第4話

 なにかがおかしい。僕はそれを感じ始めていた。


「大氏くんはあ、どんな女性芸能人が好きとか、あるう?」

「え、えっと、ごめん。あんまり芸能人には詳しくなくて……」

「あ、じゃあ花蓮訊きたい! お休みの日はこれしてるよー、っていうのは?」

「え、と。一人でいることが多いから、漫画読んだり、ゲームしたり、かな」

「うっそ! 花蓮もゲームやるやるー! どんなゲームを――」

「ていうか! 一人でいるってホント? いがーい! ウチなら大氏くんみたいな男子絶対ほっとかないんだけど(笑) 周りの女子見る目無くね(笑)」

「ちょっと! 今は花蓮が話してたんですけどー」

「別に大氏くんは誰のものでもないし(笑) 必死すぎ(笑)」


 これが一時間目終わりの休み時間。


 *


「つーか大氏くん肌綺麗すぎなんだけど! なんかケアしてる?」

「綺麗なんて、そ、そんなことないよ! ケアなんて、何もしてないし……」

「やば! ナチュラルに綺麗とかほんと羨ましい!」

「肌もそうだけど。やっぱり瞳よね。優しい目をしてる。きっとご両親に大切に育てられたのね。育ちが良いんだわ」

「あ、ありがとう……?」

「あーしは大氏くんの厚い唇が魅力的だと思うなあ。ぶっちゃけ、自分でもかっこいいと思ってるっしょ?」

「むしろコンプレックス、かな」

「えマジ? もっと自信持ったほうがいいよマジで」


 これが、二時間目終わりの休み時間。


 *


「てかさ、大氏くんって呼びづらいし、もう王子でよくね?」

「それー! ルックスとかマジ王子だし。けってーい!」

「アタシは王子ってより天使だと思う」

「イケメンヴァンパイア」

「貴族家の御曹司」

「神」

「えーっと……?」


 これが、三時間目の以下略。


 *


 一夜にして、美醜の価値観が逆転した。

 そのことにようやく確信が持てたのは、その日の昼休みになってからだった。


「にわかには信じがたいな。寝ぼけてるんじゃないのか」


 そう言って僕を訝しむのは、クラスでもう一人の男子の片山くん。朝から延々と続いていた僕への質問攻めを、「昼休みくらいはゆっくり飯を食わせてやれよ」と女子が形作る円陣を押しのけて、屋上まで連れてきてくれた優しい人だ。その優しさに、僕は泣いた。これまで、他人から親切を受けたことがないので……。


「寝ぼけてなんかないよ! ほら見て、このネットCM!」

『あなたを、もう一歩先の美へ。マセーコー化粧品』


 僕が提示したスマホの画面には一人の女性が映っている。


 ラグビーボールみたいな輪郭。

 切れ味鋭い一重瞼。

 厚い唇に低い鼻、弾けそうなほど丸くなった体躯。


 化粧品のCMに出演するには、もう少し適役がいたのではないかと首をひねらざるを得ない人選だ。


 それでも片山くんは、表情一つ変えずに言う。


「それがどうしたんだよ。それ、千年に一度の美少女って呼ばれてる女優だろ? CMに出演したことで、その化粧品めちゃくちゃ売れてるって噂じゃねえか」

「そこだよ! そこがおかしいんだ! こういうCMには、もっとこう……目がぱっちり二重で、鼻も高くてスタイルは華奢な人が出るものだって相場が決まってるんだよ!」

「お前な、そんな不細工の見本みたいな女がCMに出たら売り上げ落ちるだろーが」

「く、くう~~~~~っ! だから、そういうことが言いたいのに……っ!」


 言いたいことが伝わらずに悶える僕に、片山くんは呆れた様子を見せた。


「よくわからんけどよ、大氏」

 片山くんは玉子焼きを頬張りながら言う。

「美醜逆転? してるとしたら、お前自身はとんでもない不細工だったってことになるじゃねーか」

「そうだよ。これまで僕は、この醜さでずっとイジメられてきたんだ」

「バカ言うなよ。これだけのイケメンがどうやったらイジメられるって言うんだよ」

「い、イケメンだなんて、いやそんな、うへへ」


 からかい目的のものを除けば、生まれてから一度も言われたことのない言葉だ。今日だけでどれくらい聞いただろう。なんだかむず痒い。そんな僕の様子を見て、嘆息する片山くん。


