第16話


 三回抜いた。なにをとは言わないけど、昨夜はそれくらい頑張れた。久しぶりの供給に僕の僕自身がすごく喜んでいたから、歯止めがきかなかったのだ。おかげで今日は朝から眠いしだるいしですごくしんどかった。


「王子、今日はなんかやつれてるね」

「お、お水、飲みますか?」


 昼休みになっても、倦怠感はまだ継続中だ。そのせいでいつもの場所に集まった沖串さんと綾芽さんに開口一番心配されてしまった。


「ありがとう。でも大丈夫。寝不足なだけなんだ」

「お、お勉強、とか、ですか?」

「そう言えればよかったんだけどね。イラストでも描いてみようと思って、机にかじりついてたんだよ」

「むむむ、王子、イラストを描いてたって?」


 沖串さんがずいとこちらに身を寄せる。かわいいお顔が急接近するとドキドキするから控えてほしいな。


「気が向いたってだけなんだ。陸上部の練習風景を見せてもらって、いい写真が撮れたから、これをもとに絵でも描いてみようかな、と。普段は描かないけど、暇だったからさ」

「絵凜もイラストには一家言あるタイプ。画像とかある? 見せて見せて!」

「一応あるけど、でも、見せられるような出来じゃないよ」


 昨日撮った資料でちゃんとイラストを描いてました! と唐沢先生に言い訳できるように描いたものだ。とても一家言ある人に見せられるものじゃない。


「絵凜ちゃん、SNS上でファンがついているくらい、絵が上手なんです。あの、大氏くんも、アドバイス、もらうといいと思います」


 いや、なにも僕は絵が上手くなりたいとか、そういう願望はないんだけど……。でもここで意固地になって見せないのも怪しいかな? 気が進まないけど、仕方がない。

 僕は先生へのアリバイ用としてスマホに収めていた自作イラストの画像を二人へ見せる。


 が。


「へ、へえ……」

「あ、あ、その、すごく、オリジナリティが、あります、ね……」


 二人して冷や汗が頬を伝い始めた。必死に良いところを探しているけれど、どうにも見つからない。そう言いたげだ。小さい頃はかわいいかわいいと僕のことを愛でてくれた親戚の叔母さんが、成長した僕を見てどう褒めようか迷っているときの顔に似ていた。ちなみに叔母さんが絞り出した言葉は「初対面の人にも早く覚えてもらえそうね~」だった。


 それに比べれば、二人の反応は予想していただけにショックはない。だって、僕自身が見てもド下手くそだからね。


「それはそうと、沖串さんの描いたイラストも見てみたいな」


 さらっと流す。二人は露骨にほっとしたような顔をしていた。ごめんね、気を遣わせちゃって。


「ふふん、では絵凜の自信作をお披露目しちゃおうかな」


 自信たっぷりに取り出したるスマホの画面を、僕と綾芽さんが身を乗り出して覗き込む。そこには、美麗な線と鮮やかな色遣いで命を与えられたキャラクターがいた。ただし、悲しいかな、やはりというか、とても不細工なキャラクターが描かれている。


「じ、上手だね、いつ見ても」

「これが才能か……」


 口惜しいなあ。是非ともレナのイラストを描いてほしいところだけれど、頼んだらあのナーフされた姿しか描いてもらえないことが本当に口惜しいよ。


「絵凜、自分の容姿の悪さは分かってるつもりだから、一芸くらいはないとね」


 沖串さんは鼻高々に言った。

 一芸か。なるほど強かだ。沖串さん、自分の立場を理解したうえで努力してるってことだもんね。叶守さんも陸上という強みがあるし、そう考えたら僕はなにかを頑張ろうなんて考えたこともなかった。周りを僻むばっかりだったな。


「すごいなあ、そこまで考えるなんて」


 感心してそう呟くと、沖串さんは続いて信じられないことを口走った。


「ゆくゆくはこれでお金を稼いで整形手術受けるつもりなんだ。そして美女イラストレーター兼配信者として有名になって――」

「え? 整形? 整形するつもりなの?」

「そ、そうだけど……」


 食い気味に詰め寄ったせいで、珍しく沖串さんが驚いたような顔をした。


「どうしたの王子、今どき整形なんてそんなに珍しいことじゃないよ。特に絵凜たちみたいな弱者女性にとって、整形は生まれつきの負債を帳消しにできる唯一の手段だから、男性と結婚するって目標があったら必須だよ。まあ、有名どころのクリニックは数年待ちが当たり前だったりするし、順番が回ってきても相当高額の手術費がかかるから、簡単じゃないけど……」

「そう、なんだ」


 なんということだ。ということは今この時も美女が不細工に作り変えられていると言うのか。世界の損失だ!


