第13話 誘拐犯は気まぐれです

「ねぇ、どうしてそんなに不機嫌なの?」


 馬車の中で、ミルドレットは目の前に座るニールに不満を漏らした。ニールは相変わらずニコニコと笑みを浮かべた顔のままわざとらしく小首を傾げてみせた。


「何も不機嫌ではありませんよ」

「……そうかなぁ」


 回答に対して不満気に唇を尖らせるミルドレットに、ニールは不思議でならなかった。どんな時でも笑顔のままで、誰にも自分の感情を察知されないようにしているというのに、何故ミルドレットには簡単にバレてしまうのか。

 しかも、ミルドレットの言う『不機嫌』な気持ちは、ほんの僅かだけ生じた気分であったし、その上なかなかに複雑な心情で、一言で理由を説明できない程、自分でもよく分からないのだ。

 そんなニールの様子をじっと見つめて、ミルドレットは少しいじけた様に俯いた。


「ニールにできるだけ迷惑かけないようにするからさ。嫌わないで欲しいんだけど」

「何故私がミルドレット様を嫌うのです?」

「あたし、皆をすぐ不愉快にさせちゃうみたいだから」


 ミルドレットはそう言うと、「お父様にはしょっちゅう叩かれたし」と、窓の外に視線を向けながらボソリととんでもない事を言った。


「泣いてると、あんたがよく飴玉くれたっけ」


 叩かれるような何か失敗をしでかしたのだろうか? と考えて、ニールは俯いた。

……どんな理由があろうとも、年端も行かない少女に手を上げるような真似はすべきではないし、それを止めなかった周囲にも問題があるはずだ。

 まして、彼女は奴隷の娘ではなく王女だ。それだというのにそんな境遇に遭っていたというのは疑問でしかない。


 一度、ルーデンベルンに行って王を問いただす必要がありそうだ。


 ニールはぎゅっと膝の上で拳を握りしめた。今自分にできることは、ミルドレットに対して真摯である事以外ないと考えたのだ。


「……自分でもよくわからないのです」


 ニールはゆっくりと気持ちを吐き出す様に言葉を続けた。


「こうしてわざわざ城下にまで足を運んだというのに、ミルドレット様はご自分の物を買おうという気がまるでない。それを見ていると、何故だか少しもやもやとするのです」


 紫焔しえんの魔導士グォドレイの住処は、決してマトモな住まいでは無かった。ミルドレットが身に着ける衣服も酷い有様で、魔術で荒稼ぎをしているはずだというのに、その金を少しもミルドレットの為に使ってやっていない事が腹立たしくてならなかった。

 一刻も早くあの場からミルドレットを連れ出したい気持ちが強すぎて、本当は準備期間を設ける予定で訪れたはずが、そのまま連れ去る行動をとってしまった。


 城下街のブティックで、ミルドレットがヴィンセントやシハイルへの贈り物にばかり目を向けて、周囲に飾られている煌びやかな女性向けのドレスや小物類には全く目もくれない様子が、ニールの瞳には悲しく思えてならなかったのだ。

 まるで住む世界が違う別の住人の物とでも言わんばかりに、ミルドレットは一切ふれようとはしなかった。


「贅沢をしろと言う気はありません。ですが、少し位。ご自分の事を可愛がってやっても良いのでは?」

「そんな事言われても。どうしたらいいのかわかんないよ」

「欲しい物の一つくらい買っても良いのではと言いたいのです。貴方はあのブティックでご自分の物を何も見ようとすらしなかったではありませんか」

「難しい事を言うね」


 ミルドレットはふっと笑うと、サファイアの様な瞳でじっとニールを見つめた。


「それじゃあ、あたしが買った欲しい物も、きっとニールは気にいらないのかも」


ミルドレットはそう言ってニールに小さな包みを手渡した。


「あの店で、あたしが一番欲しかったものだよ」

「何か買われていたのですね? 見てもよろしいですか?」

「勿論」


 包みを開くと中には小さな木箱が入っており、パカリと音を立てて開いてみると、サファイアがはめ込まれたシンプルな片耳ピアスが格納されていた。ミルドレットの瞳の色によく似た石の色だ。ニールが贈った品は豪華過ぎて、確かに普段使いには適していないが、それにしては片耳だけだしシンプル過ぎると感じた。


「ニールから貰ったネックレスには遠く及ばないけど、受け取ってくれたら嬉しいな」


ミルドレットの言葉に、ニールは驚いて目を上げた。


「私にですか!?」

「うん。石も小さいし、大した価値は無いんだけどさ。その代わりな護りの魔術を施しておいたんだ。宝石には魔術を込めやすいからさ」


 ミルドレットの『欲しい物』が、自分への贈り物だったとは、とニールは暫しピアスを見つめ、絶句していた。彼女はこれを買う事で満足感を得られていないはずだ。


——ミルドレットが最も欲しているものは何だろうか。


 ニールはそう考えて、チラリとミルドレットを見つめた。寂しげに微笑む彼女は、緊張の為か僅かに身を震わせていた。ニールに受け取って貰えるだろうかという不安と恐れが彼女を蝕んでいるのだろう。


