第2話
「おお、来たな、大氏」
登校したら職員室に来るように、というお達しがされていたため、僕は早速担任の先生の下へ向かった。僕が転入する二年三組の担任である唐沢先生は、凛々しい雰囲気の女性教師だった。知的な雰囲気と綺麗な黒髪が目を惹く美人だ。
「今日からよろしくお願いします」
「ああ、よろしく。月並みだが、一発目は自己紹介やってもらうからな。考えてきたか?」
「えっと、特には。名前だけ言うつもりなので」
「そりゃよろしくないな。ウチのクラスの奴らは、転校生が来るとあって今か今かと待ち望んでるんだ。少しは気の利いたこと言ってサービスしてやれ」
「いや、でも、僕みたいな不細工がサービスしたって、喜ぶ人なんていないですよ」
自嘲の意味を込めて吐き捨てる。待ち望まれているなんて、僕にとっては凶報以外の何物でもない。僕みたいな見た目掃き溜めが転校生だと知った時のクラスのシラケ具合が目に浮かぶようだ。
僕が苦い顔をしていると、先生はきょとんとした。
「なに言ってるんだ、お前。随分と自分のことを卑下するんだな。謙遜は美徳というが、やりすぎは嫌味になるだけだぞ」
謙遜? 先生の方こそなにを言っているんだ。僕のことを初見で人間だと看破できる人の方が少ないくらいなんだ。これは謙遜ではなくただの事実だ。そりゃ、先生みたいな美人は僕の苦労なんか分からないだろうけど。
僕が鬱々とそんなことを考えていると、背後から「お話し中すみません」と、澄んだ青空に響く鐘のような和音が聞こえた。振り返る間もなく、声の主は先生に近づく。
「
「進路調査票、提出、です」
綾芽と呼ばれた女子は平均的な身長に見えるけど、カモシカのようにすらりと長い足が彼女のスタイルを際立たせていた。プリントを掴む指はガラスの工芸品みたいに細い。
「お、早いな。提出物を早く出してくれるのはお前くらいなもんだよ。他の奴にも見習わせたいよ、まったく」
「早く出してくれると助かる、って仰ってたので、あの、それだけです、はい」
「それより綾芽、髪色変えたか?」
「あ、あ、Remuちゃんがこの色にしてて、その、真似してみようかと」
女子が毛先を指で弄る。グレーのウルフカットに、インナーカラーでピンクが入っていた。普通の高校生としては遊びすぎな色に思えるけれど、先生は特に咎めることもせずに「似合ってるじゃないか」とだけ言って笑った。
「あ、ありがとうございます。その、じゃあ、私はこれで」
振り返りざまに女子と目が合って、僕は腰を抜かしかけた。
め――――っちゃかわいい。これまで見たどんな芸能人やモデルよりも顔が小さく、整っている。それだけじゃない。オパールの瞳には魅了の魔法でもかかっているのかと勘違いするほどに妖しい煌めきがあって、肌は日焼け知らずの白が眩しい。
しばらく目が離せなかった。わかりやすく言えば、見惚れていた。
しかし、それは僕という野獣が犯してはならない禁忌だった。綾芽さんは戸惑いに表情を歪めて僕から視線を外すと、逃げるようにして職員室から出て行ってしまった。ああ……。失敗した。自分の顔面レベルを忘れて、不躾な視線を浴びせてしまったことを後悔する。こんな不細工に見つめられたとあっては、そりゃ逃げ出したくもなるよ。
「先生、今の女子はクラスメイト、ですか?」
「ああ。
「すみません……」
あれだけかわいかったら、きっとこれまで注目を集めてきた人生だっただろう。以後、気を付けます。
「よし、それじゃ、そろそろ時間だ。行くか」
先生がホームルームの用意をして、立ち上がった。職員室にいた他の先生方も、めいめい教室に向かい始めている。改めてよく見ると、先生はほとんど女性……というか、女性しかいなかった。随分と不思議な光景だ。
先生の後ろについて、教室までの道のりをゆく道すがら、僕はそのことについて尋ねた。
「女性の先生が多いんですね、この学校」
「そうか? 特別多いという気はしないがな。前の学校も同じくらいだっただろう?」
「いえ、むしろ男性が八割くらいでしたけど」
「なに!?」
先生は過剰に驚いて、それからため息をついた。
「……って、冗談だろう。そんなわけがあるか。もし本当だったら……なんて羨ましい環境なんだ。そんなの楽園じゃないか」
恍惚とした表情でそんなことをのたまうので、僕はつい心の声をそのまま口にしてしまう。
