第8話 ミルドレットの弱点

「私が席を外した隙にあのようなことが起こってしまい、本当に申し訳ございません」


 エレンが深々とミルドレットに向かって頭を下げた。


 ここは王太子妃候補ミルドレットに与えられた部屋の中だ。ミルドレットはシハイルから贈られたドレスから早々に着替え、苦しいコルセットも外して侍女達に髪の手入れをして貰っていた。


「全然、エレンのせいじゃないし、気にしないでよ」


 このやりとりはもう何度目だろうか。そろそろもう止めにしたい、とミルドレットは大きくため息をついた。


「大体さ、周りをちゃんと見て無かったあたしが悪いんだ。それに、王太子殿下が助けてくれたしさ! 結果的になんかいい感じに収まったから良かったよ。騒ぎのおかげで踊らなくて済んだし、逆にラッキーだったくらい。あたし、確実に殿下の足を粉々になるくらい踏みつけてたと思うんだ。足を押えてぴょんぴょん跳ね回る殿下の姿なんか、誰も見たくなかったでしょ?」


ミルドレットの言葉に側に居た侍女がクスクスと笑い、エレンに睨みつけられて咳払いで誤魔化した。


「ミルドレット様のせいであるはずがございません。私が席を外したのを見計らってわざとワインをかけたに決まっております!」

「へ!? そんな事する人居るの!? なんで!? ワインが勿体ないっ!」


ミルドレットの素っ頓狂な声に、侍女達が堪らず噴き出した。エレンは呆れて怒る気も失せてため息を吐くと、困った様にミルドレットを見つめた。


「……全く、ミルドレット様ときたら人が良いにも程がありますよ。疑うということを知らないのですから。人類皆友達とでも思っていらっしゃるのですか?」

「そんなことないよ。あたし、王太子殿下のあの仮面を外した時イボイノシシみたいな顔してたら、たぶん逃げ出すと思うもん。助けて貰っておいてアレだけどさぁ……」


 エレンもぷっと笑うと、「それは無いのでご安心なさいませ」と肩を竦めた。


「え? エレンは王太子殿下の顔を見た事あるの?」

「赤子の頃ですが、それは可愛らしく美しいご尊顔でしたよ」

「へー。そっか、赤ちゃんの時は仮面なんかつけないか」

「尤も、私は王妃様付の侍女でしたから。ご幼少期は離れでお過ごしで、出入りも厳重に管理しておりましたので、極力素顔を晒さない様に気をつけておいででしたよ」


 ミルドレットは「ふーん」と、鼻を鳴らすと、ふと想像した。


 低く心地の良いのシハイル王太子殿下。ミルドレットを庇ってくれる優しさや正義感もあり、背も高く物腰も柔らかだった。あれでもしも顔が美形なのだとしたら、それはなかなかに完璧な男性と言えなくはないだろう。


「なんか、大国の王子様も大変なんだね」

「大変とおっしゃいますと?」

「だってさ、仮面生活でそれじゃなくても不自由だってのに、その上あたしなんかと結婚したくないだろうなぁって思って」


「何故です?」


 いつの間にやらニールが室内に入って来てミルドレットに問いかけた。エレンや他の侍女達はさっと会釈をしてミルドレットの側から離れ、壁際に控えた。


「ニール!」


 ミルドレットはパッと立ち上がると、思わずニールに抱き着いた。ニールは驚いたもののいつもの笑顔を貼り付けた表情は崩さずに、冷静にミルドレットの両肩を持って引き離した。


「子供の様な行動はお控えください」

「ねえ、ニール! あたし、今日めちゃんこ失敗しちゃったんだ! もうあんな失敗なんか絶対にしたくない。皆に迷惑かけちゃうんだもん」


ニールの顔を見て緊張が解れたのか、ミルドレットは先ほどまでの気丈な様子はどこへやら、ふっと泣き顔へと変わった。


「……ミルドレット様」

「気を付けてるのに、いつもあたしってばダメなんだ!」


ボロボロと大粒の涙を零すと、ミルドレットはしゃくりあげながら泣き出した。


 王太子妃候補のお披露目パーティーで起きた事件の事は、ニールの耳にも届いていた。ニールもエレン同様、ワインはわざと掛けられたものだと考えて、その給仕係を探させたが、事件の後にはまるで煙の様に姿を消してしまっていた。

