第10話 シスコンだけど良い奴だなお前
「殿下、お探し致しました。私に王城を案内してくださるお約束でしたでしょう?」
哀し気に懇願でもするかのようにアレッサがシハイルに向かって言った。彼女のすぐ側には、王太子妃候補のお披露目パーティーでシャペロンを務めた男が控えていた。アレッサと同じく浅黒い肌に艶やかな黒髪を持っていたが、瞳は琥珀色の不思議な輝きを持っていた。
彼はミルドレットをその琥珀色の瞳で睨みつけ、牽制するかの様に唇を固く結んでいた。
確かアレッサの兄だと紹介されたと思ったが、名前が思い出せない。何故そうも睨みつけるのだろうかとミルドレットはキョトンとしていた。
「アレッサ姫。日取りについては後日ご連絡差し上げるつもりでおりましたが」
低く優しい声でシハイルがそう言った。アレッサはチラリとミルドレットに視線を向け、すぐにシハイルへと戻した。
「今ではいけませんか?」
アレッサはどうやら、シハイルとミルドレットが裏庭で密会をしていたと思った様だ。それもそのはず、ミルドレットの肩にはシハイルのマントが掛けられているのだから、疑うのも無理はない。
シハイルはそんなアレッサの気持ちを理解してかどうか、穏やかに「構いませんよ」と応え、ミルドレットにすっと頭を下げた。
所在無さげにしていたミルドレットは面食らって、呆然としてシハイルを見つめている。
「ミルドレット姫。楽しい時間をありがとうございました」
「え!? ああ、うん……」
すっとエスコートを求めて差し出したアレッサの手をシハイルは取ると、高い身長の身体を屈めて口づけした。アレッサがチラリとミルドレットへと視線を向けたが、直ぐにその視線をシハイルへと戻し、彼の肘に手を添えた。
「では、まずは中庭をご案内致しましょう。生憎の天気である故、足元にはお気をつけください」
穏やかな様子で優しくアレッサに声を掛け、シハイルはアレッサを紳士的にエスコートした。
ミルドレットは、なんだか少しだけ寂しい気持ちになって、暫くその場に立って去って行く二人の後ろ姿を眺めていると、「おい!」と、かけられた声にビクリとして「ひゃいっ!?」とおかしな声を上げてしまった。
声を掛けたのはアレッサの兄だった。
「抜け駆けは赦さぬぞ!」
アレッサの兄の言葉にミルドレットは小首を傾げた。
「抜け殻?」
「抜け駆けだ! 人気の無い裏庭でヒュリムトンの王太子と二人きり、何をしていた?」
墓参り……とは、言わない方がいいだろう。魔術をかけてまで隠していた場所なのだから。
「たまたま会っただけだよ。あたし、殿下が裏庭に居るだなんて知らなかったもの」
「王太子妃候補として、ライバルに差をつけようという魂胆なのではないのか?」
「……へ!?」
キョトンとしたミルドレットに、彼は眉を寄せて「意図的に逢ったのだろうと言っている!」と、僅かに声色を強めた。
「ち、違うよ! ホントに偶然だったら!」
「ルーデンベルンの姫君よ、見くびって貰っては困るぞ。アレッサにも勝算はあるのだからな。我が妹の美しさは誰をも虜にする上に、非常に賢い姫なのだ。性格も優しく明るいし、ヒュリムトンの王太子もきっと気に入るだろう」
アレッサの兄は得意げに鼻高々にそう語ると、更に妹自慢を続けた。すっと通った高い鼻筋がより一層高く感じられる程に高く掲げ、折角の美形がシスコンという欠点で全てが台無しだと、ミルドレットは残念に思った。
「妹自慢は分かったよ、お兄さん」
「誰がキサマの『お兄さん』だ!」
「だって、名前忘れたんだもん」
「ヴィンセントだ! ヴィンセント・ハメス・ユジェイ! ユジェイ王国第三王子だ! 貴様、馬鹿にしているのか!?」
「じゃあ、ヴィンス?」
「貴様に愛称で呼ぶことを赦した覚えはない、無礼者め!」
「別にいいじゃない。あたしのことも『ミリー』って呼んでいいよ」
「誰が呼ぶか!」
「ねぇ、どうしてそんな大事な妹を大国に嫁がせたいの?」
ミルドレットの疑問にヴィンセントは僅かに怯んだ。ミルドレット自身、姉の身代わりとしてここに来ているのだから、当然の疑問だった。
「……私とてアレッサを他国になど嫁がせたくはない。貴様は、まさか此度の事の重大さをまるで理解していないのか?」
『事の重大さ』? と、小首を傾げるミルドレットに呆れ、ヴィンセントは大きなため息を吐いた。
「貴様は一体何故ここに来た?」
