第7話 綾芽瑠奈の場合
『【生存戦略会議開催】いつもの場所にて午後四時三十分開始。時間は厳に守られたし』
学校から十五分ほど離れたファミレスが、私たちにとってのいつもの場所だった。
会議設立当初はおしゃれなカフェなんかも開催候補地として挙がったけど、私たちみたいな顔面崩壊系女子がたむろすると、お店の雰囲気を損なうとかで営業妨害とみなされかねない。そういうわけで、身の丈に合ったファミレスに集合することが慣例となっている。……こんなこと言うと、ファミレスに失礼かな。
掃除当番が長引いてしまった私が約束の時間を少しだけ過ぎてからファミレスに辿り着くと、既にボックス席にはストローでちゅーちゅーとドリンクを飲む二人の姿があった。
「瑠奈、遅いよ。生存意識に欠けてるんじゃないの」
ジト目でこちらを睨むのは、この会議の発足以来ずっと議長を務め続けている絵凜ちゃんだ。会議の招集は、もっぱら議長である絵凜ちゃんの一存で決まる。
セミロングの金髪に、幼さの残る容貌。後ろ姿だけ見れば、高校二年生になった今でも中学生くらいには見える絵凜ちゃんに、頭を下げる。
「ごめんね、いろいろあって遅れちゃった」
あらかじめ私の分のドリンクバーも頼んでくれていたらしい。いつもの紅茶が絵凜ちゃんの隣に用意されていた。私は椅子に腰かけてから、対面に座るキリカちゃんにも声をかける。
「今日は部活休みだったんだね」
ストローを咥えたままの状態で顔を上げると、こくりと頷いてまたドリンクを啜る作業に戻った。キリカちゃんはクールなところがチャームポイント。いつもは陸上部のエースとして部活に精を出しているけれど、時間が合えばこうして集まりに顔を出してくれる。
私も紅茶に口を付けてから、絵凜ちゃんに尋ねる。
「それで、今日の議題はなに? いつになく急な招集だったね」
「瑠奈! 自分が発端なのにわからいでか!」
憤然とする絵凜ちゃんが、アイスココアの入ったコップをダン! とテーブルに叩きつけた。そのすぐ後に、あ、やべ……とテーブルに傷がついていないか、コップの淵がかけていないかを確認する。
「え、えと、私、なにかしたかな?」
「わからないとは言わせないよ。絵凜たちは見たんだから。ねえ、キリカ?」
呼びかけられて、キリカちゃんはみるみる減っていくメロンソーダを見つめていた瞳をこちらに向けて、小さく頷いた。目撃者は二人いる、ということだ。
「な、なんだろ。えと、今週のクラスのトレンドはグループに共有済み、だよね。忘れてたことはない、はず?」
高校生活には多くの罠がある。たとえばカースト上位の女子が、とあるアイドルを推しているとする。そして偶然にも、私たちのようなカースト下位の女子も、そのアイドルが好きだとしよう。なんなら、グッズを鞄に着けたりしてるかもしれない。
この場合、私たちはどのように行動すべきか? 普通の人なら、きっとカーストの垣根を越えて仲良くなれるかもしれない、共通の話題で盛り上がろう! なんて考えるかもしれない。
でもそれは間違い。正解は、グッズを速やかに外して、自分も推していることを相手に知られないようにしよう! なのだ。何故か?
「は? テメーもリズくん推しなの? 生意気じゃね? テメーみたいなゲロブスが推すなよな。リズくんが汚れるわ」
はい、イジメスタート。
こんなことが普通にあり得る。信じられないかもしれないけれど、私も過去に一度経験がある。だから、私たちはカースト上位の女子が、今、どんなものに興味があるのかを逐一調べて、対策を打つ必要がある。
生存戦略会議は、そのための存在。
で、私は今週分のノルマを果たしていたはず。川上さんら、私のクラスのカースト上位女子と、隣のクラスの分のトレンドは調査した。いったい、私のなにがマズかったのかな。
「一番大事なのが抜けてる!」
絵凜ちゃんがあまりにももどかしそうに怒るので、キリカちゃんが代弁してくれた。
「今日のお昼にやってきた男子のこと」
「え? みんなも噂は知ってるよね? 昨日来た転校生の大氏くんだよ」
「それは知ってる! 昼休みも、襟首から見えた鎖骨がえっちだったとか、笑顔が天使みたいだって話を瑠奈から聞いたばっかりだし!」
「え、え、じゃあ、なにがいけないの?」
「どうして瑠奈が、あの王子様系男子と普通に仲良く話せる仲になってるのか、ってこと! 絵凜とキリカは、逃げた後も二人の様子を校舎の陰から見てたんだから!」
「な、仲良くじゃないよ! 大氏くんはお礼を言いに来てくれただけ」
私は現代文の教科書を彼に見せてあげたことから始まり、昼休みの会話の内容までを詳らかにした。次第に深まっていく、絵凜ちゃんの額の皺。
「それ、騙されてるよ」
