第9話 仮面王子は変人です

 王太子妃候補のお披露目パーティーの翌日。ミルドレットはニールの行儀作法教育から解放されて、ヒュリムトンの王城の『見学』もとい、『探検』をしていた。


 ニールが言うには、お披露目パーティーでミルドレットを初めて目にした者達からの評価が思いのほか良く、評価の判断基準等を決定する為に審議中であるのだそうだ。


「それって、つまり……」


 苦笑いを浮かべたミルドレットに、ニールはニコニコと笑みを浮かべながら頷いた。


「はい。パーティーでミルドレット様がミスをすることは予め仕込まれていた事実だということですね。そこで候補から外される予定が狂ってしまったということでしょう」

「ちょっと待ってよ。あたし、失敗すると命が危ないんだけど!? それなのにそんな、あたしの邪魔しようとしてる人が居るってこと!?」

「ええ。つまり、成功するにも命が危ういということですね」


 ミルドレットは相変わらずニコニコと笑顔を貼り付けているニールを恨みがましく睨みつけた。


「皆がアリテミラ姉さまを、そこまで気にいってるってこと?」

「ヒュリムトン国王はそうかもしれませんが、他の者達はアリテミラ様と面識が無いのではと思われます。それ故に少々調査が必要かと。誰が味方で誰が敵なのかを見極めながら行動しなくてはなりません。まあ、恐らく全員敵でしょうけれど、危険かどうかの調査は必要だということです」

「調査ったって……」


 ヒュリムトン城内を調査する術などあるはずがない。ミルドレットは三週間前にここに来たばかりな上に、ニールと共に部屋に引き籠って延々勉強をしていたのだ。侍女達以外とはほとんど関わる事なく生活していたのだから、誰に何を聞くにもまったくどうしていいのか見当もつかない。

 これはつまり、何もできないうちに落とし穴にはまってゲームオーバーでは? と、ミルドレットは考えて、今すぐ逃げ出した方が……とついつい視線を窓へと向けた。


「逃げられませんよ?」

「見逃してよ! あたしに調査だなんて器用な真似できるはずないだろ!?」

「お任せください。私の専売特許です」


 ニールがあまりにもサラリと言ったので、ミルドレットは思わずニールを見つめた。


 確かにこの男なら、持ち前の『ニコニコ仮面』と口のうまさで城中の侍女達を虜にするのも可能かもしれない。


「……嫌な専売特許だね」

「便利と言ってください」

「あたしの為に動いてくれるっての? あんたが? どうして?」

「さて?」


 大方ミルドレットが王太子妃に選ばれなかった場合、ニールにも何かしらの制裁がお父様から下されるからだろう、と考えてミルドレットは「はん!」と鼻で笑った。


「分かった。あんたに任せるよ」

「まずは広く浅く調査をしますので、三日程頂ければと思います。その間、ミルドレット様の警護も教育指南もできませんので、部屋で大人しくなさっていてください」


 お。ということは、三日間自由!? と、瞳を輝かせたミルドレットにぐっと顔を近づけると、ニールは「大人しくなさっていてくださいね?」と、念押しし、ミルドレットはへらへらと笑いながら「たぶん」と答えた。





 ——というのが、昨夜の話である。


「あたしが大人しくできる性分だったら、今頃ルーデンベルンで立派に王女様してるって」


 魔術を使っていとも簡単に部屋のテラスから脱走すると、わが物顔で王城内を行脚し始めた。勿論、気配を薄くして周囲から気に留めづらくする魔術を使用している。

 おしゃべりをしている使用人達や見回りをしている兵士達にも気づかれず、ミルドレットは城中を探検して回る事ができた。

 これならニールに調査を頼まなくても良かったかもしれないな、と少し調子づいてきた頃、城の裏手の門へと差し掛かった。


 門の外には花が咲き乱れる見事な庭が見える。中庭も手入れが行き届いて広く、遠くから見るだけで済ませたが、裏手にも庭があるのかと、ミルドレットはなんとなく興味がそそられて外へと出た。


