第5話
お昼休み明けの五時間目は体育だった。こっちの学校指定のジャージは灰色だけど、僕は前の学校の藍色のものを使っているので、一人だけ目立つ感じになっちゃって恥ずかしい。でも、わざわざ買い替えるのもなあ。着れる服は破けるまで着るのが僕の信条だし。
「よーし次はCチームとDチームでゲームだ。コートに出てこい」
今日は体育館でバスケだった。普通なら男子と女子で種目を分けて別々に行うのだろうけど、このクラスは――というか、どうやらこの学校は女子が圧倒的大多数であり、男子は各クラス二人か多くても三人しかいないらしい。元女子高だったのかな? ともかく、男女別々にすると僕ら男子二人はできることが限られてしまうので、大体女子と混合でやることになっているらしい。
ということで、クラスのみんなでひととおりレイアップシュートとパスの練習をした後で、ゲームをすることになった。僕のパスの相手を誰が務めるかというところでひと悶着あったのは割愛しよう。
「ほらとっとと出てこい。時間は限られてるんだ、きびきび動け」
我らが担任の唐沢先生は保険体育の教科担任だった。特徴的な長髪を短く纏めた先生は、仕事のできる美人感があり個人的にすごく好ましいのだけど、僕がそう感じるということは、世の大多数の人間にとっては平均以下の容姿に映っているのだろう。嘆かわしいことだ。
ぴーっ、とホイッスルが鳴った。ゲームの始まりだ。ボールが行き交うのを、体育館の壁際に座り込んで、片山くんと一緒に眺める。
「大氏、結構バスケ上手いんだな」
ボールを指先でくるくる回しながら片山くんが話しかけてくれる。
「前の学校で球技大会の前に特訓したからね。レイアップくらいならなんとか。それ以外は全然だよ」
クラスの顔面偏差値を著しく下げている僕が、球技大会でも足を引っ張るわけにはいかない、と一念発起して練習したはいいものの、試合には出られなかったのだからお笑いぐさだ。当然なんだけどね。僕はクラスの中でいない者扱いだったし。
「そういう片山くんも、運動神経いいよね。動きがすごく機敏だったよ」
「そりゃお前、女子からのセクハラを避ける日々だったからな。鍛えられもするってもんよ。大氏も気を付けろよ、なにかと偶然を装って接触を狙ってくるからな、女子ってのは」
「片山くん、モテモテだったんだね」
「男なら大体みんなそうだろ」
「そんなこともないと思うけどなあ」
それだと、僕は男じゃなかったってことになっちゃうよ。
当然の指摘をしたわけだけど、片山くんは肩を竦めた。
「ほんと、別世界の人って感じだな、大氏って」
ゲーム終了を知らせるタイマーの電子音が鳴り響いた。試合は、ええと、どっちが勝ったんだろう。とりあえず、汗だくの女子の姿が僕の目に眩しい。僕が視線を向けても、嫌悪の表情を浮かべることはなく、むしろ照れたように視線を逸らすのが新鮮だった。
「次、EチームとAチーム!」
Eチーム、僕の出番だ。よーし頑張るぞ!
コートに入ると、いろいろな声援が聞こえてくる。
「王子来た!」
「王子、がんばってー!」
「Aチーム、ケガさせんなよー」
「動画回す準備できてる?」
「いいなあ、アタシも王子と同じチーム、せめて対戦相手なら、あんなことやこんなことが……」
声のする方に会釈しただけで「きゃー!」なんて黄色い声が飛ぶ。これも新鮮……じゃないか。今までだって、僕が視線を向けた方向からは「きゃー!」という声は聞こえてきていた。それは主に悲鳴だったけど。
「王子、頑張ろうね!」
「ウチ、めっちゃ王子に回すから、ばんばん決めて!」
「へへ、王子のジャージ姿、尊すぎ……」
「うん、頑張ろう!」
チームメートと励ましあう。いいなあ、こういうの。こうやって爽やかにチームスポーツに臨むの、憧れてたんだよね。ほら、僕ってハブられてばっかりだったからさ。いつもいつも、僕そっちのけで団結している姿を見せつけられて羨ましかったんだよなあ……。
なんて考えていると、以前の僕と同じように所在なげにこちらを見ている人影を発見。綾芽さんだ! 僕はその姿に勝手にシンパシーを感じて、歩み寄る。
「綾芽さん」
「あ、あ、はい! なな、なんでしょう……?」
綾芽さんはびくりと肩を震わせて、視線を背けた。その伏し目がちなオパールの瞳が、ころころと左右に動く。見とれてしまう輝きだ。唇の桜色がきゅっと引き締められて、舞い落ちるように震えている。
「あ、いやあの、た、大したことじゃなくって」
改めてみても絶世の美女とはまさにこのことだ。僕は一気にアガってしまい、しどろもどろになってしまう。考えてみれば、これだけかわいい女子に自ら話しかけるだなんて、これまでの人生で経験がなかった。
でも、今の僕は昔の僕とは違う。なぜなら今の僕は、みんなからちやほやされるイケメンになっているらしいからだ!
