第11話


 夜。僕は早速、自室に籠って買ってきた小説を読みふけっていた。


「もう、こんな時間なんだ」


 ふと視界に入った時計が指し示す時刻を確認して呟く。もう夕食を取ってから三時間、ぶっ続けで読んでいたことになる。その事実に驚いた。


 僕のイメージでは、小説って言うと「こころ」とか「羅生門」とか、小中学生の頃に国語の時間に勉強したような読みづらいしどこら辺が面白いのか理解に苦しむものばっかりだったんだけれど、今日買ってきたいわゆる直木賞とか本屋大賞とかを受賞したものは、さすが有名な文学賞だけあって僕みたいな活字に縁遠い人種でもその面白さが理解できる。それが嬉しかった。


 常識が改変されてからというもの、僕が好きだったアニメ、漫画、ゲームすべてが美醜逆転の影響を受けてしまったせいで、ごくごく一部の作品を除いて、それらほとんどに興味を持てなくなってしまった。その点、活字は良い。視覚的に訴えてくるものはなく、すべて読み手の想像力で完結する。


 飲み物でも取ってこようかと腰かけていたベッドから立ち上がると、スマホが鳴った。なんだろう。こんな時間にアラームなんて設定してなかったはずだけど。


 スマホを取り上げると、ラインの通知だった。あ、そうか。ラインってメッセージが来たら通知が鳴るんだ。僕は友達がいないから、そんな当たり前のことも知らなかったんだな……。


 メッセージは片山くんからだった。記念すべき血縁者以外からの初ライン。僕はスクショを撮った。


『今日の帰り道、誰かにストーキングされてなかったか? 目撃情報が寄せられてるんだが』


 写真が複数枚送られてきた。そこには、僕の背中を険しい顔で見つめる沖串さんの姿が収められていた。電柱の陰から顔だけ出した姿って、はたから見るとこんなに怪しいんだね。


 僕は少しだけ文面を考えて返信した。


『この人、知り合いだから大丈夫! 僕の落とし物に気付いてわざわざ後を追いかけてきてくれてたんだよ。心配してくれてありがとう』


 噓八百だけど、嘘も方便。知り合いが逮捕されたらさすがに夢見が悪い。


『そうか。早まって通報しなくてよかったぜ。でも、一人で帰るのは無防備すぎるぞ。女ってのは、隙を見つけると襲い掛かってくるケダモノばっかりだからな』


 片山くんらしく危機管理バチバチだ。でも、これくらいがこの世界での標準なんだろうな。僕も意識を改めないと。


『明日からは護衛? の人が付くことになったから、もう一人で登下校はしないよ』


 自分で書いていて思ったけど、護衛だなんてやんごとなき身分にでもなったような錯覚を起こさせるね。でも、これは本当のことらしい。


 今日の夕食時、母親から「申請してた登下校の護衛さん、ようやく明日から就いてもらえるようになったそうだから、明日からは護衛さんと一緒に登校だからね」と告げられた。はあ? 護衛? 申請してた? と僕は当然の反応をしたわけだけれど、よく話を聞くところによれば、この世界では男子の登下校時に専属の護衛が付くことが当たり前らしい。増加する男性を狙った犯罪に対応するために採用されている方策で、全世界的に主流とのことだ。


『それなら安心だな。だけど護衛にも気を付けろよ。スタンガンは肌身離さず持っておけ』


 しかしながら、護衛が護衛対象を襲う事案も無きにしも非ずということだ。なにしろ男性過少世界。護衛は当然女性だ。血迷って護衛対象を手籠めにしようという人もいるらしい。そういうわけで護衛対象たる男性には、護衛から身を守るための護身具としてスタンガンが支給される。


 護衛から身を守るってなんなんだ?


