第21話

 数日後。


 僕は送迎の車から降りて、「行ってきます」と声をかける。リカさんと坂島さんが笑顔で送り出してくれた。


 校門前で僕はスマホを取り出してにんまりする。開催日は順調に決まりつつある。ほぼ全員が都合の良い日をグループラインに入力しており、あとは保留中の人たちがどうなるか、ということくらいだった。


 よーし、僕も僕のやるべきことをやらないと。

 意気込んだところで、校門付近にお目当ての人物を見つけて声をかける。


「片山くん、おはよう」

「ん? ああ、大氏、おはよう」


 片山くんは一瞬顔を顰めたけれど、声をかけたのが僕だとわかって眉間の皺を解いた。


「話したいことがあるんだよ」

「歓迎会のことだろ?」とため息を一つ。「面と向かって誘われると断りづらいから、なるべく会わないようにしてたんだけどな」


 どうりでここ数日、片山くんが捕まらなかったわけだ。


「やっぱり、女子がいる場所にはあまり参加したくない?」

「まあな。ああいうちゃらけた雰囲気の場所だと、気が大きくなっていつも以上に接触を試みてくるヤツも多いんだよ」


 実感がこもっている語り口は経験談かな。そう言われちゃうと、僕もちょっと誘いづらい。


「うーん、そっか。嫌なら無理強いはしないんだけど、できれば片山くんにも参加してほしかったんだよね。ほら、僕らは数少ないY染色体持ちだからさ、もっと仲良くなりたいんだよ」


 片山くんは呆けた表情をしてから、「ぷっ」と噴き出した。屋上でのやり取りを覚えてくれていたようだ。


「そういえば、転校初日以来、大氏とは一緒にメシ食ってなかったな。わかったよ。今回は大氏に免じて参加してやるか」

「やった! 綾芽さんも誘えたし、これで全員誘えた!」


 宮本さんの言うとおり、みんながみんな都合が付くわけじゃないだろうけど、できるだけ参加してくれるといいなあ。これで参加者数人とかだったら泣いちゃうよ? わかってるよねみんな?


 下駄箱で靴を履き替えながら内心で戦々恐々としていると、片山くんが僕の顔を覗き込んだ。眉をひそめている。


「……綾芽、誘ったのか?」

「え……うん。クラスみんなでやる、っていう話だったからね」


 片山くんってば、綾芽さんのことになると途端に心配性になるなあ。僕は次の言葉を待たずに付け加える。


「大丈夫だよ。川上さんにも了解は取ってあるんだ」

「アイツに?」

「前にさ、川上さんと気まずくなりかけたことがあったって言ったでしょ?」片山くんが頷く。「その時に、僕はクラスみんなと仲良くしたいから、誰かを仲間はずれにはしたくない、って伝えてたんだよ。それを川上さんも覚えててくれたんじゃないかな」


 そう考えると、今のクラスのみんなは基本的に良い人なんだよね。このままあと十か月くらい。みんな仲良くやっていきたいな。

 片山くんはそれでも釈然としてない顔をしていた。どこに不安なところがあるんだろう。今のところ、万事順調だ。後は当日を迎えるだけのはずなんだけど。


「なあ、それって――」

「片山くん、髪になんかついてる」


 さっき会ったときから気になってたんだよね。とってみると、糸くずみたいだった。それをぽいと捨てる。


「ああ、悪い」

「ううん。それより、なんか言おうとしてた?」

「つまり――」

「やばーい! ね、今の見た?」


 またも片山くんの言葉が遮られる。叫び声のもとを見ると、女子二人が抱き合うようにしてこちらを見ている。


「『まったく、ドジっ子さんだね。髪にこんなものくっつけちゃって』だって!」

「『お、おい! 人前なんだからやめろよ……!』なんて、尊すぎっ……!」


 僕たち二人が腐った感じの女子にいいように解釈されていた。こっちでも、男同士の絡みは女子に需要があるんだなあ。新たな知見を得て感心している僕のもとに、女子二人が駆け寄ってくる。


