第14話 深い深い穴倉は居心地がいい

 明らかにおかしい……。と、ミルドレットとニールは目を合わせて頷き合った。


 城下町のブティックからヒュリムトンの王城への帰り道、嫌に荒っぽい運転をする御者に不審感を抱いたが、案の定王城から随分と逸れた小道を馬車は走っていた。

 それなりの速度が出ている為、少しの石に乗り上げただけでも馬車はうさぎの様に飛び跳ねる。


「よもや護衛がついていようといなかろうとお構いなしというわけですか。甘く見られたものです」


 ニールが剣の柄を握りしめて怒りをあらわに言ったが、顔は相変わらずニコニコと笑みを浮かべているので、ミルドレットは薄気味悪さを感じてゾクリとした。


——この男、本気で笑顔のまま人殺しをする気だ。


「ね……ねぇ、どこへ連れて行く気なんだろう?」

「さて? 生かしておく気は無いでしょうから、もしかしたら崖から馬車ごと落とされる可能性もありますね」

「……えっ!?」


 ミルドレットは青ざめて咄嗟に詠唱した。ニールがハッとして身構えると、馬車を操っていた御者が悲鳴を上げ、激しい揺れと共に馬車が急に曲がり、耐えきれずに横転した。

 流石のニールもミルドレットをしっかりと支え、怪我が無い様にと彼女の身を抱きしめた。


「急に魔術を使用するのは止めていただきたいものですね……」

「崖から落っことされたりしたら敵わないと思って馬を眠らせただけだよ! 横転するとは思わなかったんだ、ごめん!」


 半泣きになりながらミルドレットは彼女を支えるニールに執拗以上に抱き着いた。


「ミルドレット様、邪魔です」

「邪魔って! 怖かったのにっ!」

「ご自分のせいでしょう」


 ミルドレットを身体から引きはがして、ニールは横転して天井となった出入口を開けて身軽に外へと出た。ならず者の集団が周囲を取り囲んでいる様子に、うんざりとしてため息を吐いた。


「ニール、あたしも出たいから手を貸してよ」

「だめです」


 馬車の中に置いてけぼりをくらっているミルドレットにきっぱりとそう言い放つと、ニールは馬車のドアを閉めて剣をさやから抜いた。


 にやにやと下品な笑みを向けるならず者たちの集団の中央で、ニールはニコニコと笑みを浮かべたままうんざりとしてため息を洩らした。


——この者達の雇い主に見当はついている。だからこそ、ミルドレットには気づかれたくはない。


「護衛の兄ちゃんよぉ、たった一人でどうにかなると思ってんのか?」


 ならず者たちの頭領らしき男が下品な笑みを浮かべたままそう言った。


——全く、雑魚の王道と言わんばかりの言動を吐いて、恥ずかしくないのかこの男は。


 いつも通りの笑みを浮かべたまま、ニールは心の中でそんな悪態をついていた。

 ももに巻いた皮製のベルトから素早くスローイングナイフを三本取って投げると、前方に居た男三人が同時に呻き声を上げて大地へと崩れ落ちた。


「おい! 普通『目的は何だ』とか、聞くもんじゃねぇか!? いきなり殺しにかかるだなんて、お前それでも王家の騎士かよ!?」


 大慌てで叫んだ頭領の言葉を全く気にも留めず、ニールは更にスローイングナイフを投げつけて、今度は頭領の首を狙った。が、流石にならず者とはいえ頭領の男はナイフをぎりぎりに避けた。


「あぶねっ!! クソ、野郎ども!! あの男を取り押さえろ!」


——抜いてゆるくナイフを投げ過ぎたか。

 ニールは笑みを浮かべたまま舌打ちをし、剣を構えた。馬車の上から飛び降りてそのまま素早く草原を駆け抜けると、向かって来るならず者たちを立ち止まる事すらせずに次々と切り倒していった。


