第31話 ニールの出征

「行ってらっしゃいニール。あたし、ダンスの練習めちゃくちゃ頑張る! 魔法薬も沢山量産しまくるよ! エレンも一緒だから心配しないで大丈夫だからねっ!」


 ぶんぶんと両手を振るミルドレットに見送られ、ニールはニコニコと笑みを浮かべたまま振り返りもせずに馬を走らせ、ルルネイアと共に王城を後にした。


——少し位寂しがってくれても良いのに……。

 という思いが、ニールの頭の中でズンと伸し掛かる様な重みを感じた。


「ミルドレット姫ったら、元気いっぱいですね」


クスクスとお淑やかに笑うルルネイアの一歩後ろで、——元気というか無頓着というか——と考えながらコホン、とニールは咳払いをした。


「それで、ルルネイア様。昨日お話しした通り、お約束についてですが」

「ええ、勿論。存じておりますわ」


 ルルネイア率いる王城警備魔物討伐隊は、ニールの他にヒュリムトンの騎士五十名を従えていた。これから二週間程かけて王都周辺の魔物達を駆逐するのだが、ルルネイアとニールはとある約束を交わしていたのだ。


「より早く、且つ多く魔物を討伐することで、この作戦の早期終了を促すということですね」

「はい。私はミルドレット様にお仕えする身ですから、一刻も早く戻らなくてはなりません」

「良いでしょう。では部隊を等分致しましょう」


 ニールは首を左右に振ると、「私に兵は不要です」と言って馬を数歩東へと進めた。


「私は東側から王都から反時計回りに。ルルネイア様は西側から王都から時計回りに魔物を殲滅していきましょう」

「ですが……!」

「剣の国と誉高いリッケンハイアンドの王女様とあらば、私が護衛につく必要も無いでしょう」


 いつも通り笑みを浮かべたままそう言うと、ニールはルルネイアの意見も聞かずに馬の腹を蹴り走り去った。


「……僅かでも私と一緒に居たくないと言いたげですわね」

「ルルネイア様。我々も参りましょう」


 騎士の一人にルルネイアは頷くと西へと向けて馬を進めた。


「これより王都周辺の魔物討伐作戦を開始いたします。リッケンハイアンド王国、第三王女ルルネイア・ルージュ・リッケンハイアンド指揮の元、皆尽力しなさい」


 ルルネイアの檄に騎士達が雄々しく声を上げた。その声は大地を揺るがす程の雄たけびで、先に馬を出したニールが思わず振り返った。


——リッケンハイアンドの王族に伝わる士気を上げる魔術。

 それは、潜在能力を引き出し、騎士達が数倍もの戦闘力を発揮することが可能となるものだ。


「私を必要とした理由が分かりませんが。まぁ、いいでしょう」


 ニールはそう呟くと、馬を走らせた。



◇◇◇◇



 悲鳴すら上げる間も与えず、ニールは次々と魔物を狩りながら、王都から出て北東側から南下していった。ニールの通った後には魔物の遺体が点々と並び、まるで足跡を表しているかの様だ。


——王都周辺にはさほど強敵となる魔物は出現しない。ルルネイア王女の票稼ぎのパフォーマンスに付き合うのはうんざりだ。ミルドレットの事はエレンに任せておけば心配は要らないだろうが、城に残して来た兄上の影武者の男はどうにも最近の動きに不審な点が見られる。


 王城を出る時、暫く留守にする為、ニールはいつもの様にシハイルの影武者の男に依頼に行った。

 男の名はデュアイン・オールストン。出生は謎に包まれてはいるが、恐らく幼少期から兄の影武者として訓練されて育った男だろう。シハイルは彼を『D』と呼んでいたので、ニールもデュアインを同じく『D』と呼ぶことにしていた。

 彼に任せておけば公務も滞りなく淡々と行うわけだし、ニールからの命令も絶対に遵守するのだが。


——どうにも最近の彼は王太子妃候補達に興味を示している素振りがある。妙な行動に出なければいいが……。


 そう考えながら魔物の首を落とし、ニールは返り血を浴びながら、パッと剣を振り払った。馬の息が上がっている。少々無理をさせ過ぎたかとため息をつき、休憩すべく川原へと向かった。


 魔物の血を洗い落とし、ザブザブと豪快に顔を洗うと、チクリと左耳が痛んだ。ミルドレットから貰ったピアスに触れたのだ。まだピアスホールを開けたばかりで、時折痛みが走るが、ニールにはその痛みが誇らしく感じた。

 ミルドレットが側に居る様な、そんな気がするからだ。


一体いつから彼女の存在が自分の中で大きくなったのだろうか。


 ミルドレットを手放したくないという欲求が日に日に強まっていく。物に対しても人に対しても執着心を持つ事なくこの歳まで生きて来たはずだというのに、一体自分の中で何が起こっているのだろうか。


——もしや、人間らしい感情でも芽生えたというのか……?