『うん、忠告ありがとう。十分気を付けるよ』


 取り越し苦労になるだろうけど、今のうちにスタンガンの使い方を覚えておこう。

 スマホでスタンガンの使い方の動画を見てから、その日は終わった。


 *


「超、超超超超イケメンじゃないスか! 先輩、これ当たりスよ、当たり! ワンチャン狙ってもいいスかね?」

「リカ、本人を目の前にしてそんなこと言ってる時点でノーチャンだからな」

「えー、じゃあ襲うしかないかー。あんまり強引なのは好きくないんスけどねー」


 翌朝のことだ。すっかり登校準備を整えた僕のもとに、ぱりっとしたスーツ姿の護衛さんがやってきた。二人組のうち、髪を金色に染めた女性の方は、僕のことを認識するや否や鼻息荒く絶世の美少年だとか騒ぎ始めたのだ。


 まさかのスタンガンチャンス到来。玄関の三和土で会話する二人の女性――今日から僕についてくれる護衛に向けて、スタンガンをパチッと鳴らす。


「ちょ、ちょっとちょっと! 冗談スよ! 義也くん、落ち着いてほしいス! それ、当てられるとめちゃくちゃ痛いんスから!」


 リカ、と呼ばれていた軽い口調の女性が慌てふためく。スタンガンの威力を知っているということは、前科があるということ。ますます警戒しなければいけない相手だった。


 それに対して黒髪の女性は同僚の扱いを心得ているらしい。リカさん(仮称)の片腕を脇でがっちりと固めると、僕に笑顔を向けた。


「義也くん、不安なら威嚇の意味で一発くらいは当ててもいいぞ。先輩の私が許可する」

「そんな、勘弁してくださいよ! 軽いジョークははじめましてのご挨拶じゃないスか! ね、ね? 許してくれるスよね?」


 ジョークにしては舌なめずりしたり、獲物を前にした爬虫類じみた眼光を向けてくるのは気になったけれど、ここまで懇願されると僕も弱い。スタンガンを懐に収めて、非戦の意思を示す。


「優しっ! 器のデカいところもまた、『イイ』じゃないスか……」

「よし、一発やっとこうか」

「ちょいちょいちょい! だから冗談ですって!」


 護衛というよりは営業にやってきた漫才師みたいな二人組だ。僕は先行きの不安を感じ始める。ちゃんと守ってくれるのかな。襲われる確率の方が高い気がするけど。


「あ、護衛さん来たんだ。どうも初めまして、義也の姉です。母はもう出勤してしまったので、アタシが代わりにご挨拶をと思いまして待っておりました」


 騒動に気が付いたのか、リビングの方から姉が出てきた。待っていたというだけあって、化粧もして身支度はバッチリだけれど、顔つきは僕に似て今日も相変わらずパッとしない。まあ、護衛さんへの挨拶のために待っていてくれたのは感謝しないでもない。


「お姉さま、お初にお目にかかります。私、坂島と申します。そっちの煩いのが……」

「叶守エリカと申します! よろしくお願いします!」

「お母さまとは何度かお会いしておりましたが、ご挨拶が遅れまして申し訳ございません」

「ええ、聞いてます。そんなにかしこまらないでください。愚弟を死なせずに送り届けてもらえれば結構ですから」

「お姉さま、じゃあウチが弟くんを襲っても大丈夫スか!?」

「まあ死ななければ」


 いいわけねーだろ。


 後ろで小躍りするリカさんを放置して、坂島さんが力強く頷いた。


「義也くんの護衛として、しっかりと務めを果たします。どうぞご安心ください。……しかし、美男美女とはまさにこのことですね。お二人とも、本当に見目麗しい」

「あはは、よく言われます」

「姉はお世辞を本気にする鳥頭なので、あんまり褒めないでください」

「黙れクソオタク」

「いてっ!」


 頭を叩かれた。世界が変わっても暴力的な面は変わらない。なまじ綺麗だと持て囃されるようになった分、増長している節もある。厄介なことだ。


「さて、それでは我々はそろそろ出発します。護衛が付いた初日から遅刻となれば、上からはお小言だけでは済まないでしょうから。……いつまで踊ってる、行くぞリカ」

「ハッ! 行ってきますお姉さま!」

「はい、どうぞよろしくお願いします。愚弟、とっとと行け。アタシはこれから化粧落として二度寝するんだよ」

「いてえっ!」


 尻に一発軽く蹴りを入れられ、いよいよやられっぱなしも癪だ。だけど僕はぐっと我慢する。姉はこう見えても柔道の有段者であるから、ひょろがりの僕が体術で挑んだところで無様に固められて圧殺されるだけだ。今はまだ、牙を研ぐ時なのだ……。


