第9話


 それから僕ら似た者同盟は昼休みに非常階段を集合場所として、こっそり会うようになった。とは言っても、昼休みの間ずっと二人揃っていなくなっているとあらぬ誤解を受ける恐れもある。僕はお弁当を教室で食べて級友と談笑し、それからお手洗いついでに非常階段に赴くというルーティンが出来上がっていた。


「あの、大氏くんって、お休みの日はなにをしてるんですか?」

「うーん、ゲームとかかなあ」


 僕らはもともとの経験値が皆無なので、こういった初心者向けチュートリアルみたいな会話を積み上げている真っ最中だ。ゆくゆくはハイソでウィットに富んだ大人な会話を繰り広げたいと願っているが、千里の道も一歩から。温かく見守ってほしい。


「ゲーム……あの、マリオとか、ですよね。髭がセクシーだ、ってファンの多いキャラ、私も知ってます」


 あ、こっちではそんなことになってるんだ。この世界、業が深いな……。


「マリオもそうだけど、今の個人的ブームはローグライトかなあ」

「ローグラ……?」

「あとは漫画読んだりかな。ヒロマカなんか、今すごくアツいんだよね!」

「漫画は……えっと、火の鳥なら、私も読んだことが、あります。それ以外は、あんまり……」


 僕の趣味はあまり綾芽さんに刺さらないらしい。残念。


「綾芽さんはなにしてるの?」

「わ、私は最近、Remuちゃんのファッションを真似るために、雑誌を読んだり、してます」

「その髪色も参考にしてるって話だったね」

「あ、はい。私がRemuちゃんみたいになりたいなんて烏滸がましいですけど、少しでも、近づけたら、って。よ、よかったら、見てください。すごく、かわいいんです、Remuちゃん」


 そう言って綾芽さんはスマホを僕に見せてくれた。画面には、綾芽さんと同じ髪の色をした女の子が、ウインクをして映っていた。僕らよりも少し歳の頃は上だろうか。


 僕自身が好みを語れる顔面レベルにないことを承知の上で言わせてもらうと、まったく僕の好みではなかった。細い目とぽってりした輪郭、たらこみたいに厚い唇は、ストライクゾーンから大きく外れている。僕は綾芽さんと画面に映るRemuさんを見比べる。


「あ、あ、あんまり、比べないでください。Remuちゃんの真似しても、見劣りするのは自分がよくわかってる、ので」

「いやあ、綾芽さんの方が圧倒的にかわいいけどなあ……」

「や、やめてください! Remuちゃんを馬鹿にしないでほしい、です! 私なんか、足元にも及ばないというか、地面に埋まってる、くらいなんです!」


 怒られてしまった。冗談だと思われたらしい。眉尻を吊り上げた綾芽さんも新鮮でなかなか眼福だったけれど、本気で怒ってるみたいなので僕は平身低頭になる。

 しかし、憧れの人について話す綾芽さんの顔はキラキラしていた。


「この人のこと、相当好きなんだね」

「実はRemuちゃん、学校にうまく馴染めなくって、高校を中退、してるらしくって。でも、馴染めなかったのは自分が他の人とは違って特別だから、って考えて路上でパフォーマンスを始めたら、それが芸能事務所の目に留まったんです。今では、歌手活動とモデルで忙しくしてる、本当に特別な人に、なれてるんです。私も、あの、周りと上手くいかなくても、Remuちゃんくらい強くありたい、って。そう、思うんです」


 容姿の良し悪しだけでなく、自分の境遇を彼女に重ね合わせて、困難な状況にあっても道を切り拓いていった生きざまを尊敬している。自分もそうありたい。そういうことだった。


