第17話 可愛すぎるんです
「ティーカップの持ち手に指を通してはいけません。ましてや両手でカップを持つなど、無作法です」
ニールの指摘にミルドレットは一生懸命に従いながら、「マナーって難しい」とため息を洩らした。
「お茶なんて、美味しく飲めさえすればいいのに」
「それならばわざわざ皆で集まって飲む必要などありません。お茶会とは、云わば戦場です」
「戦場!?」
素っ頓狂な声を上げたミルドレットに、ニールはいつもの笑顔のまま頷くと、お手本として持っていたティーカップを、ティーソーサーの上にそっと置いた。
「如何に気品を保ちながら周囲の話題に耳を向け、美しく優雅に着飾る自分の評価を周囲から得ることができるかを、競う場です」
「そ……そうなの?」
「失敗は許されません。それでなくとも、ミルドレット様は他の候補者達よりも品格が劣るのですから」
ミルドレットは苦笑いを浮かべた。ニールが言うようなお茶会には絶対に参加したくないと思ったのだ。ルルネイアから送られた招待状へと視線を向け、花の形を象った可愛らしいカードを手に取り、にこりと微笑んだ。
「こんなに素敵なカードを貰った事なんか無かったから、とっても楽しみ!」
恐らくニールの言うような殺伐としたお茶会ではないに違いない、とミルドレットは期待を込めてそう言った。サファイアの様な瞳をキラキラと輝かせるミルドレットが可愛らしく、ニールは視線を逸らしながらコホンと咳払いをした。
「まあ、正餐会程に格式ばった様子では無いでしょう。招待客が貴族のご令嬢方であるならば、王族であるミルドレット様に対し失礼な態度を取る者も居ないでしょうから」
ただ一つ、気がかりな事と言えば、他の候補者が票集めの為に汚い手を使い、ミルドレットを貶めようとする可能性があるという事だ。
「ヴィンスも居るし、ニールだって側に居るわけだからそんなに心配無いって」
「私は参加できません」
さらりと言ったニールに、ミルドレットは「え?」と、眉を寄せた。
「所用がありまして、明日から留守にします。ヴィンセント様にはくれぐれもミルドレット様を頼みますと伝えておきま……」
「嫌だ!!」
ニールが話し終えないうちにミルドレットはそう言い放つと、ニールの服の裾を掴んだ。
「あたしをここに置いてどっかに行ったりなんかしたら嫌だ! 馬車が襲われたばかりなんだよ!? 一緒にいてくれないと心細いよ。どこにも行かないでよ、ニール!」
瞳を潤ませて見つめるミルドレットから視線を外すと、ニールは小さくため息を吐いた。
「子供ではないのですから、そのような我儘を言わないでください」
「ニールはあたしの護衛騎士なんでしょ? 側に居ないとだめなんじゃないの?」
「私はこのヒュリムトンの王城にミルドレット様をお送りする為に来たのです。本来ならば、貴方のお側にお仕えする義理はございません」
ピシャリと言い放ったニールの言葉に、ミルドレットは唇を噛みしめた。じんわりとミルドレットの瞳に涙が滲む。
「……ニールは、本当はあたしと一緒になんか居たくないの?」
いじけた様にそう言ったミルドレットに、ニールは「う……」と、小さく呻く様な声を上げた。
——居たくないわけがない! できることなら四六時中一緒に居たいに決まっている!
