第30話 ミルドレットの票集め

「ヴィンセント様って素敵よねぇっ!!」


キャア!! っと、黄色い声を上げ、女性の使用人達が頷き合った。


 ここは王城の使用人達専用の食堂だ。休憩時間中にお茶を飲みに集まった使用人達が話す話題といえば、もっぱら見目麗しい殿方の話だった。


「私、この間ユジェイの侍女に依頼されて茶葉を持っていったんだけど、その時お部屋で寛ぐ姿をガン見しちゃったわ! 色気たっぷりでソファに腰かけてて、本を読む姿が最高に素敵だったー!」

「いいなぁ~!!」


 ミルドレット以外は自国の侍女や使用人を連れて来ている為、ヒュリムトンの使用人達がヴィンセントに係わる事は稀だった。

 彼がユジェイの第三王子であることや、外見の美しさ、品の良い仕草、ヒュリムトン国内では珍しい浅黒い肌の色や艶やかな黒髪が神秘的であると、噂が噂を呼び、使用人達の間ではヴィンセントの姿を一目見た暁には、皆の羨望を集めると言った具合だった。


「私はニール様も素敵だと思うけれどなぁ」

「解る! 私もっ!!」


 食堂内がワッと沸いた。ニールはヒュリムトンの貴族の家柄であるらしいという噂があるものの、いつも温厚そうな笑みを浮かべた物静かな男性で、使用人に対しても礼儀正しくはあるものの、感情を表に出さず謎めいたところがまた魅力的であると言われていた。


「いつも笑顔なのに、クールで素敵よねぇ」

「ミルドレット様はルーデンベルンの姫君だけれど、幼馴染だとかで護衛を買って出たんですって」

「お優しいのねぇ」

「ああいう寡黙な方に口説かれでもしたら……」


再び「キャア!!」と黄色い声が沸き上がり、食堂の隅で休憩していた男性達が苦笑いを浮かべた。

 休憩時間といえばいつもこんな調子であったため、男性陣はどうにも居心地が悪い思いをしていた。しかし、男性の一人が果敢にも彼女達に向けて咳払いを一つすると、自慢げに声を放った。


「お前ら、紫焔の魔導士グォドレイ様のお姿を見たことが無いだろう? ものすっげぇ美男だったぞ? もう、この世の者とは思えないくらいだ!」


男性の言葉に、女性陣はポカンとして口を開いた。


「紫焔の魔導士って、おじいちゃんじゃないの?」

「俺もずっとそう思っていたんだが、この間王城の廊下で露店を開いている姿を見かけてな。それはもう、鳥肌が立つくらいの美貌の持ち主で、天使と見間違う程だったんだ。もう、すっかりファンになっちまったぞ! ……魔法薬は高くて買えなかったけどな」


同性にここまで言わせるとは、一体どれほどの美貌の持ち主なのだろう、と、女性陣はゴクリと息を呑んだ。


「いいなぁ。私も見てみたい」

「美し過ぎて目が瞑れるかも!?」

「それでもいいから見てみたい!」


 わいわいと盛り上がっていると、「何の話? 楽しそうだね!」と、銀髪の女性が混じってきた。カチャカチャと何やら袋一杯に持ち込んだ小瓶を取り出し、テーブルの上に並べている。小瓶の中には薄緑色の怪しげな液体が揺れていた。


「紫焔の魔導士グォドレイ様が美形らしいって話よ」

「すっごいんだって!」

「天使様みたいだって話よ!? お目にかかってみたいわぁ~!」


使用人達がそう言うと、銀髪の女性はキョトンとした様子で小首を捻った。


「お師匠様が? そうかなぁ? 子供の頃から見慣れてるから、なんとも思わないけど」

「……お師匠様?」


 使用人達はハッとして銀髪の女性を見つめた。お世辞にも素敵だとは言えない程にみすぼらしいドレスを身に纏った彼女が、王太子妃候補ミルドレット・レイラ・ルーデンベルンであると知り、皆驚愕して「わっ!」と声を上げ、ミルドレットの側から離れた。


「み、ミルドレット様!? どうしてこちらに!?」

「うん。邪魔してゴメンね。お師匠様が皆に疲労回復薬を配って来いって」


 それはグォドレイの考えた、ミルドレットの票集め作戦だった。身分によって票のポイント数は異なるものの、王城で仕える全ての者達にも王太子妃候補選抜の投票権が与えられている。


「そんな、王女様直々にっ!?」

「あたしはルーデンベルンから侍女も使用人も連れて来てないし。まあ、元々居ないんだけど。それに、皆と話したかったしさ」


そう言って、ニコリと屈託のない笑みを浮かべたミルドレットの美しさに、皆呆然と見惚れた。心が綺麗な者というのは、その純粋さ故に誰にも真似ができない天性の魅力を持っているものなのかもしれない。