 そう考えながら、ニールは振り返りもせず、後方にスローイングナイフを投げつけた。悲鳴が上がり、やれやれとため息を吐きながら振り返ると、ヒュリムトンの騎士が一人倒れていた。ニールの放ったナイフはしっかりと急所を貫き、既に絶命していた。


 大方ルルネイアが見張りにと送り込んだのだろう。くだらない真似のおかげで王国の騎士を無駄に減らしてしまった。

 ニールは面倒そうに遺体の襟首を掴むと、ナイフを抜き取り、そのままずるずると引いて川の中へと放り込んだ。


 人間らしい感情が芽生えたなどと、たった今考えた自分を嘲笑う。


——そうだ。例えルルネイアやアレッサ、ヴィンセントを殺す事になったとしても、今の自分には相手に同情するような感情は微塵も芽生えない。躊躇すらしない。それが寂しいことだとも、悲しいことだとも思わない。

 私の中にあるのはただ、黒か白かだけだ。灰色は存在しない。自分にとって不利益となる存在ならば殺す。それだけだ。


 再び気配を察知し、ニールはスローイングナイフを茂みに向かって投げつけた。が、金属音が鳴り響いたところを見ると、弾き返された様だ。間髪入れずに投げつけた二本も弾かれて、ニールは剣を鞘から抜いた。

 少しは骨のある者のようだ。顔くらいは拝んでおくとするかと、茂みから姿を現すのを待った。


「……全く、容赦のないこと」


その声を聞き、ニールは「ルルネイア様?」と、眉を寄せた。

 彼女は茂みから姿を現し、「ええ」と、肩を竦めてみせた。ニールが放ったスローイングナイフを三本手に持っている。確実に急所を狙ったはずであり、ヒュリムトンの騎士はあっけなく死んでいるのだから、ルルネイアの騎士としての素質は天才的であると言えるだろう。


「何故こちらへ? 危うく魔物と間違え殺すところでした」

「剣の王国と誉高いリッケンハイアンドの王女たるもの、そうそう易々と狩られはしませんわ」


 ニールはいつもの笑みを浮かべながら、しかし剣を鞘へは戻さずにルルネイアを見つめた。


——失敗したな。彼女だと分かっていれば、更にもう数本投げて仕留めたというのに。約束を違えてこちらへ向かったのは彼女の落ち度だ。魔物と間違えて殺そうともこちらに非はない。


「それで、何故こちらへ? 別行動をし、落ち合う地点が討伐完了となるはずではありませんか」


 ルルネイアは笑うと、「そう殺気立てないでくださいな」と肩を竦めた。


「西側は騎士達に任せました。先に騎士を一人送ったはずですが、ご存じありませんか?」

「さあ?」


 ニールは恍けた後に、「それで、もう一度聞きますが、ルルネイア様は何故こちらへ?」と、言葉を続けた。


「私はニール様と行動を共にしようと思いましたの」

「それは同意できません。こちらへ向かう途中魔物の死骸を見たはずです。私の戦闘スタイルでは貴方をお守りできませんし、そもそも効率が下がります」

「あら、お守り頂く必要はございませんわ」


ルルネイアはニールにスローイングナイフを手渡しながらニコリと微笑んだ。


「私はリッケンハイアンド王国の第三王女です。足手まといになる様な腕ではありません」

「とはいえ、同意出来かねます」


ニールはルルネイアからナイフを二本受け取ると同時に、素早く側面へと投げ放った。負傷を負った叫び声を上げ、バシャリと水を弾く音が聞こえる。ルルネイアが慌てて剣を抜き身構えるより早く、ニールは駆けた。

 巨大なトカゲが数匹、人の様に二足歩行で、手に武器を持ち威嚇している。リザードマンだ。ニールが放ったナイフは二匹の目を射抜いており、紫色の血を垂らして襲い掛かって来た。


