菊理神社の氏子である。それもただの氏子ではなく氏子総代だ。
昨今ではめっきり参拝客も減り、年々氏子の数も減っていく菊理神社だが、そんな中でも佐々木家は代々ずっと氏子総代を務めている。
神職の神代家と氏子総代の佐々木家。この両家の子供たちが、今回の神様終活プロジェクトを仕切っているのだ。
綺麗に整えられた焦茶の髪と、縁の厚いおしゃれなメガネ。白い生成りのシャツに細めのパンツ。いまだリクルートスーツから卒業できない私とは対照的に、ジャケットを羽織ったオフィスカジュアルなスタイル。
いつも柔和で人の良い笑みを絶やさない彼は、知人としての贔屓目を抜きにしても、なかなかにイケメンの部類だと思う。だけど残念ながら彼女はいないらしい。もったいない。
「おつかれさま。お生憎だけどこれ、仕事の原稿じゃないよ」
私の言葉に、翔は目を丸くした。
「じゃあ、ひょっとしてそれ終活の?」
「ひょっとしなくても終活の」
こっくり頷くと、翔はあー、となんだか微妙な空気を漏らした。
実のところ翔は、さほど今回の終活に乗り気ではない。ぶっちゃけ、面倒くさがっているフシもある。
まあ、気持ちは分からなくもない。
フィクションならいざ知らず、現実にはいまどき、神様だの氏子だのなんて流行らないし。人間が神社に参拝するのだって、せいぜい初詣や厄除けくらいだ。
困った時の神頼み、なんて言うけれど。
実際には、余命を迎えるまでもなく神は人に忘れ去られて久しい。
たとえ菊理神社がなくなって、この世からすっかり神がいなくなったとしても、それでも人の世は当たり前のように続いていくんだろう。
誰に見守られる必要もなく。
そんな彼だが、氏子総代としての義務感からか、ときおりこうして終活のサポートもしてくれるし、なにくれと相談相手になってくれる。私にとっては頼もしい先達だ。
「ヒメは真面目だねぇ……昼休みにまでやるなんて。そんなの、適当に書いて適当に仕上げちゃえばいいのに」
「……いや、適当ではないけど実は先日、ちゃんと書き上げたんだよ。それでククリに見せたところ、ものすごいダメ出しを喰らいまして」
「ああ……」
翔はなんとも言えない表情を浮かべて、本日のおすすめランチセットのメインであるアジフライをさくり、と噛み締めた
「あいつは神様だからね……言ってることが正しくても、あまり気にしない方がいいよ。俺たちとは、基準も世界も違うんだから。ときにその神様っていまどこにいるの?」
「ここ」
彼の問いに、ポケットからスマホを取り出す。正確には、そのストラップを。手のひらサイズの液晶からは、キーチェーンで繋がれた三頭身の馬のマスコットがぶらぶらと揺れている。
ただし、揺れているだけで一切の動きはない。
ただのうまのようだ。翔が目を丸くする。
「え……え? あの……もしかして、それ? もしかしなくても、その馬がアイツ……?」
「うん。この馬がククリ」
「そ、そうなんだ……なんか微動だにしないけど、大丈夫? ちゃんと生きてるのそれ?」
「一応生きてるよ。今はちょっと省エネ中なだけ。ほら、神様って基本、神社の神域から出られないじゃない?」
神代と違い、神秘が薄くなった現代では神は清浄な神域でしか活動できない。実際には根性出せば短時間なら動けるのだが、それは毒ガスの中で動くようなもの。
とはいえ、神社から全く出られないのでは終活にならない。その妥協策として出されたのが、神使(馬)を依代にするシステムだった。
ちなみに神社を一歩出ればこんな感じのククリだが、我が家では神様のために自宅内に神棚を設置しているので例外的に活動できる。外に出るとひたすらおとなしいククリが、部屋ではもふもふ元気に活動しているのはそのためだ。少しくらい支障があればいいのに。
「にしたって……その状態でどうやって終活なんかするんだよ。だって君たち今度、旅行にいくんだよね?」
実はその通り。
神様の未練はいくつかあるが、中でも『旅行』は終活リスト作成の際、真っ先にあがってきたものだったそれゆえに、ククリとも話し合い早々に消化しようと決めた。
