第27話

 週が明けて月曜日。


 僕は、自宅のドアに噛り付いていた。


「いやだ! 今日は絶対に学校を休むんだ! 意地でも行かない!」

「小学生みたいな駄々のこね方してんじゃねー! 愚弟風情が! さっさと行け!」


 姉に横四方固めを食らいながら、ずりずりと玄関の方まで押し出されるけれど、僕は手近にあったドアにしがみついて堪える。が……駄目っ……! 武道の心得のある姉の出力はさながらブルドーザーだ。抗うことはできず、あっという間に坂島さんとリカさんの待つ三和土へと到着する。


「助けてくださいリカさん! 僕は今日、どうしても学校に行きたくないんです!」


 涙ながらに懇願すると、坂島さんとリカさんは顔を見合わせた。


「どうしたんスかいきなり」

「珍しいな、義也くん。いつもは楽しそうに学校に行くのに」


 日曜日だった昨日、僕が歓迎会の日にしでかしたことをゆっくりと考えてみた。

 僕のためのイベントの最中に盛り下げる言動。途中抜け。そして、綾芽さんへのキス。


 どれかひとつだけであっても、夜な夜な思い出しては頭を抱えてのたうち回るくらいの愚行なのに、僕はそのどれもを一日の内に立て続けに犯した。冷静になってみれば、僕は、みんなに合わせる顔がない。だから仮病で休むしかない。


 もしくは、


「そうだ、転校、しよう」

「いいから、行けッ!」


 姉にお尻を蹴飛ばされて、家から追い出された。

 とぼとぼと歩いて車に乗り込むと、リカさんは心配して声をかけてくれる。


「なんかあったんスか?」

「もしかしたら……いや、もしかしなくても、僕、嫌われるようなことをしてしまったんです。みんなからの冷たい視線を思うと、怖くって」


 送迎車でドナドナされていると、肥え太った肉牛の気持ちがわかる気がした。屠殺場に送られる家畜は、自分の末路を察知して涙を流すというけれど、僕は涙すら出ない。ただただ顔面蒼白になるだけだ。


 とはいえ、逃げることが正しいこととも思っていない。自分がしたことには責任を取るべきだ。僕のためにと主催してくれた宮本さん。日程を合わせてくれたクラスのみんな、嫌がりながらも参加してくれた片山くん。みんなに謝らなければ、筋が通らない。


 まあ、それでも怖いものは怖いんだけどね……。


「なにをしたのかはわからないが、そこまで怖がることもないんじゃないか?」

「そうスよ。ウチだったら、義也くんがやることなら大抵のことは許せますけどね」

「でも、みんながそうとは限らないですよね?」

「みんな同じようなもんだと思いますよ。義也くんは他の男子と比べても特別優しいスからね。ちょっとの失敗じゃ恨みなんてしませんよ」

「それは言えてるな」


 励ましてくれるのは嬉しいけれど、僕の不安は晴れなかった。

 緊張が最高潮に高まったのは、校門前に片山くんの姿を見つけた時だった。壁にもたれかかって、誰かを待ってる風体だ。その誰かを考える必要はない。間違いなく僕だ。


 校門前にぴたりと止まる車。僕は気合を入れなおす。ここまで来たら逃げられない。「行ってきます!」と護衛の二人に見送られながら車外に降り立つ。すかさず登校途中だった女子からの熱い視線。及び、片山くんの決意を秘めた眼差し。


「おはよう、片山くん」

「ああ、おはよう。大氏――」

「土曜日のこと、ごめん!」


 善は急げだ。出会って五秒で即謝罪、を敢行したところ、片山くんの反応は無だった。あまりにも無反応なので、恐る恐る下げていた頭を上げてみると、バツが悪そうに頬を掻く片山くんの姿があった。


「なんでお前が謝ってんだよ」

「なんで、って……それは、僕が歓迎会に誘ったのに、途中で抜けちゃったりしたからだよ。女子の中に一人だけ片山くんを残すようなことにもなっちゃって、すごく嫌な思いをしたよね?」

「お前、わりと気にしいなんだな。参加するって決めたのは俺だ。そんなことで恨んだりしねえよ。むしろ――」

 今度は片山くんが頭を下げた。

「俺の方こそ悪かった。全部お前のせい、なんてのはさすがに言い過ぎだった。前々から、俺が気を付けるように忠告しとくべきだったんだ。そのために連絡先も交換したって言うのにな」