ニールは心の声を押し込めながら、落ち着いてゆっくりと口を開いた。
「ミルドレット様、私は……」
「まあ、ヴィンスが居るからいっか。あんたの用事の邪魔したら悪いし、数日くらい我慢するよ」
ケロリとした調子でミルドレットはそう言うと、サッと席を立って両腕を伸ばし、欠伸をした。窓の方へと近づいて外を眺め、「今日もいい天気だなぁ」と、呟いた。
「この部屋って眺めが良いよね。中庭の様子が良く見えるもん。ねぇ、見てみてよ。あの庭師ったらいつもあそこでサボってるんだよ? ヴィンスも知ってて、この間二人で笑っちゃった」
ニールはスックと立ち上がると、ミルドレットに詰め寄るようにズカズカと歩き、驚いてニールを見上げたミルドレットを壁に押し付ける様にして見下ろした。
「な、何……?」
「ミルドレット様はそれほどにヴィンセント様をお好きなのですか?」
ニールに凄まれて、ミルドレットは少し考えた後、コクリと頷いた。
「うん? 好きだよ。どうして?」
ミルドレットとしては『友達』としての『好き』なわけだったが、ニールは雷にでも打たれたかの様に硬直した。
——私はヴィンセントに劣るというのか!? いや、待て。落ち着け。何も彼女は私を嫌っているわけではない。それならば聞いてみたらどうだろうか? 私の事はどう思っているのかと……。
「ねぇ、ニール。狭いんだけど……」
壁とニールの間に挟まれて、ミルドレットは身動きが取れずに苦笑いを浮かべた。か細い手を握り締めた拳でコツリと、ニールの白銀の甲冑を叩く。
「どいてった……」
「ミルドレット様」
——貴方は、私をどうお思いなのです?
彼女の名を呼んだ後、それに続く言葉がニールの口からは出てこなかった。
——それを聞いてどうするというのだ? 私は、ニール・マクレイとして彼女の側に居続ける事などできないというのに。
「ニール? どうしたの?」
ニールの赤みがかった栗色の髪がサラリと揺れる。
——わぁ……睫毛長い。ニールって背も高いし男前だよね。侍女達の間でモテモテなのも頷ける。
ミルドレットはサファイアの様な瞳で暫くニールを見上げた後、歌う様な詠唱をしてするりとニールの側からすり抜けた。
「まだ話は終わっていません」
「だ、だって、ニールが何もしゃべらないからっ! 狭いしっ!」
顔を真っ赤にし、それをニールに見られないようにとそそくさと側から離れる。
——ニール、めちゃんこ近かった! なんか、心臓が変っ!!
「とにかく、出かけるのは分かったから。気を付けて行ってきてね。あたしの事は心配要らないからさ!」
ミルドレットに逃げられて、ニールは僅かにいじけながら視線を窓の外へと向けた。確かにミルドレットの言う通り、庭師が中庭の隅でうたた寝をしている様子が見える。
ニールは窓を開くと、お茶会のマナー講習で使っていたセットからナッツを一粒摘み上げ、指で弾き飛ばした。
「ぎゃっ!!」と、悲鳴が中庭に響き渡った。ニールが弾き飛ばしたナッツが、見事うたた寝をしていた庭師の額に命中したのだ。庭師はあまりに痛かったのか額を擦り、涙目になりながら蹲っている。
ミルドレットは瞳をまん丸にして驚くと、ニールの手をとって不思議そうに観察した。
「どうなってるの!? ナッツを弾いただけであんなに痛がるなんて」
「そうですか? 大分手加減しましたが」
——手加減しなければ、あの庭師の額を打ち抜いてしまう。
と考えて、ニールは自分の手を一生懸命観察するミルドレットを見つめた。ミルドレットはニールの手と自分の手を合わせてみて、「うわぁ、大きな手!」と、感動した様に言い、ニールは少し恥ずかしくなって唇を噛みしめた。
「あたし、この手に守られてたんだね。感謝しないと。『いつもあたしを護ってくれてありがとう』」
ミルドレットはそう言うと、ニールを見上げて微笑んだ。
「留守にする間は、ニール自身を護ってね」
——可愛すぎるから止めてくださいっ!!
ニールの心の声など聞こえもしないミルドレットは、「そうだ!」と、なにやら思いついた様に瞳を輝かせた。
「出かける時って、馬に乗るの?」
「ええ、まあ……少々遠方に用事があります故」
「それなら良い魔術があるよ!」
ミルドレットはニールの両手を掴むと、桜色の唇を動かして詠唱をした。歌う様な音色が心地よく聞き惚れていると、ミルドレットはニールの両手の指先に、ちゅ、とキスをした。
「ニールの手に、馬術が上がる魔術を掛けたよ。これで少しだけれど馬が疲れにくくなると思う。早く帰って来れる様に」
微笑むミルドレットを見つめながら、ニールは『何故私は手袋などしていたのだろう……』と、激しく後悔した。
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