 招待客の貴族ではそんな目論見をしてもすぐバレることだろう。企てたのは王城に居る者の誰かである事は確実だ。


「お願いだよニール。あたしにもっと『気品』ってやつを教えて。自分のミスでお姉さまやお父様に迷惑をかけちゃうわけにいかないんだ。あたし、ら……」


 ——『これ以上嫌われる』とは……? と、ニールは僅かに眉を顰めた。

 ミルドレットの背中の鞭打ちの痕といい、ルーデンベルン国王のミルドレットへの態度といい、彼女の過去や家族には異様な点が多すぎる。


 ——いや、まずはそれよりも……。


「分かりました。私にお任せください、必ずやミルドレット様をどこに出しても恥ずかしくない淑女にして差し上げましょう」

「あんたにばっかり迷惑かけちゃうけどごめんね」

「ミルドレット様、そのような事を言えば皆寂しがりますよ」


 ニールの言葉にエレンや侍女達がニッコリと微笑みながら頷いた。


「私達にもいつでも頼ってくださいませ」

「ええ、そうですとも! ミルドレット様にお仕えすることができて幸せなのですから」

「おしゃべりもいくらでも聴きますよ」

「みんな、ありがとう」


 しゃくりあげながらグスグスと泣くミルドレットに、ニールはポケットをまさぐって「ああ、飴玉は切らしているのでした」と言ったので、ミルドレットはフッと笑った。


「うれし泣きは飴玉じゃ止まらないよ」

「うれし泣きですか?」


不思議そうに聞いたニールに、ミルドレットは頷いた。


「だって、あたしってダメな奴だからさ。こんな風に皆に優しくして貰えるなんて思ってもみなかった。ヒュリムトンに来て良かったなって思っちゃったよ」


 ニールはハッとしてエレンに視線を向けた。エレンは察した様に頷くと、侍女達を引き連れて部屋から出て行った。


 ミルドレットが修道院に入れられ、そこから抜け出して紫焔の魔導士グォドレイの元にいたという経緯は、なるべく他の者には聞かれない方がいいと思ったからだ。

 彼女はルーデンベルンの王城で、たまたま魔術の才能があったが故に、紫焔の魔導士と名高いグォドレイが師についたのだと思わせておくのが、最も無難なあらすじだ。

 エレンの事は信用しているが、他の侍女の事まではまだ分からない。警戒しておいた方が賢明だろうと考えた。


 扉が閉じた事を確認した後、ニールはミルドレットの頭を優しく撫でた。


「なんだか子供の頃の事を思い出すね。あたしが泣くと、いつもニールがこうやって宥めてくれたっけ。あんたはあたしにとっては王子様だったよ。絵本に出て来るような、ピンチに駆けつけるヒーローみたいなさ」


 自分で引き離したはずのミルドレットの身体を抱き寄せて優しく両腕で包み込むと、ニールはやれやれとため息を吐いた。


「全く、いつまでも子供ではないのですから」


優しく抱きしめたニールの腕の中で、ミルドレットは嬉しそうに微笑んだ。


「へへ。子供の頃と同じだね、ニール」


ほんのりと甘い香りを発するニールの胸に甘える様に顔を擦り付けたが、彼が身に纏っている白銀の甲冑にコツリと額をぶつけた。

 以前はこんな甲冑を身に着けていなかった。ニールとの間に壁が出来てしまったような気がして、ミルドレットは少し悲しく思った。


「それで? 先ほどの質問に答えて頂けますか?」


咳払いと共にニールが声を発したので、ミルドレットはキョトンとして小首を傾げた。


「先ほどの質問って、何だっけ?」

「ご自分で『あたしなんかと結婚したくないだろうに』と仰ったではありませんか。何故そうお思いに?」


 むしろどうしてそんな事を聞くのだろう、と、ミルドレットはサファイアの様な瞳をパチクリと瞬きさせた。


「え? だって、あたしは姉さまみたいに綺麗じゃないし、気品も無いし、口も悪いしちんちくりんだし落ちこぼれだし。普通の人ができることをなんにもまともにできやしないから」

「……なるほど」


 ニールはフムと頷くと、ミルドレットから一歩離れて見つめた。

 ニールに見つめられ、ミルドレットは照れて困った様に唇を窄めた。


「な、なにさ?」

「貴方に決定的に足りないのは『気品』よりも『自信』なのだとわかりました」

「う!?」


ニールに言い当てられて、ミルドレットは困惑して口をパクつかせた。


「自信が無いからわざとそういった風に茶化した言葉遣いで誤魔化して、みっともないと思っている自分を隠そうとなさるのでしょう」

「そりゃ、自信なんかないけど……」

「つまり、今まで誰からも褒められずに生きて来たので、自信をつけるタイミングを失ってしまっているというわけでしょう。全く、紫焔の魔導士グォドレイは弟子に厳しいのでしょうけれど、少し位誉めても良いでしょうに」

「お師匠様はいつもあたしを『落ちこぼれ』って言ってたよ?」

「おちこぼれは魔術など使えませんよ」


 ニールは微笑みを浮かべたまま頷いて見せたが、ミルドレットはピンと来ない様で小首を傾げた。


「ご幼少期に修道院に入れられ、あまり世間と触れることなくお過ごしのようですから知らないのも無理はありませんが、ミルドレット様の師である『紫焔の魔導士グォドレイ』は、ルーデンベルンに居を構えているものの、大国の王ですら屈服する程の権力を持つ方なのです」


 ——そんなスゴイ人があんな汚くておんぼろの掘っ立て小屋に住んだりするだろうか?