 ニールはプツリと自らの耳にピアスを刺した。


 彼の耳には既にピアスホールが空いていたが、敢えてその少し上に新しくミルドレットから貰ったピアスを刺したのだ。

 赤みがかった栗色の髪に、サファイアの深い青は対局のようによく目立った。まるで自身がミルドレットの物であると主張するかのようだ。決して側を離れない、どんな時もミルドレットを護るのだと、永遠の忠誠を誓うかのような行為だった。


 「似合いますか?」と、ニールがミルドレットに聞こうと口を開きかけると、彼女がサファイアの様な瞳に涙をいっぱいに溜めていたので、思わず「え……」と、声を洩らした。

 喜んでくれると思ったというのに、何故ミルドレットは泣いているのだろうか。と、ニールは訳が分からず困惑し、眉を寄せた。


「ミルドレット様? 一体どうなさったのです?」

「ごめん、わかんない……」


 ミルドレットは零れ落ちる涙を手の甲で擦ると、へらへらと笑って見せた。しかし、涙は止まらずにポタポタとスカートの上に零れ落ちた。


「……その涙は、飴玉で止まる涙ですか?」

「ううん。止まらないと思う」


——嬉し涙は、飴玉じゃ止まらない。


 ニールはハンカチを取り出してミルドレットに差し出すと、「石では洗わないでくださいね」と念を押した。

 ミルドレットは笑いながら「気を付けるよ」と言って受け取ると、ハンカチで頬を拭いた。


「なんか、感極まっちゃったのかな」

「どうしてです?」

「あたし、たぶんずっとニールに逢いたかったんだと思う。なんだか、あの頃の事を思い出しちゃって。ニールだけはあたしに優しかったから」


 ルーデンベルンの王城での、唯一の優しい思い出。


「子供の頃にあんたから貰った優しさは、本当に心の救いだったんだ。今まで思い出そうとしなかったのは怖かったからだと思う。あんたを思い出すと、同時にお父様の事も思い出しちゃいそうで」


 ミルドレットの過去について、ニールは本人に直接問いただす様な真似は決してすまいと心に決めていた。そうすることで傷を抉ることになるからだ。

 だから彼女が人とは違った事に幸福を感じても、その理由を聞くこともしない様に気を付けていた。


「ヒュリムトンの王城でも、ニールが一緒に居てくれることが本当に心強いんだ。あんたにとっては、お父様からの命令でしかないのかもしれないけど」

「ミルドレット様がお幸せなら私にとっても喜ばしいことです」


 ミルドレットがシハイルとの婚姻が決まれば、彼女の幸せは揺るぎないものになるはずだ。なんとしても、王太子妃として選んで貰わなければならない、とニールは決心を込めた様に膝の上で拳を握りしめた。


「そうだね、あたし、今結構幸せかもしれない」


 ミルドレットが微笑みを浮かべながらそう言った。


「この間、シハイル王太子殿下と少し話したんだ。その、マントを借りた時にさ」

「どう思いましたか?」

「どうって?」

「王太子殿下の事をです」


 ニールは好奇心に駆られてミルドレットに問いかけた。ミルドレットが少しでもシハイルに好感があれば、それは願っても無いことだと思ったからだ。


「大きな悲しみを抱えた人だと思った」


 ミルドレットはそう言った後、小さくため息を吐いた。


「ヒュリムトンの王太子ともなれば抱える重責も生半可じゃないんだろうけど、そういうことじゃなくて、なんだかすごく悲しそうに、辛そうに見えたんだ。だからあたし、少しでも力になれたらって思った。あたしなんかであの人の悲しみを消せるとは思えないけど、力になりたいって思ったんだ」


 『存在無き王』と刻まれた墓碑の前で、たった一人どんな気持ちで彼は花を手向けていたのだろう、とミルドレットは考えただけでも心に痛みを感じた。


「シハイル王太子殿下のあの仮面は、なんだかニールに似てるって思った」


ニールはドキリとして、「何故です?」と、眉を寄せて聞いた。


「子供の頃、ニールはあたしに、『自分は泣けない』って言ったの、覚えてる? もう、忘れちゃったかな……。シハイル王太子殿下も、あの仮面をつけて自分の顔だけじゃなく心まで隠してしまってる人に思えたんだ。泣きたい時に泣けず、誰にも悲しい気持ちを理解して貰えないだなんて辛過ぎるよ」