「あのあの、王子と片山くんってどういう関係なんですか?」

「もしかして、あの、ただならぬ関係だったり……?」


 見知らぬ二人組は、多分はじめましてなのだけど普通に王子呼びされていた。もしかして、全校的に広まってたりするのかな。それはだいぶ恥ずかしい感じなんだけど……。

 普通の友人だと釈明する間にも片山くんは早々に場を離脱して、僕に後ろ手を振っていた。


 片山くんが言いかけていたことについては……後で聞けばいっか。


 *


「あ、綾芽さん待って待って!」


 帰りのホームルームが終わって最速で帰宅を決め込む綾芽さんを追い越して、僕は廊下の行く先を塞ぐ。綾芽さんは鞄を肩に引っ掛けた状態で立ち止まる。


「時間、いいかな? 話がしたいんだよ」


 突然のダッシュで息を切らす僕の前で、綾芽さんは鞄の肩ひもをぎゅっと握りしめている。


「あ、あ、あの、私、やること、が、あるので……」


 顔を背けて、か細い声で拒絶される。でも、僕はそんなことでは引き下がれない。腰を折って綾芽さんに頼み込む。


「ちょっとだけでいいんだ。お願いだよ!」


 我ながら必死すぎる気もするけれど、そうでもしなければ綾芽さんはこのまま素通りして帰路に就いてしまいそうだった。


「ね? 時間は取らせない。約束するよ」


 しつこく頼み込むと、「す、少しだけ、なら」と綾芽さんは了承してくれる。了承も得られたところで、いつもの場所――非常階段の方へと導く。


 綾芽さんは大人しく着いてきてくれた。二人、並んで石段に座ってみるけど、綾芽さんの纏う雰囲気は暗い。もともといつも明るいって感じではないけれど、今は沈痛という表現がしっくりくる。柳眉が垂れ下がる綾芽さんも美しいけれど、じっと見ているわけにもいかない。


「最近、あんまりお喋りしてくれないよね。なにかあった?」

 綾芽さんは、地面を見つめたまま無言だ。

「昼休み、ここに来ないのは、なにか理由があるんだよね?」


 綾芽さんは、歓迎会の話が持ち上がった日のお昼から様子がおかしくなった。どこか余所余所しい態度を取るようになったというか、僕らのことを避けるようになったというか。つまり、今までのように楽しくお喋りをしてくれなくなった。加えて、なにか思いつめたような表情をしている。笑顔が少なくなった。


「なにも、ない、です……」

「あ、話せるようなことがなにもないってこと? そういう時、たしかに困るよね。でも大丈夫、僕は綾芽さんと一緒にいるだけでも楽しいから!」


 綾芽さんは、愛想笑いを薄く浮かべて首を振る。それきり沈黙。

 もどかしい。僕は綾芽さんの味方でいるつもりでも、綾芽さんはそうは思っていないみたいだ。自ら喋りだしてくれることを期待してしばらく待ってみたけれど、無言の意思は変わらなかった。


 仕方ない。プランBだ。

 ストレートに聞いても答えてくれないことを見越して、僕は奥の手を用意していた。


「綾芽さん、歓迎会の主賓に欠かせないものって何か知ってる?」

 突然の話題変更に「え、え……?」と戸惑う綾芽さんに僕はどや顔をして見せる。

「ずばり、挨拶だよ!」


 まあ僕も最近知ったんだけどね。宮本さんから「王子、ウィットに富んだ挨拶、期待してるからね!」と言われて、なにそれ? とグーグル先生に訊いてみたら、そういう文化が社会的に存在しているらしいと教えられたのだ。テンプレは「今回は僕のためにこんなに素晴らしい会を催していただいて~」から始まるらしい。


 考えてみてほしい。その存在すら知らなかった僕が、どうすればクラスメイト三十人の前で平常心を保って挨拶ができるだろう、いやできるはずがない。これ反語。


 そこで僕は練習することにした。題して、「第一回 チキチキ噛まずに挨拶できるようになるまで練習しよう!」だ。記念すべき第一回のゲストは綾芽さん! 以上!


「せっかく僕のために開いてくれる催しだからね。昨日、一生懸命考えて、これだ、っていうものを百八個ほどメモしてきたからさ、よかったと思えるものを綾芽さんに教えてほしいんだ。よろしくね。それじゃまず一つ目からいくよ……」


 綾芽さんに話すつもりがないなら、僕だって綾芽さんを離すつもりはない。そう、これはどちらかが音を上げるまで帰れない、地獄への入り口なのだ。そして、地獄の門はすでに開かれた……。


「まずは、おちゃらけたものからにしようかな。『じゃじゃ~ん、みんなのアイドル、大氏義也だよ~。今日は僕のために、こ~んなに素敵な会を開いてくれてありがとう! よっしゃー! って感じ! 義也だけにね!』……どう?」

「さ、さあ……?」

「うーん、あんまり感触よくなさそうだね。それじゃあ、次! えーっと……」


 こんな感じで挨拶を十三個ほど消化したところだった。

 綾芽さんがか細い声で呟く。


「お、大氏くん、は、どうして、こんなに優しいんですか……?」

「自分で言うのもなんだけど、こんなクソみたいな企画に付き合わせている僕が優しいなんて、綾芽さんもわりと奇特な人だね……」


 綾芽さんは、あ、変な企画だって自覚はあるんだ……という顔を一瞬だけした。ごめんね?