 沖串さんの顔を見る。あどけなさを残す容貌に、くりっとした瞳。そして丸くて小さなお顔は完全無欠の美少女なのに、これを整形するだなんて……。


「残念だな。沖串さんには整形してほしくないのに」

「え? どうして? 王子は絵凜のことかわいいって言ってくれたけど、あんなのお世辞なのはわかってる。こんなに醜い顔は、さっさと整形しちゃった方がいいに決まってるよ」


 なんの衒いもなく言い切る沖串さんの言動が常識だとは分かっている。

 僕が口を出す権利なんか微塵もないことも、また分かっている。

 それでも僕は言わずにいられなかった。


「沖串さんはそのままが一番魅力的だから、個人的には、そのままでいてほしいんだ。僕の身勝手なんだけどね」


 僕だけが良いと思っていても、他の大多数の人にはそうは見られない。この世界でありのままでいることが、耐えがたい苦痛を呼び寄せることもあるはずだ。それがわかっているから、整形する。沖串さんがそう決断するのなら、僕はそれを尊重したい。でも、願わくば。だからこれは僕のわがままだ。


 切り捨てられるべき僕のわがままを、だけど沖串さんは「うん♡ 王子がそういうならやめる♡ 整形なんてしない♡」なんて言った。


「そ、そんなにあっさり?」

「今すぐするってわけじゃないし、というかお金が足りないからね。将来的には、やっぱり整形したいって心変わりする可能性もあるけど……でも王子がそう言ってくれる限りは、絵凜はしないって誓うよ。だって、そのままが一番かわいいって言ってくれたの、王子が初めてだもん♡」

「kawaii!!」


 思わず変換前のかわいいが飛び出してしまった。だもん♡ だってさ。持ち帰りたくなるね。良識に従ってしないけどね。


 自分で自分の身体を抱いて「絵凜、かわいいんだ……♡ ふふ♡」と幸せそうにくねくねしている。

 僕を挟んで沖串さんと反対側に座る綾芽さんに、「綾芽さんも整形手術、考えてたりするの?」と声をかける。だけど、反応がない。それどころか、どこか落ち込んだような表情で地面を見つめていた。


 あれ? さっきまではいたっていつもの綾芽さんだったはずなんだけど。


「綾芽さん? どうかした?」

「あ、え、え? あ、あ、すいません、ぼーっとしてて」

「大丈夫?」

「だいじょぶ、です、はい」


 とはいうものの、元気はない。なんだろ。でもあんまり深く訊くと藪蛇になるかな。女子特有のサイクルとかもあるし。でもなあ……。


 考えていると、「あ、きたきた。こっちこっち!」と沖串さんが明後日の方向へ呼びかけた。つられてそちらを見ると、そこには昨日ぶりとなる人物がいた。


 叶守さんだ。


「午前中にね、王子に伝えたいことがあるから、昼休みにこっちに来るってラインがあったの」

 沖串さんが教えてくれる。

「キリカ、もう少しで昼休みも終わるけど、なにかあったの?」

「ご飯食べてた」

「こっちで食べればよかったのに」

「そうかも」


 感情の読み取れないやり取りは相変わらずだった。


「僕になにか用があるんだってね?」

 問いかけると、こくりと頷いた。

「自主練習、先生に禁止されちゃった」

「ええ!? なんで?」

「『部活で練習量は十分だ、自主練習なんてしたらオーバーワークになる』、って」


 ぐぐぐ。叶守さんの身体を慮った素晴らしい配慮だ。しかし、僕の渾身の名案を潰してくれたのは褒められない。察してほしいです、先生。


「自主練? なになに、王子、陸上部に入るの?」


 沖串さんと綾芽さんにかくかくしかじか説明すると、「ふうん」と沖串さんはしばらく考え込む仕草を見せた。長い金髪をくるくると指先でもてあそんでいる。それから唐突に頭上に電球を光らせた。


「瑠奈、キリカ、耳貸して!」


 目を輝かせて二人を呼び寄せて円を作る。僕は蚊帳の外で少し寂しい。

 沖串さんは張り切って喋っている。叶守さんは無表情に首を縦に振り、綾芽さんは「え、ええ!?」と驚いてこちらをチラチラと気にしている。

 女神三柱寄れば美しい。その光景をほっこりした気持ちで眺める。


「王子、話があるんだけど」

「うん」

「今、王子に足りないものが何かわかる?」


 唐突に難しい話を振ってくるね。


「ありすぎてどれから挙げればいいかなあ。謙虚さ、思慮深さ、行動力、発想力とか?」

「そ、そうじゃなくて、イラストを描くうえで足りないこと! というか、王子は謙虚だし、思慮深くて絵凜を咄嗟に助けてくれる行動力とか、お姫様抱っこで優しく抱いてくれる発想力もあるし!」


 僕のことをこんなにも評価してくれるなんて、涙がちょちょぎれそうだ。


「もう! 絵凜から言わせてもらうけど、王子に足りないのはデッサン力! そしてデッサン力は観察力でもあるの。王子はもっと色んなものを観察して、見たままに描く力を養うべきだよ」