 その様子は、まるで子供相手に大人が暴力を振るう様な圧倒的な差で、ニコニコ仮面を貼り付けた男が残虐非道の限りを尽くしている惨状を目の当たりにし、ならず者達は恐怖で悲鳴を上げた。


「や、やめろ! こっちに来るな!!」


 ニールは全くお構いなしに次々と切り殺していく。

 気候が良く見晴らしのいい草原で血しぶきがパッと上がり、太陽の光に照らされる様は異様な光景だった。数十人はいたであろうならず者たちが大地に倒れ、頭領の男一人を残して数人は逃亡した。

 ニールの白銀の甲冑は返り血で赤く染まり、太陽の光すら鈍る程にぬらぬらと滴らせていた。ニコニコと笑みを浮かべた顔を向けられ、頭の男は『化け物だ』と思うのと同時に自分の死を予感した。


 ゴクリ。と、息を呑む間も無く、次の瞬間風景がぐるりと回転し、左肩の激痛と共に自分の視界は死神の笑顔でいっぱいになった。


 頭領の男はニールに馬乗りにされ、左肩に剣を突き立てられていたのだ。


「あんたを相手にするには、はした金過ぎたな……」


——その言葉が、男の最期の言葉となった。





 ニールはミルドレットが閉じ込められている馬車の側まで戻ると、コツコツと馬車の壁をノックした。


「ミルドレット様。済みました」

「済んだって……何が?」


 ミルドレットは馬車の中から震える声を発した。外で起きた惨劇は見えないものの、男たちの断末魔の悲鳴はミルドレットの耳にも届いていた。


「ゴミ掃除です」


 押し黙るミルドレットの様子に、ニールは俯いた。返り血塗れの自分の姿を見て、これでは余計に彼女を怖がらせてしまうなと考えた。


 馬車の状態を確認すると、横転した際に車輪が外れて破損してしまった様だった。馬車を引いていた二頭の馬は、ミルドレットの魔術でぐっすりと眠っている。術を解きさえすればそれに乗って王城に戻る事は可能だろう。


「ミルドレット様、馬には乗れますか?」


 ニールの問いかけにミルドレットは答えなかった。この血塗れの姿を見せるまでもなく、彼女はもう十分に恐怖におののいているのだろう。


——仕方が無い。『ニール』という存在は、その為に居るのだから。


「横転した馬車は破損が見受けられます。馬に乗り換えて王城に戻るしかありません。乗馬が苦手であれば、私の前に乗っていただければ結構です」

「あんたは大丈夫なの?」


 ミルドレットの問いかけにニールは小首を傾げた。


「大丈夫とは?」

「怪我とか、してないの?」

「……ええ。問題ありません。しかし、連中の返り血で汚れています。それで良ければ……」

「そんなことどうだっていい! 早くここから出して!」


 ならば話は早い、とニールは馬車の上に飛び乗ってドアを開けた。車内で膝を抱えて蹲っているミルドレットに血塗れの手を差し伸べると、彼女はその手を取って車内から這い上がった。


