3 陸上少女、疾走する

第14話

 僕は、獣になりつつある。


 否、僕の内の獣が、内臓を食い荒らして外界に出てこようとしている。それが手に取るようにわかる。僕はそれをなんとか抑えて、登校の準備を整えた。その様子を見ていた姉が、うえ、としかめ面を作って言う。


「目がすげー血走っててキモいけど、そのまま行くん?」

「あんまり寝れてないんだよ」

「ふーん、あっそ」


 昼休みの密談、もとい似た者同盟の活動に沖串さんが加わって以降、僕は、昼休みに綾芽さんと沖串さんに挟まれながら過ごす日々が続いている。それは甘美で有意義な時の過ごし方ではあるけれど、同時に僕を蝕む毒でもあった。


 女子に密着されて、ムラムラしない男子がいようか!? いや、いない! これ反語。


 故に僕はこのリビドーを解消しようと夜な夜な奮闘しているのだけど、オカズ枯渇問題が尾を引いている。猛る僕の下半身も、行き場をなくして萎れる毎日だ。


 ということで、僕はずっと悶々としている。そんな中、今日も今日とて護衛の二人に挟まれながらの登校だ。大人の女性に密着されるのは刺激が強い。今日も僕は前かがみになりながら、車に揺られる。


 そわそわしながら運転手さんのハンドル捌きを観察したり、窓の外に視線を移したりしていると、ふと通行人に目が留まった。


「おおっ……」


 女性が走っていた。セパレートタイプのユニフォームで軽やかにランニングしている。綺麗なフォームはもとより、白いお腹が目に眩しい。健康美だ。

 坂島さんが僕の視線の先を追った。


「陸上部の朝練のようだな。なにか、気になるところでも?」

「あ、いえ、頑張ってるなー、と」


 慌てて取り繕う。危ない危ない。えっちな目で見てることを悟られるところだった。気を付けないと。


「そうか。しかし、ユニフォームで走ってるのも珍しいな」


 坂島さんが呟く。そういえばそうだ。練習着でやっても良さそうなものだけど。


「大会近いんで、着心地とか気になるところがないか実際に走って確かめてるんスよ、きっと」


 リカさんが興味なさげに言った。反対側の窓に顔を向けていて、表情は窺い知れない。


「そうか。しかし、インターハイはまだ先だろう?」

「その前哨戦になる大会があるそうスよ」

「詳しいな」坂島さんが言ってから、思い出したように続けた。「ああそうか、妹ちゃんが陸上部だったな」


 リカさんはそれに返答しない。坂島さんの方に顔を向けることもしなかった。いつもなら天真爛漫なテンションで話に乗っかってきそうなのに、窓の桟に頬杖ついて難しそうな顔をしている。僕と坂島さんは顔を見合わせた。


 結局、微妙な空気のまま学校に到着した。


「坂島さん、車検中の代車の件でご相談ですが……」


 運転手のサキさんが坂島さんとなにか話し込んでいる。リカさんの様子が気になった僕は、ぼーっと学校を眺めているリカさんに思い切って聞いてみた。


「体調でも悪いんですか?」

「え? ウチが、スか?」

「なんとなく、いつもより元気なさそうだな、と。気のせいだったらすみません」

「ただの護衛に気を遣ってくれるなんて、ほんとに義也くんは優しいスね。もしかして、お姉さんのこと気になっちゃいました? 単純接触ってやっぱり効果あるんスね! さ、お姉さんの胸に飛び込んでもいいスよ?」


 リカさん、ふざけているけれど、僕目線ではわりと美人な人だから一瞬飛び込んでしまいそうになる。我慢我慢。


「言いたくないなら別にいいですけど、体調には気を付けてくださいね」


 リカさんは肩を竦めて苦笑した。


「その気遣い、まさか同級生の女子に振りまいてたりしないスよね。最悪、刺されますよ? 女なんて、男に笑顔で挨拶されたらすぐに恋に落ちるくらい勘違いしやすいんスから」

「リカさんは僕のこと刺すんですか?」

「ウチは大人スからね。一応、弁えてますから安心してくださいよ」


 自信たっぷりに胸を張ったリカさんを信用できるかと言われたら、うーん、ノーコメント。


「さっき、妹のことを考えてたんスよ。学校で上手くやれてんのかなー、って。ウチと違ってあんまり社交的な方じゃないスから」


 妹想いの良いお姉さんだなあ。僕の姉にももう少しこういう労りがあってもいいものを。


「妹さん、おいくつなんですか?」

「義也くんと同級生スね。つーか、見かけたことないスか? 一応、ここの生徒なんスよ。叶守キリカ、って言うんスけど」

「叶守?」


 そこで閃いた。


 なんと、あの三女神のうちの一人じゃないか。烏の濡れ羽色した髪のクールな美少女。あの一瞬だけしか姿を見かけたことはないけれど、今でもあの御姿は僕の心に刻みつけられている。


「ま、姉妹で顔は似てるんで、あんまり見てくれは良くないスけどね。見かけたら優しくしてあげてください。あ、愛想もよくないスけど、悪い子じゃないんで、ホント。……自分の妹ながら、不安になってくるな」

「見てくれが良くないなんてとんでもない! そっか、あの美人がリカさんの妹さんか……」


 車中の会話から、陸上部ということも割れている。叶守キリカさんの陸上ユニフォーム姿を夢想した僕の顔は、自然とにやけた。


「義也くん、あの子を美人だなんてストライクゾ―ン激広スねえ。キリカで大丈夫なら、お姉さんと学校サボって楽しいことしません?」

「バカなこと言ってるんじゃない」

「いてっ! 痛いスよ先輩! 冗談、冗談ですって!」


 坂島さんが戻ってきた。リカさんの耳を引っ張っての折檻は、二人に護衛してもらってからというもの、もはや見慣れた光景になっている。


「リカにセクハラされなかったか?」

「大丈夫です。良いこと教えてもらえましたから」

「良いこと?」


 とりあえず放課後の予定は決まったようなものだ。楽しみだなあ!


「先輩、耳、耳取れます! マジで! もう七割がた取れてます!」

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