「あ……ごめん。休憩中だったのに、あたし邪魔だよね」


申し訳なさそうにしたミルドレットに、使用人達は慌てて首を左右に振った。


「じゃ、邪魔だなんてとんでもない! ただその、恐れ多くて!」

「この薬、お師匠様と一緒に一生懸命作ったんだ、飲んでくれると嬉しいな」

「ミルドレット様がお作りになったのですか!?」

「うん! 効くよ~!」


 そういえば、ヒュリムトンの侍女や使用人が数名ミルドレット付きに任命されたが、彼女らが日に日に肌が艶やかになり、生き生きしてきている。その理由はこれだったのか、と使用人達は奪い合う様に手を伸ばし、小瓶を取った。


「おお、大人気。良かったぁ~」

「有難く飲ませて頂きますっ!」


小瓶の蓋を開け、皆が飲もうとした時に「不味いけど、頑張って飲んでね」とミルドレットが言ったので、皆手を止めて躊躇した。互いに誰か先に飲まないかとチラチラと目くばせをし合う。


「不味いけど、死ぬほどじゃないから大丈夫だよ」


ミルドレットが自ら一本手に取り、男らしくグイっと飲んで見せた。


「おい、ミリー! お前、大量の精力増強薬持って何してやがるんだ!?」


突然グォドレイが叫びながらパッと現れて、ミルドレットはブー!! と豪快に魔法薬を口から噴き出した。


「うわっ! 汚ぇなぁ、何やってんだよ!」

「嘘!? これ、あたし間違って持って来ちゃった!? どうしよう、ちょっと飲んじゃったっ!」

「あーあ、それ、俺様がお客に頼まれて作ったやつだ。鼻血出ても知らねぇぞ?」


 深い紫色の髪をサラリと肩に零し、アメジストの様な瞳に、きりりとした眉。均整の取れた上品な顔立ちのグォドレイの様子に、使用人達は皆釘付けとなった。

 グォドレイはやれやれと肩を竦めると、パチンと指を鳴らした。使用人達が手に持っていた小瓶の中身が、薄緑色から薄桃色へと変わった。


「そいつが正真正銘の疲労回復薬だ。不出来な弟子で悪いなぁ」

「皆、ごめんね。変な物飲ませるところだった!」

「おら、とっとと引き上げるぞ? 休憩時間を邪魔したら悪いからな。皆、ミリーに清き一票を!」

「お師匠様、『清き一票』って何?」

「いいから、気にすんな!」


 グォドレイがミルドレットの肩を掴むと、数音歌う様な音色を発してパッと姿を消した。


 食堂内はシンと静まり返った後、ワッ!! と沸いた。


「グォドレイ様素敵過ぎっ!!」

「ミルドレット様めちゃくちゃ可愛い……でも魔法薬怪しい!」

「麗し過ぎて目が瞑れるっ!! キラキラしてる!!」


口々に絶賛する言葉を放ちながら、使用人達はその日一日夢の中にでも居る様な心地で、仕事に手が付かず、王城内では瞬く間に様々な噂が飛び交った。



 日が落ちて、空に星々が瞬く頃、コツコツと部屋の扉がノックされ、ミルドレットが返事をすると、遠慮がちにニールが顔を出した。

 ミルドレットはすっと瞳を反らすと、本へと視線を落として「何か用事?」と、冷たく言い放った。


「ミルドレット様、何やら妙な噂を耳にしたのですが」

「ふーん。どんな?」

「ミルドレット様が怪しげな魔法薬を飲んで、グォドレイ殿と謳いながらキラキラ輝いていると」

「へ!? なにそれ!!」

「王城内の使用人達が噂をしています」


 一体何がどうなってそんな噂が流れたのだろう、とミルドレットは顔を青くした。


「あたし、休憩中の皆を邪魔しちゃったから、怒らせちゃったのかな……」

「怒っている様子は見受けられませんでしたが、それより何か怪しい薬でも飲んだかのように夢心地な者が多数居ました。うわ言の様に『天使様』と呟いておりましたが」

「怪しくないよ! 皆にはちゃんと疲労回復薬を渡せたもん!」


——危うく精力増強薬飲ませかけたけど。


 狼狽えるミルドレットを、ニールは怪しげに見つめた。惚れ薬を自分に飲ませようとしたのだから、ニールがミルドレットを怪しむのは当然だろう。


「ホントに平気だってばっ!」


ムッとしたように唇を尖らせるミルドレットを暫く胡散臭そうに見つめた後、ニールはすっと視線を外した。

 明日からルルネイアと共に魔物討伐の為城を空けなければならない。その前にどうにかミルドレットとのわだかまりを解消しておきたいとニールは考えていたのだ。

 シンと間が空き、ミルドレットはニールの方を見ずに本を見つめたまま言葉を放った。


「用事はそれだけ? あたし、忙しいんだけど」


——やっぱりそっけないっ!


 ニールは表情こそいつもの笑顔のままであるものの、背にだらだらと汗を流した。


「あの、ミルドレット様。何か私が不愉快になるような事をしましたか?」

「別に何もないけど」


——顔があると言っていますが!?


 再びシンと静まり返り、ニールは居心地の悪さに口元をヒク付かせた。


 ミルドレットは明日からニールが不在になることを思い出し、僅かに瞳を上げた。ふと、テーブルの上にハンカチが置かれている事に気づき、恐らくヴィンセントの忘れ物だろうと考えて「あ」と声を上げた。


「ヴィンス……」


と、言葉を放った時、ツ……っとミルドレットの鼻から鼻血が零れ落ちた。恐らく間違って飲んだ精力増強薬のせいだろう。しかし、ニールが顔をサーっと青くした。


——ミルドレットが、ヴィンセントの事を考えて鼻血を出した!?


「うわああ! 鼻血鼻血!!」


 ミルドレットが大慌てで鼻血を拭く様を呆然と眺めているニールに、ミルドレットは腹を立てて頬を膨らませた。


「ニール! 鼻血出てるのにほっとくだなんて、酷いじゃないかっ!」

「すみません。他の男の事を考えて鼻血を出しているミルドレット様に驚いて……」

「はぁ!? 何の話!?」

「ミルドレット様、ヴィンセント様の事はお諦めください」

「言ってる意味全然分かんないしっ!?」


——ニールってば、何言ってるの!? 諦めるって、何のこと!?


 持っていたハンカチでは足りず、ミルドレットは他に拭くものが無いかキョロキョロと辺りを見回した。


——うう、ごめん。ヴィンス。ちゃんと洗って返すから!

 と、テーブルの上に置いてあるヴィンセントのハンカチに手を伸ばそうとした時に、ニールがミルドレットを抱き寄せた。


——わ!? 何!?


 ニールの甘い香りがミルドレットを包み込む。カッと顔を赤らめたミルドレットにもお構いなしに、ニールはミルドレットの鼻をきゅっと摘んだ。


……!!!!!


「暫くこのままでお待ちください。直ぐに止まるかと」

「やだっ! 離ひて!!」


——ニールにこんなみっともない状態で抱きしめられるとか恥ずかしいっ!!


「離してってばっ!」

「私をお嫌いでも構いませんから、少し大人しくしてください」


その言葉を静かに放ったニールは、悲し気に眉を寄せていた。ミルドレットはきょとんとしてニールを見上げた。


——嫌いって、どういう意味? あたしを突き放したのは、ニールじゃないか……。


 ミルドレットに戸惑うような潤んだ瞳で見つめられ、ニールは激しく鼓動する心臓に耐えきれず、すっと目を逸らした。


——ほら、避けた。


 ミルドレットは悲しくなって瞳に涙を溜めると、ニールを突き飛ばそうとしたが、ミルドレットの力ではニールはびくともしなかった。


「離してったらっ!!」

「嫌です。絶対に離しません!」

「離してよ! 変態っ! 人殺しっ!!」


口の悪いミルドレットが適当に言った言葉が、ニールの心に刺さった。ミルドレットもハッとして、今の自分の発言は拙かったと口に手を当てた。


「……私は、仰る通り人殺しです」

「ニール、ごめん。そんなつもりじゃなくて、あたしはただ……」


ニールがミルドレットから手を離した。


——自分の様な者は、眩い程に清いミルドレットの側に居てはならない。


「出血は治まった様ですね」

「待って!!」


立ち去ろうとするニールの服を掴むと、ミルドレットは涙を零した。


「ホントにゴメン。傷つけるつもりじゃなかったんだ。あたし、ただ恥ずかしくて」

「恥ずかしい? 何がですか? 貴方の前では、私の様な存在こそが惨めでならないというのに」


ぐすぐすと泣きじゃくると、ミルドレットはぎゅうっとニールの服を掴んだ手に力を入れた。


「ニールに、カッコ悪いところ見られたくなかったから! ニールにだけは……!」


——ヴィンセントならば良いとでも言いたいのか? そして、グォドレイにも、貴方はどんなにかみっともない姿だろうとさらけ出して来たはずだというのに。


「……明日から暫く不在となります故、自分磨きを怠らぬ様お願いします」

「ニール……?」

「貴方は王太子妃候補なのですから、迷ってはいけません」


 ミルドレットはニールの服を掴んだ手を離した。


「うん。分かった」


 瞳を擦りながら俯くミルドレットを背で感じながら、ニールはため息を吐いた。


 コツコツと部屋の扉がノックされた。「宜しいでしょうか」と凛とした声と共に、ゆっくりと扉が開かれる。


「いつまで経っても呼ばれないので、私から出向いてしまいました。お久しぶりでございます、ミルドレット様」


 穏やかな笑みを浮かべながら姿を現したその女性を見つめ、ミルドレットは「エレン!!」と嬉しそうに叫んだ。

 ニールはコホンと咳払いをして、ミルドレットを見つめた。


「私の留守中、怠る事無き様、お願い致します」

「うん! エレンが居てくれるなら全然寂しくないっ!! 逢いたかった、エレンっ!!」


——全然寂しくない……? まるで清々するとでも言いたげな口ぶりだ。

 苦笑いを浮かべるニールを他所に、ミルドレットは大はしゃぎでエレンにあれやこれやと話しだし、ニールは居場所を失いそっと部屋から出て行った。


——物心ついた頃には既に暗殺者としての道を歩まされていたのだ。今更何を傷つく必要がある。


 ニールは廊下を歩きながら、小さくため息を吐いた。

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