「で、でも、私、みたいな、ぶ、ブスで根暗な女をこんなに気にかけて、い、いいことなんて、ひとつも、ないのに」

「そんなことないよ。さっきも言ったけど、こうして綾芽さんと一緒にいられる。それだけでいいことだよ」

「そ、そん、そんなはず、ありません。わ、私、なんかと……」


 今日の綾芽さんは頑なだった。自分の価値を自ら否定し、それが当然のことだとすら思っている節があった。それが不思議でならない。綾芽さんはネガティブなところはあったけど、ここまで強烈に表に出したことは、未だかつてなかった。


「私なんか、って言わないでほしいな。僕らはクラスメイトで、同盟仲間でもあるんだよ。覚えてるよね? 似た者同士で結んだ似た者同盟。辛いことがあったときには、助けあいたいよ。きっと、似た者同士だからこそわかることもあるだろうしね」


「似た者同士なんかじゃないです」綾芽さんの声に自嘲の響きが伴った。「違うんです。大氏くんは、みんなに求められてる人、です。大氏くんがいなければ悲しむ人がいっぱい、いますけど、わ、私は愛想もなくてブスで、いなくなっても誰も困らない、そういう、存在です。に、似た者同士なわけが、ないんです」

「いなくなっても誰も困らない……?」


 膝に置かれた白い手が、ぎゅっと握られた。痛みに耐えているようだった。心臓を細い針で何度も突かれる、その耐えがたい苦痛に、綾芽さんはたった一人で抗っている。僕は――似た者同士を自負する僕には、その見えざる流血に気付く責務がある気がした。


「川上さんに、言われたの?」


 あの日。綾芽さんが弱弱しく笑みを浮かべたあの日に、僕は川上さんと一緒にいるところを目撃していた。あれからだった。綾芽さんが僕らを避けるようになったのは。だとするなら、原因は十中八九、彼女とのやりとりにある。

 だけど僕の予想は、綾芽さんが無理して作った笑顔で打ち消される。


「かわ、川上さんは、関係ないです。ず、ずっと、自分で思ってたんです。私は、いなくても困らない、むしろみんなに迷惑をかける存在、なんだって」

「そんなはずない。絶対そんなことないよ。どうして、そんな」


 どうしてそんな悲しいことを言うんだろう。

 どうしてなにもかも諦めて、一人で抱え込んで笑うんだろう。それがたまらなく悔しい。


 出会ってから毎日、お昼にここに集まった。同盟を組んで、趣味の話をした。かわいい、カッコいいと不器用に褒めあった。褒めあった後で赤面した。デートに行った。笑いあった。同じ時を過ごした。


 もう、綾芽さんがいないお昼休みなんて考えられないくらい、一緒にいたのに。

 これまで楽しさを分かち合ってきたのと同じくらい、苦しみも分かち合えるはずなのに。

 それなのに、綾芽さんはなにも語ってはくれない。僕らの間に通じ合うものはなにひとつとしてないのだと、静かに告げている。


「僕には、なにも話せないってこと?」


 綾芽さんは無言でそれを肯定する。僕の中の血液が、すっ、と温度を下げていく。次いで無力感。僕だけが一人、綾芽さんと仲良くなれていたと舞い上がっていた、その勘違いに失望する。でも、それに打ちひしがれている場合じゃない。冷えた血液は酸素をうまく運んでくれなくて、くらくらする頭で、僕は辛うじて声を絞り出す。


「僕に、」声がかすれる。「僕に話せないなら、それでもいいよ。でも、沖串さんや叶守さんには、話してほしい。二人とも、本当に心配してるんだ」


 三人には積み重ねてきた時間が、交わしてきた言葉が、僕よりもはるかにある。同性として共有できる感覚もあるだろう。そうだ。僕は、二人をここに連れてくるべきだったんだ。


「無理、です」

「どうして?」

「私には、なにもない、ので」


 声に湿り気が混じる。僕が言葉の意味を咀嚼するよりも前に、綾芽さんは立ち上がり、ぺこりとお辞儀をすると、踵を返して去っていく。小さくなっていく背中を追いかけるべきだと、ここで離してはならないと理解しているのに、脚は地面に縫い付けられていた。


 しばらくそのままでいた。沖串さんと叶守さんがやって来た時には、腰が傷んだほどだ。


「王子、瑠奈に理由は聞けた?」首を振ると、沖串さんはがっくりと肩を落とした。「あの子のあんな状態、絵凜たちも初めて見た。川上にこっぴどく悪口を言われたときでも、一人で抱え込むことなんてなかったのに」

「今までは、沖串さんたちに相談してくれてたの?」

「うん。ああいう性格の悪い女には、こっちも性格悪くやり返すのがいいよってアドバイスすることもあったの。例えば川上の席の床に茶色いインクを垂らしておくとかね。そうしたら、おりものを垂らした不潔な女だと周りに思わせられるでしょ?」


 でしょ? って聞かれても僕にはわからないし、やり口が予想以上に陰湿だね……。


「勇気出してちゃんと言わないと、伝わらない」叶守さんが下を向いたまま呟いた。「自分が、そう言ったのに」


 デートに誘ってくれた時のことだ。言いよどむ沖串さんの代わりに、綾芽さんが代弁してくれた。「ちゃんと言わないと、伝わらない」。


 伝わらないことを知るには、僕はどうすればいいんだろう。

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