 ミルドレットは胡散臭そうに眉を寄せてニールを見つめた。


「……人違いじゃ?」

「まさか。そうでもなければ、わざわざ彼の留守を狙ってミルドレット様を拉致しに行きませんよ」

「やっぱり留守を狙ったの!?」

「ええ、勿論です。大群を率いても紫焔の魔導士グォドレイには敵わないでしょうから」


 ——うっわ、ニールってばやり方がセコイな。

 と、ミルドレットは思った。


 事実グォドレイと敵対する事など、どの国に於いてもタブーとされる程の権力者なのだが、それを知らないミルドレットにはすぐに伝わるはずもない。あきれ顔のミルドレットを見つめ、ニールはミルドレットの師についてのそれ以上の説明を諦めた。


「つまり、魔導士がそれほどに稀有な存在であり、権力者なのだとするならば、誰もが魔術を身に着けたいと思うのは当然ではございませんか?」

「うん、まあ……なんで皆覚えないのさ?」

「できないからですよ」


 ここまで言ってもミルドレットはピンときていないようで、小首を傾げてサファイアの様な瞳をぱちくりと瞬きしてみせた。


「なんでできないの?」

「いえ、むしろできるミルドレット様が不可思議というわけです」

「だって、ニールだって魔術反射のタリスマンを身に着けてたじゃないか。それくらいありふれてるものだってことなんじゃないの?」

「魔術反射のタリスマンは国宝級に貴重な品ですし、紫焔の魔導士グォドレイの魔術には通用しないと思います。ミルドレット様はエレンに魔法薬を調合してくださったでしょう? 感激していたかと思いますが違いますか? 一般の者には魔法薬などといった値が張る物は、手に入れるどころか、見る事すらできませんから」


 ミルドレットは掘っ立て小屋を訪れる客達を思い出した。どの者も貴族か何かの従者で、当然ながら従者を雇えるということはそれほどに裕福だということだ。つまり、魔法薬の購入や魔導士に依頼をするという行為は、かなりの金持ちでなければ難しいということなのだろう。


「……でも、ニールだって見ただろう? あのボロ小屋」

「ええ。私も少々驚きましたが、納得もしました。あのような行きづらい場所でなくては、多少なりとも金がある者程度が皆、行列を作って押し寄せるでしょうから」

「行きづらいっけ?」

「潮が満ちれば洞窟の入り口は閉ざされるのです。しかも大潮の干潮の時でも無い限りは常に閉ざされているあの場所ですよ? さらに小屋へと続く道のりは暗く険しく、毒蛇もそこここに巣食っています。行きやすいと言えますか?」


ミルドレットは掘っ立て小屋が立てられている洞窟の上部を思い出した。


「洞の天井は穴が空いていたじゃないか。あたしらはいつもそこからひとっ飛びだったけど」

「普通、人は飛べませんし、あの高さに足りる様なロープなどこの世に存在しません」

「うーん。いまいちピンと来ないなあ」


ニールはやれやれと肩を竦めると、小さくため息を吐いた。


「……まぁ、口で言って伝わる様なら苦労もしないわけですから。ともかく、これからミルドレット様に自信を持っていただけるように私の指導方針も変えさせていただきます」

「指導方針?」

「ええ」

「どう変えるっての?」


不安気に訊いたミルドレットに、ニールはニコニコと笑みを浮かべたままサラリと答えた。


「ミルドレット様を誉めまくります。いつもお美しいですね、ミルドレット様」


 ぶっと吹き出した後、ミルドレットは笑みを向けるニールの前で、全力で首を左右に振った。


「や、やだよ。なんだか似合わないじゃないか! あんたはサドキャラじゃないの!?」

「何です? その不可思議なキャラ設定は。確かにミルドレット様への厳しい授業は楽しくはありましたが」

「ほらほらほら————!! あんたってそういう奴だよやっぱり!」

「おや、退いてる顔もお美しいですよ、ミルドレット様」

「!!!!!!」


 ——絶対間違ってる!!

 と、ミルドレットは思いながら、どう否定すべきか悩んでただただ苦笑いを浮かべる事しかできなかった。


「才能に溢れ、周囲の者にも大変お優しく好かれております」

「ニール、思っても無い事言うの止めようって!」


恥ずかしそうに頬を染め、涙目で見つめるミルドレットの表情が可愛らしく、ニールはもっとミルドレットを虐めたくなった。が、残念そうにため息を洩らし、肩を竦めた。


「……まぁ、とはいえ少しの間行儀作法の勉強はお休みですね。私には別の仕事がありますから」


 ニールが神妙な面持ちでそう言い、『別の仕事』とは、恐らく危険な仕事に違いない、とミルドレットはニールを心配する気持ちと、妙な誉め言葉の嵐を避けられる嬉しさとが入り混じり、複雑な気分を味わった。

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