ミルドレットはふっと微笑むと、ニールを見つめた。


「あたし、泣くのなら得意中の得意だからさ! 代わりにいくらでも泣いてあげようって思ったんだ」


ミルドレットの言葉に、ニールは僅かに唇を噛んだ。


「……少しは王太子妃になる気になりましたか?」

「あたしより、アレッサやルルネイアの方が王太子妃に向いてるだろうって思うけど。ただ、あの人の妻になるのは嫌じゃないなって思うよ。その……王太子殿下も、あたしに妃になって欲しいって言ってくれたしさ。ちょっと照れるっていうか、恐れ多いけど」


 ミルドレットの言葉にホッとして、ニールは頷いた。王城に居ればシハイルと顔を合わせる機会も増えるだろう。そうするうちにミルドレットがシハイルを想うようになれば、彼女も本気で王太子妃の座に就こうと考えるに違いない。


 王太子妃候補のお披露目パーティーでシハイルがミルドレットに贈ったドレスは、純白の、まるでウエディングドレスのようなデザインだった。シハイルがミルドレットこそ自分の妻としたいのだという意思表示であると捉える者も少なからずいたはずだ。ただ、元々ミルドレットの姉であるアリテミラに贈る予定だったドレスを、そのままミルドレットに当てがったのだと思う者の方が圧倒的に多かった。

 それでも、いくらシハイル自身の決定権が低いとはいえ、この国の未来の王となるシハイルの顔色を伺う貴族達の心を懐柔できれば、票集めに有利であることは明らかだ。

 ミルドレットにはそんなしたたかさは無いだろうから、ニールがうまくコントロールしてやるしかない。


「そうだ、ルルネイアからお茶会に誘われたんだ」


 ミルドレットの言葉にニールは顔を上げた。


 ルルネイア・ルージュ・リッケンハイアンド。リッケンハイアンド王国の第三王女である彼女は、輝く様な金髪に深緑色の瞳を持った、女神の様な神々しさを放つ美貌の持ち主だ。

 リッケンハイアンド王国は剣の王国と名高く、優れた剣士が数多く在籍しているとして有名な国である。ルルネイアも幼い頃から王女でありながら剣を学び、才能にも恵まれていると聞く。

 見た目の印象とは違い、彼女は相当な手練れであることは間違いなく、そうともなれば性格もまた見た目の印象と異なるに違いない。


「ねぇ、ニール。あたし、お茶会って初めてなんだ。マナーとかそういうの全然わかんないしさ、色々教えてくれると嬉しいんだけど」

「それは勿論ですが、お茶会には他にどのような方が招待されているのかご存じですか?」

「ヒュリムトンの貴族令嬢達も招待したって言ってたよ」


 ミルドレットの答えを聞いて、これは間違いなく王太子妃レースに向けた票集めの為だろうとニールは思った。あわよくばミルドレットのミスも期待しているに違いない。


「楽しみだなぁ。ルルネイアの国の事とか色々知りたいし、どんな趣味があるとか、話したいこと沢山あるから」


 ニールの心配も他所に、ミルドレットは心からわくわくしているようで、頬を紅潮させながら興奮気味に話している。

 皆がミルドレットの様に純粋ではないというのに、とニールはため息を洩らした。


 突然ガタリと馬車が大きく揺れた。ニールの方に倒れ込むミルドレットを支えようと伸ばした手を、何故か彼は咄嗟にひっこめた。


ベチン!!


 ニールの白銀の甲冑にミルドレットは顔面をしこたま打ち付けて悶絶した。


「は……鼻血出るかと思った」

「出なくて何よりです」

「あのさ!? 普通騎士なら支えてくれるものじゃないの!? あんた、この間だってあたしが馬車の中で転んだのに放置していたじゃないかっ!」

「ええ、まあ」

「『ええ、まあ』じゃないよ!! 酷い騎士だよホントっ!」


 ニールの白銀の甲冑にはミルドレットの口紅がつき、バッチリキスマークができあがっていた。

 小窓が開いて御者が顔を出すと、申し訳無さそうに頭を下げた。


「大き目の石に乗り上げたようで、お怪我はございませんでしたか?」


 文句を言おうとしたミルドレットを遮って「問題ありません」と、ニールが口早に答えて、御者が開けた小窓をニコニコ仮面のままバン! と激しく閉じた。


——これ、めちゃくちゃ怒ってる。

 と、ミルドレットは苦笑いを浮かべた。揺れて痛い思いをしたのはミルドレットの方だというのに、何故そんなに怒っているのだろうか? もしかしたら、ニールは馬車酔いする性質なのかもしれない。だからミルドレットを支える余裕が無かったのだろう。そっとしておいてやるのが無難だ、とミルドレットは暫し口を閉じる事にした。

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