「そっか。綾芽さんは偉いね」

「え、偉い、ですか? 私、なにも、してないです。Remuちゃんの真似をしてるだけ、です」

「ううん、尊敬する人に少しでも近づこうと頑張ることは、どんなことであれ偉いよ」


 僕は自分の境遇を嘆いて、自分自身が変わることを諦めたクチだ。こんな顔に生まれなければ、なんて何度も愚痴ってきた。不遇を嘆くだけで、努力なんてしてこなかった。


 それに対して、綾芽さんは形からでも憧れの人に近づこうとしている。そのために勉強しているし、実際に行動にも移している。そこが、僕と綾芽さんの違いだ。


「綾芽さんは偉い! 自信持とうよ」

「い、いえ、そんなこと、ないです」

「いいや、綾芽さんには本当に頭が上がらないよ! 僕ももっと頑張らなきゃ」

「や、やや、やめてください! 私、本当に偉くなんて……」


 恐縮しきりの綾芽さんをもっと褒めそやそうとしていた。

 その時だ。


「許すまじ! 大氏義也あああああああああああああ!」


 晴天に響いた大音声が、昼休みの穏やかな時間を切り裂いた。


 綾芽さんがすわ何事かと背後を振り返る。そう、討ち入りの鬨みたいな声は、綾芽さんの背後十数メートルのところから聞こえてきていた。


 綾芽さん越しにそちらを見るに、一人の女子がこちらにずんずんと近づいてきている。肩をいからせてやってきた小柄な女子は、僕と綾芽さんの間に割って入ると、綾芽さんを守るように両手を広げた。


「正体表したな下郎! 瑠奈を傷つけようったってそうは問屋が卸さない! さっさと去ね!」


 ハムスターが精一杯の威嚇をするように、白くてきれいな歯を剥き出しにしてこちらを睨むのは、沖串さんだった。急いでやって来たのか、ぬばたまの髪が頬に張り付いている。その敵意に僕は怯む。


「えっと……は、初めまして」

「あ、これはどうもこちらこそ。噂通りのイケメンであらせられて……じゃなくて! さっさとどっか行け!」

「え、絵凜ちゃん! どうしたの?」

「どうしたもこうしたもないでしょ! 瑠奈がやめて、って叫んでたから、こうして陰で見守ってた絵凜が助けに来たの!」

「で、でも絵凜ちゃんは関わらない、って」

「酷いこと言われてたら放ってはおけないでしょ!」

「沖串さん、誤解だよ。僕は酷いことなんて言ってないよ」

「なにおう! 一度だけなら絵凜だって勘違いかも、と自重したけど、瑠奈は二度もやめて、って言ってた! これが間違いなはずがあろうか!」

「ええ? そんなはずは――」


 ――や、やめてください! Remuちゃんを馬鹿にしないでほしい、です!

 ――や、やや、やめてください! 私、本当に偉くなんて……


「あ、本当だ」

「そら見たことか! ええい、行くよ瑠奈! ほら!」


 僕が弁解をする間もなく、綾芽さんは沖串さんに手を引かれ、何処かへと姿を消していった。


 僕は一人残されて、妙に感じ入っていた。


「やめてくださいって言われるの、えっちだな……」


 *


 あの後、昼休み終了直前に教室で再会を果たした綾芽さんは、こちらが申し訳なくなるくらいの恐縮具合で謝ってくれた。


「ご、ごめんなさい。絵凜ちゃん、一度思い込むと止まらなくなるところがあるんです。もともとの男子嫌いもあって、ああいう早とちりをしちゃっただけ、なんです。なんとか誤解が解けるように私からも言っておきます、から」


 けしからん奴。それが沖串さんが僕に下している評価らしい。


 彼女の考えの根底にあるのは、「この女子が溢れた世界において、男子がわざわざカースト最底辺の我々に話しかけてくるなんて、なにか後ろ暗い企みがあるのだろう。現に、瑠奈はやめてください、と僕へ拒絶の意思を示したではないか」というものだそうだ。


 一理ある。僕だって、前の学校で美人のクラスメイトに親切にされたら何か悪いことを考えているなと警戒しただろう。まあ、そんなこと一度もなかったから、話しかけられたら話しかけられたで、僕はほいほいとその悪巧みに引っかかってたかもしれないけどね。


 僕の場合は悪意の毒牙にかかりそうになっても助けてくれる人はいなかったけど、綾芽さんは違う。身を挺して守ってくれる友達がいる。僕は綾芽さんを勝手に似た者同士認定しているけれど、その差はわりとデカい。


「じー…………」


 とはいえ、友達を守るために監視に走るのは、やりすぎなんじゃないかな?