現在、私は仕事と執筆に並行して旅の準備を進めている。それだけ聞くとものすごく大変そうだが、逆に言えばそれ以外を全てぶん投げているので、意外となんとかなっている。
具体的には日々の食事とか。部屋の掃除とか。たまにヘアブローとかスキンケアとかそのへんを。
「一応、その辺の対策もちゃんと考えてあるよ。具体的にはこれ」
「これって……菊理神社のお守りじゃん」
「見た目は同じだけど、中身は違うよ。実はこれ、中に神気をたっぷりチャージしてあるのです」
私はえへんと胸を張った。
神代に比べて神気が薄くなったとはいえ、なにも完全に消え去ってしまったわけではない。探せばそこかしこに『残滓』が残っている。それは現代ではパワースポットだとか、地脈とか、神域とか色々な呼ばれ方をしている場所だ。このお守りの中には、そうした『溜まり場』の神気を貯蓄してある。
これこそが対終活用の必勝アイテム。人から終活の提案を受けた神が、その智慧により生み出したものだ。
翔はもの珍しげな眼差しで、お守りを繁々と眺めた。
「……素朴な疑問なんだけど。このお守りがあるとどうなるの?」
「神域外でも少しは活動できる、ようになる。はず。理論上はね」
「神話の神様に理論上とか言われてもなぁ……要するにそれって、神様にとってのモバイルバッテリーみたいなものってこと?」
「どちらかというと酸素ボンベとか、携帯結界みたいな感じかな。ええと、分かりやすくいうと」
私は唇に手を当てて、ふと考えた。
「神域外に神様が出ることで、持続性スリップダメージが毎ターン500入るとしたら、お守りを持つことで常時250の回復ができる。でも差し引きでは250のダメージが入るから、長期間やると最終的にHPが尽きる」
「本当に予想以上に分かりやすいたとえ話が来たな……」
一見すると大層な便利アイテムに思えるが、もちろん、便利なだけでなく欠点もある。
第一に、チャージした神気はそう長く保たない、せいぜいが数日程度で霧散してしまう。その上、減った神気を補うためには、またパワースポットにお守りを設置しなければならない。
結構、手間もかかるのだが、それでもこのご時世に神が神域外に出られるというのは、充分すぎるメリットだ。
そう説明すると、翔は「ヒメは本当に真面目だねぇ……」と妙にしみじみ呟いた。
「え、なに突然。さっきも聞いたけどそれ」
「だってそうだろ? 終活なんて、そもそも君に必要なわけじゃない。なのに、そんなに一生懸命になってさ。今もこうして、昼休みまで使って取り組んでる」
「そりゃあ、まあ……引き受けた以上、最善を尽くすのは当然じゃない?」
「そういうところが真面目でお人よしって言うんだよ。君は本当に、昔から変わらないね……」
多分それは、一般的には褒め言葉なのだろうが。
そう告げる翔の表情は、どこか見慣れた色が浮かんでいて。少なくともそれが、賞賛でないことだけは分かった。
「……なんか、褒められてる気がしないんですけど」
「そう? 気のせいじゃない? ところで、旅行先ってもう決まってるんだっけ?」
「あ、うん。それは決まってる。出雲大社に行くの」
「出雲か……確かに、君たちの旅先にはぴったりだね。観光地だからめちゃくちゃ混みそうだけど。もう宿とかの手配は済ませてあるの?」
「それはもう。飛行機までばっちりブッキング済みですよ」
本当は新幹線でも行けるが、あえてここは飛行機にしてみた。神話の神様が空を飛んで母神の墓参りに行くだなんて、昔では考えられないことじゃない?
「えらいえらい。じゃあそんな頑張り屋の君に、お兄さんがご褒美としてこのきんぴらの小鉢を分けてあげよう」
「ご褒美っていうか、単に翔が嫌いなだけじゃん」
まったく。そっちこそ、子供の頃から好き嫌いが変わってないんだから。
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