「か、片山くん……っ! きゅん♡」

「おい、不穏な視線を寄越すな」


 冗談です、ごめんなさい。


「でも、僕が謝るのは当然のことだよ。主役が途中でいなくなるなんて、クラスのみんなに申し訳が立たない。……みんな、怒ってなかった?」

「怒っちゃいねーよ。だけど、怒ってるとしたら……ま、別の奴にだな」

「別の人?」

「教室行きゃわかんだろ。ほら、行こうぜ」


 *


「あ、王子!」


 教室に着くと同時、クラスメイトの一人が僕と片山くんの姿に気付いて声を上げる。おはよう……とおっかなびっくり挨拶する僕を、すかさず取り囲むみんなに肝をつぶしたのも束の間、諂うように僕の手を取った宮本さんが頭を下げた。めいめいクラスメイトみんなも頭を下げ始める。


「王子、ごめんね……。嫌な思いさせちゃったよね」


 謝られるべき僕以外のみんなが、迷惑かけたはずの僕にいの一番に謝っている。どういうこと? 片山くんに視線を向けると、肩を竦めるだけだ。

「えーと、とりあえず、みんなはなにも悪くないよ。むしろ、無断で中座した僕が謝るべきなんだ。みんな、本当にごめんなさい」

「王子こそ悪くないよ!」

「王子ってホントに謙虚で素敵……♡」

「ていうかこれって怒ってないってこと? よかったあ」


 口々に安堵のため息を漏らしたのを見て、僕は首をひねる。


「みんなこそ、怒ってないの?」

「怒ってないよ~。王子が帰っちゃったのは残念だけど、あの後、片山くんが『王子の代わりは俺が務めてやるから、暗い顔すんな』って盛り上げてくれたんだよ~!」

「あ、おい、それは言うなって言っただろ!」

「え~そうだっけ~? でももう言っちゃったし~」


 片山くん……! なんて男気なんだ!


「俺の暴言も、これでチャラだ。だろ?」

 きゅん♡

「大氏お前本当にそれ以上ふざけたら殴るぞ」


 ほんとうにごめんなさい。

 僕の心配は杞憂だったみたいだ。クラスのみんなは僕のことを温かく迎えてくれた。僕の暴挙に対してあまりにもみんなが優しすぎるので、お詫びの代わりに今度は僕が主催でなにか楽しいことをしようと持ち掛けた。わっ、とクラス中が湧く中で、一人だけ、その輪から外れている人がいた。


 川上さんだ。


「川上さん」


 背を向けるようにして、自分の席に座っていた彼女に声をかける。一度は聞こえていないふりをしたけれど、何度も呼ぶと、川上さんはこちらを振り返る。


「おはよ、王子。来てたんだ」

「うん」


 視線が交差する。僕らはどちらも謝らないし、謝れなかった。綾芽さんが気に入らない川上さんは、自らの行いを間違いだとは認めないだろうし、僕は綾芽さんを傷つけた振る舞いを許すことはできない。そういうことは往々にしてあるものなんだと思う。誰しもがみんなと分かり合うことなんて夢のまた夢だ。


 でも、これだけは言わなければならない。


「綾芽さんに謝ってほしいんだ。綾芽さんになにもないなんてこと、ないからさ」


 またもや自席で空気と同化していた綾芽さんを振り返りながら言う。綾芽さんは不安げにこちらの様子を窺っている。


 川上さんの眉間に皺が寄った。なにかを言いかけて口を開くと同時に、声が飛んだ。


「髪引っ張ったんだってね、サイテー」


 輪を形作ったクラスメイトの内の一人のものだった。


「みんな、違う、僕は川上さんを糾弾したいわけじゃないんだ」

「王子、たまには怒ってもいいと思うよ? 正直、無視とか悪口ならまだしも暴力は今どきあり得ないっしょ。性格悪すぎ」

「つーか川上が勝手に綾芽を欠席にするからあんなことになったんだしな」

「いつまで意地張ってんだよ、謝れ」

「綾芽だけじゃなくてアタシらにも謝ってほしいんだけど(笑)」


 クラスの雰囲気は一気に険悪になる。片山くんの言っていた、別の人に怒っているというのはこういうことだったのか。でも、これは違う。僕が川上さんにしてほしいことは、綾芽さんへの謝罪だけだ。他者からの指弾は事態をややこしくする。


 失敗したな。僕は臍を噛む。もっと人のいないところで話をするべきだった。周りへの配慮を怠っていた。後悔する裏で、川上さんは無言だった。さぞかし堪えていることだろうと、項垂れた川上さんを窺っていると、


「黙れ」と、耳を突き刺す罵声がした。「うるせえんだよ、お前ら」


 ガタン、と椅子を吹き飛ばして立ち上がった川上さんは、憤怒の形相でクラスメイトを睨みつけた。わお、落ち込んでるのかと思ったらめちゃくちゃ怒っていた。


「責任転嫁もいいとこだな。お前らだって、綾芽なんかいてもいなくてもどっちでもいい、みたいな態度取ってただろうが。誰か一人でも綾芽に同情してたやついたかよ? なあ、宮本。どうだ? いざとなったら媚びた表情で謝れば王子なら許してくれるよ、って言ってたもんな?」