ニールに拉致されたとは言えないし……と思いながら、ミルドレットは「姉さまの身代わりに」と答えた。
「それだけか? 他に何も聞いてはいないのか?」
「うん。あたしはただの身代わりだよ。出来の悪い身代わりで申し訳ないけど」
ヴィンセントはチラリとミルドレットの様子を見た後、上着のポケットからハンカチを取り出して差し出した。
「雨に打たれ、濡れたままでは風邪を引くぞ」
「え! いや、大丈夫だよ!」
「いいから受け取れ。人の好意を無碍にするものではない」
渋々ハンカチを受け取ろうとすると、ヴィンセントは仏頂面のままミルドレットの頭にそのハンカチを広げてかけ、雨に濡れた髪を拭いてやった。
「へ!? どうして……」
「どうしても何もあるものか。紳士として女性の身を案じるのは当然のことだ。私と話していたせいで風邪を引いたと言われても適わぬからな。よし、これでいい」
シハイルといい、ヴィンセントといい、やたらと女性に紳士的で優しい事にミルドレットはどうにも不慣れで戸惑いながら、「ありがとう」とお礼を言った。
「……大国ヒュリムトンが他国から姫を娶るともなれば、皆こぞって送りたがるのも当然の事。元々ルーデンベルンの第一王女を婚約者としていたのだから、誰もが諦めていた地位だ。その地位に就けるほんの僅かでも可能性があるとすれば、年頃の姫がいる国ならば、これを機に愛娘を一斉に売り込むのも無理は無い。娘と一緒に多額の持参金まで用意してな」
一国の王女が、身売りどころか大金を背負って送り込まれるとは、ヒュリムトンの国力とは相当なものなのだとミルドレットにも少しは理解できた。
「でも、それなのに王太子妃候補はあたしを入れて三人だけなんだね」
ヴィンセントは「うむ」と頷くと、悔し気に拳を握りしめた。
「年頃の娘が居ない国は養子まで用意して送り込もうとした。随分と世間は大きく騒ぎ、確執も生まれ小競り合いにまで発展してしまう程となってしまった。そこで、ヒュリムトンは事態を収拾させようと候補者に条件をつけたのだ。その条件のせいでほとんどの姫が候補から外される事となった。残されたのは我が国ユジェイと、リッケンハイアンド。そして、ルーデンベルンだということだ」
「『条件』って何? あたし、何にも聞いて無いんだけれど」
「その様子を見ればわかる。だから貴様が不憫だと思いこうして説明してやっているのだ」
ミルドレットはその『条件』が何なのかが知りたくて、じっとヴィンセントの琥珀色の瞳を見つめた。サファイアの様なミルドレットの瞳で見上げられて、ヴィンセントは僅かに戸惑った。
ミルドレット自身自覚はないものの、彼女の美しさは相当なものだった。美しい女性というものは多少なりとも自分の魅力に自覚があるものだが、ミルドレットにはそれが皆無である為、養われるはずの警戒心もまた皆無なのだ。
子供の様に純粋な瞳で美しい女性に見つめられると、男はどうにも戸惑ってしまうものだ。
「あまり私に近づくな」
「へ? どうして?」
不思議そうに小首を傾げ、拒絶されたのだろうかと少し悲し気にするミルドレットの仕草に子猫が連想されて、ヴィンセントはため息をついた。
「……いや、いい。つまりその『条件』とは、細かいことを言えば沢山ある。王族の純血であることも書き加えられたが、年齢は二十歳未満であること、生娘であること。見目麗しいことは勿論、類まれなる才能を一つ持っている事。貴様の場合はそれが魔術ということになるだろう。そして一度王太子妃候補となれば、妃として選ばれなかった場合はヒュリムトンの貴族の何者かに嫁ぐ事を条件とされたのだ」
ヴィンセントが言った最後の条件に、ミルドレットは素っ頓狂な声を上げた。
「選ばれなくても帰れないってこと!?」
「その通りだ。小国とはいえ一国の姫が、他国の貴族への輿入れになるのやもしれぬのだ。それは正にヒュリムトンへ人質を捧げる事に等しいとは思わぬか?」
ミルドレットはさあっと青ざめた。万が一選ばれなかった場合、自分だけが命の危険に晒されるのだと思っていたが、王太子妃候補全員がそんな立場だったとは。王族たるシハイルならばともかく、どのような貴族の男にあてがわれるかも分からないとは、ヴィンセントの言う『人質』どころか奴隷の様な扱いをされる可能性だってなくもない。
「逃げられないの?」
ミルドレットの言葉にヴィンセントは首を左右に振った。
「契約は絶対だ。貴様も魔術が扱えるのなら分かるだろう。術の施された契約書は何人たりとも破ることなどできぬ」
