第25話

 雨が降り出してきた。予報ではもっと遅くなってから降り出すと言っていたけれど、こういう時のためにいつも折り畳み傘を常備している僕に抜かりはない。


「うん、わかった。ありがとう。もうしばらく近くを探してみるよ」


 通話相手にお礼を言ってから電話を切る。そのままラインを開いてみるけれど、送信したメッセージにはやはり、既読はついていない。ポケットにスマホをしまいながら、辺りを見回す。


「どこ行っちゃったのかな、綾芽さん」


 今から少し前に、叶守さんから電話がかかってきた。なんでも、部活帰りの陸上部員が綾芽さんがコンビニによそ行きの格好でいる姿を見たのだという。叶守さんは直接見たわけではないけれど、陸上部のグループラインで目撃談をやり取りしていたため、気になって僕に連絡をしてきたらしい。


『あれだけ楽しみにしてたのに、瑠奈は歓迎会、参加してないの?』


 叶守さんの疑問に答えることができなかった。

 僕のせいで、綾芽さんは歓迎会を辞退するしかなくなったのだと、答えられなかった。


 ――まだわかんねえのかよ、大氏。


 片山くんの声が去来する。僕はちっともわかっていなかった。僕がどういう立ち位置にいるのか。この世界で女性からどんな見られ方をしているのか。どれだけ衆目を集めているのか。


 ――お前のせいじゃねえか。


 片山くんが、歓迎会の途中で主催の宮本さんに綾芽さんの欠席の本当の理由を聞き出してくれたらしい。


 綾芽さんは、会の参加を辞退させられた。自分がクラスに馴染めていないことを理由に、僕の優しさを利用して占有している。それが生意気で気に食わないから、歓迎会から綾芽さんを排除する。川上さんがそう決めたのだそうだ。


 ――お前みたいになにもないブスを認める男がどこにいるんだよ!


 川上さんは綾芽さんに向かってそう言ったらしい。僕は、それを伝え聞いて怒っていながら、心のどこかで納得してしまっていた。綾芽さんのひび割れた笑顔と、自らを貶める言動のその意味が、皮肉にもその一言でようやくわかったからだ。


 ――私には、なにもない、ので。


 アスファルトにぶつかって弾けた雨粒が、ズボンの裾を濡らした。日の入りと降雨により急激に下がった気温のせいで、傘を持つ右手がかじかんでいた。雨が止む気配はない。


 すべてが僕のせいだとするなら、なにもかももう遅い。今更綾芽さんを見つけたところで、歓迎会の雰囲気は僕がぶち壊した。そもそも主役が考えもなしに飛び出してきたせいでその意味を失っている。


 足が止まる。

 僕は、なにがしたかったんだろう。どうすべきだったんだ。


「王子!」


 冷たくなった指先を吐息で温めていると、僕を呼ぶ声がした。

 沖串さんだ。ぱたぱたと息を切らして駆けてくる。


「瑠奈、この近くのお店には立ち寄ってないみたい。手当たり次第に当たってみたけど、見てない、って。絵凜からの連絡も無視してるみたいだし、王子もでしょ?」


 頷くと、沖串さんは大きくため息をついた。

 叶守さんは、沖串さんにも連絡を取ってくれていた。そう遠くないところに偶然いたという沖串さんは、綾芽さん探しへの協力を厭わず、これまで動き回ってくれていたらしい。


「もう! 王子の連絡も無視するなんてあり得ない! 絵凜だったらいついかなる時でも……たとえお風呂中でも一分以内には返信するのに!」

「全部、僕のせいなんだ。僕がクラスメイトにみんなと仲良くしたいなんて言ったのに、綾芽さんと一緒にいる時間が長かったから、不信感を植え付けちゃった。綾芽さんはなにも悪くないんだよ」


 僕の犯した過ちを沖串さんに説明する傍らで、ふと、通りがかったコンビニのガラスに映った自分と目が合う。誰がどう見ても人間離れして醜悪な面がそこにあった。僕がずっと付き合ってきて、これからも付き合うことになる顔だ。加えて、中肉中背の体型、運動神経皆無の猫背、センス零のコーディネート……。


 ――わ、私は愛想もなくてブスで、いなくなっても誰も困らない、そういう、存在です。


 僕だってなにもない。

 なにもないから逃げ出したんだ。

 逃げ出した先がこの世界だった。なにもかも僕に都合が良くて、なにもしなくても持て囃されるところに逃げ込めただけの木偶の坊が僕だ。これまで誰かに優しくしたことなんかない。現状を抜け出そうと努力をしたこともない。


 僕と綾芽さんの違いはいったい、なんなんだ。

 どうして綾芽さんだけが苦しんでいるんだ。

 どうして僕だけが安穏と楽しんでいるんだ。

 僕のせいで綾芽さんは苦しんでいるというのに。


「でも王子はなにも悪くない!」


 事態のすべてを理解したらしい沖串さんが叫ぶ。傘を放って僕に詰め寄る。


「悪いのは全部、瑠奈をイジメてる川上とそれに迎合してる他の奴ら! それ以外に誰がいるって言うの!」

「ううん、僕はもっと上手くやれたはずなんだよ。綾芽さんがクラスに馴染めていないなら、他のみんなとわかりあえるように架け橋になるべきだった。こうなってしまう前に打てる手があったのに、僕はなにもしなかった。なにもしなかったから、綾芽さんを傷つけるような事態を引き起こした」


 人間、見た目がすべてだ。見た目さえよければ世の中どうとでもなる。そう信じてた。


 だけど、どうだろう。正統派美少年とさえ呼ばれた今の僕は、女の子一人を絶望の淵に追い込んでいる。クラスメイトからは反感を買っている。この事態になにもできずに手をこまねいている。


 結局、僕が愚かであることはなにひとつ変わっていない。


「違う! 違う違う違う! そんなことない! バカなこと言わないでよ! 王子のしてきたことはなにも間違ってない! 瑠奈が王子に話しかけられてどれだけ喜んでたのか知ってるの? たくさんかわいいって言ってもらえたって笑ってる瑠奈の顔見てないの? デートの日はどういう服装にしようか嬉しそうに悩んでた瑠奈のことも、全部間違ってたって言うの?」


 これまでを想った。


 お昼に二人でたどたどしくて拙い会話の練習をしたこと。お昼休み終了の鐘の音を合図に、また教室で、と手を振って別れた日々。沖串さんに勧められて、僕の肩に遠慮がちに小さな頭を乗せて耳まで真っ赤にしていたこと。歓迎会に参加するための私服をスマホで吟味していた時の子どもみたいな横顔。


「瑠奈が王子にしてほしいことは、後悔なんかじゃない!」


 もしも。


 もしも僕にできることがあるとするなら、それはどんなことだろう。

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