「まあ、変な奴だとは思ってたけどよ。あれだけ女子が群がってきても嫌な顔一つせずに応対してやるわ、妙に自分に自信がなさそうだわ。価値観の一つや二つ、バグってなきゃおかしいってもんだよな」

「戸惑ってたんだよ。僕、あんなふうに人に囲まれてかっこいいとか、美少年とか褒められたことなかったし。どういう顔をしていいか分からなかったんだ」


 自己紹介の後に美少年だ、なんて女子のみんなが騒ぎ始めた時には、随分と暗い気持ちになった。ここでも嫌味に晒されることになるのか、なんて。結局それは、僕の早とちりだったわけなんだけど。


「ま、気を付けるんだな。今後、大氏は学年一、いや校内一のイケメンとして学校中の女子から付け狙われることになるぞ」

「校内一だなんて、そんな大げさな」

「大げさなもんかよ。正直、お前ほどの顔面偏差値の奴を見たことがねえ。クラス中が大騒ぎになるのも頷けるってもんだ」


 褒められまくって僕はほんの少しだけ複雑な気持ちになる。これだけ称賛されるということはつまり、美醜逆転しているこの状況において、僕はそれだけ不細工だってことでもある。……うん、わかってたことなんだけどね。


「それよりも、付け狙われるっていうのは?」

「ああ、そうだ」片山くんが渋い顔をする。「大氏、気を付けろよ。女ってのはケダモノだ」


 片山くんは震える右手でスマホを取り出すと、SNSのダイレクトメッセージ画面を僕に差し出した。見ろということなのだろう。

 そこには、おぞましいメッセージの羅列があった。


『片山くん、コンニチハ! いや、コンバンハ、の、時間カナ!?』

『(写真が共有されました)』

『今日は、帰りにスーパーに寄ってたネ。今日も、アイス、買って帰ったの、カナ!? 今度、一緒に、パピコ食べようネ。お姉さんは、片山くんの、パピコでも、いいけどネ!?』

『あれれ、元気、ないのカナ!? お姉さん、無視されると、ちょっと悲しい(笑)』

『(写真が共有されました)』

『これは、登校途中の、片山くん! 眠そう(笑) 言ってくれれば、いつでも、愛のモーニングコール、してあげちゃうぞ!? なんてネ(笑)』


 盗撮したと思しき片山くんの写真の数々と、おじさん構文(お姉さんと書いてあるので、おばさん構文?)の異常な数の連投。本人じゃないのに鳥肌が立ってしまうくらいには、気持ちが悪い。


「近所に住む名前も知らない女子大学生と同じくらいの時間に家を出るから、毎朝挨拶してたんだよ。それだけなのに、相手は自分に気があると思い込んでこんなことをしてきやがる。SNSのアカウントも俺が教えたわけじゃないんだ。勝手に相手が特定してきたんだぜ」


 片山くんの顔が青くなっている。口調は変わっていないけれど、メッセージを見るのはあまり心地の良いものではないらしい。


「こうはなりたくなかったら、女子にはむやみやたらに優しくするなよ」


 僕はその言葉に深く感銘を受けた。

 女子には優しく、という教育を受けてきた僕にとって、今やその正反対の言葉が常識となっているのは、形而上的にこの世界が僕の生きてきた世界とはまったく異なっているということをまざまざと実感させられたからだ。


 唐沢先生、それからクラスのみんなの言葉が脳内を駆け巡る。


 ――随分と自分のことを卑下するんだな。

 ――正統派美少年来たああああああああああああああああああああああああああああ!


 これから、僕は希代の美少年として生きていくことができる、らしい。


 それをすべて素直に受け止めることはできないし、今でもまだ盛大なドッキリの可能性は十分にあると踏んでいるけれど、もしこれが本当のことなら僕は希望をもって生きていけるかもしれない。


 でも、片山くんの忠告は忘れるべからず、だ。


「女の子にはむやみに優しくするな、ってことだけど、お礼言うくらいはいいよね?」

「そりゃいいだろうけど、なんか親切してもらったのか? 女子には迷惑しかかけられてなさそうだったが」

「実は現代文の教科書、まだ家に届いてなくってさ、今日の授業中は隣の席の綾芽さんに見せてもらったんだよね。軽くお礼言ったんだけど、もう数日は見せてもらうことになりそうだから、ちゃんとお礼しとかなきゃ」