「が、頑張ろうね、試合!」
勇気を出してにっこり笑顔を見せながら言ってみたけれど、綾芽さんは視線を合わせず、
「あ、あ、は、はい。足、引っ張らないように、します」
それだけ言うと、綾芽さんはさっさとセンターラインの方に歩き出してしまった。
……あれ? 僕、イケメン、なんだよな?
「全員揃ったな? それじゃ、試合始め!」
若干不安になったところで、試合が始まる。
ホイッスルの音とともにボールが上に投げ出される。ジャンプボールは僕たちのチームが取った。みんなで一気に敵陣に攻め込んで、スリーポイントラインでパスを回す。そのうちに、僕にボールが来た。
よーしここで切り込んで……。
「王子からボールを奪え!」
「うおおおおおおおおおおお」
「あ、王子の二の腕に触っちゃった♡」
「王子の胸板♡」
「王子のうなじいい匂い♡」
「うわっ!」
すぐさま僕の周りに相手チームの全員が集まってきた。僕はなんとかボールを取られまいとするけれど、相手の攻撃は激しい。腕、胸板、脚に絡みつかれ、なんだかもうレスリングみたいになりつつある。
振りほどこうにも怪我をさせたらいけないし、なんだかお得感もあるし、どうしようか迷っていると、
「ちっ、Aチーム仕掛けてきた! アタシたちも行くよ!」
「王子の貞操はウチが守る!」
「へへ、王子の困ってる顔、かわいい……」
チームメイトが助けに来てくれた。けれど、Eチームのみんなも、相手を引きはがすというよりは僕に向かって突進してきて一緒に絡んでくる。都合八人が一斉に大挙してきて、いよいよ試合どころではない。
「花蓮、どいてよ! くっつきすぎ!」
女の子の汗のにおいがする!
「やーん足がもつれちゃった♡ 王子、支えてくれる?」
なんか柔らかい感触が二の腕に押し付けられてる!
「この背中の広さ、安心する……」
耳元で甘い声がするううううううううううう!
「ファールだ、ファール! お前らなにやってんだ! 全員来い!」
状況が混沌としてきたところで、一際高い笛の音が鳴り響いた。
試合は一時中断。先生によるお説教が始まってしまった。被害者である僕と、唯一状況を遠くから見ていた綾芽さんだけは、それを免れることができた。
僕は一気に高まった血圧と動悸をなんとか落ち着けながら、震え上がった。
まさか本当にセクハラされてしまうとは。美醜逆転恐るべし。僕としては全然嫌じゃなかったしなんなら嬉しいどころかずっとして欲しかったくらいなんだけど、それと同じくらいには普通にバスケがしたかったなあ。こういう機会って、僕みたいな人間には貴重だからね。
「お、お疲れ様、綾芽さん。って、疲れるほど試合してないよね」
「っ! お、おおおおお疲れさま、です」
急に声をかけてしまったせいか、三十センチくらい飛び上がって驚いた綾芽さんは、視線を彷徨わせながら両手を左右に振る。すごくへっぴり腰になっていた。
「びっくりさせちゃってごめん。僕たち、お説教を免れてよかったね」
「あ、はは、そ、そうですね」
道行く赤の他人にいきなり話しかけられたかのごとき怯えっぷりに僕はちょっとだけ怯む。
「え、っと……動き回ってたら、やっぱり暑いね!」
「あ、はは、そ、そうですね」
無理やり話を振ってみたけれど、綾芽さんの反応は素っ気ない。というか同じ反応しか返してくれない。寂しい。こういう時、どう場を繋げばいいのか、生粋の陽キャだったらわかるのかなあ。
きまずさと暑さにジャージのファスナーを下ろして、襟首をぱたぱたする。と、愛想笑いで固まっていた綾芽さんの顔面がぎょっとしたものに変わった。それから、みるみるうちに顔が赤くなっていき、「さ、鎖骨……」と呟いた。
視線の先は、僕の首元だった。そりゃ、鎖骨くらいある。化け物と呼ばれた僕も、実は人間なのだから。ハテナを頭上に浮かべていると、
「おーい、大氏!」
先生に呼ばれてしまった。もじもじとしている綾芽さんを置いて、先生のもとに馳せ参じる。
「大氏がいると試合にならないから、とりあえず今日は見学にしてくれ」
そんなあ。
価値観が逆転したところで、僕がクラスメイトと汗を流すことができないのは変わらないらしい。
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