「では馬にかけた術を……」


「解いてください」と、ニールが言おうとすると、ミルドレットは白い両手でニールの血塗れの両頬をパッと包み込んだ。サファイアの様な瞳には大粒の涙を浮かべている。


「ごめん! あたしなんかを護る為に、あんたを血塗れにさせちゃって!」

「これは返り血です」

「でも、傷ついた顔してる。痛そうな顔をしてるじゃないか!」


 ニールの顔は、ニコニコといつもの笑顔を浮かべている。


「申し訳ございませんが、私にとっては大したことではございません」

「本当は嫌なのに、こんな事させちゃってごめん!! ほんとにごめんね、ニール!!」


 ニールはミルドレットの両手を振り払うと、「私の役目ですから」と、ぶっきらぼうに言い放ち、眠っている馬から馬車の固定具を外す作業に取り掛かった。


「申し上げました通り、私には大したことではございません。しかしミルドレット様も、この先もこういった目に遭う事も多いでしょうから、お気を付けください」

「……もう遭ってるもん」


 ミルドレットは横転した馬車の上に腰かけて、俯きながらそう言った。


「ニールが居ない時、閉じ込められたり、食事に毒を盛られたりした。そんなのは魔術でどうにかなったからいいんだけど」


 ミルドレットは瞳からポタポタと涙を零した。


「エレンが、あたしの入浴の準備をしようとして、毒が混ぜられた湯で大怪我したんだ」


 知っていたのか、とニールは驚いて、ミルドレットの方を見ず手を止めた。

 ぐすぐすとすすり泣くミルドレットの嗚咽が聞こえる。


「だからあたし、最初は逃げようとした。王太子妃候補から逃げ出そうとしたんだ。あたしのせいでこれ以上、エレンや皆に怪我をさせたくなんかないから。でも、それだとエレンの気持ちを裏切ることになっちゃう。あたし……どうしたらいいの?」


 ミルドレットは瞳を擦ると、更に涙を流し、肩を震わせながら言った。


「あんたまでこんな目に遭うなんて、そんなの耐えられないよ!」

「これは私の役目ですから。そんなことを気になさらずとも結構ですよ」


 笑顔の仮面を貼り付けたまま、ニールはミルドレットを振り返ってそう言った。つっと額を垂れ落ちて来た返り血を手の甲で拭うと、手の甲についていた血で額が一層汚れた。


「ミルドレット様が王太子妃に選ばれる事のみが私と、そしてエレンや侍女達の望みなのです」


 草原に横たわるならず者たちの血塗れの遺体を見て、ミルドレットは唇を噛みしめた。


——もう後戻りはできない。


「……わかった。迷いはまだあるけど、あたし、王太子妃になれるように頑張ってみる」

「それは良かったです」


 ニールは止めていた手を再び動かすと、作業を続けながらミルドレットに言った。


「私の甘さもよくありませんでしたので、お伝えします」


「何を?」と、小首を傾げたミルドレットの反応にもお構いなしに、ニールは言葉を続けた。


「この者達を雇ったのは、リッケンハイアンド王国の第三王女、ルルネイア姫の側で仕えている叔母のマリエラです」

「……そっか、ルルネイアのシャペロンについていたあの人なんだ」

「さて? もしかしたらルルネイアの指示でマリエラが動いていた可能性もあります」

「どうしてそんなこと言うの? ルルネイアはお茶会に招待してくれたのに!」

「王太子妃の座を奪い合っているこの状況下で、誰に他を思いやる余裕があるというのです?」


 ミルドレットは返り血塗れのニールを見つめた。

 

「思いやりとは、余裕のある者のすることですよ、ミルドレット様。穴に落ちている者に手を差し伸べる事はできますが、穴に落ちている者がその上にいる者に手を差し伸べる事はできません。貴方は果たしてどちらですか?」


 太陽に照らされて、ニールの赤みがかった栗色の髪が茜色に光り、べっとりとついた返り血が一層どす黒く濁って見えた。


 誰よりも心優しいミルドレットにこの言葉を伝えることは、暴言とも言える程に酷な事だとニールには分かっていた。

 そして、そのミルドレットの優しさこそが彼女の良さであり、ニールもミルドレットのそういうところを好ましく思っていた。


「中途半端な決心では、他を傷つけるだけで何の実りもございません」

「……ニール。あたしにどうしろって言うの?」

「誰を蹴落とそうとも、這い上がる事だけをお考えください」


ミルドレットはニールを見つめながら、震える唇を動かした。


「あたしを思いやって優しさをくれたあんたが、そんなことを言うなんて……」

「あの頃の私は余裕があったのでしょう」


 ニールは笑みを浮かべたままミルドレットを振り返った。


「今は違います」


べっとりと染みついた返り血と彼の表情が、あまりにも相対していて不気味だった。

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