 生憎天気はさほど良くは無い。どんよりと曇っていて、今にも雨が降り出しそうだが、かぐわしい花の香りが辺りを包み込む程に花々が勢い咲いており、ミルドレットはそれになんらかの魔術が施されている事を察知した。

 中庭では感じなかったのに、何の魔術だろうかと不思議に思って歩いていると、左右を花の壁にはばまれた小道が続く先に、大きな大理石製の柱の様な物が立っている様子が見えた。

 近づいてみると、それは柱ではなく墓碑ぼひであることに気づいた。


「……お墓? どうしてこんなところに」


 ポツリと呟いた時、墓の前に立っていた者が振り返った。まさか人が居たとは思いもせず、ミルドレットはハッとして口に手を当てた。


 ヒュリムトン王国王太子、シハイル・ベルンリッヒ・ヒュリムトン。共も従えず、彼はたった一人でそこに立っていた。


 曇り空の下では白銀の仮面もすっかり影を落とし、輝くことを忘れているようだ。表情こそ見えないものの、不思議な事にまるで泣いているのではと思える程に悲しみを帯びて見えた。


「何故こちらに?」


 低い声を発し、シハイルがミルドレットに尋ねた。特に責め立てている様子も無く優しい声色だったので、ミルドレットは少しだけホッとした。


「その、お城を探検していたらここに……邪魔しちゃってゴメン」


 申し訳なさそうに言ったミルドレットに、シハイルは「いえ」と小さく答え、手に持っていた花を墓碑の前へと手向けた。


 シハイルが悲し気に花を手向けるのは一体誰の墓なのだろう、と不思議に思っていると、シハイルは手を差し伸べて側に来るようにと促したので、ミルドレットは素直にそれに従った。


 空は今にも雨が降り出しそうで、昼間だというのに二人の影が薄く、見えない程だった。


「流石、紫焔の魔導士グォドレイを師に持つ方ですね。この場所をいとも簡単に見つけてしまうとは」

「あ……魔術が施されていることには気づいたんだけど」


 どうやらこの場所を隠す為の魔術を、ミルドレットは意識せずに見破ってしまっていた様だ。


「隠していると分かれば、逆に興味がそそられるものですから、仕方の無いことです」


 シハイルの側に行くと、彼は墓碑を見上げた。まるで促される様にそこに刻まれている文字をミルドレットは読み、眉を寄せた。


『存在無き王』


 一体誰の墓だろうか、とミルドレットは不思議に思った。

 ヒュリムトンの王族の墓にしては、こうして魔術で隠すのは妙な話だし、『存在無き王』だなどと印象の悪い呼び名をつけるのは妙だ。

 しかし、そういったことを口に出してシハイルに問いかけるにも、シハイルの寂しげな様子から、ここには心から死者を偲んで足を運んでいる様に思われた為、無粋な質問を投げかけるには気が引けて、ミルドレットは口を閉ざしたまま墓碑を見上げていた。


「……これは、私の墓なのかもしれません」

「え?」


シハイルの言葉に思わず声を洩らしたミルドレットに、シハイルは小さく頷いた。


「時々、こうして訪れていただけますか? この場所を知る者は少ないですから、貴方が来てくださると、眠っている者達も喜ぶでしょう」

「え? でも……」

「すみません。無理なお願いをしてしまいました。忘れてください。貴方には関係の無いことだというのに」

「あんたも……いや、王太子殿下も嬉しい?」


ミルドレットの言葉に不思議そうに小首を傾げたシハイルに、ミルドレットはゆっくりと言い直した。


「王太子殿下は、これは『私の墓なのかも』って言ったじゃないか。だから、あたしがここに来たら、殿下も嬉しいの? その悲しそうな心が少しでも癒されるってなら、あたしは毎日だってここに来るよ」