 自宅前の道路には、立派な黒塗りのレクサスが停まっていた。その物々しさは、長閑な住宅街にひどく不似合いで、僕はすごく気後れした。護衛が付くなんてやんごとなき人みたいだなあとか呑気に考えていたら、本当にVIP待遇で送り迎えされるみたいだ。学生身分の男子を一人送迎するにしてはあまりにも大げさだが、前途ある若い男性を護衛するには、これがいたって普通なのだとか。


「ほらほら、はやく乗りましょう!」


 リカさんが僕の背中を押す。車に乗り込むと、運転席には既に人がいた。護衛の二人とは別に運転手がいるようだ。ますます気後れ。僕は後部座席で坂島さんとリカさんの二人に挟まれた形になる。


 右隣に座ったリカさんが、うきうきとした声で運転席に話しかける。


「ねー見てよサキちゃん。どう? ウチの言ったとおりでしょ? 超イケメン! これはさすがにウチの勝ちでしょ?」

「チッ……」


 運転手――サキさんというらしい――が舌打ちとともに、一万円札を差し出した。リカさんはそれを「まいどありー!」と受け取っていそいそと胸ポケットにしまい込んだ。なんだ? と疑問符を浮かべていると、坂島さんの叱責が飛んだ。


「お前ら、護衛対象の容姿で賭けをしてるんじゃない!」


 賭け? リカさんはやべ、という表情をした後で作り笑いを浮かべる。


「賭けだなんて人聞きが悪いスね先輩。サキちゃんとウチで、義也くんがイケメンかそうじゃないか、当てっこゲームをしてただけで……」

「それを賭けというんだろうが!」


 坂島さんは身を乗り出してリカさんに組み付き、ポケットにしまい込まれた一万円をむしり取り、運転席のサキさんに押し付けた。


「そ、そんな! せっかくの儲けが……」

「お前らはいい加減つまらないギャンブルからは足を洗え。特にリカ! お前、このままだと破滅するぞ! この前も同僚から金を借りてただろう!」

「賭けの稼ぎがないとそれこそ破滅するんですよ! サキちゃん、それウチの一万円んんん!」

「見苦しいからやめろと言ってるだろうがっ……!」


 運転席に身を乗り出すリカさんと、それを押しとどめようとする坂島さん。その二人に挟まれた僕は、必然、二つ分の女性の身体を押し付けられることとなる。

 たちまち僕はうめき声を上げる。


「うう……」

「ど、どうかしたスか?」

「あ、ああすまない義也くん。苦しくないか?」


 前かがみになって嗚咽を漏らす僕のことを心配してくれる二人を手で制する。


「何でもないんです。苦しくもなんともなくて、でも、個人的な事情で……」

「うんこスか? おウチに戻ります?」

「お前デリカシーなさすぎだろう」

「ほんと、なんでもないんです。このまま学校まで行ってもらって大丈夫です」


 男子が前かがみになるときなんて決まってる。そう、股間がアレなのだ。大人の女性二人に左右を固められ、身体を押し付けられて、とても女性にはお見せできない感じに股間が隆起している。それだけだ。なにせ僕は常識改変が起こってからまともに抜けていない。ちょっとした刺激で暴発してもおかしくないのだ。


 バックミラー越しに、サキさんが発進を迷っている様子が見えた。僕は再度「行ってください」とお願いして、ようやく車は滑り出す。それでも、脇の二人は心配そうに僕の耳元に口を寄せる。


「本当に大丈夫スか?」

「学校に遅刻の連絡して、どこかで休んでもいいぞ」


 うおおおおおおおおおおおおおおお耳元で囁かないでくれええええええええええええ!


 嗅覚触覚への刺激とともに聴覚が無自覚ASMRに晒される。その甘美なことと言ったら! 


 くそう! 僕はこれから毎日の行き帰りは、拷問に耐えなければいけないのか? あんまりだ! 早めに安定した夜のお供を見つけないと!

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