「先生くらい美人だったら、職場に出会いを求めなくても男は寄ってきそうですけどね」
すると、先生は急に立ち止まってこちらを振り返った。その目が胡乱だ。
「おい、本気で言ってるんじゃないよな?」
しまった。大人――しかも教師を美人だなんて、叱られても仕方のない不用意なセクハラ発言だった。僕はひとまず「すみません、つい」と頭を下げる。先生は鼻を鳴らして正面に向き直る。
「大氏、次そんな冗談言ったらマジで犯すぞ。いいか? 私くらい恋愛に縁のない女性はいないと自負があるからな。ワンチャンをものにするためなら、教師という立場なんてかなぐり捨てる覚悟があるぞ。覚えとけよ」
「えっと……?」
叱られた、でいいのかな? よくわからないけれど、意外にも先生はあまり男性との縁がなかったらしい。実年齢は分からないけど、見た目から言っても確実に二十代だろうし、これだけ綺麗なら男が放っておくはずもないと思うんだけど。
疑念を抱きつつも、教室の前に辿り着いた。それと同時に鐘が鳴る。ホームルームの開始だ。
今更ながら緊張してきた。気持ちを落ち着かせようと廊下の窓の外を見る。
「はっ!」
そこで僕は驚愕する。そういえば髪ぐちゃぐちゃのままだった! なんてことだ。窓ガラスに映るのはこちらを見る化け物一匹。こんなのが教室に入ってきたら、きっと卒倒する人が続出だ。猟友会に討伐依頼を出されてしまうかもしれない。最低限の身だしなみは整えないと。
「あの、先生。お手洗い行ってきてもいいですか」
「ここまで来てか? 我慢できないのか?」
僕は力強く頷く。犠牲者が出ないための未然の策なのだ。
「ならさっさと行ってこい。私はホームルーム始めてるからな。準備できたら入ってきてくれ。ああ、あと知ってるとは思うが、男子用のトイレは奇数階にしかないからな。ワンフロア降りて三階のを使ってくれ」
ということで、僕は可及的速やかにトイレに駆け込み、鏡とにらめっこする。それにしても、男子トイレが奇数階にしかないなんてデパートみたいで変わった学校だな。忘れないようにしないと。
苦闘の末、なんとか見れなくはない、くらいにまで容姿を整えて教室へ向かう。思いのほか時間がかかってしまって、もうすぐホームルーム終了の時間だ。急ごう。
教室にたどり着く。息を整えるとともに、耳をそばだてて中の状況を確かめる。
「せんせえ、転校生ってどんな感じ?」
「それは見てのお楽しみだな。まあ、期待外れということはないと思うが」
「やった!」
うわあ…………。どうして僕の顔を見ておきながらそういうことが言えちゃうのかな、先生は。しかも教室のボルテージもすごい上がってるし。もうバックレてやろうかな。よし、そうしよう。人並みの青春なんてクソ食らえだ。
「にしても遅いな。大氏はなにをやって……って、いるじゃないか」
忍び足で逃げようとしていると、扉を開けて廊下に顔を出した先生と目が合った。
「なにしてる。時間ないんだぞ」
「あの、やっぱり転校やめようかと」
「ここまできて何をわけのわからんことを。ほら、はやく来い」
ですよね。うう……。
半ば強制的に先生に連れられて、教室へ入る。
そこには、僕の予想をはるかに超える光景が広がっていた。
(全員、女子……?)
いや、違う。窓際の列に男子が一人いる。でも、それだけ。それ以外の二十九人のクラスメイトは、女子だった。男子の比率は僅か三パーセント。こんなに極端な構成は見たことがない。
「よーし、それじゃみんなのお待ちかね、今日からこのクラスに転入する転校生を紹介するぞ」
ファーストインプレッションは、案の定最悪だった。
僕の顔を見るなり、あまりの不細工っぷりに気絶してしまった女子がいる。
悪夢であってほしいと、隣同士で頬っぺたをつねりあっている人もいる。
挙句の果てには、僕の顔をSNSで笑いものにするつもりなのか、断りもなくカメラで連写している人すらいた。
挫けそうになる。でも、負けちゃだめだ。こうなることを覚悟で、僕は転校を選んだ。母親にだってこれ以上迷惑をかけたくない。僕はこの学校で、過ごしていくしかない。
「おい、お前ら聞いてるのか。そこ! 勝手にスマホを出すな。……自己紹介なしでいいのか?」
いや、それは僕が困るんですけど……?