 ポツリと雨粒が落ちてミルドレットの手に当たった。ポツリポツリと大粒の雨が次々と空から零れ落ちて来て、白い墓碑を灰色に染めていく。

 シハイルの頬に落ちた雨粒が、まるで涙の様に伝った。


 ミルドレットは不思議な娘だ。まず普通では見つけられないような場所に訪れる事もそうだが、得意げに根掘り葉掘り聞く様な真似もせず、ただただ相手の気持ちを思いやって、自分に何ができるだろうかを一番に考える癖がある。

 白銀の仮面で顔を覆われたシハイルの心を、こうも適格に汲み取って話す者など今まで出会った事が無かった。


「……はい。貴方がここに訪れてくれるのでしたら、私も嬉しく思います」


 シハイルが静かに言った言葉は、雨音で聞き取りにくかったが、ミルドレットはそれを聞いて力強く頷いた。


「わかった。それなら任せて! あ、でも……あたしが王太子妃に選ばれなかったら来れなくなっちゃうけど。ごめん、今の所望み薄かも。あたし、落ちこぼれだから」

「応援します」


 ミルドレットは思わずシハイルを見上げた。白銀の仮面で覆われた顔は表情を伺い知る事ができず、ミルドレットはどう返していいのか分からずに「ありがと」と答えたものの、それは何だかおかしくないか? と、疑問に思って難しい顔をした。

 自分の嫁候補が、嫁になる為の応援をするだなんて、それはつまりシハイルはミルドレットが王太子妃になることを望んでいるということなのだろうか。


「風邪を引いてはなりません。戻りましょう」


 シハイルは羽織っていたマントをミルドレットにかけた。


「いいよ、殿下が風邪引いちゃう。あたしはこのくらい平気だから」

「断らないでください。男が女性を気遣うのは当然の事なのですから。私に恥をかかせるおつもりですか?」

「いや、そう言われちゃうと……」


ミルドレットはなんとも気まずい気持ちを抱えたまま、シハイルと並んで裏庭を歩いた。そもそも今までこんな風に女性扱いをされた事など無いのだ。こそばゆくて申し訳無くて、シハイルのマントを突っ返したい気持ちを必死に抑え込んだ。


「私がいくらあなたを妃に望もうとも、その望みは通りません。不甲斐なく申し訳ありません」


歩きながらポツリと言ったシハイルの言葉に、ミルドレットは驚いて顔を上げた。


「へ!? い、いや。王太子殿下はあたしじゃなく、姉のアリテミラ姉様が希望だったんじゃないの?」


望んでいた姫を手に入れる事ができず、代わりに来たのが自分の様なガサツな者で、シハイルは落胆している事だろう。


「いえ。私は貴方が妃となってくれたらよいと切に願っております」


シハイルの言葉にミルドレットは「ええ!?」と、素っ頓狂な声を上げた。


「その……あたしなんかでいいとか変わった人だね」

「貴方はご自分の価値がお分かりでないだけですよ」

「殿下は知らないだけだよ、結婚して後悔しなきゃいいけれど。あたしに価値なんて無いからさ」

を無価値だなどと言わないでください」


『私の愛する人』……? と、ミルドレットは我が耳を疑って思わず「へ!?」と、声を上げた。


「貴方は誰にでも優しく、そしていつも他人の為に心を砕いています。貴方の様な方に妃になって、ゆくゆくはこの国の母となっていただきたいのです」


 ——あ……ああ、そういうこと!? びっくりした……。

 つまり、『愛する人』というのは言葉の綾で……うん。なんの綾かわかんないけど言葉の綾なんだな。うん。


 ミルドレットはやたらとそわそわと落ち着かず、照れる気持ちを押さえつけたいが為に、強引に自分の考えを捻じ曲げて乾いた笑いを発した。


 王城へとたどりつき、シハイルにマントを返そうとすると「殿下」と、呼び止める声が聞こえた。


 ユジェイ王国第一王女、アレッサ・シエロ・ユジェイ。浅黒い肌に、黒曜石の様な大きな瞳が魅力的に輝き、艶やかな黒髪を束ねて金の髪飾りで止めていた。

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