「あ、そ、そうかな」
「それ以外ないよ。絵凜たち生粋のブスに聞こえの良いことを言って近づいては、ドギマギする姿を内心で嘲笑ってる。男ってのはみんな、そういう輩なの!」
絵凜ちゃんが吐き捨てる。でも、私はそう決めつけるのは早計だって思う。なんでそう思うのかは、うまく言えないけれど、どことなく普通の男子とは雰囲気が違うのだ。それは、とても顔がカッコいいとかそういうことではなく。
「でも、なんとなく私たち陰キャと雰囲気が似ている、というか」
「瑠奈、舞い上がっちゃダメ。あの人間顔面国宝の男子が、絵凜たちと雰囲気が似てる? 冗談じゃない! キリカ! キリカは罰ゲームで何度告白された?」
「二回」
「絵凜は四回。で、瑠奈は?」
「ご、五回……」
「一番男子に騙されてる瑠奈が、どうしてすぐに絆されてるの!」
「ほ、絆されてはないよ。でも、あの、大氏くんにはいっぱい、かわいいって言ってもらえたの、ふふ」
嘘でもうれしかったんだ。
あの時、あの瞬間だけは、私は純粋に一人の女の子になれた気がする。自分が妖怪と呼ばれていることを忘れて、男の子と二人きりでお話をする、なんて夢みたいな時間を過ごすことができた。
「もう! 瑠奈がこんなにチョロかったなんて!」
ニヤニヤする私を押しのけて、絵凜ちゃんは空になったアイスココアを注ぎに行ってしまった。
肩をいからせて歩く絵凜ちゃんの気持ちは、よくわかる。私だって、自分でも不思議なんだ。男の子には、口汚く罵られたことは何度もある。視線を合わせただけで嗚咽を漏らされたことだってある。どうして苦い思いを数えきれないくらいしてきたのに、大氏くんには心を許せそうになっているんだろう。
「キリカちゃん、私、大氏くんに騙されてるのかな?」
炭酸の泡が弾けるのをずっと眺めていたキリカちゃんは、私の問いかけにすっ、と視線を上げて黙考の後、口を開いた。
「話したことないからわからない」
「そ、そうだよね」
「でも、自分の感じたことは大切にしたほうがいいよ」
「う、うん!」
男子にありがちな高慢さがちっとも見えなかった。それがどんな事情に由来しているのか、少し話しただけではわからないけれど、そのおかげで私は純粋にお話を楽しめたんだ。
「やっぱり、もうちょっとお話してみないと、分からないこともあるよね」
「どっちでもいいけど、絵凜たちには火の粉が降りかからないようにしてよ」
絵凜ちゃんがココアをなみなみ注いで戻ってきた。私が慎重に席を退いてから、絵凜ちゃんは席に着いてココアを嗜む。
「そこまで惚れ込んでるなら、あとは自己責任。傷ついたら慰めるくらいの準備はしておくけど、絵凜たちはその男子と関わるつもりないから」
キリカちゃんのスタンスを確認する意味でそちらに顔を向けると、キリカちゃんは「練習、あるから」とだけ言った。暗にキリカちゃんも関わるつもりはないと言っているのだ。
「あ、あ、でも、あの」
「なに? 大氏とかいう男子についてどれだけ力説されても、絵凜は翻らないよ」
「じゃなくて、あの、もしよければ、今度絵凜ちゃんとキリカちゃんも非常階段のところで一緒にお話ししたいって大氏くんが言ってるんだけど、どうかな?」
絵凜ちゃんの顔がものすご――――く嫌そうに歪んだ。絵凜ちゃんの男子の毛嫌いっぷりは筋金入りだ。自分の日常からその存在を排除しているきらいがある。それだけ絵凜ちゃんも、男子絡みで苦労した歴史があるということだ。
でも、一緒に過ごしていると時折「あーあ、絵凜にもクロンク様みたいに優しくてカッコよくていい匂いがしてエッチなことに積極的でオタク活動を認めてくれる旦那様ができないかな~」と愚痴ったりはしているので、興味がないわけではなさそう。ちなみにクロンク様というのは、絵凜ちゃんが中学生のころからお熱のスマホゲームの登場キャラだ。まじぇ、まじぇなんとかというゲームだった、気がする。
「い、一度だけでもお話とかは、しない?」
「しない。リアルの男なんてロクなのいないから。絵凜はクロンク様のエッチな絵を支援サイトに上げるのに忙しいんだ」
二次創作界隈でそれなりに名を上げているらしい絵凜ちゃんは、将来の整形費用を貯める名目で、月額五百円の支援サイトを運営している。支援者の数はまだまだ、らしいけれど将来の目標に向かって努力しているのは尊敬にやまない。
「瑠奈もさ、リアルの男なんか諦めて二次元に生きようよ。今なら瑠奈好みのホンワカしてる好青年系のキャラはいっぱい紹介できるのに」
「わ、私は大丈夫」
私はまだ、現実に希望を持っていたい。
たとえ可能性が、ゼロに等しくても。
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