 いや、違っ……と宮本さんが狼狽える。図星なのか、言葉が続かないのをいいことに、川上さんはさらに続ける。


「アタシだけ悪者にして王子からの印象良くしようって魂胆が気に食わねえんだよ。今まで散々アタシと一緒に綾芽を馬鹿にしてたくせに、旗色が悪くなったら乗り換えるのか? 性格悪いのはどっちだよ」


 川上さんは強い人だなあ。僕は場違いにもそんなことを考えていた。クラスのほとんどの女子からあれだけ強い言葉を投げられたら、普通なら萎縮するものだけど、川上さんにはそんな様子はない。こういうメンタルの強さが、現代人には必要なのかもなあ。


 いやいや待て待て。感心してる場合じゃない。


「川上さん、あの、気持ちはわかるんだけど、それくらいにしようよ。みんなも、ほら、歓迎会の一件は僕にも責任の一端があるわけだし……」


 幸いにも、川上さんは口を噤んでくれた。それから、肉食獣を前にしたワラビーみたいなつぶらな瞳で事態を見守っていた綾芽さんのもとに歩み寄る。


「綾芽、悪かった。確かに暴力はやりすぎだった。反省してる」

「え、あ、あ、はい。あの、怪我も痛みもない、ので。大丈夫です」

「でもアンタのことはやっぱり嫌い。気に入らない」

「え、え……?」


 仲直りにはならないところがブレないな、川上さんは。


「なんでアンタみたいな努力もせずにブスでいることをただ受け入れてるだけの陰キャが王子に気に入られてるのかわからない。もっと努力しろよ。悲劇のヒロインぶってるんじゃねーよ。Remuの真似するよりもまずまともな化粧を覚えろよ。……私の方が、かわいくなる努力、お前よりも何倍もしてるのに! クソが! なんでお前なんだよ!」


 喋るうちに、沸々と怒りがわき上がってきたと見える川上さんは、ダン! と綾芽さんの机を両手で叩いて、僕を見た。


「本当に! どうして! 王子はこんなブスのどこがいいの!? アタシの方が絶対かわいいのに!」


 射抜くような視線に戸惑う。急にボールが……ではなく、急に僕にパスが来た。


「あの、これは個人の好みの問題だと思うんだけど」と前置きしつつ、答える。「僕がこのクラスで一番かわいいと思うのは、綾芽さんだよ」


 ざわつく教室。赤面する綾芽さんに、肩を竦める片山くんの姿。自分の嗜好を公開したことに居心地が悪くなる僕に、盛大に舌打ちした川上さんが、その鋭い一重の両目を眇めて詰め寄ってくる。


「王子、十分待ってて! いい?」


 距離が近い。


「あ、はい……」


 鞄を持って教室を飛び出した川上さんの行動は不可解だけれど、待っててと言われたので待つしかない。みんなで頭上にハテナを浮かべながら、待つこと十分弱。


 ガラリと教室の扉が開いて、一人の女子が入ってきた。

 ぱっちりとした二重が印象的なかわいい子だった。体型はややふくよかさを感じさせるけれど、薄い唇と形のいい輪郭線は美形と言って差し支えない。不思議なことには、当然のように教室に入ってきたこの子は、二年三組のクラスメイトではないということだった。


 かわいらしくほっぺを膨らませてきたその女子は、先ほどの川上さんよろしく僕に詰め寄って、人差し指を僕に突き付けた。


「これでどう?」

「……? えっと、どちら様?」

「アタシ! 川上華!」

「ええ!? で、でも、目が二重になってるけど……」

「毎日一時間以上かけてる化粧を全部トイレで落としてきたんだよ! 綾芽をかわいいって言えるんだったら、王子はこれでもかわいいって言えるんだよね!?」

「あ、はい、あの、僕の好みに合致していて、かわいいと思います……」

「ふざけんな! クソ!」


 こんなことなら時間かけて化粧なんてするんじゃなかった! と愚痴りながら川上さんが乱暴に自席に着く。それを合図にしたみたいに、ホームルームの開始を知らせる鐘が鳴る。


「よーしホームルーム始めるぞー……おいどうした、みんなして立ち上がって。さっさと座れよー」


 唐沢先生の登場によって、散り散りに自席に着き始めるクラスメイトの中に紛れて、片山くんが僕の肩を叩いて言った。


「さすがはブス専の大氏」


 僕は心の中で声高に反論した。


 僕以外のみんながブス専なんだよ!

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