第24話 綾芽瑠奈の場合


 行ってきます、と聞こえないくらいの声量で言ったはずなのに、お母さんはリビングから飛んできた。私の服装を見て満足そうな表情のお母さんは、私の肩をぽんと叩く。


「行ってらっしゃい。……ほら、なに暗い顔してるの! 大丈夫、今日の瑠奈はかわいいよ。不安になる必要ないって。お母さんが保証する。せっかく楽しい集まりに誘われて行ってくるんだから、明るくしてないと!」

「……うん」


 歓迎会当日。開始時間に間に合うように、私は家を出る。お気に入りのワンピースと、お母さんが誕生日に買ってくれたお高いバッグで、当社比ではいくらかマシな格好になっている私を、勇気づけるようにお母さんは何度も頷いている。


「今日の瑠奈を見たら、きっとその大氏くんって子も見る目が変わるぞ~。お母さんがお父さんをワンチャンスでものにしたみたいに、瑠奈も頑張ってきな!」


 私にチャンスはない。だって、今日、歓迎会を欠席する私は大氏くんに会えない。私がこの時間に、この格好で、なんの予定もないのに家を出るのは、お母さんを悲しませないためのカモフラージュだから。


「行ってきます」

「行ってらっしゃい。遅くなるようだったら迎えに行くから連絡してよ!」


 それに答えず、扉を閉める。

 グループラインの通知を切っておくべきだった。スマホを肌身離さず持ち歩くべきだった。後になってみれば、いくつも後悔が浮かんでくるけれど、もう終わったことだった。


『【朗報】歓迎会開催日はクラス全員が参加可能な次の土曜日で決定!』


 主催の宮本さんが全員あてに送ったメッセージは、私がお風呂に入っている間にスマホに通知され、それをお母さんが偶然見てしまった。クラスの集まりに呼ばれることなんて滅多にない私が、参加する。その事実にいたく喜んだお母さんの前で、「私はいるだけで迷惑らしいから行けない」なんて、言えるはずもなかった。


 体調不良のふりをすることも考えた。だけど、メッセージを見たその日から、体調を崩さないようにと健康に配慮した料理を作ってくれるお母さんに、そんな罰当たりなこともできなかった。


(ここも、ダメか)


 土曜日の午後五時四十五分を、あてどもなく歩く。周りのお店はどこも、友人、家族で一緒の時を過ごしている人で溢れている。その中には、私が学校で見た覚えのある顔もいくつかあった。


 時間を潰せる場所に行きたかった。なるべく人目につかず、食べ物があって、雨風を凌げる場所。そこで私は、歓迎会が終わる時刻まで暇をつぶして、何食わぬ顔で家に帰る。それが私にできる最善のことだった。


 でも、都合の良いところはなかなか見つからない。


(仕方ない、よね)


 私はコンビニに寄っておにぎりを二つ買い、イートインでそれをもそもそと頬張る。家に帰っても、私の分のご飯は用意されていない。どこかでお腹を満たして帰らないと、空腹には耐えられなかった。空腹それ自体というよりも、今よりも痩せてしまって、理想のふっくらとした体型から離れてしまうことが辛い。


 スマホを見ながらお腹を満たしていると「え、マジ?」という声と、クスクス笑いが聞こえてきた。何気なくそちらに目を向ける。


「三組のさ……」

「あ、ほんとじゃん。でも三組って今日、クラスで王子の歓迎会じゃないの?」

「いやだって綾芽って……」

「あー、そっか。それで……」


 隣のクラスの陸上部の人だった。部活帰りなんだろう。

 可及的速やかに食べかけのおにぎりを鞄にしまい込み、その場から離脱する。後ろから聞こえてきた笑い声は、聞こえないふりをした。


 それから、誰にも見られない場所を探した。私の存在していられる場所を見つけたかった。誰にも笑われず、見とがめられず、迷惑をかけない場所が欲しかった。そんなところ、どこにもあるわけないのに、私の足は行くべき場所を知っているかのように動く。


 学校の門は閉まっていた。でも、追い詰められた人間の行動力はすごくって、私はそれをなんとかして乗り越える。他の人に見られたら通報されるだろうけど、もう破れかぶれだった。


 いつもの場所に辿り着いて、冷たい石段に腰を下ろす。おにぎりの続きを食べようと鞄を開く。


「あ……」


 食べかけで放り込んだから、ご飯粒が鞄のあっちこっちにくっついて、無残なことになっている。それを一粒一粒指でつまみ取りながら泣きたくなってくる。私、なにしてるんだろう。おしゃれして出かけて、行った先がコンビニのイートイン。そこからも逃げ出して、こうして学校に来てる。挙句の果てには手をご飯粒まみれにして途方に暮れている。惨めで、胸のあたりがきゅっとなる。


 スマホに通知が届く。グループラインが動いているらしい。もう、開始時刻はとっくに過ぎているはずだ。連絡なら、直接話せばいいのに。疑問に負けて、トークを開く。


『アルバムが作成されました』

『かれん*から写真が共有されました』

『mikiから写真が共有されました』

『独り占めはダメだからね、皆共有すること!』

『王子の顔引きつり過ぎてて草』

『は? ミキってば王子にくっつきすぎじゃね? 協定違反なんだが』

『許して(ぴえん)』


 写真が流れていく。宮本さんが大氏くんに料理を食べさせてあげているところ、田中さんが大氏くんと控えめにピースして写る姿、王様ゲームをして頭を抱えている片山くん……。


「いいなあ」


 みんなの笑顔がそこにあった。学校じゃないところで、いつもと少しだけ違う姿のクラスメイトを、その新鮮さをみんなで楽しんでいた。写真から楽し気な喧騒が聞こえてくるようだった。


「いい、なあ……」


 嗚咽が漏れてきて、膝を抱える。誰もいないから堪える必要なんかないのに、それでも私は必死にそれを堪える。

 私は、ここにいない。いなくてもいい存在だから。いるだけで気を遣わせてしまうから。迷惑をかけてしまうから。だからここにはいられない。いてはいけない。


「わかってるよぉ……」


 わかってるけど、そこにいたかった。普通の高校生みたいに、クラスみんなで盛り上がってみたかった。青春を謳歌してみたかった。私は、ただの一度もそれを経験したことがないから。たった、一度だけでも。それだけだった。それだけでも、やっぱり、私なんかには過ぎた願いなのかな。


 堪えきれなくなってきた嗚咽は、もう堪える必要が無くなった。誰にもいない校舎に響く嗚咽すら、降り出した雨の音が消してくれる。


 通知音をがなり立てるスマホは、それきり、鞄にしまい込んだ。


『綾芽さん、今、どこにいるの?』

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