 なるほどなあ。一家言ある人が言うことはやっぱり違うね。参考にさせてもらおう。たぶん、その場面はあんまりないだろうけどね。ほら、僕はアリバイのためにイラストを描いただけで、そこまで本格的に取り組むつもりはないからさ。人には向き不向きがあってだね……。


「そ、それで、王子、観察力鍛錬とか、興味ない? よかったら、お休みの日とか、絵凜たちが付き合ってあげてもいいけど……」

「観察力鍛錬? うーん、有難いけど、正直そこまで、かな」

「そ、そっか……」


 あからさまにがっかりした様子で、沖串さんはもごもごと口ごもってしまった。あれ、なにか間違ってしまったらしい。でも、僕自身が乗り気じゃないのに、わざわざ休日に時間を作ってもらうのも申し訳ないしね。


 叶守さんの方を見るけど、硝子玉の瞳でこちらを見つめ返すだけで、うんともすんとも喋らない。綾芽さんに視線を移すと、びくりと肩を震わせて、口をあわあわさせる。それでも、意を決したように目を瞑ると、


「で、でーと! 絵凜ちゃんは、観察力鍛錬の名目で、デートに誘ってるんです!」

「ちょ、ちょっと瑠奈!」

「デート? …………デート!?!?!?」


 それは僕が終生縁のない言葉じゃないか! それを、なんだって? こんなに美人でかわいくてチャーミングで尊い女子と一緒に? そんなことがあっていいのか?


「そんなに直接的に行ったら、王子だって引いちゃうでしょ!」

「でで、でも、ここは勇気出してちゃんと言わないと、伝わらないから……」

「…………」


 沖串さんと綾芽さんがわちゃわちゃしている横で、叶守さんはそれを諫めることもせずに僕を見ている。それから一言、「自主練じゃないけど、行く?」とだけ訊いた。


 僕はほとんど叫ぶように言う。


「僕なんかで、いいの?」

「? いいから、誘ってる」

「そっか、そうだよね」たちまち寝不足による気怠さは僕の中から吹き飛んだ。「是非、行こう! 絶対行こう! 僕と、綾芽さんと沖串さんと叶守さんで行こう!」

「あ、え? ほんとに? 王子、絵凜たちとデート行ってくれるの?」

「もちろんだよ! 引くなんてとんでもない! むしろ僕なんかが相手でいいのかな」

「お、大氏くんで不足する人なんて、いない、です」


 僕のことをそんなにも評価してくれるなんて、涙が以下略。

 ようし、まずはデートに行くための服を買いに行こう! いや待てよ、デートに行くための服を買いに行く服をネットで注文しよう!


 楽しくなってきたなあ!


 *


 るんるん気分で教室に戻る道すがら、片山くんに出会った。


「偶然だね。そろそろ五時間目が始まるよ?」

「お前を待ってたんだよ」


 片山くんは笑顔の多い人じゃないけれど、今日はいつにも増して神妙な顔つきをしている。またぞろ女子に言い寄られていたのだろうか。そう尋ねると、片山くんは首を振って「歩きながら話そうぜ」と言って階段を上り始める。


「なにかあったの?」

「俺が聞きたいぜ、それ」僕が首を傾げると、片山くんは目を眇めた。「最近、綾芽と仲良くしてるみたいだが、大丈夫なのか?」


 そこで思い当たる。転校初日に片山くんには、綾芽さんには気を付けろと言われていた。彼女自身というよりも、彼女を良く思わない人物――川上さんがクラスの中心人物だからだ。


「今のところ、なにも心配いらないよ。川上さんと気まずい雰囲気になりかけたことはあったけどね」


 カラオケに行く道中、綾芽さんを馬鹿にするような発言を僕が諫めた時のことだ。あの時は、僕自身もまずい立場になるかもなあ、と危惧していたのだけれど、翌日以降、特に何も変わることなく生活できている。川上さんたちも、何事もなかったように接してくれている。


 僕が力強く頷くと、片山くんは何度も首を縦に振って、「そうか。ならいいんだけどよ」と納得してくれたようだった。


「でも、僕と綾芽さんが仲良くしてるなんてよくわかったね。あまり人目につかないようにはしてるつもりだったんだけど」

「昼休み、いつもふらっといなくなるから気にはなってたんだ。詮索するつもりはなかったんだが、ある日、しつこい女子を撒くときによく使う非常階段のところを覗いたら、大氏と綾芽が笑顔で話し込んでるところを見ちまってな」

「そっか。片山くんもあそこよく使ってたんだ。それは悪いことしちゃったね」

「いや、別にそれはいいんだ。ただ、周りには気を使えよってことだ」

「心配してくれてありがとう。でも、僕は大丈夫だよ」


 僕がそういうと、片山くんは喉に物がつかえたみたいに口をもごもごとさせる。なんだろう、と思っているうちに、結局、ため息だけついて「なんでもねえ」とだけ言った。


 それを追究しなかったのは、デートのことで頭がいっぱいだったから、というほかない。

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