クラスの女子全員が、瞬く間に背筋を伸ばして前に向き直った。気絶していた人も、いつの間にか正気に戻ってこちらを一心に見つめている。その視線が、なぜだか、爛々と輝いている。
先生に促され、僕は覚悟を決めて言葉を絞り出す。
「し、市立小牧高校から転校してきます……きました、
あーもう、最悪だ。
どもったし、噛んだ。
後悔したのもつかの間、僕の耳に届いたのは、
「正統派美少年来たああああああああああああああああああああああああああああ!」
地鳴りのような歓声だった。
えっと…………。
正統派美少年? どこの誰が?
「ヤバいヤバい! ほんとヤバいって! 大当たりじゃん!」
「はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ…………」
「水戸っちが過呼吸なってる! イケメンレベル限界突破の証拠だよ!」
「きゃー! こっち見てー!」
喧噪の中を見回すけれど、クラスメイトの視線の先に男は僕しかいない。つまり、正統派美少年及びイケメンレベル限界突破の男とは、なにを隠そう僕のこと……なわけがない。僕はそこまで楽天家ではない。なにせ蓄積があるからね。これまで罵られてきた蓄積が。
僕は暗澹たる気持ちになる。
これはおそらく、嫌味だ。過去に同じことをされた経験がある。厳密に言えば、僕は前の学校で「よっ、絶世の美少年!」なんて言葉でよくからかわれていた。心にもないことを言って人をあざ笑うのは、仲間内ではきっとすごく面白いんだろう。言われる方にとっては、ただの侮辱よりもよっぽどキツイ。
でも、僕はそれを受け止めるほかない。期待していた転校生がこんなに不細工なんだ、そりゃあ不満のひとつやふたつも言いたくなるものだよね。僕だって、せっかく実装されたレナの水着スキンが微妙な作りだった時にSNSでお気持ち表明したことがある。それと同じだ。
「それじゃ大氏、お前は廊下側一番端の列、一番後ろな」
「先生、質問タイムはー?」
「とっくにホームルームの時間は終わってるんだ。各々勝手にやれ! ほら、現文の杉本先生がもう廊下で待ってるんだから、お前ら速やかに準備しろ! いいな!」
みんなが鞄から教科書やノートを取り出す中、僕は自分の席を目指す。その一挙手一投足にも注目が集まる。そしてひそひそ話。
「マジのマジ? ほんとにあのイケメンがクラスメイト!?」
「もうすでに一目惚れなんですけど(笑)」
「匂い嗅ぎて~」
「ねえ、誰か話しかけてみてよ」
「ええ!? でも……」
嫌味がやけに耳につく。針のむしろ状態で自席に座って、僕は黙ったままでいる。
なんで落ち込んでるんだ、僕は。こんなこと、わかってたことだろ。
「はーいそれじゃさっさと現代文始めますよー。用意はいいですかー。教科書開いてー。三十二ページー」
眼鏡をかけたキツそうな女性の先生が入ってくる。だいぶ一時間目に食い込んでしまったみたいで、有無を言わさぬスピードで授業を始めてしまった。沈んだ心のまま、教科書を用意する。
が。
(うわ、うわあ、マジか……)
肝心の教科書がない。そうだ。そういえば、現代文の教科書だけまだ届いてない。昨日までは、事情を説明して隣の人に見せてもらおうと思っていたんだった。でも……。
隣を見る。隣の席はなんと、さっき、その美しさに腰を抜かしかけた綾芽さんだった。イカツイ髪色した美人でカーストトップですけどなにか? という風貌の綾芽さんは、僕みたいな弱者男性に話しかけられることをよしとする人種でないことは明らかだった。
じゃあ反対側の隣は……壁です、はい。
馬鹿だな、僕は。苦笑いする。
誰であったって、僕みたいな不細工に手を差し伸べてくれる奇特な人はいない。今までそうだったし、この学校でもそうであることを覚悟して来たはずだ。環境を変えたところで、僕自身が変わったわけじゃない。
このまま大人しく過ごそう。先生に見咎められたら、まあ、素直に謝ろう。
諦めて前に向き直る。
その時だった。
「あ、あ、あの、教科書、見ます、か?」
声も出なかった。何故か。
話しかけることすらあり得ないと思っていた綾芽さんから、遠慮がちに声をかけられたからだ。
「き、教科書、ないんです、よね? よかったら、机くっつけて、一緒に見たり、とか。えとえと、迷惑だったら、全然、いいんですけど」
「…………いいの?」
なんで僕なんかのために。僕の声は自然と低くなった。
それでも、綾芽さんは顔を真っ赤にしながら、はにかんだ。
「は、はい。私なんかでよければ、一緒に見ましょう」
がたがた言わせて、机をくっつける綾芽さんの姿。
それが、僕が初めに得た希望だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます