第29話 お師匠様のヨダレ

「そう、その調子だ。上手いではないか、ミリー」

「そ、そうかな……?」


 ミルドレットはヴィンセントを講師にダンスの練習に励んでいた。ぎこちないながらもなんとかステップについていけるようにまでなり、ミルドレット本人も手ごたえを感じていた。


「生誕祭までにはなんとか間に合うだろう」

「ホント!? 良かった!!」


ニールの教え方とは随分と違うなとミルドレットは思ったが、それもそのはず、ニールはシハイルとして自分がパートナーとなる前提であった為、リードを上手くやりさえすればどうとでもなると思っていたからだ。

 それに比べヴィンセントの教え方は、誰が相手でも問題ない様にときっちり教え込む為、苦労するのも当然のことだった。


「二人共、そろそろ休憩しませんか?」


アレッサがお茶を持って入って来ると、ミルドレットが元気に「賛成!」と、手を振った。


「アレッサは生誕祭の準備、平気なの?」


 お茶を飲みながら聞いたミルドレットに、アレッサはクスリと笑った。


「ミルドレット姫、一応私達はライバル同士ですのに」

「あ、ごめん。聞いちゃいけなかったよね。でも、ヴィンスを借りちゃってるし、悪いなぁと思って」


ヴィンセントがソファに腰かけて「アレッサのダンスは華麗だから、私の手解きなど無用だ」と言った後、お茶を一口飲み、「お茶の淹れ方も上手い」とシスコン全開の発言をした。


——そっか、あたしはダンスもお茶も全然ダメだしなぁ。

 と自信なさげに溜息をついたミルドレットに、アレッサはニコリと微笑みかけた。


「ミルドレット姫のダンスも随分と上達したと、お兄様もお誉めでしょう?」

「うむ、勿論だ。ミリーは素質がある」


 ヴィンセントは頷きながら言うと、琥珀色の瞳でミルドレットを見つめた。


「それに、ミリーの良さはダンス以外のところにある」


 そう言って照れた様に視線を外し、ヴィンセントはお茶を飲んだ。


「あたしに『良さ』なんかあるの?」

「当然だ。『良さ』しか無いくらいだ」

「……ヴィンス、疲れてる? 疲労回復の魔法薬、調合しようか?」


ミルドレットの言葉にアレッサはふっと笑うと、チラリと辺りを見回した。


「そういえば、今日は紫焔の魔導士グォドレイ様はいらっしゃらないのですね」

「珍しくニール殿の姿も無い」


 ミルドレットはティーカップのお茶を見つめて、小さくため息を吐いた。


「お師匠様は仕事があるってどっか行っちゃった。ニールは……ルルネイアに貸し出し中」

「貸し出し中とは?」


ヴィンセントの問いかけに、ミルドレットはカップをソーサーに置き、ぎゅっと拳を握り締めた。


「ルルネイアが、生誕祭の準備で魔物討伐をするんだって。ルルネイアのシャペロンの叔母さんが居なくなっちゃったから、ニールを貸し出す事にしたんだ。今日はその事前準備の打ち合わせだって。王宮の騎士達とも話さなきゃだから、忙しいみたい」

「……ふむ」


 ヴィンセントは成程と思った。ミルドレットには今、紫焔の魔導士グォドレイが側に居る。その上ヒュリムトンの貴族であるニールも一緒にいるとなれば、周囲から不公平であると意義を唱える者が出て来るだろう。

 ルルネイアは恐らくそれを心配してニールを借りる事にしたのだ。そして今の内にニールと仲良くなっておけば、万が一王太子妃に選ばれなかったとしても、貴族側との伝手ができると思ったに違いない。

 なかなかに強かな女だ、とヴィンセントは考えながらチラリとアレッサを見た。アレッサもまた同じように考えた様で、ニコリと微笑みながら頷いた。


「出遅れましたわ……」

「む?」


アレッサが悔し気にため息を吐き、ヴィンセントは小首を傾げた。


「私もニール様とお近づきになりたいと思っておりましたのに」

「なんだと!?」


 驚いて立ち上がったヴィンセントの服に引っ掛かり、ティーカップがカタンと倒れた。だが、ヴィンセントはお構いなしにアレッサに詰め寄った。


「アレッサ、まさかあの男に気があるのか!? 王太子妃候補であるという立場を忘れたか!」

「もしも王太子妃となれなかったのなら、嫁ぎ先があの方の元でしたら申し分無いと思うのは当然の事ですわ。聞けば、ニール様は公爵家の方の様ですもの」

「しかし、まだ妃が誰になるか決まってもおらぬうちから、なんとふしだらな!!」

「何を仰るの!? 私達は自分の身の落ち着き先を常に心配しながらこの王太子妃選抜に参加しているというのに、お兄様はそれをふしだらだと仰るのですか!! まして、私達はルーデンベルンの第一王女アリテミラ様が輿入れともなれば不要となるのは明らかですのに! お兄様こそ、負け戦と承知の上でヒュリムトンに訪れた事をお忘れですか!!」


 唇を噛み、アレッサは黒曜石の様な瞳を潤ませながらヴィンセントを見つめた。


「お兄様は気楽なものですわ。私がどうなろうと、ユジェイに帰る事ができるのですから!!」


 アレッサはそう言うと、パッと立ち上がり部屋から出て行った。


 ミルドレットは複雑な心境だった。婚約者が居るニールは、他の女性を受け入れる気が無い様に思えたが、アレッサやルルネイアであればそうではないのかもしれないと思ったからだ。


——だって、あたしみたいな落ちこぼれは、ニールだって嫌だろうから。だから、首筋についたキスマークにも、あんな風に見て見ぬフリをしたんだ。あたしに興味が無いから。

 ひょっとして、ニールはあたしを厄介払いしたいだけなのかな? 考えてみれば、お父様の命令で仕方なく一緒にいるだけで、あたしの為に居てくれているわけじゃないんだから……。


「すまぬ、ミリー。兄妹喧嘩に巻き込んでしまったな」

「そんなこと全然いいんだけれど。でももし、ニールとアレッサが結婚するとしたら、ヴィンスは許すの?」


ミルドレットの問いかけにヴィンセントは暫く間を空けた後、「うむ」と小さく声を放った。


「私はアレッサの望みにできる限り沿える様にしたいと思う」


ヴィンセントはそう言うと、倒してしまったティーカップを戻し、片づけを始めた。


「しかしニール殿には婚約者が居るのだろう? ヒュリムトンの貴族は一夫多妻制であると聞くが、私にはそれがどうにも気がかりだ。ニール殿に限らず、アレッサが妾の様な扱われ方をするならば認められぬ。周りがどう思おうとも、私はアレッサの幸せを一番に考える」


ミルドレットがふわりと詠唱すると、零れたお茶がするするとカップの中へと戻った。

 見事なものだなと思いながら、ヴィンセントはミルドレットにお礼を言うと小さくため息を吐いた。


「ミリーは、王太子妃になれぬ場合、グォドレイ殿の元へ嫁ぐのか?」


 ミルドレットは笑うと、「まさか!」と首を左右に振った。


「あたしとお師匠様はそういう仲じゃないよ」


ヴィンセントがホッとしたのも束の間、ミルドレットは「でも」と、小首を傾げた。


「知らない人の所に行くくらいなら、お師匠様と夫婦になった方がマシかも。契約の魔術がある限り、あたしとお師匠様が結婚なんかできないだろうけどさ」

「グォドレイ殿がヒュリムトンの貴族になれば問題ないのではないか?」

「お師匠様が人間の貴族になるはずないよ。あの人はそういう堅苦しい枠にはめられるのが大嫌いだから」

「……ミリーはグォドレイ殿に全く恋愛感情が無いのか?」


 普段人前に姿を晒さない為あまりその姿を知る者はいないが、初めて目にしたグォドレイの容姿はヴィンセントの目にも美しいと思った。魔導士とは人の域を超えた神にも近い存在である故、その並々ならぬ魔力からより一層神々しくその目に映るのかもしれない。

 言葉遣いも態度も横柄でありながら、一語一語を聞き逃すまいと惹きつけ、穏やかに動く唇や瞬きの所作に何故か魅了されるのだ。


「正直、恋愛とか全然わかんない。あたしは子供の頃からお師匠様と一緒だったんだ。今までの関係が変わるとも思えないし。っていうか、壊したくない」


——お師匠様にまで見捨てられちゃったら、あたしは一体どうしたら……。


「一緒に居られなくなっちゃうくらいなら、恋愛感情なんか無い方がずっといいよ。お師匠様があたしを妻にって言いだしたのは、きっとそういう意味じゃないんだと思う」


「ほお? じゃあ、一体どういう意味だ?」


突然グォドレイの声が背後から聞こえ、ミルドレットは驚いて振り向いた。

 深い紫色の髪に、アメジストのような瞳をした男がニッカリと笑い、「よぉ!」と、手を振った。


「お師匠様!! いきなり背後に現れたら心臓が飛び出るじゃないかっ!」

「ヴィンス。ミリーの世話役、ありがとな。俺様はダンスだとかなんとか大嫌いでな、助かるぜ」


 ミルドレットの話をガン無視し、グォドレイはどっかりとソファに腰かけた。


「いえ、私でよければ存分にお使いください。紫焔の魔導士グォドレイ殿に使われるのであれば、またとないほまれです」


 ヴィンセントは恐縮し、改まってグォドレイに頭を下げた後、チラリと視線を扉へと向けた。


「ミリー、すまぬが私はアレッサを探してくる。練習の続きはまた今度にしよう」


 すまなそうに笑みを浮かべてヴィンセントが部屋から出て行き、グォドレイは「何かあったのか?」と小首を傾げた。


「うん、ちょっとね」


 落ち込んだ様子のミルドレットに、グォドレイは『ニコニコ仮面関連か』と、ピンときた。


「ねぇ、師匠。ヒュリムトンの貴族は一夫多妻制なのに、どうして王族は違うの?」


 もしも全員がシハイルの妃として迎えられるのなら、何の問題も無いことなのにとミルドレットは思ったのだ。


「争いの種になるからだろうな。誰が後継者だとかなんとか、そんな争い事を無くす為に、ヒュリムトンの王族は男児が生まれたら、それ以上子を持たねぇって話だ。だから王太子は仮面をつけ、妃が決まるまでは素顔を出さねぇんだと」


 グォドレイは鼻で笑うと、「まあ、あの離れで何が起きてるかなんてのぁ、誰も知らない事だろうがな」と肩を竦めた。


「離れ?」

「ああ。裏庭の奥に魔術で隠された離宮があるんだよ。王太子は幼少期からそこで育ち、公務以外のプライベートな時間をその離宮で過ごすらしい。周囲から隔てて厳重に護られてるってワケだ」


 ミルドレットはふと、シハイルと共に訪れた墓碑を思い出した。シハイルが言った『これは私の墓なのかもしれません』という言葉。もしや、あの墓碑には、第一子以外が生まれてしまった場合、秘密裏に処理されてしまった者達が眠っているのだろうか……。


——シハイル王太子殿下にも、もしかして弟がいたりしたのかな……?


「で? ダンスの方は上達したのか?」


グォドレイの問いにミルドレットは慌てて頷いた。


「生誕祭までにはなんとか間に合うだろうってヴィンスが言ってた。素質あるって、褒めてくれたんだ」


得意気に笑って見せたミルドレットにグォドレイはニッカリと笑うと、手を差し伸べた。


「そんなら、俺様と踊ってみるか?」

「は? お師匠様はダンスが嫌いだって言っていたじゃないか」

「ああ、かたっ苦しいやつぁ大嫌いだ。でもまあ、ミリーと踊るくらいなら悪くねぇ」

「へぇ。お手並み拝見!」

「師匠に向かって偉そうじゃねぇか」


 ミルドレットが勢いよく立ち上がると、ゴッ!! と、すねをテーブルに強打し「わちゃぁ!!」と意味不明な悲鳴を上げながらピョンピョンと飛んだ。


「お前、相変わらず色気ねぇなー」

「お師匠様相手に色気も何もあるわけないじゃないか! それより死ぬほど痛いっ! ふあーっ!!」

「どれ、見せてみろよ」


 ミルドレットが床に座り込み、ドレスをたくし上げて脛を見せた。グォドレイはやれやれとしゃがんでそれを見つめると、なるほど既に皮膚が青く変色している様子が見えた。


「おー、こいつぁ痛そうだなぁ」

「お師匠様印のポーションが欲しい……」

「生憎切らしてんだ」

「ええ!?」

「なーに、そのくらい舐めときゃ治るだろ」

「そんなぁっ! 痛いっ! 死ぬっ!!」

「ちっ! しょうがねぇなあ!」


グォドレイがパッとミルドレットの足を掴むと、ペロリと脛を舐めた。

 美しい容姿である男に色気たっぷりにそんな事をされたのなら、通常ときめきが起こってもおかしくは無い状況だ。


——だが……


「わ! 汚っ!」

「汚いとか言うなっ!」

「よだれついたぁ! うへぇっ!」

「お前なぁ……」


 うんざりとしてため息を吐くと、グォドレイは舌打ちし、「まあ、ホラ。治ったぜ」と、ミルドレットの足を放した。青く変色していたはずの様子が跡形もなく消え去っている。


「ええっ!? 一体どうして!? お師匠様のよだれって、ポーションだったの!? 初めて知った!」

「んなワケあるかっ! 魔術だっつーのっ! 俺は回復系が得意じゃねぇからな、直接流す必要があるって訳だ。寿命も縮むし」

「ひょっとして、お師匠様に体を舐めて貰ったら、あたしの古傷も治る!?」

「アホな事言ってんじゃねぇっ! 寿命が縮むって言っただろうがっ! 俺様を殺す気か!?」


ミルドレットはグォドレイの服をぎゅっと掴むと、サファイアの様な瞳でじっと見つめた。


「でも! あたしの鞭打ちの痕も、消せる?」


切実たる様子で見つめて言うので、グォドレイは困った様に眉を寄せた。


「……お前、今までンな事気にして無かっただろ? 俺様の前で平気で真っ裸で居たくせに」

「お師匠様になら別に気にしないよ。でも、ニールには見られたくないんだ。落ちこぼれなのに、更にこんな痕なんて見られたら幻滅されちゃう……」


 瞳を潤ませるミルドレットを、グォドレイがため息をついて優しく頭を撫でた。


「……ったくよぉ、あいつがンな事気にするタイプかよ」

「あたしが気にするの!」


——あのお茶会の後、戻って来たニールはあたしをお師匠様の元へ帰すと言った。傷物のあたしは王太子妃候補としても相応しくないと、ニールはそう判断したんだ。

 あたしは……ニールの側を離れたく無くて、『やだ』って言った。それなのに………


「これは、あたしが不良品だって印だもん!! ニールには見られたくない!! 絶対に嫌だっ!!」


グォドレイはミルドレットの両肩を掴んだ。ポロポロとサファイアの様な瞳から涙を零し、泣き出すミルドレットをじっと見つめた。


「不出来な弟子だよおめぇはな。でも、それが何だ? 不良品だから何だ? ちょっとくらい出来が悪い方が愛されるってもんだろうが。完璧なヤツなんてのぁこの世にいやしねぇ。お前にはお前の良さがある。いい加減自分の魅力に気づけよ」

「でも……ニールの前では綺麗で居たいって、思っちゃうんだもん!!」

「気にするこたぁねぇさ。あいつも深い傷を負っている。ミリーの傷が霞んじまうくらいにな」


グォドレイはニッと笑うと、ミルドレットの両肩を優しく二度叩いた。


「あいつにガッカリされたくねぇなら、王太子妃になるこった!」

「そしたら、ニールはあたしと一緒に居てくれるかな? せめて友達でいてくれるかな?」

「……さーて。だが、まあ、お前の事を見直すだろうな。あいつに認められたいんだろう?」


アメジストの様な瞳で諭されて、ミルドレットは頷いた。


「……そっか。わかった。じゃあ、あたし頑張るよ。ニールに認めて貰う為に、王太子妃になる!」


——大分趣旨が違う気がするが、ま、いいか。

 グォドレイはため息をつくと、「その意気だ、頑張れよ!」と、ミルドレットの肩を叩いた。


「あ、お師匠様。ところでさあ、さっきよだれついたの拭かなきゃ汚い」

「おめぇはよぉ!?」

「わぁ、乾いて余計汚い気がする。洗った方がいいかも」

「でもほら、バッチリ傷は治ってるぜ? 流石俺様、天才だな」


「……一体、何をなさっているのです?」


 ニールが愕然としながら部屋の出入口に突っ立って、ミルドレットとグォドレイを見つめていた。

 ミルドレットがドレスのスカートをたくし上げており、グォドレイがその前に座り、中を覗き込んでいる様子を、だ。


「あ、ニール。お師匠様があたしの足を舐めたからよだれついちゃってさぁ」


——ア、俺様コイツに殺される。

 グォドレイはそう考えた瞬間、へらへらと笑いながらパチンと指を鳴らした。瞬時にその姿が消え、ニールが投げ放ったスローイングナイフが空を切り、床にビイイインと音を響かせて突き刺さった。


「あの男!! 八つ裂きにしてやります!!」

「え!? 何で!? どうして!?」


 怒り狂うニールを、ミルドレットは驚愕しながら見つめた。

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