 ニールはトンと大地を蹴りリザードマンの首を斬り落とすと、振るってきた粗末な槍を避け、腕を斬り落とした。ルルネイアも加勢し、一匹の尾を切り落とす。


「会話に突然割って入るとは、無礼者ですね」

「リザードマンに礼儀を教える気ですか? 王女様」

「やってみましょう」


 ニールが僅かに足を退き、リザードマンの攻撃を誘った。威嚇しながら槍を振るうそれを、ルルネイアが剣で弾き、そのまま首を斬り落とした。紫色の返り血を浴び、彼女のはちみつ色の美しい髪が汚れたが、気にも留めずに更にもう一匹を仕留めた。


「お見事です」


——流石にリザードマン如きでは落ちないか。確かに言うだけの腕がある。見事な剣捌きと身軽さだ。私が投げたスローングナイフを二本も弾いた腕といい、恐らくヒュリムトン騎士団の隊長クラスでも彼女には適わないだろう。


「この程度で誉められても嬉しくはありませんわ」


 ルルネイアは剣を拭き、鞘へと戻すとニールを見つめ、クスリと笑った。


「ですが、礼儀を教える前に倒してしまいました」


 ニールはふいと踵を返すと、馬へと跨った。ルルネイアに何も告げずに馬を走らせたので、彼女も慌てて馬を呼ぶと、ニールの後を追った。


——ついてくる気か。面倒な。


 ニールの手綱を握る手に力が入る。ルーデンベルンに身を寄せていた頃も、常に単独行動をしていた。笑顔を振りまいて人当たりのいいフリをするのは苦にならないが、自分が他の命を奪うところを他人に見られたくはない。


 驕りでも何でも無く、ニールの本気の戦闘を目の当たりにしたのならば、余りの凄まじさに畏怖することは目に見えているからだ。勿論、暗殺を得意とする彼は、それを目にした全ての命を葬り去って来た。


——ルーデンベルン王、アーヴィング以外は。あの男だけは契約の魔術のせいで殺すことができない……。


 ルルネイアはヒュリムトンの王太子妃候補だ。もしもニールの戦闘を見られた場合、城に戻った後に警戒されてあれこれ吹聴される恐れがある。ならば極力行動を共にしないことが彼女にとっては安全であると言えるだろう。


——殺さなければならなくなる前に、離れた方が良い。


 馬を巧みに操り木々を縫うように駆け抜けて引き離そうと試みたものの、ルルネイアは難なくついてくる。これでは馬が持たなくなる、と、ニールはうんざりした。


 丘の上へと駆けあがり、ニールは速度を落とすと、ルルネイアを振り返った。


「別行動をと申し上げたはずですが」


 ニールは苛立ちを隠しきれず、ぎゅっと歯を噛みしめた。


 ルルネイアが足手まといでならない。脳裏に浮かぶのは、ミルドレットと親し気にするヴィンセントやグォドレイの姿だ。その度にはらわたが煮えくり返る程に苛立つ。


——すぐにでもこんなくだらない仕事を終わらせて、ミルドレットの側に私は帰りたいというのに!!


「ニール様!!」


ルルネイアが悲鳴の様に叫ぶより早く、ニールの右肩に激痛が走り、馬上から身体を引きはがされて空へと持ち上げられた。バサリと翼を羽ばたかせる風圧を受けながら見上げると、自分の身体を持ち上げているのは手足が鳥で頭部や肉体が女性の怪鳥、ハーピーである事に気づいた。


——油断した。なんと、らしくもない……。


 既に落とされては無事では済まない高さまで上昇しており、ニールは舌打ちした。

眠りの術が込められた奇妙な歌を歌い始めたので、剣を抜き、空中でハーピーの足を片方切り落とした。悲鳴と共にボタボタと血が大地へと滴り落ちる。振り落とされない様にしっかりとハーピーの残りの足を手で掴み、弱ってどこかへ着地するまで待つ事にした。


大地に落ちた血痕を頼りにルルネイアが追って来るだろう。彼女の助けは要らないが、馬は必要だ。


 それにしても妙だ。王都周辺に魔物の数が随分と多い。以前はこれほどまでに多くの魔物が出現することなど無かったはずだが……。


 ニールは妙に思いながら、ハーピーが弱るのを待った。

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