契約の魔術だ……。と、ミルドレットは思った。
師であるグォドレイが面倒そうに書類に魔術を施している姿を見た事がある。その書類で交わされた契約は、例えグォドレイ本人ですら破る事ができない。
「どうしてアレッサはそんな条件を呑んだの?」
「国の為を思いアレッサが自ら望んだことなのだ。ユジェイがヒュリムトンの後ろ盾を得られれば、長く続く隣国との戦局にも大きく影響する事だろうからな」
「そんな、アレッサみたいな美人で良い子が生贄みたいな真似をしなくちゃならないなんて!」
ヴィンセントはミルドレットの様子に眉を片方吊り上げた。
「……貴様は自分の身が心配ではないのか? 何故アレッサの心配をする? もしや自分が必ず選ばれると高を括っているのか?」
「そうじゃないよ、あたしは最初からそういう条件だっただけ」
「……なんだと?」
「姉さまの身代わりだからね。もしもあたしが選ばれなかったら、お父様は激怒してただじゃ済まさないよ。もしかしたら殺されるかもしれないし、いいとこ地下牢に一生閉じ込められるだろうと思う。それに比べたら、ヒュリムトンの貴族の誰かと結婚した方がずっとマシかな。奴隷扱いされたとしても、ずっとマシ」
ミルドレットの発言にヴィンセントは唖然として暫く言葉を失った。
一国の姫が、その父王に命を脅かされるとは、一体どういった親子関係だ?
「貴様、罪人か?」
「落ちこぼれが罪だっていうんなら、罪人なのかもね。あたしは、昔から何一つまともにできない落ちこぼれだったから」
——だから、王城からも修道院からも逃げ出すしか無かったんだ……。
辛い過去を思い出し、苦し紛れに笑ったミルドレットが不憫に見え、ヴィンセントは瞳を細めた。
満足に説明もなく、まるでルーデンベルンの王の道具の様に扱われているではないか、と唇を噛みしめる。
ミルドレットが自国の侍女を一人も連れてこなかった事は話題になっていた。それは恐らく、連れてこなかったのではなく、自国の王がつけてくれなかったのかもしれないなとヴィンセントは思った。
「貴様……いや、ミリー。私はそなたを誤解していた様だ。すまなかった」
「誤解って、何の事?」
「アレッサを貶める敵だと勝手に見なしていたのだ。勿論、アレッサの手前そなたに協力するような事はできぬが」
少々シスコンの気は強いものの、ヴィンセントがアレッサを大切に思う気持ちは羨ましいなとミルドレットは思った。自分は数人いる兄から全く相手にされたことが無かったし、大切にされるどころか毛嫌いすらされていたと思う。
もしもヴィンセントがミルドレットの兄だったのなら、きっと敬愛する兄としてどこにでもまとわりついて離れなかっただろう。
「……ヴィンスのような兄様がいたら、あたしも幸せだったかな」
ふっと微笑んだミルドレットの表情を見て、ヴィンセントは思わず顔を赤らめた。
「協力はできぬと言っただろう!」
「分かってるよ、別にそんな事を期待してない。ただなんか、あたしにも兄様はいるけれど、全然相手になんかして貰えなかったから。ヴィンスの様な兄様だったら、きっともっと楽しかっただろうなって思っただけだよ。アレッサが羨ましいな」
ヴィンセントはミルドレットを前にして何故こうも心臓が騒がしくなるのかと戸惑った。どうも緊張しているようだ、疲れているのかもしれない、と深呼吸を数回繰り返した。
「……その、アレッサが王太子に王城の案内を約束したのは、別にミリーを出し抜こうとしたわけではないぞ? 王太子妃候補のお披露目パーティーで、ミリーのドレスにワインがかかった騒動があっただろう。その時アレッサとのダンスを中断した事への詫びにと、王太子自らが提案した事なのだ。アレッサは何も悪く無い。よいな!?」
別にそんなことなんとも思っていなかったのに、とポカンとしているミルドレットからプイと顔を背けると、「ミリーも精々頑張るのだな!」と、捨て台詞の様に言って、ヴィンセントはさっさとその場から逃げて行った。
ふと見ると、先ほどミルドレットの頭を拭いた時に使ったと思われるハンカチが床に落ちている。
——ヴィンセントか。結構いい奴じゃないか。友達になれるといいなぁ。
ミルドレットはハンカチを拾い上げると、洗って返そうと考えて微笑んだ。
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