 昼休みを終えて五時間目と六時間目の間の休み時間。飲み物を買いに自販機まで足を延ばした僕は、なんとなく気配を感じて背後を振り返った。しっかりとは認識できなかったけれど、日の光を受けてきらりと光る綺麗な金髪が、ふわりと風を受けながら廊下の角に隠れたのが見えた。そのままじっとそちらを見つめ続けていると、沖串さんの小動物的な童顔が見え隠れする。


「沖串さん? 僕になにか用?」

「……瑠奈に近づくな」


 近づくなと言われても、隣の席だからなあ。物理的な距離はどうしようもないんだよね。それとも心理的な距離のことを言っているのかな。僕と綾芽さんの心がこれ以上近づくのは許さん、とか。


「な、なんか言え。そっちの狙いは、お見通しなんだから」

「とりあえず、綾芽さんに話を聞いてほしいな。さっきのは、嫌がらせをしていたわけじゃないんだ」

「誰が信じてやるもんか。ばーかばーか」


 まったく取り合ってくれやしない。そして監視継続。僕では誤解を解けそうもないので放っておいて、綾芽さんに託すしかないかな。それにかわいい子の視線を独り占めできるのは、それはそれで乙なものだ。


 自販機に辿り着いて、飲み物を買う。そして引き返す。必然、僕は背後にいた沖串さんに向かって歩くことになる。沖串さんは、僕と一定の距離を保つために後ずさるけれど、決して僕を視界から外そうとはしなかった。


「あっ」


 でも、後ろ向きで歩けば当然、歩行者とぶつかる。向こう側から歩いてきていた女子に衝突すると、体格で劣る沖串さんは弾き飛ばされた。女子は、よく見るとクラスメイトだった。


「は? 四組のブスじゃん。邪魔なんだけど……あー! ていうか王子じゃん! 王子も飲み物買いに来たん?」

「そうだけど……大丈夫?」

「私は大丈夫! ほんと前見て歩いてほしいっつーかさあ……そんなことより王子、今度一緒に出掛けよーよ! この前好きって言ってたアニメの映画、今やってるじゃん! あれ見に行くのとかどう!?」

「あ、うん、考えとくよ……」

「絶対だかんね!」


 大きく手を振ってクラスメイトの某さんは去っていった。僕が好きだったアニメ、あれも美醜逆転の影響を受けて登場人物が軒並み僕の好みじゃなくなっちゃったからなあ。考えとくとは言ったけど、丁重にお断りしよう。


 って、そんなことを考えてる場合じゃない。転んで解剖直前の磔のカエルみたいになっている沖串さんに駆け寄る。


「派手にいったね。大丈夫?」

「うう、かたじけない……」


 差し出した僕の手を取ろうとして上半身を起こした沖串さんは、「はっ!」と我に返ってすばやく飛び退った。


「優しくして絵凜を取り込もうなんて、小癪な!」


 初めて言われたよ、小癪なんて。


「ケガはない? 保健室まで着いていこうか?」

「な! 保健室に絵凜を連れ込んで、なにをしようって言うの! あ、あんなことやこんなことを、こんなイケメンに……うへへ」


 沖串さんはぶつぶつと呟いて黒目がちな瞳をとろんとさせた。頭でも打っちゃったのかな。そういう時は動かないほうがいいのに、すぐに飛び起きたりしたから、心配だな。


 沖串さんの頭を見て確かめる。うーん、コブとかになってそうなところはないけど、さすがにこういうのは触らないと分からないよなあ。目の焦点が合ってないのが気になるけど、でも勝手に触るのはさすがになあ。


 僕が悩んでいるうちに、正気を取り戻したようだ。間近に迫った沖串さんの瞳がぱちくりと瞬く。


「気付いた?」

「やだ超イケメン、持って帰りたい……じゃない! ええい! 覚えてろ大氏義也! 絶対に悪事の証拠を押さえて、白日の下に晒してやる!」

「あ、沖串さん!」


 僕の心配をよそに駆けだしてしまって、その小さな背中はすぐに見えなくなった。なんだか、僕は沖串さんに逃げられてばっかりだな。というか、これからも僕を見張るつもりなんだろうか。


 沖串さんって、結構ヒマしてるんだな……。

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