「あー、綾芽なあ」

 片山くんが渋い顔をする。

「アイツは気を付けたほうがいいぞ」

「そうなの?」


 僕が教科書を持ってないことにいち早く気付いて、お願いする前から見せてくれたくらいだ。たしかにあの髪の色はイケイケな感じだけど、根は優しい人だ。それに加えて美人と来たら、もう。


「女神にすら見えたけどなあ」


 ちなみに僕が前の学校で隣の席の人に頼んだら、「きも」というシンプルな悪口とともに華麗に無視されたので、その優しさはすごく嬉しかったことを申し添えよう。


「あのな、ああいうスクールカースト最底辺でろくに男子と接したこともなさそうな見た目の女子が、大氏に話しかけられでもしてみろ。一発で厄介勢になること間違いなしだぞ」

「カースト最底辺? あんなにかわいい人が? 冗談だよね?」


 それに、あれだけのルックスを持っていてこれまで男子と関わったことがないなんて考えられない。むしろ彼氏の二人や三人くらいは侍らせているのが普通って考えても良さそうだけどな。


 とか考えていると、片山くんは呆れたようにかぶりを振った。


「たぶん、アイツをかわいいなんて言えるのは大氏くらいだろうよ」


 そこでようやく気付く。


 そうか。美醜が逆転しているってことは、どちゃくそ美人の綾芽さんがどちゃくそ不細工、ってことになるのか。


 ……ほんとに? ほんとにあの奇跡の美貌が、みんなの目には醜く映ってるの? 片山くんの言葉を借りれば、にわかには信じがたい。チェキ一枚五千円と言われたら十枚は撮りたいくらいなのに。


「それに綾芽のヤツ、川上に目を付けられてるからな。関わったらめんどくさいぞ」


 片山くんが言う川上さんというのは、僕の前の席の女子、川上華さんのことらしい。休み時間中、わりと熱心に僕に話しかけてくれた一人だ。


 川上さんはこのクラスのカースト上位に位置するイケてる系女子のうちの一人であり、キツそうな一重の双眸と全体的にふっくらした体型が印象的。パッと見は、綾芽さんとは別のベクトルで怖い。偏見をマックスで言わせてもらえば、一昔前のレディースの長。そんな感じ。


「綾芽さんと川上さん、喧嘩でもしてるの?」

「喧嘩するほど綾芽に度胸があればマシだがな。ま、有り体に言えばイジメだな」


 片山くんは目をキッ、と眇めた。どうやら川上さんの顔真似をしてるみたいだ。


「綾芽、アンタ不細工なくせに態度も悪くて可愛げないよね! モデルの真似なんかしたって、アンタは素材がちっともかわいくないんだから、身のほど弁えな! ……こうやって明け透けに言っちまうヤツなんだよ」

「そりゃ、なんというか苛烈な人だね……」


 同じ不細工としては、そうやって事実を指摘されること自体が苦痛なんだ。自分の顔の造形がよろしくないことなんて、自分自身が一番よくわかってる。でもどうしようもないからこそ、辛い。その気持ちが分からない人から好き勝手言われるのは、綾芽さんもやるせないだろうな。


「綾芽に優しくするのは百害あって一利なし。綾芽自身も、それを自覚しているからこそクラスでは一人を貫いてるんだ。そっとしといてやれよ」


 片山くんが気づかわしげに僕に忠告してくれる。

 でも、僕にはやっぱりしっくりこない。

 僕がイケメンで、綾芽さんが不細工にされてしまう、この世界の理が。

 一人で首を傾げていると、片山くんがじれったそうに頭を掻いた。


「……なんか、世間知らず甚だしくて不安になってきたな。大氏、連絡先交換しとこうぜ。困ったことがあったら言ってくれ。俺たちは数少ないY染色体持ちだ。頼れる仲間は多いほうがいいだろ」

「え!?」

「な、なんだよ。嫌だって言うなら、別に強要はしないぞ」

「滅相もない! 是非!」


 まさか連絡先に家族以外の人物が加わるなんて! 僕は不慣れな手つきで連絡先を交換する。「片山祐輔」の文字を眺めて、僕はむせび泣いた。もちろん、嬉しさゆえに、だ。


 片山くんは僕が歓喜に涙する姿を見て、引いていた。


「大氏って、マジに美醜が逆転してる世界から来たんだな」

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